2/8 モスクワ → アテネ
2/8 モスクワ → アテネ
アテネに着いたのは翌日の午後だった。
そして旅行初日から空港泊という無茶をやらかしていた。
モスクワで待機した時間はおよそ12時間。
長く、寒い夜だった。
トランジットホテルという手もあったが、航空券を購入した際に旅行会社に確認すると
「ありますけど、結構なお値段ですよ・・・1万6千円」
と言われ、やむなく断念していた。
予想していた通り空港待機は大変だった。
周りの人から荷物を取られるのではないかと不安になったり、
深夜には空港の職員から「チケットを見せろ」と職務質問を受けたり、
緊張を強いられる環境の下、あまり暖房の効いてない空港内で凍えながら夜明けを待つのは本当に辛かった。ただ、同じように空港泊をしている同士は何人かおり、女性2人組の日本人旅行者もベンチに寝ていた。女の子二人でよくやるなと関心を覚えた。
「もしかしてアテネに行くのでは」
そう思って話を聞くと彼女たちはイスタンブールへ行くらしい。
残念な思いに駆られながら別れを告げ、僕はアテネ行きの飛行機に乗り込んだ。
4時間は乗っただろうか。飛行機は無事アテネに到着し、入国を済ませ、まずエアポートバスに乗ってアテネの“ヘソ”シンダグマ広場へ向かった。車窓から見える真っ青な空は、夏に訪れたカルフォルニアの感覚がよみがえる。郊外から都市部に移るにつれて道路は次第に渋滞し始めたのだが、バスは猛スピードで飛ばす。正直ヒヤヒヤであったが、数十分後、なんとか“無事に”シンダグマ広場についた。
さて、どうしようか。
まずはホテルを探そうと思っていたのだが、チェックインには時間があまりにも早いのでは、とビビり、すぐそばにあった無名戦士の墓によってみた。木靴に民族衣装を着た兵士が同じように動き、行進し、周りを囲む観光客を魅了していた。滑稽なようで、規律の取れたその動きは、まさに私に異国を感じさせてくれた。
民族衣装を着た兵士たち
しばしそれを眺めた後、いよいよホテルを探すことにした。
まず、観光案内所で地図を貰い、つたない英語で地図と時刻表をゲット。宿の集まるプラカ地区を散策し始めた。初めて歩くプラカ地区はまさに迷路。適当に歩き回った結果、気付けばモナスティラキ広場に出ていた。旅の唯一のガイドブック「地球の歩き方」に治安の悪さを指摘されていたオモニア広場の南にいると知り、怖くなって来た道を早足で戻った。実際昼間にそこまで警戒する必要はなかったかも知れないが、初めての海外一人旅の最初の最初であったこともあり、神経質になっていたと思う。
プラカ地区まで戻り、教会のベンチの前で小休止した。ふと目の前の道を見ると、そこにホテルTEMPIがあった。思わず笑ってしまった。これこそが探していたホテルなのである。
このホテルは、日本で宿の検索をしていた時に、あるギリシャ旅行記に乗っていたホテルで、料金が32ユーロ。その旅行記においてお気に入りのホテルとして紹介されていたため、安心できるし、最初はこのくらいの値段でもいいかと思い探していたのである。自分の英語に不安を抱えていたため、事前に何度もシュミレーションをし、数回入口でドアを開けるのを躊躇した後、意を決し、突入した。
「HI!」
一瞬頭が真っ白になったが、
なんとか「トゥデイキャンアイステイ?」という言葉をひねり出し、
「Of cource you can stay!」
という言葉を相手から聞いたときは、歓喜した。
値段も30ユーロということで2ユーロ安く、いいこと尽くしだった。パスポートを預け、部屋に入り、まず2日間洗ってなかった髪を洗いリフレッシュした。非常に狭いホテルで、部屋は東京のアパートを彷彿とさせるホテルだった。また、外出の際は必然的にフロントのまさに目の前を通ることになり、英語の挨拶に慣れてない僕にとってはいちいち外出時にフロントの人と顔をあわせるのが少し億劫だった。
とはいえ、宿が何とかなったという事実は心に大きな余裕を与えてくれた。
荷物を部屋においた僕は、再び町に繰り出した。
パルテノン神殿は旅の終わりに、と決めていた。
なのでそこには向かわずに、適当に、まさに思いのまま街を歩いた。時折日本人を見かけるのがちょっとうれしい。こういうときは国籍という共通点だけで人は仲良くなれるものである。(これは後々わかったことではあるが)
メインストリートでは黒人があきらかに偽物のバックを販売しようと声掛けをしていたり、物乞いがあらゆる手段でお金を恵んでもらおうとしていた。物乞いの種類も多種多様で、ピエロの格好をしてお金をあげると微笑んでくれる者や五体不満足をダイレクトにあらわにして慈愛を乞う者など、正直驚きの連続だった。日本はホームレスは多いが、こういう人はあまり見たことがなかった。僕が日本でそういう闇を見てなかっただけなのかもしれないが。
しばらく街中を回っていると、ふと高い丘のような場所が目に入った。そこが、リカヴィトスの丘だった。時間はまだ三時過ぎ。せっかくなのでプラカ地区から北東へ歩みを向け、その丘に行くことにした。
頂上までは階段をのぼったり、坂道を歩いたりするうちに十分ほどで着いた。
上に行くにつれてアテネ市街の全容が目の前に広がり、ところどころ立ち止まりながら景色を楽しんだ。
新宿や丸の内にあるような高層ビル街なんかまったくなく、正面にはアクロポリスが町を見下ろすようにそびえていた。その奥にはかすかに青い地中海が見えた。日本から十数時間、最初に覚えた至福の時だ。しかし、その感覚はあまりの風の強さに数分で消え去った。頂上のレストランに避難しようとも考えたが、地球の歩き方によると超高級レストランのようだったので即却下し、名残惜しいものの、数分で下山する羽目になった。
薄暗くなったアテネの町をふらふらしながらホテルに戻る道中、途中何度も夕食を食べようとお店をのぞいたが、白人ばかりの店に突入する勇気がどうしても出ず、屋台でギロピタを二個買って済ませてしまった。ギロピタとはトルコでいうケバブで、平べったいパンに肉やらポテトやら玉ねぎなんかをつめ、サジキというヨーグルトのソースをかけたものである。これがまたうまくて1,5ユーロと安いもんだから、飯に困ったときはこれを食べることにした。ちなみにギリシャでは食事を出す店のことを「タベルナ」と言い、日本語だと「食べるな」ということで、ちょっと面白い。つまりこの日はタベルナでは食べるなということになったわけだ。
ホテルでBGM代りにテレビをつけ、そのギロピタをぺろりと平らげた後は、シャワー(共同)に入り、明日の準備をし、布団に飛び乗ってあっさりと眠ってしまった。
やはり空港のベンチとは天と地の差だった。
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