★オールナイトニッポンに関する話題があったので紹介します | 《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

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★オールナイトニッポンに関する話題があったので紹介します~1967年10月2日(月)の『オールナイトニッポン』初回放送からちょうど55年後となる2022年10月2日(日)深夜1時、オールナイトニッポン55周年記念特別番組『1967年10月2日 オールナイトニッポンが生まれた日』が放送。

※“かけ間違え”ではなかった! 『オールナイトニッポン』のテーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まった真相が明らかに
・・・・・初代パーソナリティ6人の1人で『アンコー』の愛称でリスナーから親しまれた斉藤安弘がパーソナリティを担当し、元ニッポン放送アナウンサーで『オールナイトニッポン』パーソナリティ経験者の垣花正とともに関係者の言葉を紹介しながら、テーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まった理由などを中心に紐解いていった。

■オールナイトニッポン55周年記念特別番組『1967年10月2日 オールナイトニッポンが生まれた日』2022年10月2日(日) 25時~27時 生放送

深夜1時の時報が鳴り、斉藤がひとこと話すとすぐにタイトルコール。すると、おなじみの『ビタースウィート・サンバ』が流れ、そして「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽のかわりに音楽を、青空のかわりに夢を。フレッシュな夜をリードするオールナイトニッポン!」の名調子でスタート。これは番組開始当時に行っていた一連の流れであり、その形を再現するところから番組は始まった。

初代パーソナリティの1人であり上司だった高崎一郎氏より、「『オールナイトニッポン』のテーマ曲を探せ」と命令を受けた朝妻氏は、最初にマッコイズの『カム・オン・レッツ・ゴー』を持っていったが、高崎氏のイメージと合わず。次に、ハーブアルパート&ティファナブラスの『あめんぼうとバラ』を聴かせたところ、こちらもあまり興味を示さなかったが、同曲が収録されたアルバム『ホイップド・クリーム&アザー・ディライツ』を1曲ずつ聴いていく中で、『ビタースウィート・サンバ』を聴いた高崎氏が、「お前コレだよコレ!」と一言。この発言によって、テーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まったというのが真実だという。

それではエピソードとしては普通すぎるということで、話として盛り上げるため、高崎氏の発案で『ビバ・ヤング』に掲載する逸話を用意。1969年11月号の中で、「『ビタースウィート・サンバ』をテーマ曲にしたのは誰か?」という問い合わせに答える形で、「『これぞアメリアッチ/ザ・ティファーナ・ブラス』というLPの中から『レモン・ツリー』という曲を推薦したのは高崎一郎さんだった。ところが、そそっかしい初代デスクのT氏がもう1つ内側のミゾの曲を聴いて決定してしまった。その曲が『ビタースウィート・サンバ』だったのである」と掲載し、それが定説となっていっのだと明かしていた。

~出典:ニッポン放送~


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