vol.1549 自分って何だろう?「自己段階説」 | 人生を変える「習慣化」ブログ

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習慣化コンサルタントの古川です。

 

「古川さん、本当の自分って何なのかわからないですよね」

 

セミナーで質問を受けた内容でした。

 

 

確かに、自分というものは定義が難しい。

自分が知っている自分なのか、

他人が知っている自分なのか、

まだ見ぬ自分が自分なのか、

 

考え始めるとキリがありません。

禅でも「主人公」という自己の概念が出てきますが、

本当の自分と思ったものは、それは自分ではない。

 

というまさに禅問答のような問いがあります。

そうやって、玉ねぎの皮をむいてむいて

シンプルにした末にある自分が何であるかを

追求していくことなのかもしれません。

 

 

ただ、禅的な自己概念ではなく、

少し私なりに自分というものを説明するならば、

 

自分を家に置き換えてみましょう。

それぞれの階にいる自分が違うという発想です。

 

 

 

1階のリビング。

家で言っても、外の人を招き入れる社交の場です。

より綺麗にしておく必要があるし、カッコよく見せたい。

 

自分で例えるならば、

人に見せれる自分です。

 

会社やプライベートでも社交の場でオープンに見せている

自分がいると思います。

 

 

さて、リビングを後にして2階に行くとソファーがある

プライベート空間。

ここは、親しい人だけを通す場所です。

 

友人など気心が知れた気の置けない仲間に見せている自分です。

これも自分ですよね。 

 

 

3階に行くと、寝室です。寝室は紛れもなく家族だけがいる空間。

つまり、家族にだけ見せている自分です。

 

だらしがない部分も、恥ずかしい部分も、含めて

より解放した自分がそこにいるのではないでしょうか。

 

 

最上階、

4階は自分だけの完全プライベート空間です。

ここでは他人には見せない、家族にさえ見せない

ごくごくプライベートな自分。

誰でもそんな自分がいますよね。

何でも見せているようでも、トイレは一緒にしないし。(笑)

いずれにしても他人に見せない、もしくは見せられない自分です。

 

 

そして、最後は地下室。

ここは、自分も見たくない自分がいます。

深い部分で否定している自分、そんな自分では愛されないと

思って隠している自分です。

隠しているという自覚さえない。地下室に閉じ込めて無視している

自分です。

我々が誰か、とてつもなく見ているだけで

嫌気がさす、生理的に嫌い、激しい自己嫌悪になるとき、

地下室の自分を反映した人だったり、その声が聞こえて来る

ようなものです。

嫉妬・憎悪・自己嫌悪、これらが多いほど

地下室に隠した自分が悲鳴をあげている。

 

 

この地下室の自分がなくなることはありませんが、

そこで呻いている自分を解放してあげることが

ある意味心理的解放であり、自分らしさを生きることでもあります。

 

 

 

以上が、私なりの「自分段階説」です。

 

こう考えると、全部自分ですよね。

ただ、地下室から上にあげて解放し、そして徐々に人にオープンに

していく。

最後はリビングで人に見せられるようになってくると

もっともっと楽になっていく。

 

引きこもる自分、隠す自分を少なくすることが

等身大の自分で生きることに

繋がっていくのではないかなと感じています。

当然、それは我が身を見てもです・・(笑)