小さい頃の友達から突然連絡があることがある。

「俺、誰か分かる?覚えている?」

そんな会話で話が始まる。

当然覚えているが、最後に会ったのが

成人式で少し話したくらいだ。

それから十数年たっての連絡だった。

高校、大学、社会人とお互いそれぞれの

道を進み環境が全然違ってきた。

それで連絡することも全くなかった。

電話で話してから、急に昔のことを考え出した。

昔は馬鹿みたいに何をしても楽しかった。

いっしょに何でもやっていた。

そして、少しテストができた俺は、

いい高校に行き、大学までいった。

友達は普通の高校に行き、消防士になった。

「就職おめでとう。」

「俺はもっといいところで働くよ。」と、

半分本音でいった覚えがある。

しかし、時は経ち立場は逆転していた。

世の中不況だけど公務員の生活は変わらない。

俺の方が下なんて考えられなかった。

悔しいがどうしようもない。

昔のように会いたかったが、余裕のない

生き方になった自分は理由をつけて断った。

標準であることが

義務であるかのように

世の中には規格外は少ない。

いかにも規格外は悪いこと

であるかのように思える。

もともとは、風土から生まれた感覚で

心理的に心地よいことであることで、

その土地の大多数の人が自然と

それを望むものである。

だから、物事を正面から

捕らえられる人は人気がある。

それ以外は変わり者。

普通であること、普通の人を

作り出しているかのように思える。

誰だって暗黙の了解で

決められた標準の枠の中にいたい。

しかし、それだけだは人は

生きられないのだ。

だからといって標準でないことが

悪かというとそれもいちがいに言えない。

それは、ほかの風土の感覚では

標準に違いがあるから。

毎日が義務か最低限必要な

欲求だけで時間が消費され、

それの繰り返しである。

単調な毎日で疲れだけが蓄積される。

どうしてもと休みは、疲労回復で、

少しの空いた時間はつまらないことで

代替くらいしか自分の時間はない。

こんな生活息が詰まる。

いつかは脱出したいし、

脱出できると信じ、

未来の分までとがんばるが、

いつになるかわからない。

そろそろ限界だ。

湧き出る欲求がセーブされる。

なぜ自分だけと本当は考えては

いけないことかも知れないが、

一度考えたら、考えずにいられない。

12週間でいいから、

リフレッシュしたい。


ブログの世界は全く新しい世界に

引越しした環境と似ている。

そこには、誰一人

知り合いがいなくて、

自分の事も誰一人として

知られていない。

今までの人生を肯定も否定もせず、

1から新しい世界を作れる。

はじめての土地だから何でもできる。

ブログに今までの知り合いがいたら、

本当のことは書けない。

規制のない素っ裸の自分をだせる。

今までの世界とは決別して、

この世界の中だけは、

自分の考えた自分を作れる。

だから、この世界に知り合いは誘わない。

もし、知り合いがいたら、

バランスがとれ標準的な

ブログになるけど好き勝手に

新しい世界を作れないだろう。

「武士は食わねど高楊枝」

という言葉がある。

北朝鮮に食料は自国だけでは

賄えるほどはないのに、

核兵器を作ることだけに

必死になっている。

切れ味の悪い刀を

どうにか使えるように

とがんばっている。

どうにか他の国と

対等に話せるようになりたい、

認められたい。それだけなのだ。

本当は仲良くしたいだけだけれど、

自国に力がないと思われ、

ばかにされているのが嫌なのだ。

だから、刀を研ぐことだけに必死になり、

それが全てだと思い込み、

それ以外のことが見えない。

他の国もあの国はばかで

悪い国だと非難せずに、

本当は困っているのだから、

積極的に国交を持てば、

北朝鮮も心を開き、

世界の一員となるだろう。