(さてさて、皆様お楽しみの連休に入りましたので、週末更新の当ブログも連休中は毎日更新します)

 

もはや霞川は途切れて、さらに青梅をさかのぼります。

 

■住吉神社・・・東京都青梅市住江町12

 

 

多摩川が作った扇状地の扇頂近く

 

小高い丘の上にあります。

 

南側に大きい鳥居があったのですが気づかず、西側の小さい入り口から入ってしまいました。

 

拝殿

 

拝殿屋根に三つ巴神紋(大幡主、豊玉彦)

 

 

拝殿奥

 

1369に摂津の住吉大明神を祀った、と。

祭神は上筒男、中筒男、底筒男

境内には稲荷、八坂、大鳥神社がある。

 

拝殿側面、神紋は見当たりません。

 

一番奥に見えるのが本殿屋根

 

本殿側面

 

本殿を反対側から

なんとなく氷川らしさがあるような気もします。

 

江戸期に火事になったようで、本殿には千木があったそうです。内削? 外削?

 

本殿正面

 

さて境内社を見ていきます。

これは

 

 

でした。

 

梅紋もありました。

 

こちらは拝殿に向かって右側

 

右から

大鳥社、千木は(たぶん)外削(男神)、鰹木は3本(男神)

 

鰹木に神紋が刻んであるようなんですが、よくわかりません。

 

祭神はヤマトタケル、大鳥連祖神(不明)

 

左は祓戸社、神名はありません。

 

こちらは稲荷

 

では猫の足あとサイトから情報を見てみます。

祭神は上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后

境内社は稲荷神社、松尾神社、八坂神社、厳島神社、八幡神社、菅原神社、大鳥神社

1369年に延命寺創建にあたり摂津国住吉大社の神を勧請した、と。確かに祭神は同じです。

 

では住吉が勧請される以前の祭神が残されているかどうかを見ていきますね。

 

まずは拝殿向かって右手にあった大鳥神社です。

大鳥大社(大阪府堺市西区鳳北町1-1-2)のWikipediaを見ますと祭神は同じくヤマトタケル、大鳥連祖神で、元来の祭神は大鳥連祖神=天児屋命と書かれていました。

天児屋根(=鹿島大神=海幸=ヒコヤイミミ)は阿蘇系で、そんな大鳥神社がなんでここ青梅の住吉神社に摂社として収まっているのか。経緯は記録されていなくて不明ですが、青梅周辺になぜか阿蘇系が集まっています。奥氷川神社の元宮と思われる竜田神社、阿蘇神社虎柏神社がそれです。

いずれにしても、上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后が持ち込まれる以前は阿蘇系の神社だったんだろうと想像しました。(Wikipediaの内容を信じれば、ですが)。

 

次は大鳥神社と拝殿の間にあった祓戸神社です。

祭神は不明でしたが、猫の足あとサイトを見る限り松尾神社、八坂神社、厳島神社、八幡神社の4つが祓戸神社の4柱にあたるのかな?

百嶋神社考古学では松尾神社=大山クイ、八坂神社=スサノオ、厳島神社=市杵島姫、八幡神社=応神となります。青□

でも、そもそも百嶋神社考古学で祓戸神といえば、速(豊)秋ツ姫(高木大神の長女)、瀬織ツ姫(=クシナダヒメ、金山彦と埴安姫の娘)、気吹戸主(=金山彦)、速佐須良姫(=鴨玉依姫、豊玉彦とクシナダヒメの娘)の4柱です。黒□

それを百島神代系譜で見てみましょう。

全然別物ですね。

何でこんなことになっているのか、よくわかりません。

青□の市杵島姫の息子が大山クイ、スサノオはまぁ別格として、八幡(=応神)が関連ないんだよねぇ。

いや、正八幡は大幡主なので、この場合の八幡は大幡主と考えれば、市杵島姫の祖父は大幡主なので一応収拾はつきそうですね。大幡主の権威を利用した大山クイ(藤原)と見ることもできるかも、といった程度ですが。

その線で考えると、ここ青梅の住吉神社の祓戸神は藤原系の象徴とも見れそうです。

 

まとめましょう。

1369年に上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后という近畿政権モロ出し祭神が入る以前は、①阿蘇系(大鳥神社=天児屋根)や➁大幡主~大山クイ(藤原系譜)がここ青梅に入っていた、といえるのかなと想像しました。

①と➁どっちが先だったのかはわかりませんがね…