階層というもの
社会階層というものは存在する。間違いなく。
階層(階級とは違う)という言葉に違和感、あるいは嫌悪感を感じる人も少なくないと思う。
以前に大学の講義中、先生が社会階層という言葉を用いた時、「今の日本にそんな意識があるなんて思えないんですけど」と言い寄った人もいた。
別にその人が左翼だとかそんな話じゃない。
階層なんて存在しないというのは、日本をなんとなくとりまく空気みたいな意識だ。
誰も見ようとしていないだけかもしれない。
例えば家庭教師をした時、中学の同級生と話した時、偉そうな人に会った時、この人達は自分と全く違う世界に生きているなあと思う。
そしてその感覚は階層という概念を用いて説明される。
本当にいろんな人がいる。いろんな考えがある。
政治が腐っていても仕方ない のだ。
自信と過信の境界線
これは非常に難しい問題だ。
自信のない人間は小さく見える。
過信している人間は滑稽に、あるいは出しゃばりに見える。
自信があるように見えるか過信しているように見えるかは、その場の構成員によって相対的に変わっていくわけだけど、いろんな人と接していると自分の位置が定まらない。
自信をつけるにはそれなりの実績を積まなければいけない。
俺の場合特にそれに時間がかかる。
「かましたはったりを見透かされた時」これは俺が人生の中で最も嫌いな瞬間かもしれない。
僕の生きる道
自分の進む道が正しいかは自分が決めるんだろうけど、その自分は当然周りの声に左右される。
その声を全部無視して、思うがままに進むことが必ずしも強い意志というわけではないと思う。
結局バランスが大事だとかいう話になると、思考がそこで停止してしまうのでなるべく避けたいけど。