大袋集落にもまた、大小数多くの石碑がある。鬱蒼とした森の木陰に、古いものから比較的新しいものまで。今となっては調べる術もないが、この一角が何か特別な意味を持つ土地であったことは想像に難くない。
集落の奥に進むと、もう誰も住んでいないと思われる建物がちらほらと見えて来る。
ただしこの場所にあった物語は、遥か昔の御伽噺などではなく、少し前まで現実としてあったものなのだ。
道は草生していて、朝露が俺の脚を濡らす。
辿り着いたその木はどちらかというと女性的な容姿をしていた。霧の向こうから後光が差し、神秘的な情景である。
木の下には小さな御社と、古い赤い鳥居が立っていた。大抵、こうして一本だけぽつんと立っている木の下や、突然現れる小さな森の中には、古くからの信仰が形を成して存在している。
正面に道らしい道は無く、田圃を突っ切って来るしかない。恐らく、農作業をしながら祈りを捧げるためにこの御社は道の反対側を向いているのだろうし、農業を営んで暮らす人々の内なる拠り所なのだろう。
小さな神もまた、農作に励み慎ましやかに暮らす人々を見守っている。
御社に祀られているのは、やはり農業の安全と豊作を祈るためにか、御稲荷様だ。
外から来た人で、この御社まで辿り着く人がどれ位いるだろう。
遠野には人知れず生まれては消えて行く信仰が絶えずあり、その中で形を成して残ったものが思いがけず旅人の前に姿を現すことがある。もしかしたら、この御社を最初に建てた人はもういないのかもしれないが、その想いは今でもこの場所に残っているのだ。
鳥居越しに、神と同じ視線で山を、大地を見る。僅かではあるが空が明るくなって来て、今日これから起こる出来事に期待を持たせてくれる。







