草津町民憲章
「歩み入る者にやすらぎを、去りゆく人にしあわせを」という言葉を掲げています。

この憲章は、豊富な温泉と恵まれた自然に感謝し、明るく豊かな文化観光都市を築くことを目指し、昭和54年10月1日に制定されました。

憲章の由来
この憲章の典拠は、ドイツのローテンブルク市にあるシュピタール門に刻まれた銘文「PAX INTRANTIBVS SALVS EXEVNTIBVS」です。この銘文を日本画家の東山魁夷画伯が翻訳し、画伯の承認を得て使用されています。

湯樋
湧き出る温泉を適温に冷まし、湯の花を採取するために設置された7本の湯樋(ゆどい)を通った温泉が、勢いよく流れ落ちる場所のことです。

毎分4,000リットルもの温泉が流れ落ちる様子は、荘厳で草津温泉の象徴的な光景となっています。

湯畑階段展望デッキ
湯畑を見下ろせる展望デッキです。

屋外で景色を楽しめる開放的な空間を指します。展望台が専用の建物や設備であるのに対し、展望デッキはより気軽に外の空気を感じながら眺望を楽しめるのが特徴です。

此処の展望デッキには屋根が有ります。
柱や梁なとにシール(千社札)が沢山張られています。

千社札(せんじゃふだ)
神社仏閣に参拝した記念として、自分の名前や住所などを記して柱や天井に貼り付けるお札のことです。
江戸時代に流行し、当初は手書きでしたが、後に木版刷りとなり、趣味的な要素も加わりました。

千社札の歴史と目的
千社札の起源は古く、平安時代には願文などを木札に記して奉納する風習がありました。江戸時代に入ると、多くの神社仏閣を巡る「千社詣で」が盛んになり、参拝の証として自分の名前や屋号を記した紙札を貼るようになりました。

千社札の種類と書体
千社札は通常、長方形の紙札ですが、木札や真鍮製のものもあります。
書体には江戸文字の「籠文字」が使われることが多く、小さく入れる場合は「寄席文字」も用いられます。

現代における千社札
近年では、千社札を貼る行為を禁止している神社仏閣が増えています。
これは、無許可で貼られたり、文化財を傷つけたりするケースがあるためです。
貼る際には、許可を得て、他の札の上に重ねない、植物性の糊を使用するなどのマナーを守ることが重要です。

千社札の現代的な利用
現代では、本来の千社札とは異なる「千社札シール」も普及しています。これらは記念品や土産物、ショップシールなど、幅広い用途で利用されています。

湯滝
湯畑の中心にある象徴
湯滝を上から横から下から見られるように「展望デッキ」付きの階段が設けられています。
湯畑は草津温泉の中心に位置し、その存在は800年以上もの歴史があります。
湯滝は、湯畑から流れ落ちる温泉の一部であり、その音は大ヒットアニメにも採用されたことがあります。

展望デッキ横に太く短い煙突が突き出ています。
湯滝に降りてみると解りますがデッキ下の施設から出ています。
此の熱い源泉を利用して水道水を暖め給湯している施設ではないかと推測しています。煙突は放熱ダクトではないのか……?と。

大ヒットアニメ「鬼滅の刃」で鬼が棲む藤襲山の洞窟の環境音として採用されました。
このことで、湯滝がさらに注目されるようになりました。
多くの観光客を魅了し、夜間はライトアップされて幻想的な雰囲気を醸し出しています。

湯滝周辺の楽しみ方
湯滝の周辺には、以下のような見どころがあります。

湯滝の灯篭
湯畑を見下ろす位置にあり、夜間はライトアップされ、訪れる人々を魅了します。

足湯
湯滝の前には足湯があり、温泉を眺めながら無料でリラックスできます。

散策
湯畑周辺には瓦敷きの歩道やベンチがあり、散策を楽しむことができます。

現代の源泉管理
かつては100以上の源泉があったと言われる草津温泉ですが、1970年代に万代鉱が発見され、その湧出量の多さから主要な源泉の一つとなりました。
現在では、万代鉱、湯畑、白旗、西の河原、煮川、地蔵の主に6つの源泉が利用されています。
これらの源泉は、各施設へ配湯され、草津温泉の豊かな湯量を支えています。

↑ スマホスタンド 湯滝足の湯 ↓

草津温泉と岡本太郎
岡本太郎が草津温泉を訪れたのが昭和50年(1975)。
湯治とスキー(岡本太郎はスキー愛好家としても知られています。)が目的で当時の草津町町長が経営していた旅館に宿泊していました。
草津町の町づくりの話が弾み、草津温泉の象徴的な存在の湯畑周辺のデザインを町長から依頼され快諾したそうです。

岡本太郎氏がデザイン
岡本太郎氏が草津温泉の湯畑のデザインを手がけた意図は、車通りが多かった湯畑を人々が憩える場所に変えることでした。
湯畑はかつて長方形の形状をしていましたが、岡本太郎氏はこれをひょうたん型に変更し、周囲に遊歩道を整備しました。
このひょうたん型のデザインは、有機的な流れを生み出し、内部の直線的な木樋と対照的な関係を築くことで、湯畑をより象徴的な存在にしています。

また、湯滝の前には岡本太郎氏が描いた「草」の文字が黒御影石で表現されており、これも湯畑の魅力の一部となっています。
湯畑周辺の石畳のデザインも、まるで絵画のような美しさだと評価されています。
彼のデザインは、草津温泉における芸術と地域づくりの象徴として、多くの訪問者に親しまれています。

↑ 岡本太郎氏が描いた「草」の文字 ↓

草津の未来をえがく
大型レジャー時代はすでにひらかれている。現代の人間生活は単なる生産、勤労ばかりでは絶対に充たされない。 レジャー産業 や 観光事業 の、社会生活全体の中に占める重みは今後ますます拡大されてゆくだろう。そしてこれは急速に展開してゆく世界的な現象なのである。
そのような社会の流れの上に立って「 草津 」を見かえすとき、ここに無限の可能性を見とることが出来る。東京から至近の距離にあるにもかかわらず、まだ荒されていない雄大な自然。神秘的な白根山を頂き、スケールの大きな高原の変化に富んだ美しさ。快適な気候。そして湧出量の豊富な温泉の町……。
健康のための保養地、また人間解放のレクリエーションの場として、疎外され乾いた現代人の心身をいきいきとよみがえらせる絶好の条件をそなえている。
ただ草津の現状はそのよさを十分に生かしているとはいい難い。むしろ、出足が遅れ、時代の要請に適応しにくくなっていると言うべきだろう。とかく、古く栄えた町や行楽地はど、昔の思い出、その固定観念また既存の施設が逆に悪条件となって、発展から取り残されがちになることは至るところに見る悲しい例だ。草津がそのような道をたどってはならない。
かつての草津が名湯として名を響かせたように、日本全体の新しいレクリエーションセンターとして大きく発展すべきだ。そのユニークな魅力が世界中の人々を惹きつけ、世界の草津として歌われるような、大きなヴィジョンを根底にして、辛抱強く、一歩一歩町づくりを進めるべきだ。この報告書がそれへの有効な踏み石となれば幸いである。
岡本太郎

岡本太郎・概要
湯畑は草津温泉の中心的な存在で、約1600㎡の広さから約60℃の源泉が毎分46000リットル湧き出ています。
源泉の温度的には高温で入浴には適してない為に、木樋を通して外気と触れさせる事で温度を下げ、多くの温泉宿に配られ内湯として利用されています。

古くから名湯として知られ享保11年(1726)には湯畑から汲み上げた源泉を江戸城まで運び、御殿の湯殿で8代将軍徳川吉宗が楽しんだ事から「御汲上げの湯」としてさらなる名声を広げました。

又、湯畑は湯の花の産地としても有名で、安永8年(1779)に三右衛門と呼ばれる人物が湯滝の湯溝に堆積する沈殿物を採集し江戸で売り捌いた事で広く知られるようになり、寛政4年(1792)には採集権が定められ、それに応じて幕府に冥加永(税金)が納められました。

明治20年(1887)に湯畑の木樋が設置され明治40年(1907)頃から湯の花が採れる事から湯畑と呼ばれるようになっています。

岡本太郎は草津温泉の象徴的存在である湯畑の石柵にその名が刻まれています。
