存在そのもの(Oneness)の自分をつくる | 人生を変える「習慣化」ブログ

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習慣化コンサルタント古川が綴る「人生を変える習慣」
人生が変わった!という深い感動を共に味わう
を使命に、日々の気づきを発信しています。



習慣化コンサルタントの古川です。


昨日、9つの思考習慣のセミナーを
行いました。


9つの思考習慣のうち、
等身大の自分を受け入れるというワークを
午前中いっぱいかけて行いました。


ちょっと、難しいというか
スピリチュアル的に聞こえる想像性で理解していただく
内容なので、読み飛ばして頂いても結構です。
少し長めです。


あるがままの自分を受け入れるといっても、
自分の中には、複数のパートがあります。


情熱的なパート、冷静なパート、優しさパート、厳しさパート
嫉妬深さパート、冷酷さポート、怒りパート、創造的パート
遊び心パート、孤独さハート


普段意識することなく、自分というセルフイメージを持っていますが、
無数にあるパートとともに存在していることはありません。


自分が承認しているパートと、
自分が否定しているパートの両方があります。


否定しているパートの中には、
自分と否定して遠ざけているだけではなく、
完全に隠し子のように認知していない、表に出て来ない
ように必死に見ないようにしているパートがあります。


人それぞれ違いますが、
残酷さ、意地悪さ、平凡さ、無能さ、孤独さ

とその人が言葉にするのがはばかられるような
パートたちです。


さて、通常それらのパートをどうするでしょうか?

これらの影のパートは見ないようにして、
光の行動をとる事で、何とか中和しようと頑張ります。


残酷さのパートが騒いでくることきには、
温かみのある人間だと思われるように人と接する。

意地悪さが出てくるときには、
親切な行動をたくさんすることで中和します。


影のパートを光の行動で中和する


これが間違っているわけではありません。
それをモチベーションと呼んだり、
人間を磨くと呼ぶ人もいます。



しかし、影のパートを埋めるための光に行動は、
どこか恐怖や不安・強迫観念から行っていることが多いのです。


さらにタチが悪いのは、影のパートを体現する人が目の前に出てくると
激しい怒りを持つこと。


この激しい怒りが人間関係で自分が苦手な相手ということになります。


部下に出てきたり、上司となって出てきたり。



さて、これは性格なのでしょうか?


そうではありません。



自分が過去、自分にとって不都合だと解釈して否定した自分のパートです。
これを持っていると、まわりから愛されないと思って、
秘密にしてきた自分。
隠してきた自分。


この影の自分の影響を受けないようにするためには、
光で中和する行動をとり続けることではありません。


むしろ、光に行動をたくさん取れば取るほど、
影のパートはより否定されて、影を強めることになります。


光が強くなれば、影はより強くなる。




だから影のパートを、
自分の存在そのもの、ONENESSに歓迎して
認知してあげることが重要なのです。


でも影のパートをどうやって招き入れるのか?
見たくないパートを受け入れるなんて本当にできるのか?


これが統合のワークでやったことです。


簡単に説明すると、
影となるパートは、自分にとって肯定的な意味やメッセージを
持っています。


それは、つながりを持つとか、勇気を持つ、合理的な判断を持つ
などあなたに必要なことを伝えてくれるパートだということを
知ることです。


たとえば、冷酷さとラベルを貼ったパートは、
「冷静な判断する」という肯定的な意図を持っています。


この意図そのものは承認できるものです。

そして、この否定しているパートと肯定的意図の両方を
感じるとき初めて、自分の表舞台の存在ONENESSに導き入れ
共にいることができるようになります。


消えて無くなるわけじゃない。


「あー、これも自分なんだなー」
「ただ、存在する、あってもいい」

という感覚が持てるようになったら、
光と影がなくなって存在として受け入れたことになります。


これは理性的に行うというより、
イメージや身体感覚的にやらないとうまく行きません。


でもこれができると、とっても駆り立てられるような
不安や自己嫌悪感がなくなっていきます。


頑張って成功体験を積む事とは全く違う解決策です。
というのも、成功体験は光の行動であって増やせば増やすほど
影は大きくなるからです。


昨日のワーク後なので、ちょっと熱く書いてみました。