綾織の広大な田園地帯の中に、一本だけぽつんと立っているこの木については、初めて見たときからずっと気になっていた。いつもは他に目的があってこのあたりを通るため、なかなか木を見に行く機会が無かったが、今日ようやく何年か越しに木に会いに来ることが出来たのだ。
街が霧に包まれその姿がおぼろげである中に、この木だけが他の何ものにも影響されずその場所に立っていた。
遠野では、こうした一見不自然にぽつんと立っている木の下には、祠や石碑があって何らかのエピソードを持つことが多いのだが、この木の下には何もなく、綾織の田園の中に迷い込んだかのように、孤独に存在しているのみである。
木の周囲には、小さな白い花がたくさん咲いている。まるでこの孤独な木を慰めるように、貴方は独りではないと花たちが伝えているかのように。
他に同じ視線を持てる仲間がいない古木に、誰にも知られずひっそりとこの場所で咲いている小さな白い花。何もかもが違う両者は不思議と気が合い、ずっとこの場所に居続けているのかもしれない。
俺も木と同じ風景を見てみたいと思い、白い花の間を縫って木の下に行ってみた。
遠くに見える綾織の街は別世界のようで、白い霧の中でまだ眠りから覚めないようだ。間もなく白い雪に包まれる冬が来て、それから桜が咲く短い春が来る。その頃には、白い花たちは何処かへ行ってしまうのだろう。この木がどれだけの出会いと別れを繰り返してきたのか、せいぜい三十余年程度の人生しか経験していない俺にとっては、想像も出来ない。
ちなみに俺は植物にあまり詳しくはないので、この木が何の木かはわからないのだが、恐らくナラの一種ではないかと思う。かなり年経た老木ではないだろうか。
よく見ると、一本の木だと思っていたものが、根元でふたつに分かれている。根っこは同じようなので厳密にこれを何本だと数えるかは微妙なところだが、きっと夫婦の木なのだろう。そう考えると、長く暗い冬の間も、常に運命を共にする相棒がすぐ隣にいるので、決して寂しくはないだろうと思える。
この木が何時から此処にいて、何時まで此処にいるのかはわからない。きっと俺が生きているうちに、その顛末を見届けることは無いのだろう。
木と過ごす時間は、俺にとって特別なものだ。遠野の文化はよく「巨石の文化」であると言われるが、俺にはこうした大きな木に寄り添って過ごす時間こそが、何よりの安らぎを与えてくれる。
もの言わぬ孤独な姿であっても、その実は大地に根差し、誰よりも長くその土地で脈々と生き続け他の生きものたちに恵みを分け与えてくれる、そんな姿に惹かれるのかもしれない。