20代~30代は放っておいても仕事は向こうの方からやってきました。
色々な人から金額の相場を訊いていた私は3年目の単価交渉で50万円位に跳ね上がっていました。
25歳の時には大体の相場である60万円位になっていました。
180時間が基本時間でそれを超えるとすべて時間外手当が付いたので、ざらに100万円を超える時がありました。
私の中で最も過酷で重労働の時はひと月2人月分働かされたこともありました。
その時の給料は150万円以上でした。
月曜日から日曜日まで会社に泊り、日曜日だけはいい加減臭さも耐えられないということで家に帰ることができました。
この頃はひと月に400時間位は働かされたと思います。
この過酷な現場では3カ月に1度は救急車が出動をして、誰かしらぶっ倒れるという過酷ぶりでした。
当時のメーカーの課長は「仕事のやり過ぎで死ぬ奴はいない!!」と豪語していました。
その後、この仕事が成功をして部長に昇進したと風の便りで訊きましたが、まだ新しいビルのトイレの壁には「○○死ね!!」と彫刻刀で深々と 彫られて大事件になったことが思い出されます。
初めてフリーエンジニアとなった私は給料の金額を提示して欲しいと突然言われたので、正社員の時の給料から即座に計算をして、思い切って「30万円!!」と言ってみました。
「恐らく没になるだろう」と思っていたら、即決で「わかりました。」
「それでは、その金額でお願いします。」
「明日出向現場に面接に行きますので10時までにここに来てください」と言われて、次の日10時に会社にやって来ました。
すると、私と同じように別のフリーエンジニアの方が事務所に来ていました。
軽く挨拶をして軽い世間話などを交わしていると、その彼がここは幾らで契約をしたのかと訊いてきました。
私は正直に「30万円」と応えると、
「安く契約をしたね~」と言ってきたのです。
私としては今までの給料が税込みで13万円位だったので、30万円はかなり張ったりをかましたつもりだったのですが、その彼は自給2000円、180時間で36万円と言っていました。
仕事の時間は180時間働かなければならないという制限はなかったので、だいたい平均160時間前後でした。
彼は私よりも2歳位年上だったし、私もフリーというものがあること自体知らなかったので30万円は自分に妥当な金額だと納得をしました。
2年間その金額で務めあげましたが、その間に私と同じ立場のフリーの人から色々な情報を交換しました。
フリーエンジニアの人と仲良くなると、まず契約金の話を交わします。
そして、だんだんと相場というものがわかってきます。
いろいろな人から契約金を訊いてみると、改めて自分がどれだけ安い金額で働いてきたのかちょっと損した感を感じました。
これも人生勉強だと思い、自分の気持ちに言い聞かせました。
「恐らく没になるだろう」と思っていたら、即決で「わかりました。」
「それでは、その金額でお願いします。」
「明日出向現場に面接に行きますので10時までにここに来てください」と言われて、次の日10時に会社にやって来ました。
すると、私と同じように別のフリーエンジニアの方が事務所に来ていました。
軽く挨拶をして軽い世間話などを交わしていると、その彼がここは幾らで契約をしたのかと訊いてきました。
私は正直に「30万円」と応えると、
「安く契約をしたね~」と言ってきたのです。
私としては今までの給料が税込みで13万円位だったので、30万円はかなり張ったりをかましたつもりだったのですが、その彼は自給2000円、180時間で36万円と言っていました。
仕事の時間は180時間働かなければならないという制限はなかったので、だいたい平均160時間前後でした。
彼は私よりも2歳位年上だったし、私もフリーというものがあること自体知らなかったので30万円は自分に妥当な金額だと納得をしました。
2年間その金額で務めあげましたが、その間に私と同じ立場のフリーの人から色々な情報を交換しました。
フリーエンジニアの人と仲良くなると、まず契約金の話を交わします。
そして、だんだんと相場というものがわかってきます。
いろいろな人から契約金を訊いてみると、改めて自分がどれだけ安い金額で働いてきたのかちょっと損した感を感じました。
これも人生勉強だと思い、自分の気持ちに言い聞かせました。
私は高校を卒業してコンピュータ関連の会社に就職しました。
私が行っていた高校は付属校なので、大半の人が推薦で大学に進学します。
私も大学に進学する予定でしたが推薦の枠に漏れてしまいました。
学校では赤点続きで何回も親同伴で呼び出されていました。
弟は私と違ってかなり優秀なのですが、私の実家は2人の子供を大学に行かす程の余裕はありませんでした。
ある日、母親から「弟を大学に行かせてあげたいので、おまえは大学をあきらめてくれ!!」
「その代わりクルマの頭金を出してやる!!」
「おまえなら大学を出なくてもやっていけるだろう!!」
と言われて、目先の欲に目が眩んだ私はあっさりと承諾しました。
早速学校に就職する旨を伝えて就職先を探しました。
随分と遅れての就職宣言だったのですが難なく内定をもらい、コンピュータ会社の就職が決まりました。
なぜ、コンピュータ会社にしたかというとクラスメートに家の都合で就職をする奴が1人いて、そいつがコンピュータ会社を志望していたので私も真似をしました。
それと、私は普通科だったのですが、何になりたいのか決められないから普通科なわけで、どのような職種につけばどのようなことをするのかが全くわかりませんでした。
幸い数学にはめっぽう強かったので、偶然にも向いているちゃあ向いていました。
コンピュータ会社といえば聞こえもよかったので決めたわけですが、その就職をした会社は2年程で辞めてしまいました。
仕事の呑みこみがよかった私は給料の安さに満足できませんでした。
その後、もう少し給料のいい会社に移ろうと思って社員募集広告を見ていると、コンピュータ経験者25万以上~50万円以下という広告が目に止まりました。
早速面接に行って希望の金額を提示すると、あっさりと通ってしまいました。
このようにして私のフリーエンジニアの人生は幕を開けていきました。
私が行っていた高校は付属校なので、大半の人が推薦で大学に進学します。
私も大学に進学する予定でしたが推薦の枠に漏れてしまいました。
学校では赤点続きで何回も親同伴で呼び出されていました。
弟は私と違ってかなり優秀なのですが、私の実家は2人の子供を大学に行かす程の余裕はありませんでした。
ある日、母親から「弟を大学に行かせてあげたいので、おまえは大学をあきらめてくれ!!」
「その代わりクルマの頭金を出してやる!!」
「おまえなら大学を出なくてもやっていけるだろう!!」
と言われて、目先の欲に目が眩んだ私はあっさりと承諾しました。
早速学校に就職する旨を伝えて就職先を探しました。
随分と遅れての就職宣言だったのですが難なく内定をもらい、コンピュータ会社の就職が決まりました。
なぜ、コンピュータ会社にしたかというとクラスメートに家の都合で就職をする奴が1人いて、そいつがコンピュータ会社を志望していたので私も真似をしました。
それと、私は普通科だったのですが、何になりたいのか決められないから普通科なわけで、どのような職種につけばどのようなことをするのかが全くわかりませんでした。
幸い数学にはめっぽう強かったので、偶然にも向いているちゃあ向いていました。
コンピュータ会社といえば聞こえもよかったので決めたわけですが、その就職をした会社は2年程で辞めてしまいました。
仕事の呑みこみがよかった私は給料の安さに満足できませんでした。
その後、もう少し給料のいい会社に移ろうと思って社員募集広告を見ていると、コンピュータ経験者25万以上~50万円以下という広告が目に止まりました。
早速面接に行って希望の金額を提示すると、あっさりと通ってしまいました。
このようにして私のフリーエンジニアの人生は幕を開けていきました。