五郎さん、ありがとう | 海をみていたい

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日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

涙したあと、徒歩圏内の六本木、青山一丁目、赤坂あたりで喪服姿の私たちがそれぞれ懐かしい思い出を語り合い、それぞれ帰途に。

 

午前、告別式開式のだいぶ前に献花を済ませてしまったので、それでも相当早くからいらっしゃってた大勢のファンの方々が所内の出棺を見送るポジションを既に確保されて入り込める隙間もありませんでした。あぁ、それもなんか秀樹さんらしいんです。ヒデキさんのファンってとてつもなく数が多くて熱心だったのが特徴でした。みんなその何十年前の心構えでいらっしゃっていたのでは。それも想定してたので横断歩道を渡って向かい側へ。

車道をはさんでいますので読経が微かに聴こえるかどうか位で式場内の音声は私の耳には届きませんでした。

中の式次第が終了した後、出棺前に徳光さんが表に出ていらっしゃいました。

「青春に賭けよう」(秀樹さんという存在を知って夢中になって初めて買ったレコード)が流れて、ライブ音源の「ヤングマン」と続き、奥様のご挨拶の後「ブルースカイブルー」で出棺されました。

 

 

観ることの出来ない、聞くことの出来なかった式場内の様子は記事から読ませていただきました。日刊スポーツさん記事から

 

五郎さんの弔辞

泣いてばかりいる

「 秀樹、君が突然、去ってしまったことを知ってから、何日がたっただろうか。

 皆さんに「気持ちが整理するまで少し時間を下さい」と頼んだのだけど、どうやってこの現実を受け止めていいのか、いまだに君の言葉、いろいろなことを思い出して、泣いてばかりいる。

 秀樹との46年間は、簡単に語りきれるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて、考えてもいなかった。僕にとって、君は本当に特別な存在だった…ある時は兄のようでもあり、ある時は弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって…いつも怒るのは僕で、君は怒ることもなく全部受け止めてくれて。僕と君の大きさは、心の大きさが違うよね。つくづく、そう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、何で、そんなに信用してくれていたの?

 訃報を聞いて、君の家に向かう途中で、僕は突然、思い出して、妻(三井ゆり)に(思い出話を)言った。

 

 秀樹の歌で「ブーメランストリート」って曲があって、「ブーメランだから きっとあなたは戻ってくるだろう」って歌詞だけど、でも、戻ってこなかった人のアンサーソングとして「ブーメランストレート」ってどうって(秀樹に)言ったら、「それ、いいね」って。秀樹、大笑いして、そうしたら彼、本当に「ブーメランストレート」って曲、出してしまったんだよ、と。

 君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから、突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で「五郎、来てくれたね」って、君だけが分かる合図を送ってくれたのかなって、そう思ったよ。」

 

2本当に格好いい

「30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、その時の曲を作って欲しい」と突然言い出した。「秀樹、僕は人の曲を作らないって知ってるだろ?」「うん、だから作って」「秀樹、だから作っては、日本語、変だから」「うん、最後にみんなで歌う曲、作って欲しいんだよ」「秀樹、悪いんだけど無理だから。それ、出来ないから」「分かってる。一応締め切りは●日だから」「秀樹、それ出来ないからね」って別れたのに、締め切り日ギリギリにパジャマ着て、譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように玄関先で「ありがとね」って君は笑顔で一言…完全に見透かされてるよね。

 て、CDから君の声だけ取り出して2月の僕のコンサートでデュエットした。なぜ今年だったんだろう。不思議でならない。コンサートを見に来てくださった君のファンも喜んでいたと、奥さんから聞きました。

 

 デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、その席を後輩に譲らなければ、その先の高みを目指さなければ、と考えていた。その方向が、僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決して、アクション歌手じゃないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている。1993年、初めての「ふたりのビッグショー」で共演。一緒に歌った。ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良く決めるのは秀樹。でも僕は、そんな秀樹が大好きだった。本当に格好いいと思っていた。」

 

3ラブソングを天国で

「お互い、独身時代が長かったから、何でも話すようになってゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりとみそ汁を用意して「夫婦か?」なんて言い合って。「秀樹、結婚するから」って言った時の驚いた顔を忘れない。

 2月に僕が披露宴をする時に「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。あっ、コイツ結婚するって。案の定、5カ月後、結婚した。秋も深まったある日、妻が「もしかしたら子どもが出来たかも」って言い出し、驚いた僕は「明日、病院に行って検査してもらおう」って話した時、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子どもが出来た」。生まれてみれば、同じ女の子で誕生日は6月3日、僕の家は5日。まじかよ、これ。当然、娘たちの初節句、ひな祭りも一緒に祝ったよね。

 3年前、秀樹の還暦パーティーの時、サプライズでケーキを持ってステージに出させていただいた時の、秀樹のビックリした顔。今でも忘れられません。さかのぼること、44年前、1974年。この年、僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん、君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。

 でも、君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。それから2年後、2人で受賞したよね。その時は握手して2人で抱き合った。そして40年後。還暦パーティーで僕が「抱いていいか」と言ったら「何だよ」と言われたけど、そんな君を、僕は抱き締めた。君は僕のことを一瞬、抱き締め返そうとした。その時、君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」とそう思った。それと同時に僕の全身が震えた。こんなギリギリで立っていたのか。こんな状態でファンの皆さんの前で立っていたのか。そこまでして立とうとしていたのか。何ってすごいヤツだ。

 彼の大きさに驚いて一瞬、頭が真っ白になって、サプライズで来ているのに「西城秀樹です」ってファンの皆さんに彼を紹介してしまった。天真らんまんという言葉がぴったり。僕はこれまでに会ったことがない。何ごとにも真っすぐで、前向きで、おおらかで、出会う人全てを魅了する優しさと、全てを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩が、どんなにたくさんいたか…僕はうらやましかったよ。

 僕もひろみも秀樹の代わりになれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も、歌い続けるからね。そして、君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。もう、リハビリしなくていいからね。もう、頑張らなくていいから。君のかわいい子どもたち、家族をいつまでも見守ってあげてほしい。そして、お前の思うラブソングを天国で極めてくれ。秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。」

 

 

ふたつ前に書いた中で貼った五郎さんの動画にこの場面が映っていました。

五郎さんが抱いていい?って訊いてHIDEKIさんとハグした後の五郎さん、涙こぼれそうになっているところ。

五郎さんがそのように感じていたことがわかりました。 

ほかに、はじめて聞くエピソードがたくさん。

近年のことはあまり知らないし、過去のキラキラした時だけをしまっていたからなんですが。