花巻に着いたのは昼前頃である。まだ先は長く、家に帰り着くのは日付が変わる前になるだろう。
汽車が来ない時間帯の閑散とした花巻駅に吹く風が、すっかり秋の涼しさになっていた。岩手を去らなければならない瞬間の寂しさは、何時まで経っても慣れることは無い。
それから先は、急に襲って来た眠気に耐え兼ね汽車の中で寝てしまったため、乗り換えの時間を除いてはずっと夢の中にいた。気が付けば空は濃い青に変わり、そして宮城から福島へと下る頃には儚い橙色に変わっていた。
今はもう何事もなかったかのように、福島の大地は美しく平和に見える。願わくはこの地に暮らす人々の心の内も同じであって欲しい。
太陽は雲の影に隠され、予定よりも少しだけ早く、空の色は紫色へと移り変わって行く。
時折開ける視界に、人々の営みの景色が映し出されている。何もないように見える小さな田園にも、トラックが停まり手入れをしている人が其処に居ることを示している。
俺の知らない人たちの生活が此処にあり、そして俺はそのうちのどれだけと今後交わるのだろう。恐らくその多くとは、平行に進む道を歩むだけで交わることは無く、今日俺が見ているこの景色もやがては変わって行くのだろう。
小さな街の小さな駅を幾つも見送り、汽車は静かに南を目指して行く。今日最後の輝きが雲間から解き放たれ、人間には生み出せないであろう美しい色が空のキャンバスに溢れ出ていた。
足早に山の向こうに沈んで行く太陽に別れを告げ、街にはひとつまたひとつと明かりが灯り始めていた。多くの人々が寄り添って暮らす街も、山に抱かれて幾らかの家族が静かな暮らしを送る街も、地上が暗黒に包まれた後は、その闇を照らす道標の星になるだろう。
空は橙から紫、藍色に変わり、旅は白河越えの目前まで迫っていた。後どれくらいの間、漆黒に沈み行く街の姿を眺めていられるだろうか。