私が昼時に餃子を食べに行く店の一つに「家系ラーメン店」があり、「シール」が売られている。


 

ボンボンドロップシールは、大阪府大阪市に本社を置く文具メーカー、クーリアが2024年(令和6年)3月より販売している立体的なシールのシリーズである。

 

通称「ボンドロシール」または単に「ボンドロ」と呼ばれる。


 

概要
ぷっくりとした厚みのある形状と、レジン(樹脂)のような透明感、表面の細かい凹凸加工による独特の質感が特徴である。

 

シート1枚に40個程度のシールが収められており、定価は500円前後。

 

名称のボンボンとドロップは、どちらも飴玉を意味しシールの形状に由来する。


 

スマートフォンケースや手帳のデコレーション、シール交換などを目的として、小中学生から、かつてシール収集に熱中した30代から40代の女性まで幅広い層に支持されている。


 

開発元のクーリアのほか、サンスター文具からもサンリオやディズニーなどのキャラクターを使用したライセンス商品が発売されている。

「ボンボンドロップ」は、クーリアの登録商標(第6957426号)である。



社会的影響
2025年後半から2026年にかけて爆発的なブームとなり、各地の雑貨店や量販店で品切れが相次ぐ事態となった。このブームに伴い、以下のような社会的な影響や問題が発生している。

 

転売問題と品薄
人気の高さから慢性的な品薄状態が続いており、定価の10倍近い価格での転売が横行している。

 

一部の店舗では購入制限が設けられたり、開店前から行列ができるなどの混乱も見られた。

 

偽サイトと模倣品
情報セキュリティ会社「トレンドマイクロ」の調査によると、2026年3月末時点でボンドロシールの取り扱いを装う偽販売サイトが532件確認されており、被害が拡大している。


また、海外製の安価な模倣品(コピー品)も流通しており、メーカー各社が注意を呼びかけている。



 

教育現場でのトラブル
学校内でのシールの盗難や、シールの希少価値による交換「レート」の不一致を背景とした人間関係のトラブル、いわゆる「シール格差」が問題視されている。


家系ラーメン店
横浜の「吉村家」から始まった豚骨醤油ラーメンの系統を指します。




濃厚な豚骨醤油スープに鶏油を浮かべ、中太〜太めのストレート麺を合わせるスタイルが特徴です。

 

私がこの店で最初に食べたラーメンが太麺で、口に合いませんでした。

以来、此処ではお気に入りの餃子や摘まみ類でランチ飲みを楽しんでいます。



 

「◯◯家」という屋号の店が多く、この「家」から家系という呼び名が生まれたと言われます。


 

 ↑ 無料のトッピングコーナー ↓

 

餃子
濃厚な豚骨醤油スープやライスと合うように、ニンニクや肉汁を強めたジューシーな焼き餃子を指すことが多く、家系専門店の定番サイドメニューとして提供される餃子です。




スープとライスに合うよう、味付けはやや濃いめでニンニク強め。


 

「肉汁餃子」などジューシーさを売りにする店もある。


 

味や特徴
豚肉ベースで、野菜はキャベツやニラ、ニンニク多めが一般的。


 

皮はやや厚めで、焼き目をしっかり付ける店が多い。ビールやライスとの相性を重視した味付けが多い。


 

家系ラーメンとの相性
こってりした豚骨醤油スープと、ニンニク入り餃子の風味がよく合う。

無料または安価のライスと一緒に「餃子定食」的に楽しむ人も多い。


 

家系ラーメンのハイボール
ウイスキーを炭酸水で割り、氷を入れてグラスで飲むものです。


 

スッキリしたのどごしでアルコール度数も調整しやすく、食事と一緒に楽しみやすいのが特徴です。

 

割合は、ウイスキー1に対して炭酸3〜4くらが多い。



鴨肉辛葱
鴨肉と辛味のある葱(唐辛子入り葱ダレで味付け)料理。
鴨肉の名称で流通しているものの多くは、マガモを家禽 化したアヒルの肉である。


 

 野生の鴨とアヒルを交配させた合鴨、野生のマガモなども 食用とされる。 
鴨はきわめて種類が多く、日本に飛来する鴨だけでも30種類ほどいる。


 

日本で狩猟が許されている野生鴨は11種類で、主に食 用とされるのはマガモ、コガモ、カルガモなどである。


 

辛葱は、辛味の強い品種の葱で唐辛子やラー油などを混ぜた辛い葱和えを指すことが多い。
 


 

ラーメン店などでは、細切り葱に唐辛子を絡めたトッピングを「辛ネギ」と呼ぶ例が一般的。

ポストモダン様式
近代建築の合理性一辺倒への反発から生まれ、歴史的様式や装飾、地域性などを意図的に混在させた多様で折衷的な建築スタイルを指します。


 

↑ 台北101 ↓

 

 

1960年代以降に広がり、モダニズム建築の「機能一点張り」への批判として位置づけられます。


 

↑ 台北101松智路出口 ↓

 

 

台北101 松智路出口 
台北市信義区の松高路(しょうこうろ)大通りで、ショッピングモールや飲食店が集まる信義エリアの一部です。
 

 

EMPORIO ARMANI(エンポリオ アルマーニ)
ジョルジオ・アルマーニが手がけるブランド群の一つです。

 

 

台北101
地上101階建てで、名前はこれに由来する。高さは509.2メートルで、地下は5階まである。


 

D&G イタリアを代表するファッションブランドDOLCE&GABBANA(ドルチェ&ガッバーナ)のセカンドラインとして1994年に発表されたブランド。

 

 

建設段階の名称は台北国際金融センター
7年間の工期を経て、2004年に世界一の超高層建築物として竣工した。


 

総工費は約600億元(日本円でおおよそ約3,000億円)。


 

台湾の著名な建築家である李祖原が設計し、施工は熊谷組を中心としたJVと韓国のSAMSUNG C&T(内装工事他)により行われた。
 

 

熊谷組
日本の大手総合建設会社の一つです。
正式名称は「株式会社熊谷組」で、本社は東京都新宿区にあります。


 

創業は1898年で、ダムやトンネルなど土木分野に強みを持つ老舗のゼネコンとして知られています。


 

日本の土木史に残る難工事として有名なのが、黒部川第四発電所建設に伴う大町トンネル工事です。


 

急峻な地形と厳しい自然条件の中で行われた工事で、熊谷組を代表する土木実績として社史でも特に強調されています。


 

李祖原(リー・ツゥユェン/C.Y. Lee)
台北101をはじめとする高層ビルや公共建築で知られる台湾の著名な建築家です。


 

中国伝統文化の意匠を現代建築に取り入れる作風で、台湾や中国本土などで多数のランドマーク建築を手がけています。


 

2004年12月31日、出入口でオープンを祝う式典が催された。



 

2005年12月31日の大晦日にはこのビルのある市政府で、カウントダウンイベントが行われ、台北101から電飾と共に2分強の間、「節」などから大量の花火が打ち上げられた。


 

↑ エレベーター乗り場はショッピングモールの「5階」から乗車します ↓

 

毎年5月(開催当初は6月)には、このビルの1階から展望デッキのある91階までの2046段の階段を駆け上がる「台北101国際登高賽」レースが開催されている。
 

 

エレベーター
エレベーターは東芝エレベータ製で、毎分1,010メートル(時速60.6キロメートル)の速さで上昇できます。

 

 

↑ エレベーター内のリアルタイム表示。位置・速度・タイムなど ↓

 

 

地上1階から展望台のある89階(地上382.2メートル)まで39秒で到達する。

 

 

この速度はそれまで横浜ランドマークタワー(三菱電機製)のエレベーターが持っていた記録を更新しました。

建築テーマ
蔣介石を追悼する場であると同時に、中国文化・精神と中華民国の思想(イデオロギー)を示す場でもあるため、建物の各部分が様々なテーマに基づいて設計されている。



 

屋根
北京の天壇を模して造られた本堂の屋根は八角形で、「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」の八徳を象徴している。


 

また、「人」の字が重なって天に達するように見える設計もされており、これによって「天人合一」(天と人が一つになる)という中国の思想を反映している。


 

その他にも、頂の黄金色が栄光ある昇華を象徴している。

 

ひさし
重のひさし(簷)のことを中国語では「複簷」と言うが、この「複」は「復」と発音が同じであることから、中華民国の復興と大陸の回復(国共内戦で中華民国政府が失った中国大陸の領土の奪還)という目標を表している。
 


階段
本堂の三方には花崗岩の階段が84段あるが、正面の階段にある5段を加えると89段になるので、これによって蔣介石の享年である89を表している。


 

また、正面階段の中央には国徽(国の象徴)であることを示す「御路」(中国の伝統建築において、宮殿や廟堂にのみ用いられる参拝路)がある。


 

3層ある階段によって蔣介石と中華民国が奉ずる三民主義の「民権、民族、民生」を表している。


 

基礎 
3層からなる本堂の広い基礎部分は全て正方形であり、これによって蔣介石の本名である「中正」を象徴している。


 

外装 
本堂の外装は屋根瓦として用いられている青色の瑠璃瓦、壁に用いられている白色の大理石によって中華民国の国章である「青天白日」を表している。


 

更には、紀念館前の伝統図案による花壇も含めることによって、「自由、平等、博愛」を象徴する「青天白日満地紅」(中華民国の国旗の図柄)を表すような配慮もされている。


 

ちなみに、「青天白日」は蔣介石が所属していた中国国民党の党章でもある。


 

山並み
敷地内にある国家戯劇院の屋根は「廡殿」。
廡殿(ぶでん)とは、四方すべてに屋根が下りる「五本の棟(正脊1本+垂脊4本)」を持つ、東アジアの伝統建築で最上級とされる屋根形式です。


 

中国・日本・朝鮮の宮殿や重要建築に用いられ、日本建築では寄棟造に相当します。

 

国家音楽庁の屋根は「歇山」と呼ばれる中国の伝統的な設計にそれぞれなっている。


歇山(けつざん)とは、切妻屋根と寄棟屋根を組み合わせたような構造をもつ建築様式の名称です。

 

正式には「歇山頂(けつざんちょう)」と呼ばれる屋根形式を指します。



日本の「入母屋造(いりもやづくり)」の成立に関係したとされます。
紀念館の八角形の屋根を「主峰」として3つの山が立ち並ぶように配置されている。


 

中正紀念堂の「門」
中山南路側に立つ高さ約30mの正門「大中至正門」と、その両側にある「大忠門」「大孝門」、さらに広場側の「自由広場門」などから成る巨大な牌楼形式の門群を指します。

 

正門の左右に「大忠門」「大孝門」という側門があり、いずれも牌楼形式です。

 

広場側には「自由広場」と刻まれた門(自由広場門)があり、観光写真の定番スポットです。

 

多くのツアーや個人旅行者は、まず自由広場門または大中至正門から入り、広場を抜けて紀念堂本体へ向かいます。



門の上部に刻まれた文字(大中至正・自由広場)は、台湾の歴史や政治的変遷とも関わる象徴的なフレーズです。


 

これらはいずれも白い石造りに青い瓦屋根の中国宮殿風で、紀念堂エリアの象徴的な入口です。
 

蔣 介石(しょう かいせき、チャン・チェシー)
1887年10月31日(光緒13年9月15日) - 1975年(民国64年)4月5日)


 

中華民国の政治家、軍人。
第3・5代国民政府主席、初代中華民国総統、中国国民党永久総裁。



国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。
浙江省寧波府奉化県(現:寧波市奉化区)出身。


 

日本や中華人民共和国では蔣介石の呼び名で知られているが、中華民国では蔣中正(しょう ちゅうせい、チャン・チョンヂァン)の名称が一般的である。


 

孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。


 

第二次世界大戦では同国を四大国の一角にさせ、連合国中国戦区最高統帥だった。


 

しかし、戦後、日中戦争による中華民国政府の弱体化とアメリカの援助打ち切りを原因として、中国共産党が発起した国共内戦の中で台北への遷都を余儀なくされた。


 

しかし、戦後、日中戦争による中華民国政府の弱体化とアメリカの援助打ち切りを原因として、中国共産党が発起した国共内戦の中で台北への遷都を余儀なくされた。

 

戦後、日本はサンフランシスコ平和条約に基づき台湾の主権を放棄し、連合国の委任により中華民国が軍事占領統治を行った。


 

その後、台湾で二・二八事件を鎮圧した。


 

第二次世界大戦が終結すると、中国内戦が再開された。


 

1949年、蔣介石率いる国民党(KMT)は毛沢東率いる中国共産党(CCP)に敗北し台湾へ撤退した。


 

彼は台湾に戒厳令と白色テロを敷き、これらはそれぞれ1987年と1992年まで続いた。


 

白色テロとは、国家権力や保守勢力が、共産主義勢力などの反政府・革命運動を暴力的に弾圧することを指す政治用語です。


 

特に台湾の戒厳期(1949〜1991年)の大規模な政治弾圧を指して用いられることが多い。


 

台湾における白色テロ期(1950~1975年)には、政治案件は合計7,822件にのぼった。


 

蔣介石は最終審査権を通じて3,469件に違法に介入しており、全体の約44.39%を占めていた。


 

蔣介石は最終審査権を通じて3,469件に違法に介入しており、全体の約44.39%を占めていた。

 

1948年以降、彼は同一の「万年国会」によって6年任期で5回再選され、事実上の一党国家の元首として、中華民国総統の地位に25年間、死去するまで在任した。1975年に台北で死没。その死まで同国の元首たる中華民国総統の地位にあり続けた。

2024年7月14日まで、日中は像の両脇で儀仗隊が警護し、1時間ごとに交代の儀式が行われていた。


 

なお、フロアの天井の最上部には国章である「青天白日」の徽章が描かれている。



 

また、地階には以下のような施設が設置されており、それぞれが蔣介石の顕彰施設としての役割を果たしている。


 

文物展示室
 蔣介石の衣服、文献、写真などを陳列しており、蔣介石の一生または業績に従って11のユニットに分けられている。


 

中央通路
蔣介石が生前乗用した2台のキャディラックと公園の模型が展示してある。


 

中正紀念図書館
床面積が2418平方メートルにも及ぶ図書館で、蔣介石の著作や彼に関連する書物を中心とした3万冊以上の書籍・150冊以上の定期刊行物が収蔵されている。


 

また、館内には視聴覚エリアがあり、文化・歴史などに関連するビデオ・テープなどの視聴覚教材が利用できる。


 

故蔣介石総統紀念室
1994年10月31日に完成した施設で、総統府内にあった蔣介石の執務室を当時の文物を用いて忠実に再現したものである。


 

なお、地階にはこの他にも講演ホール・懐恩ギャラリー・中正ギャラリー・端元ホールといった施設がある。


 

儀仗隊
午前6時30分に儀仗隊が中正紀念堂に進駐し、午前9時より警護及び毎時交代儀式が行われていた。


 

儀仗隊交代式は台湾観光の名物となっている。

 


 

なお、儀仗隊の交代儀式は、水曜日は午前10時から午後6時まで、それ以外の日は午前10時から午後4時まで、1時間ごとに行われていた。


 

2024年7月15日からは、『脱個人崇拝』を目的として、紀念堂内・蔣介石像前での立哨任務を廃止。

 

やっと雨か止みました
中正紀念堂

中華民国の台北市中正区に位置する施設。



 

初代総統である蔣介石の顕彰施設である。


 

台湾の3大観光名所の1つであり、中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。


 

なお中正紀念堂の「中正」とは蔣介石の本名(諱)であり、「介石」は字である。

 


 

沿革
1975年4月に蔣介石が死去した際、行政院(日本の内閣に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定し、同年6月26日に14人の政治家、文人、実業家からなる中正紀念堂建設委員会を設置した。


 

同年7月、委員会は大局的な建設方針を決定し、また民間の専門家の意見を取り入れ、8月22日にはコンペティション要綱を公開した。


 

その1年後、43組の応募の中から楊卓成の設計案が採用された。


 

中正紀念堂籌備小組籌備委員(後に中正紀念堂籌建指導委員会と改称)が建設準備を推進し、蔣介石の生誕から90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成した。


 

蔣介石逝去5周忌の4月4日に併せて落成式が盛大に開催され、海外の3000名余りの華僑・華人が参加し、翌4月5日に一般公開された。


 

民主進歩党政権下での「去蔣化」の影響で、2007年には「台湾民主紀念館」に改名され、入り口の門に書かれた「大中至正」の文字が「自由広場」に架け替えられ、蔣介石像前での儀仗隊交代式が中止されていた時期がある。


 

中国国民党が政権復帰した2009年に、再度元の「中正紀念堂」に戻された(ただし、「自由広場」はそのままである)[リンク切れ]ほか、蔣介石像前での儀仗隊交代式も復活し2024年7月14日まで続けられた。


 

施設
中正紀念堂の敷地面積は25万平方メートルに上り、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地である。


 

敷地中には本堂の他に国家戯劇院と国家音楽庁からなる国家両庁院・公園広場・休息所・回廊・庭園・池(光華池・雲漢池)なども併設されている。


 

本堂を始めとするこれらの施設は市民達の憩いの場となっている他、公園広場は政治的な集会の場として使用されることも多く、特に1987年の戒厳令解除後には学生運動やストライキの集合地点としてしばしば使用された。


 

また、中正紀念堂の最寄駅である台北捷運の中正紀念堂駅はホームが中正紀念堂を意識したデザインになっている他、出入口も紀念館へ向かうことを配慮した設計となっている。


 

敷地の東側に位置する紀念本堂の面積は約1万5000平方メートルで、建物の高さは70メートルにも及び、西にある中国大陸を臨むように設計されている。


 

本堂正面には高さ30メートルの大中至正門と他2つの門があり、その内部はメインフロアと地階に分けられている。


 

メインフロアの奥には巨大な蔣介石の銅像が設置されており、銅像の上部には蔣介石の基本政治理念であった「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が、像の土台には蔣介石の言葉がそれぞれ記されている。

妻のスマホ
磯揚げ、ちぎり揚げで飲食中、妻がスマホが見当たらないと言います。


 

車の中や降ろした荷物などを調べ電話も掛けましたがましたが反応がありませんでした。


 

私達家族のスマホには「Life360」と言うアプリが入っています。


 

Life360の機能を使って、妻の位置情報を見たら「ホテルニューアカオ」が表示されました。


 

歩行困難の妻には、朝食後部屋へは戻らず、帰宅のため1階ロビーで待つように指示。

私が荷物などを持ち清算を済ませ、荷物と妻を車寄せ前に待たせ、帰宅の途につきました。

つまり、妻が持つスマホは、ホテル内のロビーで座っていたソファーの場所に有るのです。


 

ホテルに事情の説明電話をし、電話番号を知らせ、電話を掛けてもらいました。

当然妻のスマホがその場で着信音を発し、ホテルが在処を確認したとの返事を頂き、お手数ながらも受取人払いで返送下るようお願いいたしました。  

 



Life360
家族や友人同士で位置情報を共有するためのスマホアプリです。

 

アメリカ発のサービスで、主に「家族の見守り」や「安全確認」を目的に使われています。

 

主にできること
メンバー(家族)同士の現在地を地図上で確認出来る。

 

アプリをタップするとメンバー(家族)の名と、現在の居場所、それぞのスマホの充電情報が表示されます。

 

スマホのバッテリー残量の%表示
相手の画面には、スマホのバッテリー残量や、最後にオンラインだった時間、低電力の警告表示がアプリの地図画面などに表示されます。

そのため、「電池が切れそうだから連絡が途絶えるかも」
「もう電源が落ちているから位置が更新されない」といった状況を、サークルメンバーが判断できるようになっています。

 



Life360で分かる充電情報
Life360では、サークルメンバー(tabiの場合は家族)ごとに表示されます。


 

スクロールするとメンバー(家族)全員の居場所が地図上に表示されます。

一つえ上の写真、個人名(息子・妻・tabi)の何れかをタップすると其の個人のみの情報になります。
 

 

個人情報は、移動していれば地図上に動画で図示されます。止まれば動画も止まります。

 

妻のスマホの情報が、ホテルを示し静止して居る事から第三者の手に渡ることなく其処に有ることが解ります。

 

一定期間の移動履歴を確認
運転中のスピードなどを含む「運転情報」の記録。
 

 

戻って来たのはスマホとハンカチも有りました。

 

磯揚げ(一般には「磯辺揚げ」と表記)
青のりやあおさなど海藻を衣や生地に混ぜて揚げ、磯の香りを立たせた揚げ物の総称です。




ちくわ・いか・たこ・れんこんなど、具材はさまざまに使われます。


 

磯揚げ(磯辺揚げ)の基本的な意味
衣や生地に青のり・あおさなどの海藻を混ぜて揚げた料理。


 

海藻の香りを生かした「磯の風味」が特徴
ちくわ、魚介、野菜など幅広い食材に使われる呼び名


 

主な具材の例
ちくわの磯辺揚げ。
最も定番のおかず・おつまみ。


 

いか・たこの磯辺揚げ
ビールに合うおつまみとして人気 。


 

れんこんなど野菜の磯辺揚げ:副菜や弁当おかずに使われる。


 

調理のイメージ
具材を一口大に切る。
小麦粉や天ぷら粉、片栗粉などの衣を用意

 


 

衣に青のり・あおさを混ぜる。
具材に衣をからめ、170℃前後の油で揚げる 。


 

薩摩揚(さつまあげ)
白身魚のすり身に塩や砂糖などを加えて成形し、油で揚げた日本の伝統的な練り物の一種で、鹿児島県(旧薩摩国)発祥とされ、地域により「つけあげ」「天ぷら」などとも呼ばれます。



薩摩揚の基本的な特徴
主原料は白身魚のすり身

 


 

砂糖、塩、みりん、でんぷんなどを加えて味付けし、形は丸型、棒状、平たいものなどさまざまです。


そのままでも、煮物や炒め物の具としても使える。


 

名前の由来と歴史
「薩摩」は現在の鹿児島県周辺の旧国名。
薩摩地方で発達した揚げかまぼこが全国に広まったとされる。
江戸時代以降、保存性の高い魚加工品として普及。


 

地域による呼び名と違い
鹿児島周辺
つけあげ。

 

関西地方
天ぷらと呼ぶことが多い>

形や甘さ、具材の有無などは地域やメーカーで差がある。




主な種類と具材のバリエーション
具なしのプレーンタイプ
ごぼう、にんじん、玉ねぎ、ひじき、枝豆入りなど。

丸天、棒天、野菜天など商品名で区別されることも多い。


 

食べ方と料理への使い方
軽く炙って生姜醤油やからし醤油で。
おでん、煮物、うどん・そばの具として。

 


野菜と一緒に炒め物や卵とじにしても相性が良い。
冷蔵保存が基本で、賞味期限内に加熱して食べるのが安心です。

 

久保田 千寿
新潟県長岡市の蔵元、朝日酒造が造る日本酒「久保田」シリーズの一つです。

「久保田」シリーズは1985年に誕生した人気銘柄で、千寿はその中核となる定番酒とされています。

新潟県長岡市の蔵元、朝日酒造が造る日本酒「久保田」シリーズの一つです。


「久保田」シリーズは1985年に誕生した人気銘柄で、千寿はその中核となる定番酒とされています。


 

「久保田」は蔵元の旧屋号「久保田屋」から名付けられた銘柄名です。


 

「千寿」は同シリーズの格付け名の一つで、「萬寿」「千寿」「百寿」など、寿ぎの言葉を組み合わせたラインナップになっています。同じ「千寿」でも、いくつか派生商品があります。


 

久保田 千寿 吟醸    
すっきり辛口の定番吟醸    デイリーラインの中心。


 

久保田 千寿 純米吟醸    
穏やかな香りとバランス重視    料理の味を邪魔しにくい。


 

久保田 千寿 秋あがり

秋限定の熟成タイプ    秋の味覚向け季節商品。


 

久保田 千寿 吟醸生原酒    
1月限定の生原酒    限定出荷のバリエーション。


 

磯揚げ(一般には「磯辺揚げ」と表記)
青のりやあおさなど海藻を衣や生地に混ぜて揚げ、磯の香りを立たせた揚げ物の総称です。ちくわ・いか・たこ・れんこんなど、具材はさまざまに使われます。


 

磯揚げ(磯辺揚げ)の基本的な意味
衣や生地に青のり・あおさなどの海藻を混ぜて揚げた料理

 

 

↑ 辛ラーメンにトッピングした「たこ棒」 ↓

 

海藻の香りを生かした「磯の風味」が特徴
ちくわ、魚介、野菜など幅広い食材に使われる呼び名


 

主な具材の例
ちくわの磯辺揚げ/最も定番のおかず・おつまみ

 


 

いか・たこの磯辺揚げ/ビールに合うおつまみとして人気 。


 

れんこんなど野菜の磯辺揚げ/副菜や弁当おかずに使われる。



たこ棒
ぶつ切りのタコと紅しょうがを、魚のすり身にたっぷり混ぜて揚げたものです。タコの歯ごたえと紅しょうがの香りと塩気が効いていて、ややパンチのある味わいです。

 


 

↑ 辛ラーメンにトッピングした「チーズ棒」 ↓
 

チーズ棒
魚のすり身の中にチーズを入れて揚げたものです。

 

 

タコや紅しょうがは入っておらず、チーズのコクとまろやかさが前面に出る、子どもやチーズ好きに人気のタイプです。


 

食感と食べ心地
たこ棒はタコのコリコリ感と紅しょうがの存在感があり、ビールなどのおつまみ向きの印象が強いです。

 


 

チーズ棒はなめらかなすり身にチーズが合わさることで、全体にやわらかく濃厚で、おやつ感覚でも食べやすいです。

磯揚げまる天
ラスカ熱海店で購入した、磯揚げまる天は、帰宅後直ちにお酒の摘まみとして頂きました。



 

序に清酒とビールも購入(保冷剤を入れた発砲スチロールの箱を常備しています)し、安着したことと運転疲れを癒し飲食を楽しみました。


 

静岡麦酒
サッポロビールが造っている「静岡県限定」の生ビールブランドです。


 

正式名称は「静岡麦酒(しずおかばくしゅ) 」で、もともとは静岡県内の飲食店で飲める樽生ビールとしてスタートしました。




どんなコンセプトのビールか
静岡県の食材や料理に合うビールとして開発。

 


「静岡県の乾杯にふさわしいビール」を目指して、静岡県出身者の社員が中心となって企画。

 


 

サッポロビール静岡工場で製造される、地元志向のラガービール
というコンセプトが公式に示されています。


 

基本は静岡県内の飲食店向け樽生ビールですが、近年は時々「静岡県内限定」の缶商品が数量限定で販売されています。

 

 

缶は青と白を基調とし、中央に大きく「静岡麦酒」のロゴ、その上に「静岡工場謹製」などの表記が入るデザインです。

 


名前の意味
「麦酒」はビールの古い表記で、「静岡のビール」という意味合いです。辞書上も麦酒は麦芽などを原料にしたビールを指す言葉として説明されています。


 

麦芽100%の生ビールで、麦のうまみがしっかりある
口当たりはまろやかでやさしい
後味はすっきりと爽やかで、キレがある


 

苦味は強すぎず、バランス型
コクはあるが重たくなく、食事と一緒に飲みやすい
静岡の料理や魚介、さっぱり系のおつまみに合わせやすいビールとして設計されています。


 

清酒 伊豆の里
静岡県伊豆市修善寺にある伊豆半島で唯一の清酒蔵元で、「萬耀(まんよう)」「あらばしり」「鶴生」「豊楽」「脇田屋」などの地酒銘柄。


 

梅酒、やまもも酒、白びわ酒、ニューサマーオレンジ酒、いちご酒、わさび酒などのリキュール類など多様な地酒を造る酒蔵です。

焼酎「鬼の念仏」、冬季限定「伊豆のにごり酒」なども製造。

観光客向けに蔵見学や試飲を行う伊豆の代表的な地酒スポットでもあります。




一般的な清酒と同様に、米・米こうじ・水を原料とした醸造酒で、伊豆の食文化に合わせた味わいが特徴です。

昭和中期には伊豆に多数あった酒蔵が、現在は万大醸造のみとなり、伊豆唯一の蔵元として、伊豆地域の酒文化を守ることを使命とし、地元の食文化に合う酒造りを掲げている。