俺は展望台に架けられた簡素な階段を一歩一歩上り、遠野の果ての一番先に辿り着いた。
階段の先には、想像を絶する光景が広がっていた。この場所は最早俺が知る世界ではなく、緑が波打ち果てしなく続く天の大海であった。
今、歩いて来た道が眼下に見えた。和野のバス停で目を覚ましたのが遥か昔のようで、あれから8時間余りが経過していた。
此処はそう簡単に人間が足を踏み入れて良い場所ではない。荒れ狂う雨と風の支配に抗う覚悟を持たないとこの場所には辿り着けない。
晴れていれば、あの雲の向こうに早池峰が見える筈なのだが、今日はその裾野くらいしか見えない……。
新山ウィンドファームと対を成す貞任ウィンドファームでさえ、この場所からでは恐ろしく小さく見える。
すぐ足元のなだらかな草原の緑が痛い程に美しく、どの方角を向いても深い山以外の何も見えない絶望感にすら似た感覚とのコントラストに、身体の芯から震えが来た。
神が人間に対し、己の小ささを思い知らせるためにこの地まで導きなさったかのようである。
ところで、先程見掛けた車の主は、気象観測の人だった。
彼は展望台の片隅に陣取り、巨大なカルピスのペットボトルを携え、じっと空と風の声を聞いていた。彼とは軽く挨拶を交わす程度だったが何処か親近感を覚える。
程無くして彼は車に乗って帰って行き、最果ての地に俺は再び独りになった。
展望台には此処から見える風景の説明もちゃんと設置されていた。先にこれを読んでから周囲を見渡せば良かった。
さて、新山の空気をたっぷり吸った俺はこれから街まで帰らなければならないわけだが、先程の写真を見てもわかる通り、人里に下りる前に通過しなければならない貞任のウィンドファームが果てしなく遠い。
街までの距離、実に28kmである。これは釜石線の営業距離で例えると、だいたい足ヶ瀬駅~釜石駅の距離に相当する。しかも道中には石仏山・五郎作山・貞任山といったひと筋縄では行かない連中が立ちはだかっており、その厳しさも仙人峠越えに匹敵するかもしれない。
朝目が覚めた直後のバリバリ元気な状態なら兎も角、此処まで来るのに既に体力をだいぶ消耗している。これで果たして無事に街まで戻れるのか……。
これからの長い道程を考えるだけで空恐ろしい。やがて疲労感も相俟って考えるのが面倒になった俺は、取り敢えず展望台の下で昼寝をすることにした。


