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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

新花巻駅の駅名板は、星座の間を汽車が旅するモチーフだ。地上の山々と思しき影にも星が散りばめられており、地上と夜空の境界が取り払われるようなイメージもある。

 

 

汽車の到着が間近に迫り、ホームに次々と乗客が出て来た。流浪の人々を乗せた銀河鉄道は、サウザンクロスではなく太平洋に向かって旅をする。

 

 

 

夜の闇を切り裂いて、眩いヘッドライトがホームに滑り込んで来た。

 

 

この時間のはまゆりは、唯一鱒沢駅に停車する下りのはまゆりだ(遠野以東で松倉駅にも唯一停車する)。新花巻から40分と少々の旅をし、遠野駅に到着した。

 

 

最終の汽車で旅をしていた時代が思い起こされるが、遠野で多くの人が降りる光景を見て、未だ人々が活動する時間帯だったことを思い出す。

 

 

 

遠野駅前は雪が踏み固められ、ガチガチの状態になっていた。夜の間に気温が下がったら、さらに凍り付きそうである。

 

 

県内でも遠野は一段と寒いことが多い。闇に浮かぶ駅の明かりを見遣り、真冬の遠野に、俺がいるべき場所に戻って来たのだということを実感する。

 

 

今日も例によって光興寺に宿を取っているのだが、元々到着が遅くなる予定だったので先に夕食を済ませる約束にしていた。駅を出た俺は、そのまま隣で酒飲みを誘う様に光る看板を掲げる店に吸い込まれた。

 

新花巻駅に到着し、時計を見る。まだ俺が乗る筈だったはまゆりは、矢巾と花巻の間をうろうろしていることだろう。

 

 

高架のホームから、釜石線の小さなホームを見下ろす。流石に此処まで来ると、雪は深くなって来た。

 

 

新幹線のホームは何だか無機質で、がらんとしているように感じる。それでも他の駅と比べて心が沸き立つのは、汽車に間に合った安堵か、それとも遠野に繋がる最後の乗り換えを迎えたからか。

 

 

 

未だ18時前、普段ならば夕食の支度にすら手を付けていない時間帯だ。そのような瞬間に、住んでいる街から遠く離れた雪の中にいるとは。

 

 

 

駅前はちょっとした観光名所として整備されていて、夜になると銀河鉄道をイメージしたアーチの模型が光り輝く。真っ暗な冬の闇に浮かぶ様子は、なかなか綺麗である。

 

 

広場には他にもいろいろと見どころがあるのだが、はまゆりの到着まであまり時間が無くなって来たので、釜石線のホームに向かうことにする。

 

 

 

釜石線のホームには薄暗い地下通路を通るということで、以前は何処となく陰気な感じだったのだが、壁面いっぱいに銀河鉄道をイメージしたイラストがあしらわれてから、逆に暗闇を抜けて星の中に向けて旅をしているような、ワクワクした気分が感じられるようになった。

 

 

新花巻駅のエスペラント語の愛称は、Stelaro=星座。という縁もあり、以前は何もなかったホームの壁面に、宮沢賢治の名作・星めぐりの歌の全文が散りばめられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩手県には宮沢さんの他に、石川啄木という不世出の歌人がいるが、石川さんは日常の有り触れた言葉を紡いで斯くも美しく切ない世界を生み出せるのか、という点に真髄がある。31文字の限られた世界に無限の奥行きを与えるという行為に於いて、個人的には歴史上全ての歌人の中で、石川さんに勝る歌人は存在しないと考えている。

対して、言葉そのものの美しさでは宮沢さんに勝る存在はあるまい。特にオノマトペの豊かさは「オノマトペ集」が単独で刊行される程に素晴らしく、日本語独特の表現とされるオノマトペを極めた存在ということは、即ち日本語を極めた存在だと言えるのかもしれない。いったい何処からその美しい言葉が紡ぎ出されて来るのか、同じ人間として信じ難い思いですらある。

宮沢さんと石川さんと、生きたジャンルが微妙に異なるので比較出来る存在ではないが、共に岩手県が生んだ文学界の至宝である。特に、宮沢さんの出身地である花巻近辺では、彼の足跡に豊富に触れることが出来る。

 

小牛田駅で乗り換え、いよいよ岩手へ向かう汽車へ。

だが、その前に所用により、宮城県内最後の駅(厳密には一ノ関の前に一度宮城県を通過するのだが)、石越駅で寄り道して行くことにした。

 

 

 

石越駅は登米市の北端にある小さな街の駅で、2kmも歩けば岩手県に入れるような、そんな場所にある。近くには広い田園地帯があり、冬の時期には多くの白鳥や鴈などの渡り鳥が訪れるのだ。

 

 

石越で所用を済ませたのは良いのだが、その間にさらに風が強くなってしまい、石越駅で三度足止めを食らうことに。

この間に太陽は沈み、岩手県に入る頃には夜が空を覆い尽くそうとしていた。地面は少ないながら雪に覆われ、ようやくこの時期らしい景色が見られそうだが、こう暗くなると外はあまり見えず、白い世界に出会えるのは明日に御預けだ、

 

 

 

 

 

 

 

結局、一ノ関駅に到着したのは、盛岡行きが出発した1分後だった。出発して行くのが見えたくらいだから、待っていてくれても良いものだが、JRはこういうケースでは待ったり待たなかったりする。基準はわからないが、数分待てば次の汽車が来る首都圏ならまだしも、この寒い中ですぐに乗り換えられた筈の乗客を小一時間待たせ、その判断基準が乗客にとって理解できないものであるのは、どう見ても乗客のことを考えているとは言えまい。

 

 

結局、俺も新花巻まで新幹線に乗ることにした。このようなところでJRに儲けさせるのもアレなので次の汽車を待っても良いのだが、遠野で約束があるので2時間も遅れて着くわけにはいかない。

 

 

北上まで乗っても盛岡行きには追い付けないが、新花巻まで乗れば予定通りの釜石行きを追い越すことが出来る筈だ。

 

東白石駅のすぐ側を流れる白石川には、晩秋になるとたくさんの白鳥が飛来する。駅から白鳥の一団が見えることもあり、この日も線路から遠いものの、数羽の白鳥が水面に浮かんで寛いでいた。

 

 

 

仙台が近付き、少しずつ車窓に見える街の規模が大きくなって来た。野山と人々が共存する光景である。

 

 

 

仙台駅にはほぼ定刻通りに到着。途中の遅れは取り戻したようだ。次の汽車まで30分程時間があるので、一旦ひと息入れることにする。

 

 

 

昼ごはんには、近年流行りのタイカレーの缶詰、トマトコーポレーションというメーカのマイルドタイカレーイエローをいただく。ボリュームが結構あり、食べ応えがあった。タイカレーはイチから自宅で作ると結構手間が掛かったりするが、こうして手軽に味わえる手段が増えて来たのは良いことだ。

 

 

宮城県北に差し掛かり、松島界隈を過ぎると、宮城の原風景とも言うべき美しい光景が広がる。やはり雪は殆ど無く、冬らしいかというと未だ実感が足りない気がする。

 

 

 

県北地域には、山形との県境付近を水源とする鳴瀬川が流れており、その幾つもの支流が自然と街と街とを隔てている。品井沼、鹿島台、松山町と、地元の人々が行き交う小さな駅と街が沿線に現れては消えて行く。

 

 

 

高架橋の下など日陰になる時間が長い場所には、吹き溜まりになった雪が残っている。

 

 

この場所から夕日を眺め、自分の住む世界とは全く違う世界が日本にはあるのだということを初めて実感した。

 

 

 

此処でまた、風が強くなって来たため汽車の歩みがゆっくりになった。途中駅で足止めを食らい、運転手も気が気でない様子だ。

 

 

北へ進むに連れ、少しずつ地面に残る雪の量が増えて来た。といっても未だこの時期らしい風景ではないが、分厚い雲を突き破って差すひと筋の光の中を飛ぶ鳥の姿を見ると、やはり今は冬の只中なのだということを実感もする。

 

 

鳴瀬川の本流を越えると、間もなく小牛田である。ギリギリ次の汽車への乗り換えは間に合いそうだ。

 

 

 

岩手に入れば少しずつ、真冬らしい光景に変わって行くのだろうか。そのような変化も旅の楽しみだ。

 

冬は人知れず、しかし何時の間にかすぐ近くにまで来ている。気付けば遠くの山々が見えなくなり、次いで地上にも白い冷気を流し込み始めた。

 

 

 

突然の吹雪に襲われ、汽車は途中駅で数分の足止め。幸いすぐに出発出来たが、あのまま風が強くなり続けていたらと思うと、背中が冷たくなる思いだ。

 

 

世界が変わるのに、2分も要らない。冬の東北にそれをまざまざと見せ付けられる。

 

 

 

 

 

峠を越え、宮城県側の方が天候は安定していた。何度も同じ場所を旅しているが、たまにはこういうこともある。

 

 

広大な田園に白いものが占める面積が大きくなって来た。冬は人知れず、しかし何時の間にかすぐ近くに来ているのだ。

 

 

 

東京よりも冬が長い地域であるだけに、その冬の只中に旅をすることは、装飾されていない東北の姿を見に行くことでもある。車窓から見える光景の一秒一秒が、俺の心の奥底の見えない部分に深々と雪を積もらせる。

 

 

 

 

 

それでも大きな街が近付くと、幾分か冬の寂しさは和らぐ気がする。間も無く県南の城下町である白石の中心に辿り着く。

 

 

 

 

白石で汽車から降りてみたり、道中で一番と言って良いくらいに好きな駅である東白石に念願叶って訪れたこともあった。全く知らない街、というのは少しずつ減って来てはいるものの、それはそれで寂しい気もしてしまうのである。