真・遠野物語2 -26ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

鉱山都市の入り口で待っていてくれたパティに跨り、苦労して上って来た山道を一気に下る。

 

 

大峰鉱山に足を運ぶことは暫くないだろうが、この先此処が何か変化して行くのか、それともこのまま完全に消えて無くなってしまうのか、その行く末は追って行きたい。

 

 

だいぶ日は傾いて来ているが、明るいうちに街に帰り着けるだろうか。

 

 

 

 

砂利道はあっという間に終わり、往路最後の集落だった馬木の内の家々が見えて来た。

 

 

舗装道を下るのは本当に一瞬だ。一歩一歩の速さで出会って来た景色は山の彼方へ消えて行き、やがて地上の人々の暮らしが見えて来る。

 

 

 

 

 

 

上郷駅から釜石街道へ下り、長いバイパスを遠野目指して走る。遥か彼方に雪を被り始めた早池峰が見えた。やはり早池峰は遠野の山々の中でも、別格に大きい。そしてその早池峰を隠すように、手前に薬師の姿がある。

 

 

青笹の田園地帯を左手に、鉄路と並走。

 

 

バイパスから裏道(本来はこちらが釜石街道)を走っていると、電線に一羽の鳥が止まっているのが見えた。もうすぐ日が沈むぞ、街まではまだ少しあるぞ、と俺を急かしているようだ。

 

 

初音橋を渡り鶯崎に入ると、ようやく遠野の中心街が目の前に近付いて来る。遮るものの無い橋の上からは、再び早池峰の姿を拝んだ。

 

 

 

鶯崎の左手の山の向こうには、欠ノ上稲荷や日枝神社があり、懐かしい空気が流れて来るようである。此処まで来るとやっと、遠野に戻って来たような気がする。

 

 

今回は上郷からの出発だったので、2日目の夕方になってようやく遠野駅前に落ち着くことが出来る。

 

鉱山都市の奥に延びる道は、長く寂しかった。

レンガ造りの建物や、もう少し近代になってから作られたであろう巨大な倉庫も、全ては朽ちて崩れ果てるのを待つのみだ。

 

 

 

森の奥に道は続く。地の底へ続く道を男たちはどのような心持ちで歩いたのだろう。

 

 

その道の果てに、坑道跡への入り口が残っていた。

 

 

背後はもう険しい山である。これを越えると、向こう側には釜石鉱山がある。

 

 

坑道には、流石に自由に入ることは出来ない。恐らく見学も受け付けてはいないだろう。

今なお不気味に口を開ける地底の闇と、爽やかに差す晩秋の夕日が不釣り合いである。

 

 

坑道内には今も当時活躍していた台車が取り残されている。線路はかなり傷んでいるので、もうこれが走ることは出来ないだろう。

 

 

僅かな滞在であったが、この場所で日本の夜明けが人知れず支えられ、そして役目を終えるや見捨てられるように失われてしまった鉱山都市の悲哀を一身に感じた。

 

 

 

 

空は晴れ、透明な秋の太陽がもう誰も歩かない道を照らしている。

 

 

 

砂利の山、削れ果てた石の山、人に捨てられた道具と建物……その全てが、何かを語り掛けるでもなく「存在としての死」が訪れる瞬間を待っている。

 

 

 

 

山や誰もいない僻地に足を運んだときでも、その場所を去るときには何か其処に存在するモノが名残惜しんで見送ってくれているように感じて来たものだが、大峰鉱山にはそれがなかった。生活の残滓も、生命活動すらも終わり、魂の無い容れものだけがあるようだった。

 

 

 

色々なことを感じながら、この街を去ることにした。

 

 

大峰鉱山が遠野遺産に指定されたことで、昔話に出て来るスポットや豊かな自然を巡る旅も良いが、遠野の奥にこのような場所もあったのだということを知る人が増えてくれると嬉しい。

 

鉱山都市の奥へ進むと、其処彼処に砂利の小山が残っている。採掘後の後始末だろうか。

 

 

山肌には生々しい掘削の跡がある。近くに採石会社があるため、こちらはまだ現役かもしれない。

 

 

嘗ての街の中心だったであろうあたりに差し掛かり、古い鳥居を見付けた。

 

 

階段の上には御神木というにはひょろっとしているが、一本の木が残っている。

 

 

コンクリート造りの建物は武骨で、神社というよりは作業員の宿舎だったのではないかと思われるが……。

 

 

割れた窓から中を覗くと、朽ちて倒れそうな建物の中にあって御社だけは立派に残っていた。とはいえ、もう参拝する人などいる筈もなく、御神体は何処か人里に移されているだろう。

 

 

このような光景を見ると少し寂しくなる。永遠に続くものなどありはしないと思い知らされるようだ。

 

 

建物の裏手にはさらに上に続く階段があり、これまた朽ちかけた灰色の建物が立っている。

 

 

山の岩肌が剥き出しになっている。このあたりから、もう採掘現場に掛かっていたのだろうか。

 

 

階段の手摺はボロボロで、足元には枯れ草が覆い積もって何処が段なのかわからない程だ。

 

 

階段の下にはプレハブ小屋。窓も殆ど無いので、物置として使われていたのだろう。上で何かの作業をするための道具でも、未だに残されていそうだ。

 

 

階段を上がると、其処は広めの道だった。車も停まっているため(もう動くことはないが)、回り道をしても此処に来られたのだろう。

 

 

灰色の建物には扉や窓があるが、その全てが土砂で埋まっていて中の様子を見ることは出来ない。

ボロボロの壁面に、窓枠もドアも失われてぽっかりと暗闇だけが口を開けている建物の姿は、かなり不気味だ。

 

 

この建物の前にだけ土砂が積み上げられているということは、意図的に塞いだのだろうか。何だか色々な、あまり宜しくない想像をしてしまう。

 

 

階段の上にはこの建物しかなく、先へ進む道も無かったので、一旦戻ろう。

 

 

鉱山都市の跡は広いが、当然建物の中に入ることは出来ないし、独りでいると意外に怖くて足早に見て回っていたら、あっという間に一周してしまった。

 

 

廃墟たちの間を抜けた一番奥には、メインの採掘坑跡が残っている筈だ。それだけは自分の目で見て帰りたい。

 

大峰鉱山は現在では採掘を行っていない筈だが、その少し下には比較的新しいように見える設備が残っている。今でも調査などで操業されることがあるのだろうか。

 

 

道はやや緩やかになり、終着点が近い。

 

 

やがて行き止まりになり、大峰鉱山跡を示す標柱が見えて来た。此処が遠野の果て、産業革命を陰から支え、そして人知れず眠りに就いた場所である。

 

 

 

鉱山の敷地は鉄のゲートによって閉ざされているが、車が入れないだけで徒歩なら中を見学することが出来る。観光用に整備されているという訳でもないので自己責任だが、遠野遺産への指定によって予算が付く筈なので、多少なりとも足を運び易くなることもあるのだろうか。

 

 

ゲートをくぐると、其処には夥しい数の白樺が立っていた。人が立ち入ることもなくなり、荒涼とした山奥の土地に立つ美しい白亜の木々は、何処か不釣り合いで寂しくもある。

 

 

 

 

敷地の奥には何棟かの建物が残っている。今やその全てが廃墟であるが、往年の面影は未だに感じられる。

 

 

正面に見えるのは学校だろうか、それとも労働者たちの宿舎のようなものだろうか。

此処にどれくらいの規模の鉱山都市が形成されていたのかはわからないが、日本の他の鉱山の歴史を見るに、このあたりにもそれなりの数の人が定住していたであろうことが想像出来る。

 

 

学校だとすると、俺が子供の頃に通っていた小学校くらいの規模はありそうだ。

 

 

この山の向こうには大橋の街があり、同じように多くの人が鉱山のすぐ近くに定住し、採掘に勤しんでいた。

釜石鉱山との直線距離は約3kmで、もしかしたら上郷の街に下るよりも、トンネルを繋げて大橋の街に抜ける方が近かったかもしれない。勿論そのような道があったという話は聞かないが……。

 

 

敷地の奥には未だ多くの建物がある。他の鉱山都市宜しくかなりの人口密度を記録したのではあるまいか。

 

 

 

残っている建物だけを見るとそれ程密集しているわけではなく、一見多くの人がいたようには感じないが、今は何もなくなってしまった場所にも人の暮らしはあったのかもしれない。その殆どが痕跡を残すことすらなく、砂の下に埋もれてしまった。

 

 

秋の日差しはそのような夢の跡を優しく照らす。まるで最初からこの場所には白樺しかいなかったかのように。

 

溜池に別れを告げ、俺はこの道の終着点である大峰鉱山を目指す。

それはそのまま、遠野の製鉄文化における終末点を目指す旅でもある。

 

 

 

この先は一層険しい山道になり、とてもこの先に製鉄の街があったとは信じられない様相である。しかしながら大橋や九州の端島など、現代の常識に照らしても信じられない程の人口密度を記録した製鉄の街は歴史上に多く存在する。

 

 

 

 

鉱山までもうあまり距離は無いが、最後のひと踏ん張りだ。

 

 

 

少し歩くと、脇道に佐比内鉄鉱山遺跡展望台と書かれた標柱があるのを発見した。立てられてからかなりの年月が経っているようで、ボロボロだが、既に佐比内鉄鉱山「遺跡」であったわけだ。

 

 

脇道は少しだけ盛り上がった丘に続いていた。

 

 

行く先には赤い鳥居と手水鉢があり、丘はどうやら神社の境内のようだ。人が住んでいた時代にはこの場所が心の拠りどころだったのかもしれない。

 

 

 

佐比内鉄鉱山遺跡の解説がある。この場所までどれだけ多くの人が訪れるのかはわからないが……。

この解説板が設けられたのが1983年、俺が生まれる前の年だ。その遥か以前に佐比内鉱山は鉱山としての役目を終えており、俺が生まれたときには既にこの世に存在していなかったのである。

 

 

丘は一応、展望台ということになっているが、30年以上のうちに木が成長したのだろう。眺望はあまりなく、眼下に猫川と溜池が見える程度だ。

 

 

 

なお、神社は山神様だった。鉱山労働も山の仕事であるから、男たちは毎日の無事を山神様に祈ったのだろう。

 

 

鉱山はもう目と鼻の先だ。最後のカーブを曲がると、俺の今日の旅も最後の山を迎える。

 

 

遠野物語が世に出るよりもさらに半世紀前、この場所にも遠野の夜明け前の物語があった。今はもう続きが語られることはなくなってしまった物語だが、俺がその夢の跡を目に焼き付けることで、多少なりともその名も無き主役たちの姿を現代に知らしめることが出来るだろうか。