見晴小屋
西の河原露天風呂の上流から流れ落ちる源泉の滝の下に作られた屋根の有る見晴小屋です。

 


 

東屋(あずまや)とは、庭園や公園に設置される、柱と屋根のみで構成された簡素な建物を指します。


 

主に休憩や景色を楽しむために利用され、壁がないか、あっても簡易な造りであることが特徴です。



 

四阿(しあ)
東屋は「四阿」とも表記されます。この「阿」は軒を意味し、四方に軒が葺き下ろされた屋根を持つ建物を表します。
 

言葉の由来
都から見て東方に位置する地域の建物が簡素な造りであったことから、「東屋」と呼ばれるようになったという説があります。



斎藤茂吉碑
歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。
大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。

精神科医として、青山脳病院(2010年〈平成22年〉)3月に閉鎖された東京都立梅ヶ丘病院や斎藤病院)の院長を務めた。

長男は精神科医で随筆家の斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫は随筆家の斎藤由香。


 

戦時中、戦意高揚の和歌を多く作成していたが、茂吉自身は狂信的な国粋主義者でもなく、戦争や皇室に関しては平均的な日本人の感情を持っていた。

それでも昭和天皇とマッカーサー元帥との有名な会見の写真が新聞に掲載された時は、憤慨し「ウヌ、マッカーサーの野郎」と日記に書きしるしている。

「もきち」という名前は当時としても古臭いイメージがあったため、養父の勧めにより「しげよし」と読ませていた時期がある。

医者としても、かなりの腕を持ち、患者には優しく接して評判が良かった。

ドイツ留学時代から膨大な精神医学書を購入し、論文を著述する計画であったが、これらの既に日本に送り届けてあった書籍を留学からの帰朝直前に青山脳病院の火災で焼いてしまった。

この火災の原因は茂吉の帰朝を祝う餅つきの残り火であった。
茂吉は、保険失効状態で全焼という、ほぼゼロからの再起で病院を全盛期以上の規模にまで復興させ、経営者としても尋常でない手腕を示している。


 

文学関係者では永井荷風や芥川龍之介、宇野浩二も診察を受けた。特に芥川の神経衰弱から来る不眠症には真剣に接し、さまざまな療養法を手紙でアドバイスしたり、臭素加里やアヘンチンキ、ドイツバイエル社製のベロナール(バルビタール)などの睡眠薬を施した。



 

それだけに芥川の睡眠薬自殺は茂吉には大きな衝撃で、日記には、第一報には「驚愕倒レンバカリニナリタレドモ」、通夜からの帰宅後「ソレデモナカナカネムレズ。芥川ノ顔ガ見エテ仕方ナイ」とそれぞれ書かれている。


子育て観音像
子供の健やかな成長や安産などを願う人々に信仰されている観音様です。


 

多くの場合、母親が子に乳を与えている姿で表され、慈愛に満ちた優しい表情をしています。

子育て観音は、主に以下のような願いを込めて信仰されています。


 

子宝、安産祈願
子供の無病息災、健やかな成長
水子供養


 

子供を抱く姿から「慈母観音」や「子安観音」とも呼ばれ、母性的な優しさを象徴しています。

子育て観音像の起源については、複数の説や伝承があります。特に「泉子育観音」として信仰されている慶龍寺(茨城県つくば市)の本尊は、弘法大師が彫ったと伝えられています。


 

弘法大師空海が京都の東寺で、子供の成長と安全を祈願して自ら彫ったと伝えられています。

この観音像は、徳川家康も信仰したことから「出世」の文字が加わり、子育てと出世にご利益があるとして広く信仰されるようになりました。


賽の河原とは

石積 
仏教において親より先に亡くなった子供たちが冥途の途中で石を積む苦行を行う場所を指します。


 

この行為は「報われない努力」や「徒労」の象徴としても使われます。
賽の河原は、人が亡くなった後に旅立つ冥途の道中、三途の川の手前にあるとされています。


 

ここでは、親よりも先に亡くなった子供たちが、親への供養や成仏を願って小石を積み上げますが、鬼によって崩されてしまうという苦行を強いられます。


由来と背景
五逆罪と地蔵信仰
親より先に亡くなることは、仏教の教えでは「五逆罪」の一つとされていました。



そのため、子供たちは賽の河原で苦行を強いられると考えられていました。

 


 

しかし、最終的には地蔵菩薩が現れて子供たちを救済するという地蔵信仰に結びついています。


昔の世情
昔は出産時の死亡率が高く、子供が成人する前に亡くなることが多かったため、親が子供の死を悲しむ気持ちがこの伝承に反映されています。


現代における意味
現代では、「賽の河原の石積み」という言葉は、どんなに努力しても報われない、無駄な骨折りを意味する比喩表現として使われています。

 

 

↑ 足湯と湯川 ↓

 

 

ビジターセンターから西の河原露天風呂への近道が有り踊り場から其の一部が見えます。

 


西の河原露天風呂
男女合わせて500平方メートルという日本でも有数の広さを誇る開放的な露天風呂です。内湯はなく、露天風呂のみで大自然を満喫できます。



 

↑ ビジターセンターから露天風呂への近道 ↓

 

圧倒的な開放感
周囲を森林に囲まれており、新緑や紅葉、雪見など四季折々の景色を360度感じながら入浴できます。夜にはライトアップもされ、幻想的な空間が広がります。



大自然との一体感
広大な湯船に浸かりながら、日頃のストレスを忘れさせてくれるような、くつろぎの時間を過ごせます。



営業時間
4月1日~11月30日
午前7時~午後8時(最終入館は午後7時30分)

 

12月1日~3月31日
午前9時~午後8時(最終入館は午後7時30分)

定休日
無休(ただし、メンテナンスによる休館あり)



料金
大人800円、子ども(3歳以上小学生以下)400円です。障がい者手帳またはミライロIDを提示すると、通常料金の半額で利用できます。

 

設備
露天風呂のみで洗い場はありません。貴重品ロッカー(100円戻り式)があります。タオルやバスタオルは販売されていますが、高価なため持参することをおすすめします。

泉質
塩化物泉、硫酸塩泉、酸性泉で、神経痛、関節痛、うちみ、やけどなどに効果があるとされています。

アクセス
草津温泉バスターミナルから徒歩約20分です。天狗山第1駐車場を利用すると、無料で駐車できます。

 

↑ 天狗山第1駐車場 ↓

 


設備
露天風呂のみで洗い場はありません。貴重品ロッカー(100円戻り式)があります。タオルやバスタオルは販売されていますが、高価なため持参することをおすすめします。



泉質
塩化物泉、硫酸塩泉、酸性泉で、神経痛、関節痛、うちみ、やけどなどに効果があるとされています。


西の河原の湯川
至るところから湧き出す温泉が川のようになっている場所のことです。


 

↑ 湯気を立てて川となって流れ落ちる源泉 ↓

 

草津温泉の源泉が流れ込む川であり、草津白根山の火山活動によって生じる強い酸性の水が特徴です。


 

pH値は温泉水と同様に非常に低く、鉄やコンクリートを損傷させるほどの酸性度を持っています。

 


 

溶岩が転がり湯煙が立ち込める荒涼とした風景が広がります。


 

この一帯には、50度以上の温泉が毎分1万5千リットルも湧き出ており、それが湯川となって流れています。


 

強い酸性の温泉のため、河原には草木が育たないことから、「賽の河原・鬼の泉水」とも呼ばれています。


賽の河原とは
仏教において親より先に亡くなった子供たちが冥途の途中で石を積む苦行を行う場所を指します。


 

この行為は「報われない努力」や「徒労」の象徴としても使われます。


 

賽の河原は、人が亡くなった後に旅立つ冥途の道中、三途の川の手前にあるとされています。

 

草津に歩みし百人
 
 
 

此処に展示されている高山植物は地元に生育している物を造花によって再現しています。
 
 
 
 
「高山植物の女王」
コマクサ、荒涼とした場所に咲く孤高の花。高山に可憐に咲くコマクサは、「高山植物の女王」と称され、人気の高い花だ。可憐な姿の一方で、その生き方は力強い。
 
「高山植物の女王」と称される、小さくも美しい高山植物。漢字では駒草。駒とは馬のことで、花が細く馬のようだ、ということで名付けられた。だが、蕾のほうが馬面に見える。ちょっと変わった構造をした花だが、ケシ科である。
 
コマクサは、寒さ、強風、乾燥など、環境の厳しい高山帯でも特に厳しく、ほかの高山植物が生えることができないような稜線の砂礫地を好んで生える、孤高の花である。

この環境に耐えられるよう、地上部は小さくても、地下に茎や根を長く伸ばしている。草丈10㎝程度の小さなコマクサからは想像がつかないが、地下では1m以上に伸びていることもあるようだ。
 
 

高山植物
一般には森林限界より高い高山帯に生えている植物のことを指す。広義には高山帯だけではなく亜高山帯に生育する植物も含める。
 
 
 

定義
高山に生育するから高山植物と呼ぶわけではない。

例えば、北海道の礼文島や利尻島では森林限界が低いため、北アルプスで標高2,500メートル付近に生育している高山植物を平地や海岸近くでも見ることができる。
 
より狭義には、高山帯に固有の植物を高山植物と言う。
つまり低山帯や丘陵帯にも生えているが、適応の幅が広いので高山帯にも生えている植物は高山植物と呼ばない。

ただし、実際には高山へ向かう間に見かける草花も、すべて高山植物と言ってしまう場合が多く、高山植物図鑑の表記でもよく見かける。
 
 
 
 

特徴
高山植物の生育環境は、冬季の積雪と平均気温の低さ、一日の最高気温と最低気温の温度差が大きいこと、風が強いこと、貧弱な養分の土壌、陽射しが強く特に紫外線が多いこと、など多くの点で植物の生育には厳しいことが多い。

よってその環境に応じた様々な特徴をそなえている。たとえば、地下茎や根が発達している割に茎や葉が小さく、樹木であっても、ほとんど草並の背丈で、地表に密着してクッション状に成長する。
 
 
 

成長が可能な期間が短いため、一年草は少なく、多年生の草本が多い。また、全体に毛が多いものもよくある。

これは、植物体表面を寒気から遮断することや、強い日差しから本体を守る役割があると見られる。 日本にはそれほど顕著な例はないが、植物体全体が、表面の毛によってほとんど覆われ、まるで綿クズのように見える例もある。
 
また、植物体に比して花が大きく、派手なものが多い。植物の活動が夏に限られるため、ほとんど全種が同じ時期に花をつけ、一面に花が並ぶようすをお花畑とよぶ。
 
日本の場合、多くの高山植物は近縁種を北海道以北に持っている。これは、日本がより寒かった時代(氷河期)にここまで分布していた植物の生き残り、すなわち氷河遺存種(レリック)であると考えられる。

富士山は日本の最高峰であるが、真の高山植物はほとんどない。これは富士山が比較的新しい時代に、低い山から高くなって形成され、そこに氷河期の植物相が入り込むことがなかったためである

したがって、かつては高山植物の分布は山から山へとつながっていたのであろうが、現在ではそれぞれの山の山頂付近に限定され、分布は島のように孤立している。

そういった経過を経て、現在では島の生物と同じように、それぞれの山で固有種に分化していることが多い。

北岳のキタダケソウや白馬岳周辺と硫黄岳のウルップソウなどがその一例である。植物の保護のために、立ち入り禁止区域に侵入したり触れたりするのを、避けることが望まれる。
 
 

ビジターセンターから西の河原露天風呂への近道が有り踊り場から其の一部が見えます。
 
 
 

日本スキー発祥100年
1911年にオーストリアのレルヒ少佐が新潟県上越市高田で日本初のスキー指導を行ってから、2011年で100周年を迎えたことを指します。

この出来事を記念し、各地でイベントが開催されました。



日本スキー発祥の経緯
1911年1月12日、オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が、新潟県高田の金谷山で、高田第13師団の陸軍研究員14名にスキー指導を行いました。

これが日本におけるスキーの始まりとされています。



関東随一のスキー場
1911年1月当時の草津国際スキー場は最大級の規模と設備を誇っていました。

 

↑ 草津町1万分の1模型 草津温泉スキー場 ↓

 


 

日本のスキー場の歴史からみても最も古くから営業しており、日本で最初の民間リフト、最初のナイター照明を導入したスキー場として知られました。


 

↑ 天狗山プレイゾーン ↓

 

ゲレンデは天狗山、御成山、青葉山、逢の峰、本白根山が有り、初級から上級者向けのコースも多彩。


 

また、草津のスキースクールは昭和24年に開設され、長い歴史と伝統に培われたきめ細かな指導に定評があります。


国道292号線
 この国道は、群馬県と長野県の県境にある渋峠で「日本国道最高地点」を通過することで知られています。


 

国道292号の周辺には、草津温泉、万座温泉、志賀高原、渋・湯田中温泉など、多くの観光地が点在しています。


 

渋峠は、横手山と白根山の間を通る国道292号上にあり、標高2,172mで日本の国道の中で最も標高が高い地点です。この地点には「日本国道最高地点」の石碑が設置されています。

 


 

冬季閉鎖区間があり、例年11月初頭から4月下旬まで通行できません。また、草津白根山の噴火警戒レベルが引き上げられた場合、一部区間で通行規制が行われることがあります。



人工降雪機
水と空気に圧力をかけて霧状にし、冷たい空気中で凍らせて人工的に雪を作る装置です。



 

↑ 冬季の写真は過去のものです

 

主にスキー場の雪不足を補う目的で導入され、1952年には米国で初めて通年スキー場営業に利用されました。


 

この霧状の水滴が、大気によって冷やされることで雪の結晶となります。良質な雪を作るには、気温がマイナス3℃〜マイナス4℃以下であることが条件となります。


 

ただし、人工降雪機で作られる雪の品質は、気温や湿度、風向きといった気象条件に大きく左右されます。

 

 一部の人工降雪機は、角氷を削って造雪するため、真夏でも雪を作ることができます。このタイプのスノーマシンは、食品用の角氷を使用するため、人体や環境への安全性も高いとされています。


天狗山レストハウス
草津町は、草津温泉スキー場を年間を通じて集客できる「通年型山岳リゾート」にすることを目標としています。


 

その一環として、老朽化した天狗山レストハウスの建て替えが進められています。
現在は2025年12月完成を目指して建て替え工事が進められており、2026年春に新しい施設としてグランドオープンする予定です。


 

新しいレストハウスはゴンドラ直結の木造2階建てのおしゃれな建物になる予定です。


 

すでに新しいゴンドラ「パルスゴンドラ天狗」と、山頂の展望レストラン「クリスタル天(そら)」がオープンしており、通年型リゾート実現に向けて進んでいます。新しい天狗山レストハウスの完成は、このリゾート化の大きな柱の一つとして期待されています。

 

雪の西の河原
白銀の世界に湯けむりが立ち上る幻想的な景色が魅力です。
 


 

冬には積雪が1mを超えることもあり、非常に寒い地域ですが、その分美しい雪景色と温泉を同時に楽しめます。



 

雪景色を眺めながら温泉に浸かることができ、心身ともに癒される体験ができます。
 

 

12月から3月にかけて雪が降りやすく、まとまった量の雪となることが多いです。11月や4月に雪が降ることもあります。
 

 

温泉街は坂道ばかりで平らな場所は殆んど有りません。

車はスタッドレスタイヤが必須で、歩行する場合も滑らない履物が必要です。

 

草津に歩みし百人
千数百年の昔から多くの人々に愛されてきた草津温泉にゆかりのある人物をピックアップしています。湯畑周辺には、彼らが残した歌碑や石碑もあり、歴史散策を楽しめます。



刻まれている人物
湯畑の石柵には、日本武尊や源頼朝といった歴史上の人物から、小林一茶、高村光太郎、などの文化人、さらには政治家まで、幅広い分野の人物が刻まれています。



101人目の存在
映画『テルマエ・ロマエII』の主人公ルシウス・モデストゥスが、2014年に101人目として湯畑の石柵に名前を刻まれました。

 




湯畑を取り巻く石柱図
白のA部分に古代・戦国・江戸時代に來草した著名人。
赤のB部分に明治・大正時代に來草した著名人。
黄のC部分が昭和以降・近代時代に來草した著名人の名が刻まれています。
千数百年の昔から多くの人々に愛されてきた草津温泉にゆかりのある人物をピックアップしています。湯畑周辺には、彼らが残した歌碑や石碑もあり、歴史散策を楽しめます。


掲載順不動
行基菩薩(ぎょうきぼさつ)
15歳で出家したのち、仏道修行を経て、民間布教や社会事業に尽力します。 後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺の大仏造立に奔走、ついには、日本最初の大僧正の位を授けられました。


日本武尊(やまとたけるのみこ)
第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。


源頼朝(みなもとのよりとも)
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武将、政治家で、鎌倉幕府の初代征夷大将軍です。

良寛和尚(りょうかんおしょう)
詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧


前田利家(まえだとしいえ)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称される。


朝日姫(あさひひめ)
豊臣秀吉の異父妹とされ、徳川家康の継室となった人物です。彼女は兄である秀吉の天下統一事業において、徳川家康を懐柔するための政略結婚の道具として利用されました。



小林一茶(こばやしいっさ)
俳人。一茶調と呼ばれ庶民らしい親しみのある表現で、それまでの俳句とは一線を画し独自の世界を切り開きました。


蓮如上人(れんにょじょうにん)
室町時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首。本願寺中興の祖。同宗旨では、蓮如上人と尊称される。



コンウォール・リー女史(社会奉仕家)
英国女性。宣教師の道を歩み1907年来日。1915年草津を視察、以降、多くの施設を立ち上げ、ハンセン病患者のために患者のための生活・教育・医療に力を注いだ。



エルヴィン・フォン・ベルツ(医師)
草津の恩人
草津温泉は、その時代、世界に「世界第1級の温泉保養地(リゾート)」として、紹介をしてくれた人物こそが草津の恩人、ベルツ博士です。



ベルツ花
エルヴィン・フォン・ベルツ夫人。


高野長英(医師)

 江戸時代後期の医者・蘭学者。オランダ語文献の翻訳作業も多く行っている。


佐久間象山(思想家)
江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。


アーネスト・メーソン・サトウ(外交官)
幕末から明治維新にかけての激動の日本で活躍したイギリスの外交官。彼はイギリス公使館の通訳官として来日し、後に駐日公使、駐清公使を歴任。



竹久夢二(画家)
数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。


加納治五郎(柔道創始者)
講道館柔道の創始者である。明治から昭和にかけて、柔道のみならず日本のスポーツ・教育分野の発展に尽力した。柔道の父、日本の体育の父と呼ばれる。

与謝野鉄幹 与謝野晶子よさのてっかん・あきこ(歌人)

明治から昭和にかけて活躍した日本の歌人夫婦です。二人は恋と芸術に生きたパートナーであり、その生涯と墓は、今も文学的な象徴として語り継がれています。



斎藤茂吉(歌人、精神科医)

東京帝国大学で医学を学ぶかたわら、短歌に情熱を注ぎました。明治から昭和初期にかけて活躍した日本の歌人であり、精神科医でもありました。山形県で生まれた彼は、のちに東京の精神科医・斎藤紀一の養子となり、医者の道を歩むことになります。



林芙美子(小説家)
女工や女給など様々な職を転々としながら文学活動を続けました。この時期、詩や童話も執筆しています。そして、自身の放浪生活を綴った自伝的小説『放浪記』出版されるとベストセラーとなり、一躍人気作家となりました。



栃錦清隆(横綱)
戦後の復興期、「技の栃錦、力の若乃花」と並び称された“栃若時代”を築き、まだ貧しかった国民に勇気を与えた第44代横綱。 テレビ放送開始と共に相撲人気を全国に広げ、引退後は日本相撲協会理事長を務めて国技・大相撲の発展に尽くした。


原 謙(うえはらけん俳優。本名は池端 清亮(いけはた きよあき)

戦前・戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人である

田中絹代さんと共演した「愛染かつら」が大ヒットし、これを機に二枚目スターとしての地位を確立されました。この作品は上原謙さんの代表作とも言われています。

 

石原裕次郎(いしはらゆうじろう俳優・歌手)

兄である石原慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化作品で端役として映画デビューしました。
同じ年、主演映画『狂った果実』の主題歌で歌手デビューも果たしています。

 

渥美     清(あつみきよし俳優・歌手)

本名は田所康雄(たどころ やすお)68歳で亡くなったのコメディアン、特に代表作である「男はつらいよ」シリーズの主人公、車寅次郎役で国民的な人気を博しました。彼の死後、その功績を称え国民栄誉賞が贈られています。

休館日: 毎週木曜日 入館料: 無料
草津温泉の観光案内だけでなく、草津温泉を取り巻く自然環境について学べる「自然科学系の知的観光スポット」となっています。



どのような展示があるか
館内では、白根山をはじめとする火山や、草津温泉周辺の自然環境に関する資料や立体模型などが展示されています。


 

特に、草津温泉がどのように生まれるのかというメカニズムや、周辺で見られる高山植物などが紹介されています。


 

草津温泉周辺の豊かな自然について楽しく学べる展示が充実しています。


 

白根山などの火山活動から生まれた温泉の仕組み、そしてその中で育まれる植物について詳しく知ることができます。


自然を深く理解するために
草津ビジターセンターは、西の河原公園の散策と合わせて訪れることで、草津の自然をより深く理解できる「自然科学系の知的観光スポット」です。


 

展示内容について、常駐のスタッフの方に質問することもできますので、疑問に思ったことは気軽に尋ねてみてくださいね。

 

↑ 常駐のスタッフの方がいます ↓


高山植物の世界
草津温泉周辺で見られる高山植物についても紹介されています。


 

写真や造花を使った展示を通じて、その美しさや特徴を観察できます。


 

ハイキングに出かける前に、どんな植物に出会えるのか予習するのにぴったりです。


 

草津温泉周辺では、コマクサ、シラネアオイ、イワカガミなどの高山植物が見られます。

 

特に道の駅草津運動茶屋公園の高山植物園や草津森の癒し歩道ロイヤルコース、草津白根山などで観察できます。


草津地域では、様々な野生動物が生息
哺乳類
大型・中型

ニホンカモシカ、ニホンザル、イノシシ、シカ

 


小型

コウベモグラ、テン、ハタネズミ、アカネズミ、ヒメネズミ、アブラコウモリ、カヤネズミ


鳥類
ホシガラス、ヤマガラ、ウグイス、ルリビタキ、ウソ、カヤクグリ、モズ、マヒワ、

 

↑ シジュウカラとウグイスの剥製 ↓

 

ホトトギス、カッコウ、アキアカネ、ジョウビタキ

 

 

↑ ルリビタキとカッコウの剥製 ↓

 


外来種と保全
草津市では、本来日本に生息しない外来種も確認されています。
外来種

ヌートリア、アライグマ、ハクビシン
保全活動

自然環境の保全と外来種の駆除が重要視されています。

また、「草津熱帯圏」では、チリーフラミンゴ、カピバラ、ヘビ、ワニなど、熱帯地方の珍しい動物たちを見ることができます。

西の河原のベルツ・スクリバ両博士像
ルウィン フォン ベルツ博士
(内科医 1849年1月13日 - 1913年8月31日)
ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。



 ↑ 左・ルウィン フォン ベルツ博士 右・スユリウス・クリバ博士 ↑

 

1875年、ライプツィヒ大学病院に入院中の日本人留学生・相良元貞をたまたま治療することになり、日本との縁が生まれる。



 

1876年(明治9年)、お雇い外国人として東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師に招かれる。

 

1881年(明治14年)、東海道御油宿(愛知県豊川市御油町)戸田屋のハナコと結婚。



東京帝国大学医科大学の前身となる東京医学校に着任すると、病理学、生理学、薬物学、内科学、産婦人科学、精神医学などを担当、講義だけでなく自ら病理解剖を執刀し、27年に渡り明治期の日本医学界に近代西洋医学を教え、医学発展と基礎を築いた。滞日は29年に及ぶ。


温泉との関わり
日本の温泉を世界に紹介した人物でもある。明治12年(1879年)頃より日本に赴任している外国人達が上州伊香保温泉を訪れるのが流行となり、お雇い外国人教師や貿易商社員の仲間や横浜のドイツ医師と人力車で上州に向かい、伊香保温泉には別荘を構えて友人知人と幾度となく訪ねた。


 

明治13年(1880年)、別爾都(ベルツ)著『日本鑛泉論』(中央衛生会)を発刊。

各地の温泉地を衛生的な立場に立って改革し、また箱根をはじめ草津や伊香保などには、西洋医学をとり入れた温泉治療所をつくるよう内務省に建白書を提出した。


 

明治20年(1887)ベルツは「皇国の模範となるべき一大温泉場設立意見書」を宮内省に提出した。

「完全無欠の模範となるべき一大温泉療養所を設立せんとして、久しくその場所を探したが、漸くこれを発見することができた。

その唯一の場所は、箱根山中、大地獄即ち大涌谷の西北涯で、目的に必要な条件をすべて具備し、実に得離き好地である。

もし自分の計画が実現するならば、単に日本に寄与するのみならず、中国、インド、アメリカはもちろん、ヨーロッパにおいても名声を得ることは間違いない。

また日本は自然の温泉を至れり尽せりの方法で利用していることを証明できるし、ひいては日本の文明開化の進歩を、世界に示すことができる」と評価する。

水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし)
1892年(明治25年10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)
日本の俳人・医師。学位は医学博士。

 

俳人・水原秋桜子が草津町の恩人であるベルツ博士の功績をたたえて詠んだ句が刻まれた石碑です。


この句碑は、ベルツ博士の胸像のそばに建てられています。
秋桜子は、ベルツ博士の胸像に降り注ぐ秋晴れのすがすがしさが、まるでベルツ博士の心に触れているかのようだと感じ、その想いを句に込めたとされています。

水原秋桜子は、本名を水原豊といい、俳誌「ホトトギス」で活躍し、「馬酔木」を主宰した著名な俳人です。


 

また、俳人であると同時に昭和医学専門学校の産婦人科教授も務めていました。

彼の句碑は、草津温泉の他にも、東京都の染井霊園にある自身の墓所内、埼玉県の草加市、静岡県の伊豆、北海道の鹿追町、石川県の珠洲市、京都の玉樹寺など、全国各地に建てられています。

 

 

この頃、箱根の温泉地も同様にお抱え外国人教師と箱根に矢ノ下の富士屋旅館に宿泊し、女中のあかぎれの手荒れを不憫に思い、「ベルツ水」を処方、明治20年(1887)芦ノ湖畔に落成した箱根離宮は、御病弱であった皇太子の保養のため、ベルツの進言によって建てられたといわれている。

 

 

↑ 両博士の名を冠した通りが有ります ↓



 

明治23年(1890年)、草津に約6000坪の土地と温泉を購入、温泉保養地づくりをめざす。


 

「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。


 

もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルルスバート(現在はチェコ領の温泉カルロヴィ・ヴァリ)よりも賑わうことだろう」と評価する。




明治29年(1896年)、草津の時間湯を研究した論文「熱水浴療論」(Behandlung mit heißen Wasserbädern)が『ドイツ内科学書』(Handbuch der speziellen Therapie innerer Krankheiten)に収録される。


 

ベルツは大変な健脚で噴火直後の草津白根山にも登頂したことがあり、その際の手記は現在でも貴重な火山学的資料になっている。


 

日本の天皇家や高官の別荘地葉山との関係
澤村修治によると、ベルツの推奨により、天皇家や日本の高官が葉山に御用邸や別荘を持つことになったとある。


 

実際葉山の葉山森戸神社に駐日イタリア公使のマルチーノとベルツが当地を保養に適当と推奨したという石碑がある。




ベルツはいわば宣伝マンとなったとある。明治天皇は殆ど皇居内で過ごし避暑、避寒はされなかったが、後に大正天皇になる嘉仁親王の健康が思わしくなく、侍医となったベルツが転地保養を勧めた。


 

有栖川宮熾仁親王はイタリア公使マルチーノの別荘に明治22年に訪れている。親王は明治24年に別邸を作り、皇太子もそこに訪れている。葉山の御用邸は明治27年1月完成した。


蒙古斑
ベルツの医学的貢献でよく知られているのは1885年(明治18年)の蒙古斑の命名である。


ベルツ水
1883年(明治16年)、箱根富士屋ホテルに滞在中、女中の手が荒れているのを見たのをきっかけに、「ベルツ水」(日本薬局方:グリセリンカリ液)を処方する。


日本美術・工芸品の収集
ベルツは、親友のハインリヒ・フォン・シーボルトの影響を強く受け蒐集活動にも取り組む。

 

花夫人(シーボルト夫人の名も同じ)(岩本)岩本ハナ)の協力を得ながら、江戸時代中後期から明治時代前半にかけての日本美術・工芸品約6000点を収集した。


 

特に、絵師の河鍋暁斎を高く評価し、親しく交わった。ベルツ・コレクションは、シュトゥットガルトのリンデン民俗学博物館(独: Linden-Museum)に収蔵された。


スユリウス・クリバ博士
明治14年(1881)、東京大学の前任者シュルシェの後を継いで外科教師として来日。以後1901年まで20年間にわたって在任。「内科べルツ・外科スクリバ」と並び称された。


 

スクリバ博士はベルツ同様草津温泉の医学的効能を世界に紹介し、滞在期間は無料診療所を開設し町民の信頼を得た。草津町には博士の名を冠したスクリバ通りがあります。


 

明治34年(1901)に東京大学の教職を退き、聖路加病院で外科主任。
1905年、56歳で病没。勲一等を授与された。


 

この像は元々東京大学構内にあった銅像と同型のもので、戦時中、像が拠出された際、コンクリートで模型が作られ(戦後にコンクリート像は両博士が草津温泉と深い繋がりがあった為、草津町に譲渡された。)



 

それを基にして平成4年(1992)に草津温泉の西の河原公園に設置されました。

西の河原の道しるべ

 


 

ビジターセンター  まで 約1分
西の河原露天風呂  まで 約2分
鬼の相撲場  まで 約8分

 


 

湯畑  まで 約10分
天狗山第一駐車所  まで 約10分
草津国際スキー場  まで 約15分

 

 

↑ 穴守稲荷神社付近 ↓


穴守稲荷神社
明治四十年ごろ、東京の山崎染物店の主人が草津へ湯治に通い、病気平癒の記念に、常々信仰していた、穴守稲荷をこの場所に分霊し勧請した。



 

奉斎分霊この方幾星霜、平成13年に草津町内有志によりご神徳を仰ぎ改築した。
例年9月に執り行われる例大祭では、東京都大田区にある穴守稲荷神社の分社です。

羽田の穴守稲荷より神職が出向し、地元関係者をはじめ多くの参詣者を得て多くの賑わいをみせる。


 

招福の砂とご利益
境内の砂は「招福の砂」と呼ばれており、持ち帰って撒くと大きなご利益があると伝えられています。お砂料は200円です。



御朱印について
草津穴守稲荷神社の御朱印は、白根神社または白根神社近くの「お食事処 松美」で受け取ることができます。お食事処 松美の営業時間は11時から15時までで、火曜日は定休日です。


改築について
社殿は2001年(平成13年)と2019年に改築されています。


 

↑ いたる所に足湯が ↓

 

地蔵菩薩
地蔵菩薩は、釈迦入滅後の56億7千万年後、弥勒菩薩が出世するまでの無仏の世にあって、汚れたこの世に出現し、衆生を救ってくれる菩薩といわれる。

 

手に宝珠を捧げ、衆生の願を満たし、諸地獄の苦を除き浄土に導いてくれるという。


縁結び地蔵尊縁結び
縁結び地蔵尊は、恋愛成就にご利益があるとされるパワースポットです。

この地蔵尊は、草津穴守稲荷神社の遥拝所的な存在で、鳥居を登った散策路沿いに鎮座しています。



 

縁結びとは、人と人との関係を結ぶことを指し、特に男女の縁を結ぶ意味で使われますが、友人や仕事など広範な人間関係にも適用されます。

 

超自然的な力が関係すると考えられ、良縁を願う風習が古くから存在します。


 

縁結びの多様な意味
縁結びは、単に男女の恋愛や結婚だけでなく、以下のような様々な「縁」を結ぶことを含みます。


 

友人や知人との出会い
良い師や仲間との巡り合わせ

 


 

良い仕事に就くこと
縁結びと良縁祈願の違い

 


縁結びは特定の人との結びつきを願うのに対し、良縁祈願は良い相手との出会いを願うものです。



ぴんころ地蔵
ぴんぴんころり」という、健康で長生きし、最後は安らかに大往生したいという願いにご利益があるとされています。


夫婦円満・子宝地蔵
恋愛成就や子宝にご利益があるとされるお地蔵様です。

草津温泉 西の河原(さいのかわら)公園
草津温泉の最西端にあることからこの名前がついたとされる「西の河原公園」。 



 

↑ 西の河原公園入口 ↓

 

付近一帯は上信越高原国立公園の特別地域に指定され、一番奥には大露天風呂も整備されています。 

 

 

↑ 一番奥にある大露天風呂の案内と源泉が流れる湯川 ↓

 

 

「西の河原公園」は、温泉情緒あふれる公園です。

公園一帯は上信越高原国立公園の特別地域に指定され、豊かな自然の中で散策を楽しめます。

 


西の河原の湯川
西の河原の湯川は、草津温泉の西方に位置する「西の河原公園」内を流れる温泉の川です。

辺り一面から50度以上の温泉が湧き出し、湯煙を上げながら湯川となって流れています。


 

公園の最大の魅力は、広い河原のあちこちから毎分1400リットルもの温泉が湧き出し、湯の川となって流れ、滝や池を形成しています。

 

強い酸性の温泉のため、河原には草木が育たない荒涼とした景観が広がり、その様子から「賽の河原・鬼の泉水」とも呼ばれています。

 

かつては大声を出してはならないという言い伝えもありました。現在でも「鬼の茶釜」や「鬼の相撲場」といった名称が残っています。

 


西の河原の足湯
足湯として整備されている場所以外にも、温かい温泉に触れることができるスポットがあります。


足湯とは
足湯は、足だけを湯に浸す入浴方法、またはそのための浴槽や場所を指します。

一般的に、足首まで浸かる方法を指しますが、足全体をお湯に浸す足浴(そくよく、あしよく)とほぼ同じ意味で使われることもあります。

 

服を着たまま手軽に温泉を楽しめるため、温泉地や観光地の駅などで見かけることが多いです。



足湯の効果
足湯には、身体に嬉しい様々な効果が期待できます。


 

↑ 流れる源泉を素足で歩くのも一興 ↓

 

冷え性・むくみ解消 心臓から遠く、冷えやすい足を温めることで血行が促進され、全身が温まります。

 

 

血行が良くなることで、冷え性の改善や体内に溜まった老廃物や水分の排出が促され、むくみの解消にも繋がります。


 

疲労回復 温熱作用で血管が広がり、血流が良くなることで全身に酸素が巡りやすくなります。また、副交感神経が高まりリラックス効果も得られるため、疲労回復に役立ちます。


 

リラックス・安眠効果 足湯によって副交感神経が優位になり、心身がリラックスするため、寝つきが良くなる効果も期待できます。特に、就寝前の足湯は睡眠の質を高めるのに有効です。


 

免疫力アップ 足湯で体温が約1℃上昇すると、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)が活性化し、免疫力向上に繋がると言われています。

美容効果 血行が促進されることで肌のターンオーバーが促され、美肌効果や乾燥・肌荒れの予防にも期待が持てます。

 

鬼の茶釜
公園内の「鬼の茶釜」と呼ばれる源泉では、高温の温泉がまるで茶釜が沸騰するような不気味な音を立てて湧き出していました。

 

 

この音が人が近づくと止まり、遠ざかると再び鳴り出したという伝承が残っています。

 

現在、この源泉は枯渇していますが、代わりに高温の万代鉱(まんだいこう)源泉が引き込まれています。

 

西の河原公園には、鬼にまつわるいくつかの伝承があります。

かつてこの一帯は、その荒涼とした景観から「鬼の泉水」と呼ばれていたそうです。

 

これらの伝承が、西の河原公園の神秘的な雰囲気をより一層深めています。

草津ホテル
1913年(大正2年)創業しました。この建築物は、大正ロマンを感じさせる木造建築で、100年以上の時を重ねて、現在まで大切に守られながら改修が重ねられています。

 

草津温泉の湯畑と並び称される西の河原公園の入口に位置しており、町の中心部からは約400mの距離にあります。


 

この美術館は、草津温泉のシンボルである湯畑から西の河原へ続く西の河原通り沿い、西の河原公園の入口に位置しています。

草津ホテルのオーナーが片岡鶴太郎氏の作品と出会い感銘し、多くの方々に鑑賞して貰いたいとの思いから、鶴太郎氏の美術館開館を決意し、ホテルの付帯施設として敷地内に建設し、西の河原への道路から直接入館出来るように配慮し実現にいたりました。


片岡鶴太郎美術館
片岡鶴太郎が日々の暮らしや、旅先での出会いから発想を得て描いた“普段着の絵”ともいえる作品を約100点展示している。


 

魚、花、虫などを題材に生命を慈しむ心を表現した書画が多く、作者の優しさが伝わる作品群は来場者に好評だ。


氏の作品を常時約130点展示し温泉にいらした方々にゆったりと鶴太郎芸術を楽しんでいただけるようにと構想されたものです。


 

氏が日々の暮らしで感じたものやロケの旅先で出会った魚、花、虫などを題材にした作品は、いってみれば「普段着の絵」。 


 

生きている刻一刻への愛しさが溢れた作品を展示しております。
温泉で癒された後は、絵画鑑賞で心落ち着くひとときを過ごしてみてはいかがですか。


 

ご存知のとおり片岡鶴太郎氏はエンターテナーとしてテレビを中心に活躍し、 俳優としても映画や演劇で豊かな才能を発揮されています。


 

そのかたわらで独学で絵筆をとり、新たな自己表現の領域を開拓。
平成7年以来数多くの個展を開き、ぬくもりある独学の画風で人々の心を捉えてきました。


 

絵の題材は日々の暮らしやロケの旅先で出会う魚、花、虫などで、いってみれば「普段着の絵」。


 

そこには生きている刻一刻への愛しさが溢れ、 「描きたい」と思う素直な心と向き合う片岡氏の真摯な姿勢が透けて見えるようです。


 

↑ 作品は撮影禁止です ↓

 

筆を持つ氏の息づかいや、紙と筆が触れ合う素材感までもが感じられる墨の濃淡。 顔彩や岩絵具の彩色。


 

色紙のコラージュの組み合わせ。 そして、絵画空間に独自の間を作り出す絵と書の絶妙なバランス。


 

↑ 館内からと外から ↓

 

 

片岡氏によって運命的に仕組まれた素材と技の意表をつくコンビネーションに 誰もが新鮮な驚きを覚えるに違いありません。


 

伝統的な書画一体の画法がこれほど意外性に満ちたスタイルに生まれ変わりえたのは流派にとらわれない氏の自由な発想があってこそでしょう。



 

見る人の心に彩りを映す軽やかさの奥にゆるぎない芸術性が宿っています。

 

 

↑ 2階が展示室に成ります ↓

 

 

↑ 鶴太郎美術館の前を進むと西の河原公園です ↓