習慣化コンサルタントの古川です。
先日、東京大学の学生がスタジオに来て、
東大生で得すること、損すること
をトークしていました。
明石家さんまが司会の面白い番組でした。
東大生の悩みは、
高校生の時は成績トップで優越感を感じていたのに
東大に入ると上には上がいると落ち込む。
というものでした。
初めて知ったのですが、
東大では、2年生までは教養学部に所属して、
そこから、
(文科一類、二類、三類、理科一類、二類、三類)
その後、成績を振り分けられて
法学部、医学部、理学部、経済学部、文学部・・・
に進めるそうです。
だから、最初の2年も相当勉強しないと、
希望学部に進めないというのです。
東大の中に成績競争があって、
落ち武者のような気持ちになって
自信をなくしていくのです。
東大という日本最高の大学に入っても、
新しいコミュニティーで比較をすると
「自分は頭が悪い」と思うそうです。
一般世界では圧倒的に
頭はいいのに!です。
このように他人との比較で
「差」を見て優越感を得ていると「差」を見て絶望する
という反転が起きてきます。
ある調査で、
オリンピック選手で最も幸福度が低いのは、
実は銀メダリストだと言います。
銀メダリストは、金メダリストと比較すると
あと一歩だったのにと悔やむ。
銅メダリストは、メダルが取れなかった人と比較を
するので「取れてよかった」と感じるのです。
どちらにしても「差」ですね。
一番清々しい顔をしているのは、
メダルは取れなかったけど「自己ベストを更新した人」
だといいます。
スポーツや学業で「差」を見て何が悪いと
言われそうですし、それはいいと思います。
ただし、自分の人生において
「差」を見て満足を得ていると「差」を見て失望します。
たとえば、
周りより成功して、
「年収1000万円を得たい!」
そうなれば、ハッピーになれる!
という人がいたとします。
ステージが上がる感じがありそうですね。
しかし、実際実現すると、何が起きるでしょうか?
年収2000万円、3000万円の人が周りに出てきます。
彼らは大きな家に住み、高級車に乗り、
子供はアメリカンスクールに通っていたりする
そして、彼らの生活を見て、
あー、自分は大したことがないなと失望するわけです。
会社の売り上げも同じです。
年商10億円!が目標の会社の社長も、
10億円が達成したら、100億円の社長との付き合いが
できて、「小っぽけな会社だなー」と思うのです。
ここで言いたいのは、
「上を見たらきりがないので、今で満足しましょう」
ということではありません。
残念ながら、差を見ないことが解決策にはなりません。
その状態のままだと、結局人に嫉妬することになります。
そうではなくて、
「自分のオリジナルな価値を認識すること」
が大切です。
現状に甘んじるということではありません。
すでに、価値がある存在で、
今、社会に存在することにとても意味と意義がある
オリジナルで欠かせない存在だと認識すること。
うまく伝わるかわかりませんが、
たんぽぽは自然の中で、
小さい姿でも「あるがまま」を許可されています。
自然にはそのまま存在していいという
許可があるのです。
だから「たんぽぽ」は「ひまわり」を見て、
もっと大きくならなきゃ!と思う必要はない。
すでにたんぽぽのままでいいのです。
私たちは、
自分をそのまま存在していい
価値ある存在であること
に気づくこと。
ここに気づけると、
差をつけて、自己の存在意義をつくる必要はなくなります。
では、向上心がなくなり、何も努力しなくなるのか?
というとそうではありません。
「そこからスタートする」だけです。
「その種を自然に大きく」していくのです。
この世界には「差」ではなく
「オジリナルな自分を伸ばす」
という自然な成長があります。
「差」をつくって満足する状態は、
「自分はダメだ」という認識があり、
その空虚感を埋めようと「差」をつくります。
競争に勝つ!に燃えます。
しかし、差をつくって、差をつくっても
冒頭の東大生や年収・年商と同じで、
どんどん失望の「差」も見ることになります。
このゲームから抜けられなくなる。
人生がずっとこのままで、
本当に豊かになれるでしょうか?
嫉妬と優越感をメトロノームのように
右へ左へ振っていくだけになります。
槇原敬之さんの
「世界に一つだけの花」
の歌詞をぜひ見てみてください。
この境地に立つには、
ビリーフを解消したり、
自分で自分を承認する!というフェーズが必要ですが、
それは私の書籍「なぜ、あなたは変われないのか?」
を参考にしてください。
感情日記をつけて、ビリーフを変えていくと
どんどんあるがままの自分の存在を認められるようになります。