遠野放浪記 2014.11.23.-08 寂しさも嬉しさも | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

いよいよ家の姿は見えなくなって来た。行く手には怪しい雲が垂れ込めているが、大丈夫だろうか。

 

 

光を集める広い窪地の真ん中に、小さな御社がある。昔から同じ光景があり、同じように朝を迎えて来たのだろう。

 

 

緩やかなカーブの途中に大きな建物が見える。あれも豪農の家だろうか。

 

 

道端に「たかまさま」と書かれた標柱が立っていた。向こうは谷底だが……。

 

 

振り返ると、建物の側にまた幾基かの石碑があった。これのどれかが、たかまさまの石碑なのだろうか。

 

 

コレが気になる。というか、明らかにコレがたかまさまだろう。

 

 

たかまさまは「ジャドウ=盲目の人」が集落で生まれないようにという願いを込めて祀られた石碑だという。ジャドウとは座頭のことだろう。

昔、盲目の虚無僧が集落で宿を借り、手厚く持て成してくれた集落の人に「この地では今後盲目の人は生まれないだろう」と言い残して去って行ったという伝承があり、藁の屋根は虚無僧の深編笠を思い起こさせる。

 

 

さらに少し先へ進むと、今度は「女長者屋敷のかると石」と書かれた標柱が立っていた。

 

 

脇にはまた幾基もの石碑が立ち並んでいるが、このどれかがかると石だという訳ではないようだ。

 

 

このあたりは笹久保という地域で、昔ひとりの女長者が住んでいたが、この女長者が唐臼の重しに使っていた巨大な石がかると石で、今でも稲荷淵という水の畔にかると石が残っているという。

 

 

稲荷淵が何処にあるのか、かると石は本当にまだ残っているのかはわからなかった。石碑群の反対側は切り立った崖になっており、その底に川が流れているので、かると石は今頃崖の下かもしれない。

 

 

非常に気になるが、探してもかると石は見付かりそうにないので、先へ進むことにした。

 

 

遂に家は一軒も見えなくなり、道は深い山に突入した。

 

 

11月も終わりに近いので、落葉樹はすっかり裸になってしまった。上には青空が広がっているというのに、こんなにも寂しい気持ちになる。独り旅とはこんなだっただろうか。