そして、二度目の〝茶番劇〟の演者こそ、「満州は私の作品」と豪語、
傀儡国家・満州で辣腕を振るい、“昭和の妖怪”と呼ばれた、
元A級戦犯(後に指定解除)にして元総理・岸信介氏の実の孫・安倍晋三その人。
岸・元総理も関与?!知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~

安倍総理らに拠る、戦前回帰・国政私物化は、偶然ではなく必然?
敗れて尚、「国体」と決別できず成仏できない、大日本帝国の亡霊の成せる業?
「安保法制」妄執の背景=死せる〝昭和の妖怪〟生ける〝安倍総理〟を走らす?



そして、その亡霊たちをアシストしたのが、悪名高きCIAという、突拍子もない台本だ。
戦後史の闇=自民政治家へのCIA資金提供「外務省が機密解除に反対」 米元諮問委員が証言

敗戦国の歩みについて、よくドイツ日本の比較が批判的な文脈で引き合いに出されますが、決定的な違いは「ドイツは二度、戦争に負けている」というところです。

ドイツは第一次世界大戦でも敗北していますよね。これが日本との最も根本的な違いで、
日本の国体はまだ一度しか崩壊していない。だから日本人は「国体」と決別できないのだと思います。

――それは第二次世界大戦が正しく検証されないまま、今に至っているということの裏返しということでしょうか。つまり自浄作用が働いていない。


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 だれかに話したくなる本の話より
戦後日本の異様な対米従属の「正体」とは? 『国体論』白井聡さんに聞く(1)
【――冒頭に戦前と戦後の年表が対比される形で掲載されています。近代前半(戦前)の「国体」は天皇が中心であったことに対して、近代後半(戦後)の「国体」はアメリカが一枚噛んでいる、と。ただ、戦後の歴史の流れは戦前の歴史を反復しています。これは必然的なものなのでしょうか。

白井:ある意味で必然でしょうね。マルクスは「ヘーゲルはどこかで述べている。『歴史は繰り返す』と。『一度目は悲劇として、二度目は茶番として』」という有名な言葉を残していますし、ヘーゲル自身も歴史的な大事件や偉大な人物は二度やってくると『歴史哲学講義』の中で言っています。

では、なぜ二度起こるのか。それは、一度では納得ができないからです。出来事の影響が大きければ大きいほど、認知的不協和が高まりますから、当事者たちはなかったことにしたくなる。「あんなことが起こったのは偶然だ」と思い込みたくなる。

でも、大きな出来事というのは構造的必然性があって起きています。だから、一度やり過ごしたところで、もう一度起こってしまう。マルクスに言わせれば、「一度目で理解しろよ」という話なんでしょうけど、残念ながらみんなマルクスほど頭が良くはないので、繰り返されてしまう。

そう考えたときに、「国体」の歴史も同じように反復しているんです。第二次世界大戦で一度崩壊したけれど、日本人はその失敗に納得できていなかった。

敗戦国の歩みについて、よくドイツと日本の比較が批判的な文脈で引き合いに出されますが、決定的な違いは「ドイツは二度、戦争に負けている」というところです。

ドイツは第一次世界大戦でも敗北していますよね。これが日本との最も根本的な違いで、日本の国体はまだ一度しか崩壊していない。だから日本人は「国体」と決別できないのだと思います。

――それは第二次世界大戦が正しく検証されないまま、今に至っているということの裏返しということでしょうか。つまり自浄作用が働いていない。

白井:そうです。まさに安倍政権が、自浄作用の働いていないことのシンボルですよね。さすがに最近の動向で安倍政権の終わりも見えたように思えますが、それは相対的な問題で、安倍政権を長期・本格政権化せしめている日本社会の悲惨さのほうがよほど問題でしょう。

ちなみに、反復といえば、安倍晋三氏の首相登板は二度目です。こんな人が首相になってしまうのは、一度きりなら偶々だったと言えますが、こうして長期本格政権になったわけで、必然なのでしょう。

悲惨な社会には悲惨な首相がお似合いです。ついでに、安倍氏は自らを岸信介の再来と見なしていますから、これも反復です。マルクスの言った「二度目は茶番」の典型例ですね。

さらに希望が持てないのは、若い人たちの意識です。若年世代になればなるほど、安倍政権および自民党への支持が強い傾向がはっきり出ている。

なんでこういうことになるのか、私は大学で教えていますから、実感としてわかりますよ。社会的無関心が極限まできていますから。「いや、しっかり考えている若者もいるぞ」という見方もあるでしょうが、それは例外なんです。

「社会なんてものは存在しない」というマーガレット・サッチャーの言葉がありますが、それを地で行く状況が生まれています。「社会」の存在を認識することは苦痛でしかなく、損するだけ。そんな平成の世相をつくったのは年長世代だし、「国体」というシステムの「成果」でもあります。


―― 一方で、現代の日本は「偉大であるアメリカを自分たちが支えている」と、アメリカのあずかり知らないところで考えている。

白井:今の日本はまさにそういう妄想をしてしまっていると思います。現に衰退していくアメリカを日本が支えきた側面があります。「アメリカの日本」という戦後の対米従属路線は、そもそも国家の復興の手段であったはずなのに、今は自己目的化した対米従属になっています。この不条理を覆い隠すためには、「日本のアメリカ」というこれまた不条理な観念を暗に持たねばならなくなる。

例えば国際舞台での核兵器廃絶に関する日本政府の動きに、この観念は現れています。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しても日本政府は無視ですよね。国是としての反核という建前に矛盾するスタンスは最近とみにはっきりしてきていて、国際的な提案が出るたびに「反対」という立場を打ち出しています。なぜならそれはアメリカが核軍縮に反対しているから。

このスタンスは、おそらく「アメリカの核兵器は日本の核兵器である」と無意識に考えているからだと思います。アメリカが「日本のアメリカ」であるとするならば、アメリカの核兵器は「《日本のアメリカ》の核兵器」である、と。】一部抜粋


戦後日本の異様な対米従属の「正体」とは? 『国体論』白井聡さんに聞く(2)
【――現在の日本とアメリカの関係において、アメリカは日本をどのように見ているのでしょうか。
白井:アメリカからすれば、日本は限りなくどうでもいい国だというのが本心だと思います。適当にどやしつけておけばそれでいいのでね。ドナルド・トランプと安倍晋三の関係は哀れの極みとも思えるもので、先日アメリカは鉄鋼とアルミの輸入制限措置を決定しましたが、EUや韓国が適用除外される中、日本はその対象となって、これまで安倍政権を支えてきた財界が大騒ぎしている。

――「ゴルフ外交」と言われていましたが、何の意味もなかった。
白井:意味がないどころか、マイナスだったということでしょう。あの時、トランプ大統領は安倍晋三を名指しで批判しましたよね。なぜ名前をあげるのか。私が思ったのは、トランプは「あの件」を忘れていないということです。

――「あの件」というのは?
白井:トランプがヒラリー・クリントンと大統領選で競っていたとき、訪米した安倍晋三はトランプをスキップして、ヒラリーだけに会うということがありました。ところがトランプが大統領に当選したらすぐにアメリカに飛んで行って、面会した。トランプは「(会うことに)積極的ではなかった」と言われていますが、あの時、安倍とは“そういう男だ”と認識したのだと思います。

北朝鮮問題を見ても、完全に省かれています。日本の政府もメディアも、韓国の文在寅政権について「反米スタンスだからお話にならない」という論調で、アメリカから相手にされなくて哀れだという見方をばら撒いていました。しかし、今は完全に韓国がアメリカを引きこんで、外交成果をあげていますよね。哀れなのはどっちだ、と。

■「国家理性」を欠いた日本、その先にあるのは…

――つまり、理性を持ってコミュニケーションができていたというわけですね。
白井:しっかりとしたコミュニケーションだったとまで言えるかどうかは微妙ですが、構造的にはそれなりに理性的なものだったのでしょう。今はそれが壊れてしまいました。

しかし今、安倍政権に対して色んなところから逆風が吹いていますが、その情報の発信源は政府内であったり、官僚であったりという国家の内部ですよね。これはある種、国家理性の働きといえるものなんです。このまま安倍晋三に任せておくとまずいことになる。国家を存続させないといけない。こうした動機から行為する人間が現れることで、国家理性は機能する。

一時代前の世代の政治に関わる人たちは、そうした国家理性の自覚の中にいたのだと思います。どうやって国家を存続させるべきか、できるだけ良い形で存続させるにはどうすべきか。国家理性が機能できるよう貢献するための方法として、右から行く道と左から行く道があった。さまざまなしがらみや偶然のために、どちらかを選ぶことになる。こうして左と右の相対性を理解している人間のあいだでは、いくら対立してもコミュニケーションが成立します。

――となると、今は「理性」ではなく「本能」でやり合っているような状況ですね。右と左でまさに真逆のベクトルに突き進んでいる。
白井:そういうことですよね。こうなってしまうと、自分の敵対者がどういう筋道で物事を考えているのか、まったく理解できないし、理解する気もないということになる。その溝が深くなっていって、理解できない存在である他者に対してどう振る舞うようになるかというと、最後は「殺戮」という発想になる。】一部抜粋