遠野放浪記 2014.09.15.-09 夢の終わり | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

この旅で果たしたかった目的が全て果たされると、もうそれだけで全てが終わってしまったような気になる。これからまだ半日近く掛けて東京に帰らなければならないのに。

 

 

 

踏切を渡り、再び街の中心から駅前通りへ。昼前の目抜き通りに人の姿はなかった。

 

 

 

俺は後何回、この宮守駅の姿を拝めるのだろうか。ついこの間まで、賑やかな人の声が響いていた駅舎なのに、気付けば儲からないものは切り捨てるJRの非道な方針によって、その姿さえ破壊されようとしている。

この駅舎が地域でどれだけの意味を持って来たのか、公共インフラを担う組織でありながら金を蓄えることが何よりの今のJRには、百年掛けて説教しても理解出来ないだろう。それでも、実質競争相手がいないJRを利用しなければ旅をすることも儘ならない。極めて大きなジレンマである。

 

 

 

戦火の時代から宮守を見守って来た駅舎がもうすぐその役目を終えようとしている。俺独りの力ではどうしようもないことが悔しく、悲しい。

いずれ出来上がるであろう新しい駅舎がどのようなものになるのかはわからないが、例えどれだけ立派で快適な駅舎が出来上がろうとも、其処にあるのはもう俺が愛する宮守駅舎ではないのだ。

 

 

 

様々な感情を胸に抱きながら、ホームへ上る。

 

 

 

このホームはどうなってしまうのだろうか。変わらない姿で此処にあり続けてくれるだろうか。

 

 

 

とはいえ、軽便鉄道の時代から続く釜石線に罪はないし、況して日々の安全な運行に尽力する運転手や乗務員、あまり人が来なかろうとも駅を守り続ける駅員に何の落ち度もない。

こうして今日も俺は、巨大権力たるJRに怒りを抱きながら、JRを使って旅を続けるのである。

 

 

仮に国鉄が存続していたら宮守駅舎が残り、JRになったからこそ破壊されることになってしまったのか、それは結果論なので本当のところはわからない。

せめて、俺の記憶と拙著の中には、この愛すべき小さな駅の姿を留めておきたい。