祭の日の朝を迎え、俺は身が引き締まる思いで寝袋を片付けた。
附馬牛滞在も、もう5日目である。これまで一週間前後の長い旅をしたことは何度もあるが、これだけ長い間同じ場所に留まっていたことはなかった。そんな旅も、今日が最後の一日なのだ。
朝ごはんには、遂に最後の缶詰である黄桃缶を平らげた。長旅で失われつつある体力を補うために、カロリーを摂取しておくのだ。
今朝の附馬牛は生憎の曇り空。折角の祭の日に、何とか晴れ間が覗いて欲しいが……。
まだ例祭の開幕までには時間があるため、俺は附馬牛をぶらりと回って時間を潰すことにした。
今回は、いつも通っている附馬牛のメインストリートから広い田園地帯に入り、何もない平原を当て所無く歩いてみる。
猿ヶ石川を渡る小さな橋には、このあたりから見える早池峰の様子が書かれている。
この橋を越えれば、道はさらにディープな附馬牛の奥底へと突入して行く。
冬の真っ白な大平原、夏の一面に稲穂が揺れる光景とこの土地の風景には何度も心を潤されて来たが、自分がその中を歩く機会は今までになかった。
山へ上って行く道沿いに、家々の集まりが細長く伸びているのが見える。
これだけ平らな土地が広くあるように見えても、やはり生活は山と一体なのであろう。
このあたりの集落を大袋といい、隣接する荒屋の集落と行政区を同じくする。実は菅原神社も、この大袋集落の外れにあったりする。
大袋集落が形成された年代は不明だが、菅原神社が1670年前後の創建とされているため、その頃にはそれなりに多くの人が住み付いていたと考えられる。
集落を抜けて山へ入る道にも、上大袋という開拓集落がある。こちらは他の集落からは独立しており、附馬牛村誌が発行された頃には福島県、宮城県、山形県や下閉伊郡小国といった他所からの入植者が多く暮らしていたという。
まだ祭が始まるまでには時間がある。開拓時代の面影を残す場所まで辿り着けるだろうか。