2014年11月2日、俺にとって人生が音を立てて変わる日。その運命の夜明けを、俺は遠野盆地の片隅で迎えた。
やはり緊張する。取り敢えず朝ごはんはちゃんと食べようと、持参したごはんとなめ茸三昧という瓶詰(きのこの種類が多い豪華版)をいただいたが、正直味は殆ど覚えていない。
まずは始発列車が来る前に駅を出ようと、荷物を纏めて出発した。
昨日の雨が辛うじて残っていて、駅の裏山の濡れた紅葉が美しかった。
今日は、とある場所に行ってみたくて、この鱒沢に足を運んだ。まずは駅裏の丘を上り、鱒沢の集落に入って行く。
まだ誰もが眠っている時間帯、道には霧が掛かっているが、空を見上げると薄い青が顔を覗かせており、この後雨が降ることは恐らくないだろう。
丘を上り切ると、其処には広い段々畑が続いていた。このあたりは農村公園に指定されており、近隣の農家による安全な農作業への取り組みも積極的に行われているらしい。
段々と視界がクリアになって来て、数軒の家族が静かに暮らす鱒沢の集落の姿が見えて来た。
農村公園の丘はかなり急峻な地形で、頂上の僅かな平地を除いて前後は非常に急な坂道だ。岩手らしいというか、この地域の縮図のような風景である。
周囲は小高い山々に囲まれており、秋が深まるこの季節は一斉に木々が燃え上がる。もう少し晴れてくれれば、実に見事な自然の情熱を目にすることが出来るだろう。
丘を越え、再び谷へ下ると、其処は十文字の分かれ道になっていた。
7月に宮守から迷岡を経て鱒沢まで歩いた際には、この道を向こうからやって来て丘を越えて行った。その際に発見した「神子」という地名が非常に神秘的に感じられ、機会があったら是非行ってみたいと考えていたのだ。
この場所には、ちょっと通り掛っただけではわかり辛いが、鬱蒼とした木々に覆い隠されるように幾つもの石碑が鎮座している。
取り分け遠野らしい情景であるが、この「神の子」という名前が付いた土地へ向かう道だけあり、此処が重要な分かれ道であった可能性もある。
いったいどのようなところなのだろうか。地図を見てもただ山に入って行くだけの道だが、その先に誰も知らない何かを発見出来たら、それはとても嬉しいことのように思える。