上から目線。

人を上から見るのが気持ちいいのか。

人を見下すのが快感のようだ。

人付き合いにおいて立場が上というわけではない。

 

普段はそんなことないけど、

お酒を飲んでスィッチ入ってしまうと無理矢理

うそをついてでもやってしまう。

おまけによほど気持ちいいのかおぼえていない。

普段は人から好かれたいと思っているのに、

そのせいで台無し。

なんで嫌われることしてしまうのか

自分に対して理解不能。

本性が人の上に立ちたい。

しかし理想は人と対等につきあいたい。

この狭間でもがき苦しむ。

 

アルコ-ルで通常の何倍もの力が湧き出る。

自分の中に溜まった自分にとって

悪いものを一気に蒸発させる。

だから、周りにいる人はその悪いものを

まともにあびてすごく嫌な気分になる。

飲んだら後先を考えなくなる。

感情が大きくなり理性を小さくし、

考え方に変化を起こし、

飲んだ時にしか出来ないことをし

普段と違う人間になる。

若い頃は夢があって元気で、

つまらないことに悩み、上手くいかない事で

うっぷんをはらし、八つ当たりをした。

多少のことは許され、面白がられたが、

今は次の日どっと疲れるだけだ。

後悔で昨日を消したい。

すべて失敗のように感じることもある。

しかし、逃げずに、乗り越えなければ。

懐を大きくし、

これからは、昔の自分のような若者のパワ-を受け止めて、

若者の期待に答えられるようにならなければ。

人はつり合いをとりながら生きている。

同じことに対して正反対のことが言えるからだ。

同じ話を伝えるとしても、聞く人によって言い方をかえ、

全く逆の言葉で意味が伝わることもある。

情報は伝える側に思惑があり、伝わる側にも思惑がある。

それが更に輪を大きくして伝わる。

裁判は大概反社会的な行動だ。

しかし、その立場に置かれたなら自分も同じことをするだろう。

食料の自給率が低ければ上げようとするが、

上げすぎると作るなということになる。

なんでもバランスである。

周りと自分とのバランスを試行錯誤してしか生きていけない。

それを正常な状態で頭でこなさないと人としての存在価値がない。

バランスが崩れるのは、失敗を反省しないときだ。

それは、悪い方向に軸をずらしてバランスを取ろうとするから。

言い訳を一生懸命考えるようになり、

さらに悪い方向に行き過去を消そうとする。

振り返れば奴がいる。だからいやなのだ。

軸がぶれるたび生き方が窮屈になる。

もう失踪しかない。

こんななる前に反省し、リセットしなければ。

新しいことを始める事に

不安を感じるようになった。

年をとったのかもしれない。

昔は責任を考えなかった。

夢にむかって希望だけがあった。

勢いだけで全て乗り越えられた。

なんでもできると思っていた。

そのときクリアしとけば良かった。

しかし、若い頃は、興味が一つではなく、

結局一つのこともなしえなかった。

それに反省し一つの的に向かうと、

選んだものが悪かったのか、

夢を叶えるためのハ-ドルを超えられない。

そうしているうちに年をとった。

少し衰えを感じるようにもなった。

やっとの思いで、いざハ-ドルを超えみると、

ゴールが見えなくなっていた。

しかし、引き返すにはプライドが許さない。

不安になる。どこへ向かおうとしていたのか。

今は独り身ではないから、失敗は許されない。

希望した未来にたどり着いたはずなのに、

うれしいと思えないのはなぜか。

ゴ-ヤと今は当たり前のように言うけど、

昔はにがうりと呼んでいた。

今では、下手すればゴ-ヤという

新種の食べ物があるかのように、

それしか呼び方をしらない、

もしくはゴ-ヤが本当の

呼び方だと思っている。

にがうりは昔から日本に

あって食べていた。

かぶれ易い日本人が、

沖縄のタレントが呼んでいるのをまねて

ゴ-ヤと呼び始めたのは、つい数年前。

それまでは、ずっとにがうりとよんでいたのに。

正しい表記がゴ-ヤになってしまっている。

浦島太郎の自分には、どうも納得いかない。