習慣化コンサルタントの古川です。
以前のメルマガで、
楽しいことは続く、
辛いことは続かない。
と書きました。
でも、こんな意見もあるのではないでしょうか?
「ジョギングは走っている最中、苦しさ、辛さが大きいよ」
きっとそうですよね。
楽しいことというと、
どうしても快楽、刹那的な快感をイメージし、
易きに流れるのが習慣、のように思われがち。
楽しいことは続く、
辛いことは続かない。
をもう少し例を用いて解説したいと思います。
どんな習慣にも苦痛感は存在するでしょう。
ジョギングならば、体を限界まで追い込むときは
決して楽ではないし、
私の場合で言えば、座禅を組む50分。
これは足がとてつもないほどに痛い。
座禅体験に1回来ただけで
90%以上の人がやめていきます。
お堂は夏は暑いし、何より冬は極寒です。
そこに持って来て裸足にならなくてはならず、
凍える寒さ。
足は痺れて痛くて仕方がない。
でも動けない。
さらに警策という棒で背中を叩かれる
のも痛い。(もちろん志願するのですが、情け容赦なし。(笑))
さて、なぜ、こんな痛いし、寒いしの中で、
日曜日の18時−20時の大切な時間に座禅道場に行くかと言えば、
その痛みや辛さを超えた、快感があるからです。
50分、ふーっと呼吸をして、
静かに座る。
深ーい、自分に触れる感じがあり、
ほんの一瞬、世界と一体になったような感覚、
深海の静かな感覚を味わっているときの快感は、
何物にも代えがたいものです。
だから、
私は坐禅をするのです。
でもこれは人それぞれ合う合わないがあります。
ジョギングも同じで、
続けている人は、走っている最中の息苦しさを超えた
快感があるから、続けているのだと思います。
その深い意味や意義、深部で感じる快感は、
表面的な辛さや痛みを超えている。
ちなみに、
運動オンチの私も、
空手を始めて、練習についていくために
体力づくりをしています。
昔から走る持久走が苦手で、サッカーより野球派でした。
今、子供のサッカーの相手を1時間行なっていますが、
5つの意味づけで続いています。
1.まず子供が喜ぶ
2.子供とコミュニケーションが取れる
3.運動してコテんと寝てくれると妻が喜ぶ
4.空手の稽古のための体力づくりになる
5.健康貯金ができる
こうしてやって見ると、目先の苦しさ、辛さを
楽しさに変えるやり方を模索することが重要ですが、
それを超えた意味や快感があるかどうかも同時に重要です。
習慣化のモチベーションとは、
重層的なものと言えます。