大峰鉱山は現在では採掘を行っていない筈だが、その少し下には比較的新しいように見える設備が残っている。今でも調査などで操業されることがあるのだろうか。
道はやや緩やかになり、終着点が近い。
やがて行き止まりになり、大峰鉱山跡を示す標柱が見えて来た。此処が遠野の果て、産業革命を陰から支え、そして人知れず眠りに就いた場所である。
鉱山の敷地は鉄のゲートによって閉ざされているが、車が入れないだけで徒歩なら中を見学することが出来る。観光用に整備されているという訳でもないので自己責任だが、遠野遺産への指定によって予算が付く筈なので、多少なりとも足を運び易くなることもあるのだろうか。
ゲートをくぐると、其処には夥しい数の白樺が立っていた。人が立ち入ることもなくなり、荒涼とした山奥の土地に立つ美しい白亜の木々は、何処か不釣り合いで寂しくもある。
敷地の奥には何棟かの建物が残っている。今やその全てが廃墟であるが、往年の面影は未だに感じられる。
正面に見えるのは学校だろうか、それとも労働者たちの宿舎のようなものだろうか。
此処にどれくらいの規模の鉱山都市が形成されていたのかはわからないが、日本の他の鉱山の歴史を見るに、このあたりにもそれなりの数の人が定住していたであろうことが想像出来る。
学校だとすると、俺が子供の頃に通っていた小学校くらいの規模はありそうだ。
この山の向こうには大橋の街があり、同じように多くの人が鉱山のすぐ近くに定住し、採掘に勤しんでいた。
釜石鉱山との直線距離は約3kmで、もしかしたら上郷の街に下るよりも、トンネルを繋げて大橋の街に抜ける方が近かったかもしれない。勿論そのような道があったという話は聞かないが……。
敷地の奥には未だ多くの建物がある。他の鉱山都市宜しくかなりの人口密度を記録したのではあるまいか。
残っている建物だけを見るとそれ程密集しているわけではなく、一見多くの人がいたようには感じないが、今は何もなくなってしまった場所にも人の暮らしはあったのかもしれない。その殆どが痕跡を残すことすらなく、砂の下に埋もれてしまった。
秋の日差しはそのような夢の跡を優しく照らす。まるで最初からこの場所には白樺しかいなかったかのように。