モンペリエの「ホームステイ」先は,旧市街の中にあり,
学校にも近く位置していた。
「もっとフランス語を話せる様になりたい! その為に落ち着いて勉強できる環境を求めていた筈だ 」
彼が帰ってきた!
わざわざ,私の為に学校の事務所にまで. そして,マダムを傷つけない様,
ただ,「ホームステイ先を変えたいので・・・お願いします。」と言った,と聞いた。
今,考えると,レベルの高い彼の配慮に感心・自分の授業もあっただろうに,私のために・・・
彼の話によると,直ぐには無理だけど,三日間後に空く「ホームステイ先」があるらしいと分かった。
今の処よりは遠くなるけれど,とても人気のある「お家」らしい。
それに何より,幸いだったのは,日本から休暇を取って,夫が来ると分かっていたこと.
夫には,事の顛末を説明してあったので,彼の到着により,
この不快なモードから脱出できるよう,私はひたすら願っていた。
しかし! いかに!マダムの家から3つのスーツケースを運び出し,
次の家に持って行くか・・・
私は,半ばパニクるだけで,様々な案が浮かんでは消えていくだけの有様。
それは,パリの道路の様に,旧市街の道路は,石畳!
三つのスーツケースを,ゴロゴロと引きずるのも,なかなかの重労働。
(タクシーは旧市街の中に入ってこれない)
旧市街から,新興の街へは少し遠い。
やって来た夫は,私に作戦を伝えてくれた.
「マダムと顔を合わさずに,出ていく方法!」
彼女がまだ,就寝中(土日は,彼女にとってのお休みの日)に二人で,
スーツケースを取り出し,ゴロゴロと引きずっていく.
そして,旧市街を抜けた所から,タクシーで新しい「ホームステイ先」へと。
スーツケース持ち出し作戦は,問題なく成功し,気が付くと夫と二人で
次なる お家の前に立っていた!
新しいマダムは,学校から私の事情を聞かれていたらしく,とても優しく,明るく陽気な方だった。,
家の中に通してくださり,ご主人様ともご挨拶。
2階にある黄色を基調とされた広〜い「私用の部屋」を見せて下さった。
南向きの窓から,南仏の太陽の光が差し込み,私の「心の湿り」が
乾いていく様だった。
ここから,また,始めよう!
友達に! 夫に助けられた。
でも,「目的の為に,邪魔となるものを我慢している必要もない」,
と日本でなら出来なかった事(遠慮というものから抜け出せない💦)
も実行に移せたじゃない!
「ホームステイ先」を変更するという事は,
自分の中で「ネガティブ・申し訳ない!とイメージ」があった。
初めて,自分から「ノー!」と言えた瞬間だった・・・
その時,気づいてなかっただけで.
最初の一歩だった.
家族の協力のもと,経済的にも,やっと作れた機会・・・
と自分に,する必要もない・言い訳をしていました。
その進め方には反省も残りましたが・・・勉強!致しました💦
何故か息子と娘の顔に似た,ワタシ手製のテデイ・ベア
いつもこれを眺めては,励まされていた。
そうこうしている間に, ワーキングホリデーで,トウールーズにいた
娘と夫,私の3人,南仏旅行に出かける日がやってきた。
まるで,人生のピークのように感じた思い出。
「天国と地獄」!・・・今は,忘れえぬ思い出として,記憶の中に収まっている。
冷たかったシャワーのほぼ水だったので,大急ぎで入った,シャワー。
そして一目散に,自分の部屋に走って,暖を取った日々。
引っ越し後のある時,マダムが両手いっぱいに食材を入れた膨らんだ袋を持って,
ゆるやかな坂道を必死に登っていく姿を,遠くから見つけたことが思い出される.
彼女も,1人で一生懸命に生きてる人だったんだ・・・
ホームステイを生業として・・・
全てが懐かしく思い出・・・
今日もお読みいただいて有り難うございます.