もし浪江・小高原発が出来ていたなら、今ごろ日本はなかった?
先祖の墓を売るな」「子孫の健康を売るな」と、土地を売らなかった農家さんに感謝。
命拾いした東北電力さんも、内心では彼らに感謝しているでしょう。

呪われた原発計画跡地が、水素エネ産地として生まれ変わる。
この新事業に、原発で死に損なった東芝が参加し 国費百億円超が投じられる。

未利用のエネルギーは 其処彼処(そこかしこ)に・・
資源のない日本が目指すべきは "再エネ大国" 中国に遅れるな!
未利用のエネルギーは無尽蔵。目に見えずとも、そこにエネルギーは存在する。
原発事故に学んだ中国は"再エネ"で世界市場をリード、一方学ばない日本は・・

原発という凶器は、地域活性の切り札とはならなかった。
双葉町、原発マネーに溺れて財政危機*原発城下町の悲哀。

他の原発城下町の原発教信者も、洗脳が解ければ「悪い夢を見ていた
と、気付くのだろうが・・
田中元総理と柏崎刈羽原発*原発マネーの功罪。
下着ドロボー?高木大臣の父=元敦賀市長の「原発のすすめ」
原発マネー・公共事業という麻薬を大盤振る舞いしてくれた自民党

 東京新聞より
<原発のない国へ 福島からの風> 新世代 水素エネ産地へ



【二〇二〇年東京五輪・パラリンピックに向けて、福島県で原発ができるはずだった場所が、世界最大級の水素製造工場になる。東北電力が浪江町と南相馬市にまたがる土地に造ろうとしていた「浪江・小高原発」。地元農家の強い反対で計画が先送りされ、東京電力福島第一原発の事故後に中止となった。新世代のエネルギー拠点に住民たちの期待は膨らむ。

◆浪江町「世界に復興アピール」
 「原発が完成していたら地震で何が起きたか分からない。そこが水素の工場になるなんて。東北電さんは命拾いしたよ」。原発建設の反対運動をしていた元農家の男性(71)=福島県いわき市=は皮肉を交えた。

 この土地に原発計画が浮上したのは約五十年前の一九六七年。福島第一の建設と前後し、浪江町に建設特需が及ぶ中、町長や町議会が誘致に動いた。予定地の地主の約百四十世帯の農家は、一斉に反発。「先祖の墓を売るな」「子孫の健康を売るな」。農村のあちこちに看板が立った。

 東北電側は反対派の切り崩しにかかった。盆踊りなどの行事に景品を出し、酒宴を開いた。子が東北電や町役場に就職する世帯が増え、兼業で福島第一で働く人は土地を手放した。

 それでも、土地を売らない農家は残った。東北電は七九年の運転開始を目指したものの、先送りを繰り返し、八四年に女川原発(宮城県)が稼働。九〇年代に反対派の説得にあたった元社員の男性(80)=仙台市=は「電力需要も伸びず、浪江・小高をどうしても造りたいという空気は、なくなっていった」と明かした。

 二〇一一年の東日本大震災で、計画地そばの集落は津波で流された。災害危険区域となり、人は住めない。東北電は一三年、計画を断念。町に用地を無償譲渡し、水素製造工場の建設が決まった。元町民の女性(66)=いわき市=は「原発ができていれば町を潤したかもしれないけど、安全と引き換え。みんなに歓迎される施設ができることはうれしい」と喜んでいる。】一部抜粋