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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

水沢の街を抜ける通りは一直線で、早朝の冷たい空気の中を走っていると本当に気持ちが良い。

 

 

道端に白山神社が鎮座しているのを発見した。頭上には赤い柿の実が幾つか生っていた。

 

 

小さな祠であるが、この通りを行き交う人の心の拠りどころなのであろう。

 

 

 

街外れに近付き、心なしか建物が少なくなって来た気がする。建物と、刈り入れが終わった稲田が混在し、岩手の郊外らしい景色に出会える。

 

 

 

 

東の空に昇る太陽は次第に高度を上げ、街を覆っていた薄紅色の光は次第に透明に変わり行く。

 

 

地上と空とのコントラストが鮮やかだ。赤い林檎の実が景色から見えなくなったとき、岩手は秋から冬へ変わるのだろう。

 

 

やがて道は街を出て、北上川沿いの低地へ下る。此処まで来ると、家の数も一気に減る。

 

 

 

水沢競馬場は北上川沿いにあり、周囲は田園ばかりの非常に長閑なロケーションだ。盛岡競馬場は人里離れた山奥にあるので長閑にならざるを得ないが、水沢は人々の暮らしの片隅に競馬場があり、馬たちの明日を賭けた戦いが繰り広げられているというのが良い。

 

 

近くに遮るものは無いため、人々が暮らす僅かな平地を囲む山々の姿が拝める。早朝の内は、山に掛かる霧が山影だけを浮かび上がらせ、絵画か芸術作品のような美しさなのだ。

 

 

競馬場の近くにも勿論暮らしている人たちはおり、農業を営んでいるのであろう人の家が何軒か立っているが、その他に競馬場の周囲には厩舎があり、その関係者も近くで暮らしているのかもしれない。

 

 

 

岩手の英雄であるメイセイオペラや、トウケイニセイなどに騎乗し岩手競馬の第一人者であった菅原勲騎手も、現在はバリバリの調教師である。早起きしてこのあたりの道を歩いていると、もしかしたら会えたりするようなこともあったりなかったりするかもしれない。

 

2014年、岩手に滞在する最後の一日の朝が来た。

この日の水沢はかなり冷え込み、太陽が完全に顔を出すまで寝袋から出ることが出来なかった。

 

朝ごはんは、キャンベルスープのオニオンスープの缶詰。昼は競馬場で、晩は万馬券を当てて焼肉に行く(予定)ので、持参したごはんはこれで終わりだ。

 

 

雲は多いが、晩秋の澄んだ空気に太陽の光が燃え上がり、東の空は否応なしに気持ちを奮い立たせる表情をしていた。

 

 

やがて太陽が完全に昇ると、空気は透明になる。俺は人が起き出す前に荷物を纏め、出発した。

 

 

俺が一夜を明かした場所のすぐ近くに、神社があった。神社と言っても、境内は子供たちが遊ぶ公園のようになっており、御社は片隅でその様子を見守っているといった感じだ。

 

 

 

 

公民館のような立派な建物も並び立ち、此処が地域の人の憩いの場になっているようだった。

 

 

 

 

この神社は熊野神社で、何となく雰囲気も他の場所で訪れた熊野神社に近いような気がする。

 

 

境内には夥しい数の石碑が立ち並んでいて、遠野でも一ヶ所でこれだけの数の石碑を拝める場所は滅多にない。

 

 

石碑には金毘羅様、古峯神社といった銘が刻まれたものや、単に大神宮とだけ刻まれたものもある。全てが同じ年代にこの場所に祀られたとは思えないが、このように何基もの石碑が一堂に会する様は圧巻だ。

 

 

 

 

熊野神社の本殿は、真っ赤な屋根が朝日を浴び、さらに透き通ったような赤を体現している。美しい朝である。

 

 

 

内部には祭壇があり、その手前に「頭上注意」の書き記しがある。一般人は滅多に中に入ることはないと思うが、神職がよく頭をぶつけていたといった事情があるのだろうか。

 

 

本殿から石碑を眺める。熊野の神は、御膝元から遠く離れた陸奥でこのような美しい朝を迎え、今何を思っているのだろうか。

 

 

さて、そろそろ競馬場を目指して出発だ。競馬場は水沢駅と水沢江刺駅の丁度中間くらいにあり、無料優待バスも走っているが徒歩でも充分アクセス出来る。盛岡競馬場よりもはっきり勝っている点のひとつである。

 

駅構内の店や観光案内所は、既にシャッターを下ろしている。人はおらずがらんとしていて、少し寂しい。

 

 

切符売り場だけが煌々と明かりを灯している。

 

 

待合はかなり広く、一度に何十人もの人が滞在出来る程だ。今も次の汽車待ちなのか、迎え待ちなのか、3人程の人が屯ろしていた。

 

 

 

何と囲炉裏を模した座敷まである。冬の寒い時期には、本当に火が入ることがあるのだろうか。

 

 

この待合で、晩ごはんを食べて行くことにした。

キャンベルスープの缶詰シリーズから、コーンポタージュをいただく。例によって2倍濃縮のスープが、ごはんと意外に合う。独りで長い旅をしていると、こうカロリーがたっぷり含まれた食べものが大変美味しい。

 

 

食事を終え、駅を飛び出したのは21時前。まだそう遅くはない時間だが、駅前は静かだった。

 

 

駅前の一角にある夜の店は明かりが灯り賑わっているが、大半がこの時間になると閉まってしまう店ばかりで、アーケードは寝静まっていた。

 

 

 

全く知らない街で寝床を探すのは、久しく忘れていた感覚である。初めてそんな経験をしたのはもう6年半も前のことだ。

いろいろあった6年半、まだ俺の旅は当分終わらない。その途中で辿り着いた水沢という街は、莫逆の友となり得るだろうか。そんなことを考えながら、俺は中心市街地の外れに小さな公園を見付け、その片隅で眠りに就くのであった。

 

秋の日暮れは早く、18時にもなれば外は真っ暗である。

夏ならばまだ子供たちが走り回っていてもおかしくない時間帯だが、今は真っ暗闇の中に駅の明かりだけが浮かび上がっている。

 

 

19時前の汽車で遠野を出る。

 

 

今回は、昨晩上郷で夜明かしをし、そして今日には遠野を離れるという、非常に慌ただしい滞在になってしまった。

 

 

 

到着した汽車に乗り、晩秋の闇の中へ走り出す。この年は、この日が最後の遠野滞在になるのであった。年末に向けていろいろ考えてはいたのだが、結局次に遠野に足を運ぶのは、街が真っ白に染まる季節になってからのことだった。

 

 

車窓から見る闇は、夏よりも深い気がする。澄んだ空気に家々の明かりが反射しては消え、そしてやがて宮守の街に差し掛かった。

 

 

 

この時間に、宮守で降りる人も乗る人もいなかった。

そして、汽車は花巻の光の中に到着。

 

 

すぐに本線に乗り換え、まだ少しだけ南へ向かうのだ。

 

 

さらに30分程汽車に揺られ、辿り着いたのは水沢駅。

 

 

初めて降りる駅で、感じる空気も遠野や花巻とは違う。明日この地で、岩手競馬の趨勢を決する最終決戦が行われるのだ。

 

 

 

 

跨線橋からは、駅と鉄道の信号くらいしか見えない。花巻のように街の明かりが闇夜に浮かび上がるでもなく、空気も冷たく静まり返っているように感じる。

 

 

何時の間に時計は20時半を回っており、ターミナル駅でもないホームに人っ子ひとりいない情景が、余計にそう感じさせるのかもしれない。

 

 

駅のエントランスには、県指定の無形文化財である日高火防祭りのレリーフが掲げられていた。これは京都の祇園祭の流れを汲み、300年以上の歴史を誇る水沢の華やかな伝統なのだ。

 

 

今回は、初めて訪れる水沢の街をじっくりと見て回る時間は無いが、いずれ遠野以外の岩手の街にも、もっと触れる機会を持ちたい。

 

駅前に戻ったのは、もう日が暮れる寸前だった。

 

 

取り敢えずひと息吐きたいのと、誰か人に会いたいので、駅前のカッパの店に入った。

カッパの提灯には明かりが灯り、昼と夜の間の怪し気な時間帯を演出していた。

 

 

 

SLの運行日にだけ出されるというポッポチーノを飲みながら、カッパと話す。

のんのんがカッパの店になってもう長い。世の中にはラテアートを作り出すことが出来るカッパもいるということを俺はこの店で学んだ。

 

 

それから少し歩き、CocoKanaでお姉さまに会った。外はもうだいぶ暗くなっていた。

 

 

晩ごはんは持参したものがあるのだが、ちょっとしたおやつを食べて行くことにする。この店の軽食はどれも丁度良い量で、何より美味い。

今日は葉わさびと味噌焼きのおむすびのセット、チーズカツにした。

 

 

 

水沢のダービーグランプリでひと山当てたら、祝勝会はこの店にある酒を全て開けてやるつもりだ。

そんなことを言うと、お姉さまはただ「死なずに帰って来い」とだけ言っていた。

 

余談だがこの日、傷心の遠野で迷い込んだあの合コンで出会ったカップルが、目出度くあえりあで結婚式を挙げた。俺はずっと山にいたので全く気付かなかったが、直接出会った人たちの晴れの日に近くにいられたというだけでも、身に余る光栄である。

山の生活にも街の生活にも、等しく人としての幸せがある。そのことに気付けた人は、気付かない人よりも少しだけ幸運だ。