習慣化コンサルタントの古川です。
先日ニュースで、
聖路加病院の名誉医院長
日野原重明先生が105歳でお亡くなった
訃報が流れました。
世の中の声は、
”憧れ”と”敬意”に満ちています。
105歳まで現役医師として、
生涯現役。
そこまで情熱を仕事に情熱を傾ける生き方、
そして、最後の命が尽きるまで他者に貢献しようという姿勢、
そして、何より「生きがいを持って元気で長生き」
これを体現されていたのが、
日野原重明先生だと思います。
私が逆境を乗り越える人の考え方の特徴を
研究していた時、日野原先生のご著書を読ませていただきました。
日野原先生は、
よど号ハイジャック事件に巻き込まれるなど
壮絶な人生を歩まれてきました。
また長く生きることには、
多くの人の死と直面するという苦しい一面もあります。
そんな日野原先生のストレスから抜け出す
思考習慣を
拙著、
マイナス思考からすぐに抜け出す9つの習慣(ディスカヴァー)
40.嵐は必ず過ぎ去ると心に刻む
から引用して紹介したいと思います。
日野原先生は戦争も経験し、さまざまな苦難を乗り越えてこられました。
20歳の頃、結核性肋膜炎にかかりました。
結核は当時は死の病と言われる病気。39度の熱が8か月も続き、
トイレにも行けないほどの重症が続きました。
さすがにこれは「もうダメかな」と思った9か月目に熱が下がりはじめ、
治ったそうです。
次の苦難は1970年、3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」。
なんとその飛行機に日野原先生は搭乗されていたのでした。
ダイナマイトを抱えて北朝鮮へ亡命を求める日本赤軍メンバーと
日本政府との交渉は膠着状態が続き、人質として旅客機に
長い間閉じ込められました。
いのちを奪われるかもしれない不安、いつ解放されるのか先が見えない焦りで、
生きた心地がしなかったそうです。
結局、4日間も幽閉が続き、最終的には韓国の金浦空港で解放されたのでした。
こうした人生をたどってこられた日野原先生のストレス対処法は
「静かに耐えて待つ」
ことだそうです。
日野原先生の著書『いのちの絆』(ダイヤモンド社)
で次のように表現されています。
耐えて待つ、ということは容易なことではありません。
そんなとき、私は笹の葉を連想します。
冬、雪が積もると、笹の葉は雪の重みでだんだんと撓んできます。
その状態で、笹の葉はじっと春を待ちますが、
そのうちに暖かい陽射しが照るようになると雪が解け、
葉は自然に元の状態に戻ります。
笹のように、人の心も時間が経てば、自然と戻るものです。
ストレスを抱えたときには笹の葉を思うと、
〈笹のように、時間が経てば私も元に戻れる〉
と前向きな気持ちになれるわけです
「静かに耐えて待つ、笹のように雪解けを待つ」
実に知恵に満ちた言葉であり、真理を突いている言葉ですね。
私も常日頃、この言葉を胸に留めて言い聞かせています。
日野原先生のご冥福をお祈りします。