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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

南東北の端は、ただ広い田園と小さな山々が織り成す風景があるのみである。小さな家や集落が現れては消え、その後に現れるのはまた昔から其処にある風景だ。

 

 

 

 

美しい空、真冬の水田、未だ雪を被らない山。東北の大地に抱く愛情は痛い程に切ない。

 

 

 

何時も車窓から見えて気になっている、この大きな建物は何なのだろう。

ラクダの背のような丘に集落があり、神社の森があり、生活の糧がある。

 

 

 

段々と車窓に見える山が険しくなって来た。雲に隠れた空の彼方に、白い雪を被った、人を寄せ付けない高峰が聳えている。

 

 

 

高く高く飛び立つ鳥たちが見えた。叶うならば、翼が欲しい。

 

 

「花の駅」松川を過ぎると、県庁所在地の福島はもう目の前だ。

 

 

とても広い荒川とその河川敷を見ると、福島駅に辿り着いたことを実感する。俺の中では、福島の象徴的な風景だ。

 

 

 

光が差し込むホームでひと息入れたいところだが、仙台行きの汽車はすぐに出発する。あまり休憩している暇はない……。

 

 

幸い仙台行きの汽車は空いていたので、車内で彼女が持たせてくれたおやつを食べながらのんびりと車窓の景色を眺めることにする。

今日のおやつは、盛岡の名店タルトタタンのレモンケーキ、ミルクまんじゅう、へっチョコまんじゅう……とても甘い。長旅にはとても助かるお供である。

 

 

遠く離れていても岩手の味を感じながら、俺の旅はそろそろ後半戦である。

 

重く垂れ込めたカーテンの裾から、僅かに光が漏れていた。その光は山の彼方には届かず、知らない世界に薄く長い影を伸ばしていた。

 

 

 

冬の田園にやはり雪はなかった。その景色は何故だか脆く、小さく見える。指先で突くと壊れてしまいそうな、不安定な情景である。

 

 

 

 

汽車から見下ろす集落が白くない。真っ白な光に満ちた小さな集落は、この年はまだない。

 

 

 

大地を見守る山々もない。あの果てはもう世界の行き止まりで、その先に何もないかのようだ。

 

 

 

関東と東北の境界の上で生きる人々の心の中には、純粋な雪は降り積もっているだろうか。

 

 

そして、俺は何度目かの白河を越える。関東に別れを告げ、東北の大地に出会う。そして俺は後何度、この川を渡るだろう。

 

 

 

この場所が空の分かれ目でもあるように、少しだけ表情が和らいだ。まだ先は長く、時間はたっぷりある。

 

刺すように冷たい冬の空気が北関東に朝を呼ぶ。俺はこの景色を後何回、次の春は、夏は拝めるのだろうかと考えながら、窓の外を眺めていた。

 

 

 

 

 

この冬はまだ雪がなく、年によっては真っ白に染まる大地が、未だ稲刈り後の荒涼とした素肌がそのまま見えている。

しかし季節は前へ進んでいる。雲の影に見える山肌には、秋にはなかった白いひと筋ひと筋が時間の流れを刻んでいる。

 

 

 

 

 

 

黒磯が近付くと、空を白い雲が覆い、地上に影が忍び寄って来た。ひと雪あるかもしれない。

 

 

光と影、暖かい光と冷たい雪が同居する冬らしい空の光景である。川面の光が空に還り、真冬の吹雪を呼び寄せている。

 

 

 

雪が少ないと、農作物や山菜の出来に影響する。早いところ真っ白に染まる大地を見たいものだ。

 

晩秋の水沢、豪雪の鬼無里、そして彼女と俺の互いの実家へと旅をし、年が明けてもまだまだ旅は続く。今回は1月の連休に彼女が所用により盛岡の実家に帰ることになったので、俺も遠野で消防出初式を見学し、花巻あたりで合流して一緒に東京に戻ることにした。

俺は連休初日の朝を自宅で迎え、例によって近所のスーパーで買った見切り品のおかずを朝ごはんにいただいた。

 

 

またデザートに、彼女の実家で収穫されたキウイを幾つかいただいていたので、割って食べた。キウイは林檎と一緒に寝かせておくと甘くなるとされており、じっくり熟成されたキウイには全く酸味がなくとても優しい甘さだった。

 

 

今回も上野からの出発。但し今回は、彼女と一緒にいろいろ歩こうとも思っているので、パティは置いて行く。

 

 

池之端を歩くのは久し振りだ。徒歩だといろいろなものが目に入る。

東大から下ったところに竹久夢二の美術館がある。行ってみたいと思いつつ、未だ行けていない。

 

 

本郷と池之端の境に、その名も境稲荷神社があり、脇に弁慶鏡ヶ井戸がある。この創建年代は不明だが、足利義尚が「再建」したという話があるので、少なくとも600年程前には既にあったことになる。

 

 

不忍池の脇には小さな滝がある。これは近代になってから作られたものだろうが、何れにせよこのあたりは水が綺麗な場所であり、先程の弁慶鏡ヶ井戸などは東京大空襲の際に多くの被災者を救ったとされている。

 

 

地上にある上野駅の在来線ホームから汽車に乗る。これからゆっくりと北へ向かう、その出発点である此処には、未だ東北の玄関口として冷たい空気が流れ込んでいるように感じる。

 

 

往路は鈍行のみで行くつもりなので、年末の長野旅行で余った青春18きっぷの最後の1回分を利用する。

 

 

汽車はゆっくりと、宇都宮に向けて出発。俺は例によって眠り込んでしまったが、今回は何時もとちょっと違う心持ちだからなのか、空が明るくなり始める頃になって目を覚まし、それからずっと窓の外を見ていた。

 

 

 

濃い藍色の水の底に、橙色の重い光を流し込んだかのような空の色である。これが時間が経つに連れて溶けて混ざり合い、やがて透明になってしまうのである。

 

 

 

 

 

街は未だ眠りに就いている。家々から灯りは漏れて来ない。

街灯だけが寂しく寝ずの番を務め、少し気が早い車のヘッドライトが一瞬見えた。

 

 

やがて太陽が地平線から顔を出し、何時もと同じで、この瞬間しかない新しい朝が来た。

 

 

透明な光が世界を満たし、冷たい色をした光が支配する時間帯は終わりを告げた。俺が寝ている間にも、こうして世界は常にその色を塗り替えつつあるのだ。

 

何時もならばこれから鈍行に乗って本郷まで帰るところだが、今回は流石にそれでは今日中に帰れないので、一ノ関から新幹線に乗る。本当は時間に追われるような旅はしたくないのだが、今回ばかりは仕方ない。

 

 

 

ある意味で「時間は金で買える」を体現している乗りものである新幹線が到着した。

 

 

一ノ関から上野まで、新幹線の中では遅いやまびこでも2時間半で到着してしまう。あっという間に、視界がギラギラと眩しくなって来た。

 

 

コンクリートの奥底にある上野駅のホームに到着。東北の玄関口と親しまれて来たこの駅も、高速化の波に埋没し旅情というものは失われつつあるように感じる。

 

 

 

 

 

到着したのは21時過ぎ。馬券が当たらなかったとはいえ、やはりうまい棒だけでは足りない。何か軽くで良いから食べて行こう。

 

 

上野から湯島に入ったあたりにある、もつ煮いち川という店に入ってみた。割合と新しい店のようだ(注:未確認だが現在は存在していないらしい)。

 

 

この店はもつ煮一本で勝負している店で、そのもつ煮も具材は蒟蒻のみと非常にシンプルだ。価格も抑え気味で今の俺に大変優しい。

事実とても美味く、さらにシェフオリジナルだという柚子油が良いアクセントになる。この柚子油の商品化も考えているとのことで、将来性に期待出来る店……だったのだが。

 

 

どうにか晩ごはんを食べることも出来、俺は不忍池を越えて来る晩秋の夜風に吹かれながら自宅へ向かった。

池を挟んでビル街の夜景が見渡せる。すぐ近くで見るとギラギラとして無機質に感じるが、遠く別世界のように見える夜景からは、哀愁とひと握りの希望を感じ、何となく好きなのである。

 

 

 

東大を経由して菊坂下の自宅へ。後はゆっくり眠り、明日に備えるだけだ。

今回は彼女を東京に置いて来てしまったので、土産に遠野で山ぶどうワインを買っていたのだ。これは出始めた当初はピーキーな味で「数ある地元の産物のひとつ」といった評価に過ぎなかったが、年を経るにつれて味が洗練されて行き、今では遠野のみならず県内の老舗ワイナリーのワインと肩を並べる名産品にまで成長した。

盛岡出身の彼女も喜んでくれるだろう。

 

 

こうして俺の年内最後の遠野旅行が終わった。12月にもいろいろと考えてはいたのだが、10月に旅をした長野の鬼無里という街を彼女が大変気に入ってくれたので、年末はそちらに行くことにしたのだ。次の遠野への旅は、年が明けて1月の消防出初式の見学まで待つことになる。

しかしながら、こうして旅が好きで良かったと思える日が来て、本当に感慨深い。それが俺以外の誰かと共有出来るとなれば、猶更だ。