わずか18年前、最初で最後の本格的な原発裁判「伊方原発訴訟」に於いて、
原発の危険性を訴えた住民側が敗れ、ここに〝原発安全神話〟が完成する。
「安全神話」の原点 『伊方原発訴訟』*福島原発事故へ繋がる道。
原発という国策の前に、民主国家の大前提・三権分立は機能せず、
行政・司法・原子力ムラが共謀?〝原発の安全性〟を科学的に問うことは叶わず・・
NHK・ETV特集 <シリーズ 原発事故への道程>「後編:そして“安全神話”は生まれた」
【1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し、「安全」を前提に原発建設が加速していった。このとき、日本で初めて原発の安全性を科学的に問う裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と、建設を推進しようとする国によって争われた。そこでは今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態がほぼすべて俎上に載せられていた。公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き、安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし、反対派の訴えを退けた。】一部抜粋
思えば、“安全神話”に関わった原子力ムラの面々も、ご自分たちが捏造した“安全神話”を、真実?だと思い込もうと自己催眠?に掛け、罪の意識から逃れていたのかも知れないが・・
高松高裁、「安全神話」の原点・伊方原発の運転容認

東京新聞・社説
伊方原発容認 安全神話の復活なのか
【噴火も地震も取るに足らない、避難計画は不完全でもいいと言うのだろうか。四国電力伊方原発の運転差し止めを求める住民の訴えを司法はまたもや退けた。「安全神話」の亡霊を見る思いである。
「原子力規制委員会の審査には合理性があり、四国電力が策定した最大の地震の揺れや噴火の影響についての評価も妥当」-。
高松高裁は、四国電力が示したデータに基づいて、規制委がくだした新規制基準への「適合」判断を丸ごと受け入れたかのように、住民側の訴えを退けた。
破局的噴火は予知できない、地震の揺れの評価方法に問題がある-という専門家の指摘も顧みず、九月の広島高裁、大分地裁、そして今回と、繰り返される判断だ。
一方で高松高裁は、原発周辺の自治体が策定を義務づけられた避難計画に関しては、陸路も海路も輸送手段に懸念があって、屋内退避施設も不足しており、「不十分だ」と認めている。
再三指摘してきたように、日本一細長い佐田岬半島の付け根に位置する伊方原発は、周辺住民にとって、“日本一避難しにくい原発”との声もある。
実際に事故が起きたとき、原発の西側で暮らす約四千七百人の住民は、船で九州・大分側へ逃れる以外にないのである。
海が荒れれば船は出せない。地震で港湾施設が被害を受けたらどうなるか。避難者を港へ運ぶバスなども、確保できる保証はない。その上、屋内退避場所さえ、足りていないというのである。
現状では、多くの住民が避難も屋内退避もできず、放射線の危険にさらされる恐れが強い。そのような認識がありながら、司法はまたも住民の訴えを退けた。避難計画の軽視が過ぎる。
規制委が基準に「適合」すると認めた以上、福島のような過酷事故は起こり得ない、との大前提に立つからだろう。
これでは、安全神話の復活と言うしかないではないか。
規制委は、原発のシステムが規制基準に「適合」すると認めただけで、安全の保証はしていない。規制委自身も認めていることだ。避難計画の評価もしない。それなのに規制委の審査結果を司法は追認するだけだ。こんなことでいいのだろうか。
責任は棚上げにしたままで、原発の稼働が次々許される。
「安全神話」が前提にある限り、福島の悲劇はいつかまた、繰り返される。】
原発の危険性を訴えた住民側が敗れ、ここに〝原発安全神話〟が完成する。
「安全神話」の原点 『伊方原発訴訟』*福島原発事故へ繋がる道。
原発という国策の前に、民主国家の大前提・三権分立は機能せず、
行政・司法・原子力ムラが共謀?〝原発の安全性〟を科学的に問うことは叶わず・・
NHK・ETV特集 <シリーズ 原発事故への道程>「後編:そして“安全神話”は生まれた」
【1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し、「安全」を前提に原発建設が加速していった。このとき、日本で初めて原発の安全性を科学的に問う裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と、建設を推進しようとする国によって争われた。そこでは今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態がほぼすべて俎上に載せられていた。公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き、安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし、反対派の訴えを退けた。】一部抜粋
思えば、“安全神話”に関わった原子力ムラの面々も、ご自分たちが捏造した“安全神話”を、真実?だと思い込もうと自己催眠?に掛け、罪の意識から逃れていたのかも知れないが・・
高松高裁、「安全神話」の原点・伊方原発の運転容認

東京新聞・社説
伊方原発容認 安全神話の復活なのか
【噴火も地震も取るに足らない、避難計画は不完全でもいいと言うのだろうか。四国電力伊方原発の運転差し止めを求める住民の訴えを司法はまたもや退けた。「安全神話」の亡霊を見る思いである。
「原子力規制委員会の審査には合理性があり、四国電力が策定した最大の地震の揺れや噴火の影響についての評価も妥当」-。
高松高裁は、四国電力が示したデータに基づいて、規制委がくだした新規制基準への「適合」判断を丸ごと受け入れたかのように、住民側の訴えを退けた。
破局的噴火は予知できない、地震の揺れの評価方法に問題がある-という専門家の指摘も顧みず、九月の広島高裁、大分地裁、そして今回と、繰り返される判断だ。
一方で高松高裁は、原発周辺の自治体が策定を義務づけられた避難計画に関しては、陸路も海路も輸送手段に懸念があって、屋内退避施設も不足しており、「不十分だ」と認めている。
再三指摘してきたように、日本一細長い佐田岬半島の付け根に位置する伊方原発は、周辺住民にとって、“日本一避難しにくい原発”との声もある。
実際に事故が起きたとき、原発の西側で暮らす約四千七百人の住民は、船で九州・大分側へ逃れる以外にないのである。
海が荒れれば船は出せない。地震で港湾施設が被害を受けたらどうなるか。避難者を港へ運ぶバスなども、確保できる保証はない。その上、屋内退避場所さえ、足りていないというのである。
現状では、多くの住民が避難も屋内退避もできず、放射線の危険にさらされる恐れが強い。そのような認識がありながら、司法はまたも住民の訴えを退けた。避難計画の軽視が過ぎる。
規制委が基準に「適合」すると認めた以上、福島のような過酷事故は起こり得ない、との大前提に立つからだろう。
これでは、安全神話の復活と言うしかないではないか。
規制委は、原発のシステムが規制基準に「適合」すると認めただけで、安全の保証はしていない。規制委自身も認めていることだ。避難計画の評価もしない。それなのに規制委の審査結果を司法は追認するだけだ。こんなことでいいのだろうか。
責任は棚上げにしたままで、原発の稼働が次々許される。
「安全神話」が前提にある限り、福島の悲劇はいつかまた、繰り返される。】