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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

最終レースが終わったのが16時前。水沢の空はもう闇に支配されつつあった。運命に逆らうかのように真っ直ぐに伸びた飛行機雲が、暮れ行く太陽の光を浴びてひと筋の流星のように輝いていた。

 

 

川沿いの低地から再び坂を上がり、街がある高台に戻る。

 

 

街灯に明かりが灯り、道行く車のヘッドライト・テールライトが地上の星屑のように視界の彼方へ消えて行く。

 

 

少し道に迷ったりして駅前に戻るのに30分くらい掛かったが、その間にも空は見る見る暗くなり、一本裏に入った道は寂しい雰囲気だ。

 

 

 

17時前には真っ暗になっていた。駅には盛岡行きの汽車を待つ人が訪れており、駅員が改札口に立って検札を行っていた。

俺が乗る一ノ関行きの汽車はまだ来ないので、待合でゆっくり待つことにした。

 

 

 

今日は全く馬券が当たらなかったので、豪華なメシはなしにし、駅の売店でうまい棒を購入。納豆味がなかったのは残念だが、レアなチョコ味など種類は結構揃っていた。汽車が来るまでの間に全て平らげた。

 

 

やがて汽車の時間になり、駅員が改札を始めた。俺は三連休乗車券を見せ、人がいない夜のホームに出て汽車を待った。

 

 

一ノ関行きの汽車には、俺の他に数人の乗客が乗り込んだ。さっきまで待合にもホームにもいなかったのに、何処から現れたのだろうか。

 

 

こうして俺の初めての水沢滞在は終わった。

 

午後になり、早くも太陽は奥羽山系の彼方へ沈んで行く。スタンドの影がホームストレッチに長く伸び、ゴール前はかなり薄暗くなった。馬たちの大地を蹴る足音と息遣いが、より一層耳に残った。

 

 

 

レースが進んでも馬券はさっぱりだった。思えば盛岡でも、ド本命の単勝を2本取っただけなので、岩手での馬券収支はちょっと寂しい感じである。

 

 

メイン前の前沢牛杯というレースには、岩手のまゆゆこと鈴木麻優騎手がディアーウィッシュという馬とコンビを組んで出走。そこそこの配当が付きそうだったので、俺は穴場に駆け込み、半分応援のつもりでディアーウィッシュの単勝を買った。

しかし、10歳という大ベテランで馬体重もプラス14kgとあっては流石に厳しく、先行策も虚しくブービーに敗れた。

 

 

残るレースは後ふたつ、此処で馬券が取れないと今日の晩ごはんはうまい棒になってしまう。

メインのダービーグランプリには、悲劇の名馬・ロックハンドスター以来の三冠制覇が懸かるライズラインが出走。しかし今回はダイヤモンドカップ、不来方賞と違い、岩手以外からの遠征馬も出走する。JRA認定競走を勝ち上がっているダンスパフォーマー、1勝馬ながら羽田盃や東京ダービーでも善戦して来たドラゴンエアルといった南関東所属馬、そして個人的に最大のライバルになるであろうと見ていた金沢のケージーキンカメなど。此処のところJRAや南関の馬たちにやられっ放しなので、ライズラインなど地元馬の他、ケージーキンカメにも意地を見せて欲しいところだ。

 

 

夕暮れが近いダートコースに、ライズラインの雄姿が輝いている。近代競馬の源である岩手の馬として、全国にその名を轟かせて欲しい……。

大きな期待と不安の中、ダービーグランプリの発走を迎えた。

 

 

レースはスタート直後、地元馬のマンボプリンスが騎手を振り落とす。何やらこの時点で嫌な予感がした。

ライズラインは中段から最後の直線に向き、逃げる高知の牝馬クロスオーバー、そのクロスオーバーを交わして4コーナー前に先頭に立ったダンスパフォーマーを捕えに行ったが、力尽きて後退。代わって弾けるような末脚を発揮したのはドラゴンエアルで、ダンスパフォーマーに2馬身の差を付け、大井の特選競走以来の2勝目を岩手のビッグタイトルで挙げた。

上位3着までを南関所属馬が独占し、ケージーキンカメがそれから9馬身離された4着。クロスオーバーが5着に粘り、ライズラインは掲示板にも載れない完敗を喫した。

 

 

岩手競馬ファン落胆の溜息が聞こえる中、カラ馬のまま律義に2週目のゴール板を通過して行くマンボプリンスの姿が何処か滑稽だった。

 

 

こうなるともう馬券も何もかもとことんダメで、最終レースは盛岡で俺に初めての当たり馬券を齎してくれ、この日も圧倒的一番人気に推されたクロワッサンの単勝を握り締めていたのだが、特に見せ場も作れず4着。8戦振りに連どころか馬券圏も外す結果になってしまった。

 

 

 

今日も岩手競馬の厳しい現状を見せ付けられ、ついでに馬券も散々だった俺は肩を落とし、暗くなった水沢競馬場を後にした。次に競馬を見に来られるのは何時だろうか……と、そんなことを考える元気も残らないくらい、今日は燃え尽きてしまった。

 

 

此処からは余談だが、俺に当たり馬券を届けてくれたライズラインとクロワッサンコンビは、12月21日の白嶺賞に出走(クロワッサンはその間にもう1戦挟んで)。ワンツーフィニッシュを決め、やはり地元では実力上位であることを示してくれた。その勢いで年明けのトウケイニセイ記念にもコンビで挑んだのだが、JRA→南関東と渡り歩いて来たキモンレッドという牝馬に敗北。キモンレッドも強い馬で、交流GⅠで馬券になったこともある馬なのだが、それでも転入して来たばかりの馬にしてやられるというのは大変に悔しいものだ。

その後さらに3年間、ダービーグランプリのタイトルは他地区に持ち去られていたのだが、2018年にようやくチャイヤプーンが取り返し、僅かながらに岩手競馬ファンの留飲を下げた。チャイヤプーンは不来方賞こそ2着だったものの、その前後で南関東でも重賞を制しており、まだまだ岩手競馬からも南関と対等に戦える馬が出るということを見せてくれた。また、その前年に岩手競馬所属でありながらホッカイドウ競馬に遠征して2冠を制したベンテンコゾウなども、同じく南関東で重賞を制覇。両馬は馬主にトラブルがあって岩手競馬を離れてしまったのだが、他地区でも頑張っている姿を見せられ、岩手競馬も少しずつではあるが希望を取り戻している。

2020年には、南関以外で唯一常設のGⅠである南部杯の賞金が500万円アップし、11年振りに5,000万円に戻ることが決まっている。また、ダービーグランプリの賞金もこの年の800万円から2017年には1,000万円、2020年には1,500万円と着実に増額しており、強い馬が出走を目指す条件が整って来ている。賞金が全てではないが、賞金が高ければ強い馬が集まりやすくなり、レースレベルが上がれば地元馬も負けじと良い馬を育てる意欲になる。願わくはダービーグランプリも再びGⅠの格付けを取り戻して……というのはまだ時期尚早だろうか。

レース外のゴタゴタなどもありまだまだ厳しい状況であることに変わりはないが、このまま良い流れが持続し、何時かまたメイセイオペラやトーホウエンペラーのようなGⅠタイトルを持ち帰れる馬が出て来て欲しい。

燃えカスも残らない程の敗北を喫し、しかし其処から立ち上がる力をきっと岩手競馬は持っている筈。そんな微かな期待も抱きながら、俺はパティと一緒に水沢駅を目指すのであった。

 

競馬場の駐車場に戻ると、さっきまでいなかった車が大量に停まっていた。遂に開門の時間が来たのだ。

俺もパティを駐車場に停め、南入場口から中に入った。

 

 

水沢競馬場は、巨大な盛岡競馬場と違い、馬との距離が非常に近い。一周1200メートルの小回りコースで、馬場とスタンドの間に関係者用の通路がないので、埒ひとつ隔てたすぐ目の前で馬が走っているところが見られるのだ。

 

 

特に1300メートルのレースのスタート地点は、ゴールのすぐ近くになるので、ゲートが開く瞬間とゴールの瞬間を両方見られる。

この日は第1レースからいきなり馬がゲートをくぐるというアクシデントがあったが、近くで見ていると懸命に馬をフォローするスタッフや騎手、そして何とか立て直してレースに臨もうとする馬の息遣いがとてもリアルに感じられるのだ。

 

 

 

地方競馬は非常に多彩な血統の受け皿としての役割も果たしており、この日も現役時代をよく知っている馬たちの子供が多数出走していた。

第1レースはジャングルポケットの娘、第2レースはチチカステナンゴの娘……母の父がマイネルラヴなんていう牝馬もいた。血統表を見ているだけで大変に胸が熱くなる。

 

 

 

なお、この日は第4レースまでが午前中に組まれていたので、4レースが終わったら昼食に行こうと思っていたのだが、午前中は全て牝馬が勝つという結果だった(1レースは2着も、2レースは3着まで牝馬が独占)。

男たちに混ざって牝馬が走っていると、どうしても牝馬を応援したくなってしまう。しかも俺の馬券の相性も何故か牝馬の方が圧倒的に良く、スイープトウショウが勝った宝塚記念を単勝1点で的中させて初めてデジカメを買ったり、ピンクカメオのNHKマイルカップ→コイウタのヴィクトリアマイルと何れも単勝1点で転がして白楽の焼き鳥屋で豪遊したのは今となっては懐かしい思い出である。

この日も単穴っぽい牝馬ばかりが馬券に絡んでいたのでさぞ儲けられたのだろうとお思いかもしれないが、全く儲からなかった。

 

 

 

そんな感じで午前中は馬を見て楽しむ方がメインになり、やがておなかが減る時間帯になった。

この日は三冠最終戦のダービーグランプリということで、水沢競馬場でも大レースを盛り上げようと様々なイベントを開催していた。そのひとつが、エントランスに県内の様々な飲食店の屋台が集結するというものだった。

旅先で地元の美味いものを食べることを楽しみにしている俺にとって、このイベントも目当てのひとつだった。水沢のりょんりょんという喫茶店の肉巻きおにぎり、沿岸から運ばれて来た螺貝やサザエなどの串焼き、ベトナム料理のフォー、等々……。競馬の開催に昼休みというものは無いため、レースとレースの合間の30分程度で急いで食べなければならないのだが、それが勿体無いくらいにどれも美味しかった。

 

 

 

 

 

腹も満たされたところで、午後のレースである。馬券が当たって儲かったら、帰りにも豪華なメシを買って行けるので、岩手の馬たちに是非頑張って欲しいところだ。

 

道沿いの林の中に、小さな神社と墓地があった。

 

 

赤い屋根の神社が天照皇大神宮だ。総本山は伊勢神宮の内宮だが、福岡県の猪野というところにも同名の神社があり、「我を祀れば、戦をせずとも財宝の国を得ることが出来る」という神託があったとされている(それを疑った仲哀天皇は祟りにより崩御したとされる)。

 

 

戦をせずとも財宝の国が得られるとは、これから馬券で家を建てようとしている俺にぴったりだ。

 

 

 

内部には恵比寿様、大黒天様、そして龍や想像上の獅子のような生きものの絵が祀られている。

 

 

 

 

石碑が神社と墓地の境界のように立ち並び、寺院はないが地元の人々によって管理されているであろう墓地が、朝日を浴びて静かに佇んでいた。

 

 

此処は若草墓地というらしい。草井沼というのは、このあたりの地名だ。

 

 

墓地の向こうには何ひとつ建物がなく、北上川が流れる開放的な空が広がっている。

 

 

川沿いの緑地には謎のカエルがいる。

 

 

緑地の一部はゴルフ場になっていて、朝早くからコースを整備している人の姿が見える。ゴルフ場はホール18個分の敷地を最低限確保しているため、とても広く、さらに芝の緑や自然を活かした障害(池や森)が豊富に配されているため、世界中どのゴルフ場を見ても大変美しイメージだ。此処では加えて北上川の流れの畔でプレイ出来るため、とても楽しいラウンドを体験出来るだろう。

 

 

 

このあたりに橋はなく、これ以上先には進めないので、そろそろ引き返すことにする。競馬場の門も開く時間だろう。

 

 

 

すぐ近くには北上川、遥か彼方に白い山々、そして春には桜吹雪。水沢競馬場もまた、盛岡競馬場とは違ったロケーションで岩手の自然を満喫出来る競馬場なのだ。

北上川の畔に、ひと際大きな建物が見えて来た。これが今日の俺の命運を握る地、水沢競馬場だ。

 

 

競馬場の近くには駐車場や自転車が停められる敷地が整備されている。かなり広いので、遠くまで景色を見晴らせる。

 

 

 

未だ開門まで時間があるので、競馬場の周りを散策してみることにする。

 

 

遠くには、雪を被った青く険しい山々が連なっている。

 

 

競馬場の近くに家は殆ど無く、田畑ばかりだ。厩舎が近いことから、あまり家が密接しているといろいろと不都合があるといった事情でもあるのかもしれない。

 

 

 

競馬場と北上川の間には緑地があり、春になると見事な桜並木が見られる場所だ。薄桃色の光の中を、馬が歩くという情景にも出会える。

 

 

 

岩手では、春の連休頃に丁度遠野が桜の季節を迎えることが多いが、盛岡や水沢などはもっと早く桜が咲くため、逆にその時期に岩手に来たことがない。そのうち競馬場の桜を見に来たい。

 

 

 

そしてその緑地の一角に、天照皇大神宮がある。競馬場との関係はわからないが、万馬券が当たるように参拝して行こう。