管老庵というらしいこの建物は、一軒家にしてはかなり立派で大きく、やはり宿の類のようだった。どういった人たちが足を運ぶのだろうか。
林を抜けると、いよいよ猿ヶ石川のすぐ脇を歩く道なき道に出る。
元々散策路として整備されているわけでもないので、足場は非常に険しい。岩や木の根が好き放題に張り出し、其処に積もり放題に積もった雪が容赦なく襲い掛かって来る。
無いに等しい道を行き、岩から湧き出す名前も無い支流を幾つも飛び越える。
ほんの僅かな平地を見付けたと思っても、秋のうちに枯れた草の上に雪が積もった天然の落とし穴だったりもする。
地元民ならば平然と歩いてしまうのかもしれないが、これは大変な場所に来たものだ。
此処まで来たらもう覚悟を決め、いざとなれば川の中に足を突っ込んででも岩根橋に辿り着く決意だ。
道は険しさを増し、かなり大きな岩がごろごろと転がっている危険な場所に差し掛かった。
岩に閉じ込められた川の水は凍り付き、大木も冬の風の前に薙ぎ倒されてしまった。
それでもどうにかこれらの難所を全て乗り越え、いよいよ岩根橋の目前までやって来た。
宮守のめがね橋と共に、銀河鉄道の夜のモデルになったとも言われている岩根橋を間近に見るのは、これが初めてだ。めがね橋と違い訪れにくい場所にあり、ライトアップなどもされていないが、宮守地域の歴史を辿る上では非常に重要な橋だ。