安倍総理の意向を受け「政府が右というを左といえぬ」と言ってはばからない籾井氏
が新会長に就任したNHKだが、

 政府広報に身を落とすことを潔しとしない、良識ある報道人が未だ健在。

 NHKの良心・BS世界のドキュメンタリーシリーズのWHY POVERTY? 世界の貧困~なぜ格差はなくならない~もどうぞ。

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NHKプレミアム - 番組表 - 戦後史証言プロジェクト
【戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第5回「福島・浜通り 原発と 生きた町」
2月8日(土) 23:30~0:59; 2月21日(金) 10:05~11:34
原発事故で今も 多くの人々が避難生活を余儀なくされる福島県の双葉、大熊の両町。】


日本人は何をめざしてきたのか 第5回 福島 浜通り ~原発と生きた町~ (1/2...
 @動画より
NHK・戦後史証言プロジェクト/日本人は何をめざしてきたのか 第5回 「福島・浜通り 原発と生きた町」
【福島県東部の浜通り。
原発事故で、今も多くの人々が避難生活を余儀なくされている。
東京電力福島第一原子力発電所の敷地には、戦前、陸軍の飛行場があり、戦後は塩田が開かれた。現金収入の少ない生活は厳しく、農閑期には多くの人々が出稼ぎに出た。

 福島県は戦前から只見川や猪苗代の水力発電によって電気を東京に送る電力供給地だった。戦後、浜通りの双葉町と大熊町は原発を誘致し、1971年、第一原発の稼働を迎える。

新たな雇用が生まれ、人々は出稼ぎをせずとも暮らせるようになったが、初期の運転トラブルに対する疑問から反対運動も生まれた。国は1974年電源三法を制定し、巨額の交付金を配付。町の財政が潤うなかで反対の声も次第に小さくなっていった。

 しかし、1990年代になると、交付金で建てた公共施設の維持費などで町の財政が悪化。さらなる原発の増設を求めていった。
そして迎えた2011年3月の原発事故—。
浜通りの人々は、今、原発と共に生きてきた戦後をどのように見つめるのか。】

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