10月は、暑くもなく寒くもないちょうど良い季節なので、縁側に座って枯山水を見ながらぼーっとしてました。
若い頃は(?)枯山水を見ても退屈なだけだったけれど、今は何時間でもいけます(笑)。
雀かな?小さな鳥が、ちょこちょこと木から庭へ、庭から木へと動き回って、"静"の中に、小さな"動"があるので飽きないのかも。
<足、伸ばしてます(笑)シマシマで失礼>
極寒の冬にもこの縁側に来てみたいと思いました。
(身も引き締まったらいいけどなー)
建仁寺は祇園にあるお寺なので、もっと敷地が狭いかなと思ったけれど(単なる先入観)、全然。
のびのびと広い。
お庭を歩いていると、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)の首塚がありました。
おや、こんなのところで安国寺恵瓊の名前を見るなんで(予備知識無しの旅)。
毛利家に仕えてて、僧侶のまま大名になったひとですね。
関が原の戦いの西軍の敗北後、恵瓊は逃亡したけれど六条河原にて斬首されました。
説明板には、斬首後、その恵瓊の首を建仁寺の僧侶が持ち帰り、ゆかりのある建仁寺の方丈裏に葬ったもの、とありました。
恵瓊と建仁寺のそんな関係、知らんかった。
ちなみに恵瓊のお墓は広島の安国寺にあります。
おっと、歴女ではないですよ、私、はい(笑)。
何かの本で、安国寺恵瓊の生涯をさらさらと読んで、戦国大名って大変だなあ、と思ったくらいで、安国寺恵瓊は、「この名前、何て読むんだ?」って覚えてただけです(苦笑)。
あ、安国寺恵瓊ばっかで「雲龍図」のこと書けなかったっ!
(なのでつづきます)