vol.1590 辛いことは本当に続かないのか? | 人生を変える「習慣化」ブログ

人生を変える「習慣化」ブログ

習慣化コンサルタント古川が綴る「人生を変える習慣」
人生が変わった!という深い感動を共に味わう
を使命に、日々の気づきを発信しています。

 

習慣化コンサルタントの古川です。

 

 

以前のメルマガで、

 

楽しいことは続く、

辛いことは続かない。

 

 

と書きました。

 

 

でも、こんな意見もあるのではないでしょうか?

 

「ジョギングは走っている最中、苦しさ、辛さが大きいよ」

 

きっとそうですよね。

 

 

楽しいことというと、

どうしても快楽、刹那的な快感をイメージし、

易きに流れるのが習慣、のように思われがち。

 

 

楽しいことは続く、

辛いことは続かない。

 

をもう少し例を用いて解説したいと思います。

 

 

どんな習慣にも苦痛感は存在するでしょう。

 

ジョギングならば、体を限界まで追い込むときは

決して楽ではないし、

私の場合で言えば、座禅を組む50分。

これは足がとてつもないほどに痛い。

 

 

座禅体験に1回来ただけで

90%以上の人がやめていきます。

 

 

お堂は夏は暑いし、何より冬は極寒です。

 

そこに持って来て裸足にならなくてはならず、

凍える寒さ。

 

足は痺れて痛くて仕方がない。

でも動けない。

 

 

さらに警策という棒で背中を叩かれる

のも痛い。(もちろん志願するのですが、情け容赦なし。(笑))

 

 

 

さて、なぜ、こんな痛いし、寒いしの中で、

日曜日の18時−20時の大切な時間に座禅道場に行くかと言えば、

その痛みや辛さを超えた、快感があるからです。

 

 

50分、ふーっと呼吸をして、

静かに座る。

 

深ーい、自分に触れる感じがあり、

ほんの一瞬、世界と一体になったような感覚、

深海の静かな感覚を味わっているときの快感は、

何物にも代えがたいものです。

 

 

だから、

私は坐禅をするのです。

 

 

 

でもこれは人それぞれ合う合わないがあります。

 

 

ジョギングも同じで、

続けている人は、走っている最中の息苦しさを超えた

快感があるから、続けているのだと思います。

 

 

その深い意味や意義、深部で感じる快感は、

表面的な辛さや痛みを超えている。

 

 

 

ちなみに、

 

運動オンチの私も、

空手を始めて、練習についていくために

体力づくりをしています。

 

昔から走る持久走が苦手で、サッカーより野球派でした。

 

今、子供のサッカーの相手を1時間行なっていますが、

5つの意味づけで続いています。

 

1.まず子供が喜ぶ

2.子供とコミュニケーションが取れる

3.運動してコテんと寝てくれると妻が喜ぶ

4.空手の稽古のための体力づくりになる

5.健康貯金ができる

 

こうしてやって見ると、目先の苦しさ、辛さを

楽しさに変えるやり方を模索することが重要ですが、

それを超えた意味や快感があるかどうかも同時に重要です。

 

習慣化のモチベーションとは、

重層的なものと言えます。