附馬牛の小さな集落にも、ひとつまたひとつと明かりが灯り始める。雨雲が居座るどんよりと不気味な空模様の下で、地上に瞬く星が確かに其処に人の暮らしがあることを伝えてくれた。
結局、菅原神社に向かう頃にはまた雨が降り出してしまった。これまでは降ったり止んだりといった様子だったが、これ以降俺が寝るまで雨が止むことは無かった。
参道の先は暗闇ばかりで、まるで人の気配がしない。今まさに宵宮の祭事が行われている筈なので、明かりのひとつくらい漏れて来ても良いような気がするのだが……。
しかし、深い森を抜けると確かに本殿には明かりが灯り、祭事が催されていることが確認出来た。
森の中の一角だけに明かりが灯り、決して外からは見えることがない。この場所が聖域であることを感じさせるのに充分な情景だ。
本殿は開け放たれていた。この雨だからか参加者は天幕の中に引っ込んでいたが、たまたま外に出て来た人に案内して貰い、本殿の中に入ることが出来た。
祭壇には左右一対の神の形代と共に、この日しか開帳されない菅原道真公の形代が中央に安置されている。これは明日の本祭でも姿を拝むことは出来ず、今日の宵宮でしか人々の前に姿を現さないのだ。
年に一度だけ、その姿を見せて附馬牛の街の移り変わりを御覧になっているのだろう。力強い表情に見詰められ、身が引き締まる思いだ。
今日はこれ以上の催しは無いということなので、俺は案内してくれた人に礼を言い、神社を後にすることにした。元々盛大に何かをやるというわけではなく、菅原道真公の御開帳を行った後は身内でしっぽりと酒を飲むだけだということだ。
本殿の明かりが遠ざかり、天神の森は相変わらずの暗闇だ。あの光が外に漏れ出ることは、決してない。
賑わいの声も次第に遠ざかり、再び鳥居の前に辿り着く頃にはもうあの場所には最初から何もなかったかのように、あたりは静寂と闇に支配されていた。
鳥居から見える附馬牛の街の明かりが、まるで別の世界のように見えた。闇の大海原に阻まれ、決して辿り着けない光であるように見え、たった一本だけ道にある電柱は寂し気に震えていた。
俺はこの雨を凌げる場所をと考え、結局ふるさと村まで戻ってバス停の小屋で一夜を明かすことにした。晴れてさえいれば、森の片隅に陣を敷いても良いのだが……。
兎も角明日は、百年前に柳田國男がその目で見た菅原神社の例祭である。遠野物語の原点が、どうか鮮やかな青空の下で執り行われることを願って止まない。


