習慣化コンサルタントの古川です。
最近、やけに気になる言葉がこれ。
「賢明であるということは、
何に目をつぶるべきかを知ることである」
思想家、ウィリアム・ジェームス
杉村太郎氏がテレビで夫の直らないクセについて不満を
言っていることに対して、
こんなことを言っていました。
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私は冷蔵庫の中のモノの置き方が雑然となっていると
気になる。妻はランダムに置く。
1度は、並べようねという。それでも変わらない。
2度目、3度目は強く並べてよ!と怒る。
それでも4度目直っていなければ、
それは仕方ないと目をつぶるのが夫婦生活ですよ。
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杉村さんのイメージはそれぞれですが、
まさにその通りですね。
自分の思い通りならないと、気に入らないと
言い続けていれば、誰とも関係はうまくいかない。
「何に目をつぶるべきかを知る」
ここに込められる意味はとても深い。
人間関係についても、
自分自身についても、
人生についても、
仕事についても、
目標についても。
成功哲学の生みの親である、
ナポレオンヒル。
彼の成功哲学の中には、夢や目標の代償を決めるという
考え方があります。
「独立起業するなら、家族との時間がなくなる、安定給与がなくなる
全て雑事も一人でこなさなければいけない」
これは目をつぶることの1つだと思います。
自分自身についても、
自分の性格で、
内向的だ、人と外交的に接することができない、
人見知りだ、決めてもなかなかやれない
ということに悩んでいるとします。
でも、それを受け入れて、そこからスタートする。
そんな自分からスタートする。
このように等身大の自分を受け入れるとき、
目をつぶるという受容が必要だと思います。
目をつぶるというと、
響きが諦める、妥協するかのようで
損した気分になりますが、そうではなく、
もっと愛情があり、包容するような目のつぶり方を意味していると思います。
「賢明であるということは、
何に目をつぶるべきかを知ることである」
思想家、ウィリアム・ジェームス