山神の石碑を境に、世界は再び人間の領域になり多くの民家が行く手に現れる。
川を渡る大小幾つもの橋が架かっている。農道をそのまま延長しただけのような簡素な橋もあるが、これを川向こうに渡すのも大変だった時代もあるだろう。それだけ川は生活圏を否応なしに区切る存在でもあったのだ。
夏の日差しが道に、家々に、川に降り注ぎ、とても眩しい。附馬牛の穏やかな午後はゆっくりと黄昏に向けて過ぎて行く。
集落で一番大きな家にも、盆の幟が掲げられていた。かつては死が常に隣にいた時代があった。静かな夏の日に「生きるとはどういうことか」を問い掛けられている気がして、胸が熱くなる。
先へ進むと、少し川幅が広くなったところで川の真ん中に石碑が置かれているのを発見した。
あんなところによく石碑を設置したものだ。恐らく近代になってから作られたものだろうが(調べても情報は見付からなかった)、川もまた常に人々の生活のすぐ側に居ることを感じさせられる光景である。