子供達にとって楽しい練習と楽しくない練習。


子供によってそれは様々でしょうが一般的に子供が嫌がる練習メニューは、ランニング・ダッシュ系、体操・ストレッチ系、素振りなどでしょうか。

反対に好きなのが紅白戦などゲーム感覚でできる練習ですね。

以前、「試合が練習だ」と言い切る監督さんがおられましたが、成る程ある部分ではそうかもしれませんが私はやはり、公式戦や練習試合だけでなくチーム内での紅白戦にしても、練習試合や紅白戦というものはそれまでの練習の成果を試す機会の場である、と捉えています。

私は昔から紅白戦嫌いで有名(笑)でしたから、2ヶ月か3ヶ月に1度やればいいほうでした。


普段満足に素振りもせずに打席に立ってもなんの意味もありません。

反対にバッティングフォームがバラバラな形になる原因にもなるでしょう。何の準備もせずに試合やフリー打撃に臨むと大概が振り遅れ、上体の突っ込み、手打ちになってしまいミートどころかバットにボールを当てることすらやっとの状態になってしまいがちです。

普段素振りもしていない選手に実戦形式の打席に立たすことは、カラオケに行って一度も聴いたことの無い歌を歌詞カードだけ渡して、さあ歌え、と言っているのに等しいでしょう(笑)。どうなるか? 1万回歌っても上手くなる道理などないわけです。メロディを知らないんですから。でも野球だとまぐれ当たりがたまにあるから勘違いしてしまうんですね(笑)。


普段、少しでも素振りしているかいないかはスイングを見ればすぐにわかります(笑)。

体に切れがなくヘッドスピードが遅い。力強いフォローがとれず最後に下半身がぐらつきます。



ロジャースJr

 のみなさんは普段家で素振りしてますか?(笑)



武田監督は、たとえ少しでも家で素振りをしてくれてるだろうと、みんなを信用して練習試合を組んでくれたり紅白戦をやってくれたりしているんです。


世界のホームラン王、現ソフトバンク監督の王さんはあれだけのバッターでありながら毎晩自宅や宿舎での素振りを欠かしませんでした。旅館の畳がステップの場所だけ擦り切れてしまったほどです。彼に限らず、野球選手で普段素振りをしない人など聞いたことがありません。

金本選手も鳥谷選手も新井選手も赤星選手もみんなそうです。


何も毎日200回も300回もやれ、と言っているのではありません。たとえ30回でも50回でも、自分のフォームをチェックしながら真剣に振ってみるだけでも成果は大きく出るでしょう。

逆に素振りを疎かにしていると今までは打てていた人もだんだんと打てなくなって来ますね。


私がコーチになって初めての練習でみんなに聞きました。


「野球好きか?」

「試合をやりたいか?」

「試合したら勝ちたいか?」

「絶対勝ちたいか?」

「ほな勝つ為に練習一所懸命がんばるか?」


すべての質問に「はい」と答えたはずです。



努力は決して裏切りません。

そして、チャンスは準備(努力)した者にしか来ませんよ。








子どもたちへ

まず、野球でもほかのスポーツでも、そのスポーツを好きになって、何をするにも一生懸命やることが大切です。うまくなりたいと思ったら、普段の練習だけじゃなく、人が見ていないところでの努力も必要だと思います。また、上手か下手かではなく、スポーツをしている人間としてしっかりしているな、と周りから思われる子どもになってほしいですね。


中日ドラゴンズ 立浪和義







さあ!

自分がホームラン打ったのを想像しながら

今からバット持って5分だけでもやってみよう!





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小久保裕紀選手


「プロになれると信じていた」                     

●厳しかった小・中学校の練習

私の出身地、和歌山は非常に少年野球が盛んだったので、私は小学校入学と同時に、自然と野球チームに入りました。練習が楽しかったというよりも、監督が怖かった記憶があり、しつけや礼儀に関することは、ここでしっかりと教えられました。

中学校の野球部でも、「泣く子も黙る」と言われていた、怖い鬼監督に、よく殴られたり、目の前からノックを打たれたりしながら指導を受けました。私はキャプテンだったため、みんなを代表してよく怒られたものでした。

練習内容は、フリーバッティングなどの打つ練習よりも、腹筋やスクワットばかりで、夏休みの長時間にわたる練習は非常にきついものでした。しんどいなどの理由により、十八人いた部員は次々に辞め、二年で五人になり、最後は二人しか残りませんでした。

しかし、この厳しい練習によって、私は中学時代に野球の基礎を固めることができました。そのおかげで高校、大学、そしてプロになって練習方法を強制されることがなくなっても、自分でメニューを考えながら、技術を伸ばしていくことができました。

●指導者は一番の理解者

私は指導者に恵まれていたと思います。小・中学校の監督は怒りながらも、いつも的確なアドバイスをしてくれました。こうしたら良くなるということは、いつもプレーを見ている監督が一番知っています。監督はタイミングを見ながら、必要なことを私に伝えてくれました。だからこそ、私は野球の技術だけでなく、自信もつけることができたのだと思います。ちなみに、今の私のバッティングは中学の監督に教えてもらった理論に基づいています。

また、監督は節目節目において、たまにほめてくれました。普段は怖い監督に、あるとき「やっと、そのひじの使い方できたか」と言われたことが、心底うれしかったのを今でもよく覚えています。

●プロになることを疑わなかった

私は小学二年の時から、プロ野球選手に「なれるものだ」と思っていました。周りの人に「そんなに甘くない」と言われましたが、「なれないかもしれない」と考えたことは一度もありませんでした。
もちろん、練習は人一倍やったと思います。小・中学校の間、毎日朝のランニングやバッティングなど、自分で決めた練習メニューを継続して行いました。

強く夢を持っていれば、そのことに対して足を引っ張るものは何もありません。プロを目指す子どもたちには、とにかく自分を信じて欲しいと思います。努力さえしていれば、誰にでも可能性はあるのですから。

●最近気になっていること

私たちの世代は「野球をやっていればまず間違った方向に行くことはない」とさえ言われるほど、監督によってしつけや礼儀をしっかり教えられました。

私はオフの日に、よく少年野球チームを訪れるのですが「お願いします」「ありがとうございました」などのあいさつができなかったり、話をしても反応がにぶい子どもが多く、正直言って嫌な気分になることがあります。また、それに対して怒る大人がいないことも疑問です。最近は、指導者がどこか子どもや子どもの親の顔色をうかがっているような印象を受けることがあります。子どもがチームをぬけてしまうと、人数が足りなくなって困るから、などの事情もあるそうですが、明らかに間違っていることすら怒らないようでは、子どもがチームに入っている意味がないように思います。指導者は、その子の今後の人生にとってマイナスになることについては、親の前であっても怒ってやるべきなのではないでしょうか。

また最近は、自分の子どもが他人から叱られることを受け入れられない親が多いようです。私の母親は、少年時代に私が監督に殴られている姿を見て、陰で泣いていたようですが、一度息子を預けた以上、一切口をはさまないように決めていたそうです。殴ることが良いとは言えませんが、親の方にも我慢は必要なのではないかと思います。

●子どもに根気強く接してほしい

小学生を教える指導者は、非常に根気が必要です。中学生や高校生だと十回やればそこそこ形になることでも、小学生では、百回やってもなかなかできるようにならないものだからです。仕事もあって大変だと思いますが、ぜひ引き受けた以上は子どもたちのためにがんばってください。
私自身は、まだまだ筋力アップをしっかりやって、いつでもみなさんに最高のパフォーマンスを届けられるようにしようと思っています。そして、できれば四〇歳になっても現役でいたいと思います。

三省堂 スポーツJUST「素顔のプロ野球選手」から







松井秀喜選手


「いつも夢を持ち続ける」                        

●はじめは三角ベースから

私と野球との出会いは、四歳くらいであったと思います。父と兄とがキャッチボールをしているところに仲間入りし、ボールを投げたり、バットを振ったりしていたという、よくあるきっかけです。でも、野球だけということではありませんでした。私の育ったのは自然豊かな北陸の地です。私は、兄とともに陽が落ちるまでいろいろな遊びをしていたものです。それらが、筋肉や足腰を鍛えたということがあるように思います。スポーツは遊びからということの一つの典型例でしょう。

やがて兄たちが三角ベースをはじめると、ときどき仲間に入れてもらい、幼稚園児でも小学生と変わりなくプレイしていました。小学校一年生のとき、兄から左打ちにしてみたらと言われました。右投左打ちという私の原型は、その当時の三角ベースから生まれたのです。

●野球への道

小学校四年生で、身長1m60㎝、体重約60㎏という恵まれた体格であった私は、父のすすめで柔道をはじめました。たまたまどんどん力がつき、いろいろな大会で優勝したりすることができるようになりました。中学生になるまでは、野球と柔道のほかにもさまざまなスポーツ種目もおおいに楽しんだものです。

小学校六年生のとき、進学予定の根上中学校には、野球部はありましたが柔道部はなく、柔道の関係者からは、越境入学もすすめられました。そんなこともあって、私はメンバーになっていた「根上少年野球クラブ(スポーツ少年団)」で、野球に熱中するようになりました。スポーツ少年団との出会いが、プロ野球界へと続く扉を開いてくれたとも言えます。当時の指導者(監督)は南敏幸先生。クラブでのポジションはライトでした。

●根上中学での高桑コーチとの出会い

根上中学に進学し、野球部に入りました。ここで高桑充裕先生と出会うことになります。高桑先生の指導のもと、走りこみによる下半身鍛錬と徹底したフリーバッティングが連日繰り返されました。使っている軟式ボールがつぎつぎに壊れる(破れる)という「伝説」も生まれました。そうして、エース・四番松井という重責が課せられたのです。

●中学時代も「敬遠事件」 コーチに平手打ちされる

中学校三年生の地区大会のときです。チャンスの打席で敬遠されたことがありました。バットを投げ捨て、相手投手をにらみつけ一塁ベースに向かおうとしたときです。高桑先生が、ベンチから飛び出してきました。何が起こるのかと思ったらいきなり平手打ちをされたのです。バットを投げ捨てる行為、敬遠も作戦でありルールに則っているのに、ふてくされて、相手投手をにらみつける行為をいさめられたのでした。その数年後、私は、甲子園で、あの当時話題になった連続敬遠を経験します。このときのことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

一方、敬遠については、別のエピソードもあります。山形国体での対尽誠学園戦のときのことでした。このときは、最後の最後で相手投手が勝負に出てきてくれたのです。私は、ジャストミートしホームランを打つことができました。三塁ベースをまわったところで、私は、尽誠学園ベンチに向かって一礼しました。敬遠で逃げることなく勝負してくれたことに対し、とても感激し、感謝の意を現したかったのです。

★松井選手からのメッセージ

―いつも夢を持って努力を続けたい―

自分の経験から、指導者の方々に参考にしていただければと思うことがあります。それは、子どもたちが、いつも夢を持ち続け、その夢に向かって努力を続けることをスポーツ活動の中から学ぶ指導を、お願いしたいということです。 私の場合、野球を続けたいと思ったとき、根上少年野球クラブというスポーツ少年団と出会うことができました。なにか目標となる夢を持っていれば、必ず道が開けてくるのではないでしょうか。

三省堂 スポーツJUST「素顔のプロ野球選手」から






立浪和義選手



「苦労が喜びにつながる」

●礼儀作法にも厳しかった

野球を本格的に始めたのは小学校の四年生です。それまではソフトボールをやっていました。私が小さい頃は、スポーツといえば野球という感じでしたね。

「茨木ナニワ・ボーイズ」という少年野球チームに兄が入っていたので、私もそのチームに入ってやってみたいなと思ったのがきっかけです。とにかく楽しくやってました。結構強いチームで、野球はもちろん、礼儀も厳しく指導されました。指導者の方は野球を通じて、社会に出ても通用するような人間に育てるという意識を持って指導してくれていました。 中学校のときの監督は小学校のときの監督以上に厳しくて、ヘルメットをまたいで歩いただけで怒られたり殴られたりしました。

練習は学校が終わってからですから、グラウンドでできる練習は限られています。それでもうまくなりたいと思って、家で素振りやランニングをしていました。 野球は好きでしたから、もちろん練習は楽しかったです。それでもつらいことはありました。小学校・中学校の頃は遊びたい盛りですし、しんどいときもありましたけど、ただ野球が好きだから続けられたという感じですね。

その頃はプロ野球選手や甲子園にあこがれていましたが、夢の夢だったので、プロ野球選手になろうとはまったく考えてませんでした。プロを考え始めたのは高校三年生の頃です。甲子園に出て、自分がドラフトで指名されるかもしれないと話題になったりして、意識するようになりました。

●チームのキャプテンになって

高校はPL学園に入りました。全国的にも有名で強い学校ですし、やはり強いものにはあこがれます。たまたま誘いもありましたし、自分の力を試してみたいという思いもあったのです。 高校の監督は人間的にすごく尊敬できる人でした。高校でも野球の技術だけでなく、礼儀などの大切さを教わりました。

また、自分にリーダーシップがあったとは思いませんが、キャプテンをやらせてもらったことはいい経験になりました。それまでは自分勝手にやってましたけれども、キャプテンになったら自分のことばかりだけでなく、ある程度周りも見えていないといけません。自分なりには周りに気を配ってきたつもりです。そういう意味でも、いい勉強をさせてもらったと思っています。

少年野球と高校野球を比べて、特に野球の違いは感じませんでした。しかし、高校ではただ楽しいという意識だけでは成長できなかったと思います。上下関係も厳しかったし、冬の練習は寒くてつらかったですね。寮生活で息を抜くところがなかったのもつらかった。ただ楽しくやるだけ、というわけにもいかなかったのです。
ただ、いろいろな苦労やしんどい思いをしてきた経験や、チーム一丸となって勝ちに向かって戦っていったことが、高校三年生のときに甲子園で春夏連覇できた喜びにつながっていると思います。

●ある程度の緊張感も必要

私が指導者になったら、野球はもちろん、野球を通じて礼儀作法をしっかり教えたいですね。

指導の際の暴力が問題になったりしますが、厳しさは必要だと思うのです。ただ、矛盾したことで怒ったり殴ったりするのは絶対反対です。子どもが納得するように指導しなければいけない。

うまくなるためにはのびのび楽しくという面だけでなく、ある程度の緊張感を持ってやることも必要です。練習中に元気がないときなどは怒られて当然でしょう。楽しいことが一番大切ですけど、もう少し厳しくてもいいのではないでしょうか。いやなことがあったらすぐ辞めてしまったりする子どももいますが、子どもたちには我慢するということを覚えてほしいですね。

私たちが子どもの頃、野球教室にプロ野球選手が来てくれるとすごくうれしかったことを覚えています。今の子どもたちもうれしいんだと思いますが、敬語をちゃんとしゃべれない子どもが多いように感じます。私たちの頃はもっとしっかりしていたのではないでしょうか。

●子どもたちへ

まず、野球でもほかのスポーツでも、そのスポーツを好きになって、何をするにも一生懸命やることが大切です。うまくなりたいと思ったら、普段の練習だけじゃなく、人が見ていないところでの努力も必要だと思います。また、上手か下手かではなく、スポーツをしている人間としてしっかりしているな、と周りから思われる子どもになってほしいですね。

三省堂 スポーツJUST「素顔のプロ野球選手」から









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4月6日の練習・・・


下級生主体のチームとの紅白戦・・・


これでもかァ~! のミス連発・・・


ボロ負け・・・


頭を抱える私・・・


この日の収穫は今何をすべきかがハッキリしたこと(笑)。


フォーメーション主体より、「捕る投げる」の集中ノック!


反復練習あるのみ!





H20・4・06練習

>>スライドショーで見る














ベーランは上手。








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どこのチームでも、練習でよく山ボールで遠投をしている光景を見ます。
あの練習が何のための練習か、いまだに私はわかりません。
実戦であの投げ方を推奨する場面も思い当たりませんし、トレーニングの一環だとしてもどういう目的なのかが私には解らない訳です。
遠投で肩は鍛えられませんし、ピッチャーのフォーム作りなのでしょうか?
それにしてはチーム全員でやっていることが多いですね。
子供たちは遠くに投げようとするとどうしても砲丸投げのように顔が上を向いて肘が下がってしまう傾向があるので、私の場合、下図の下の絵のようにできるだけライナーのようなボールを投げるよう指導します。







特に学童のうちは肘ができるだけ下がらないように、高いところから低いところへ投げるイメージを持たせたほうがいいと思います。
メンコエクササイズの要領ですね。




でも、山ボールの遠投練習をしているチームがあまりにも多いため、最近自分が無知なのかと私も不安になってきました(笑)。どなたかこの練習の効果をご存知の方がおられましたら教えて下さい。
私は肘の故障の原因にもなりそうな山ボールの遠投練習はしない方がいいと思いますがいかがでしょう?


一番距離のある外野から内野への返球でも、自分の頭より少し高いくらいで山ボールを投げているのは見たことありませんし……↓














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