21.11.03 来島城[村上の姓を捨てた来島氏の本拠]その4 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

来島城 レポに第4弾です。

 

 

その3のレポ

 

 

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見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル

現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ

跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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来島の最高点にやってきました。

ここが来島城の 本丸 となります。

 

 下草がやや茫々。

 

 

 

私は滅多に載せないモノを載せてみます。

標柱です。

基本、本文の中で説明を入れていますので、画として載せる事はないのですが

今回は特別(上から目線だなぁ~)に本丸の標柱を。

ちなみに、初回、訪れた際は、ありませんでしたが、クルーズで上陸した際には

立っていました(別に必要ではない情報です)。

 

 位置確認の為に、画像は収めてますが、載せないだけです。

 

 

 

この標柱あたりから、本丸の南側を見ると、ドでかい鉄塔が立っています。

何の鉄塔かは…知りません。

 

 これを見る、細長い曲輪だと判ります。

 

 

 

木々がかなり元気で生い茂っており、眺望があまり効かなかったのですが

隙間から何とか見えました。

こちらは、何度か訪れている『小島』です。

渡船はここにも行ってくれるのですが、この島には日露戦争前に築かれた

芸予要塞があります。

ちなみにこちらは芸予の『予(伊予)』の方でして、『芸(安芸)』は

現在、『うさぎの島』として有名な『大久野島』にあったそうです。

ちなみに、眼下に見える海の潮流が激しいのが判りますでしょうか。

こういう潮流の日を狙って、この島に上陸したのですが、何故かはというと

読んで頂くと判ると思います。

 

 灯台の辺りから白波が立っています。

 

 

 

反対を見ると、来島海峡を渡る、来島海峡大橋があります。

右(南)から、第三大橋、第二大橋、そして大島へと渡る、第一大橋です。

ちなみに、大島の北東に、能島が浮かんでいます。

 

 ちなみに甘崎城は、大島の北の大三島沖にあります。

 

 

 

そう、甘崎城の方が能島より遠いんですよね。

ただ、そこは来島村上氏一族が城主でいる。

一時は、当主の村上通康も城主だったとか。

実際の所はどうだったのか判りませんが、違う氏族の本拠より遠い場所が勢力圏

だというのは陸地では少し考えにくい事ですよね。

しかし海の上の勢力圏ですから、常識は通用しないのかもしれませんし

何か取り決めかあったのかもしれませんね。

この城の本丸を散策中という所に戻します。

鉄塔の反対側にやってきましたが、特に見栄えもしないですね。

 

 とにかく、緑が強すぎです。

 

 

 

尚、この鉄塔には武者返しが備えられています(嘘)。

 

 高知城のそれに似てませんか。

 

 

 

波止浜ドック群もここから見えます。

この波止浜は、風待ちの港町であったのと同時に、江戸期に松山藩の塩田開発で

昭和の時代まで栄えたそうです。

当時は『伊予の小長崎』と呼ばれる程、塩買船がやってきたそうです。

塩田が消えると、今度は造船会社が湾岸を埋め尽くします。

今治造船や新くるしまどっくの発祥地などの造船所があります。

ちなみに、写っているのは、今治造船ですね。

 

 今治造船の主力造船場は、愛媛県西条市と香川県丸亀市にあるとか。

 

 

 

また、向きは戻して、北西方面を。

遠くに見えるのは、大三島でしょうか。

この大三島を含む、芸予諸島は、本当に多くの島が点在しています。

という事は、海峡や瀬戸が多くあるので、海上交通の難所でもあります。

今でも、来島海峡などでは、海難事故が時々ありますからね。

そんな場所を村上氏の船は、匠な操舵技術で、乗りこなしていたのでしょう。

 

 今年も、痛ましい事故が起きていました。

 

 

 

来島海峡を東へ向かう船が入っていきます。

この時は、潮が北流している時間帯です。

これが南流している時間帯であれば、東へ向かう船、手前に見える馬島の

奥(北)を通過していくのです。

船舶は基本、右側通行なのですが、順潮の場合は、操舵が難しい為、屈曲が

あまりなく、しかも手前の水道より短い奥の水道を航行させるそうです。

この様な事を順中逆西と呼ぶそうですが、日本ではここ来島海峡だけだそうです。

 

 城の話しから遠のいていっているが…。

 

 

 

来島と四国の間にも瀬戸がありますが、この時間帯は本当に流れが速かった。

決して、何時も流れが速い訳ではないので、潮流云々で難攻不落ではありませんが

この海こそ、巨大な『堀』としての機能は成り立ちますよね。

 

 ただ、そんな来島城も、何度か攻められているそうです。

 

 

 

殆ど、眺望を楽しむだけだった本丸から降りて行きます。

 

 

 

 塗りつぶしの為、説明は致しません(上から目線)。

 

 

 

先程は通り過ぎてしまいましたが、村上神社が三の丸と二の丸の間辺りに

鎮座しています。

小さな社殿ではありますが、この島の守り神なのでしょう。

来島を始めとする、三島の村上氏の祖は、清和源氏を祖とする、信濃国人である

『村上氏』の庶流だそうです。

まぁ怪しさ満点ですが、それが本当であるならば、武田晴信(信玄)を二度までも

破った、村上義清が同族になるんですね。

確かに、家紋も『丸に十文字』ですから、信憑性もあるんでしょうかねぇ~。

阪神タイガースに新生の様に現れた、村上頌樹投手はどうなんだろう。

彼は淡路島出身ですから、一門の末裔という可能性は否定できんでしょうね。

 

 再建に寄付された方の石碑には『村上』姓が多かったです。

 

 

 

海の傍まで降りてきました。

ただ、島を一周する道はありません。

西、南、東を半周はできますが、残念ながら北には廻りこめません。

北が岩礁になっていますから。

そんな北側に…ここまでにしておきましょう。

今回は、昔使われていたであろう、小さなドッグを見て、その4を終了します。

 

 かなり潮が引いていますね。

 

 

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次回、いよいよこの城の見所。

全国的にも、この芸予諸島近辺、しかも四国よりにしかない遺構が登場します。

お楽しみに爆  笑