前回の続きです!!
成長と我々の生活の乖離に疑問を持ち、成長不要論が出てくるわけですが、普通の人が実感出来ないようなものは経済成長とは言いません。経済成長というのは国民の平均所得、一人当たりGDP増えていく事を言います。
ネガティブなイメージというのは企業がどんどん儲けて、六本木ヒルズみたいなのが出来て、ホリエモンみたいな人が登場するというのがあるわけですが、そういうのは実際の経済成長とはあまり関係なくて、一人当たりの平均所得が上がって行く事が経済成長と言う。
景気がイザナギ越えなんて話が出ていたりしたわけですが、バブル崩壊以降殆ど日本人の平均所得は増えていない。イザナギ越えとか言っても、公的には景気拡大と言っていたわけですが、景気がよかったというわけじゃなくて、実際には殆ど実感出来ないようなプラスかマイナスかで言うと、ほんの僅かにプラスになっているという話でしかない状態をダラダラと続けていたという事でしかない。
実際の景気がよかった時期というのは半年くらいしか無い。経済が実力以上に頑張っているのが好景気、実力を発揮出来ていないのが不景気、とりあえずプラスではあったけれど実力を発揮していたとは言えない。だから好景気とは言えない。したがってあまり実感が無いという風になる。
企業が過去最大とか昨年あたりは言っていたわけで、急に不景気になったら公的資金とか派遣切りとか言っているのでふざけんなよという話になるわけですが、ある程度上が儲けないと下に降りて行かない。ここしばらくは富裕層への減税なんかもやっちゃっているので、余計ネガティブなスティグマが張り付いている。なので国家や企業が経済成長や国益と言う名のインチキにかまけて弱者を食い物にするみたいな図式が流行っちゃう。
企業の活動がどうのこうのという話は実はあまり有効ではない。今回の派遣切りのやり方を見ていると、恥知らずな連中だぜと思うのは確かですが、実際は大企業というのはすでにグローバル企業と化しているわけで、法人税を取れと言えば、国外に行っちゃうし、法人税を安くしても、世界各国でそれをやれば、減税のチキンゲームになっちゃう。だからそこに重きを置いて考えているうちは、派遣のような問題は無くならないし、文句を言えば逃げて行く。この図式は変わらない。個人の所得から中心に考えた方が実のある話になる。
経済成長と国益とか国力とは関係ない。国民の生活を犠牲にするというのは経済成長でも何でもない。国民の生活を豊かにする事が経済成長と言う。だから「痛みに耐えて」とか言っていた人は経済成長などハナっから興味も無かったというのは事実でしょう。
大企業の最高収益とか言っていたのは、これは中国とアメリカの大きな景気に食らいつけたというのが要因で、大企業収益と経済成長というのはあんまり関係ない。グローバル企業はすでに日本企業とは言えない。アメリカ人はソニーをアメリカ企業だと思っているなんて話がありますが、グローバル企業は日本から生まれた企業というだけで、すでに労働者も日本人より外国人の方が多い会社もいっぱいあるわけで、グローバル化した企業が、国際的な景気がよかったというのがあったので、大企業は景気がよかった。日本国内に目を転じると国内企業は元気が無い。中小企業や個人商店は不景気、一人当たりの平均所得が増えているわけではないので、経済成長しているとは言えない。
しかし実際に世間を見回しますと、金持ちばっかり儲かって貧乏人を食い物にしているように見える。この状況は何なんだ?という風になる。人口も減っているし経済成長をすれば解決と言う話を誰も信じていない。
実力を発揮出来ているか否かが重要で、今の非正規雇用の問題なんかは基本的に長期的に景気が悪いという所に原因がある。経済成長がなく流動化の少ない社会というのは、今まで上手い事やって来た奴が、儲かり続ける社会であるわけで、不景気になればなるほど既得権を握っている人達はどんどん有利になって行く。
経済成長が強く起こっている時というのは、産業構造の変化を止めようと思っても止める事は出来ない。どんなに阻止しようとしても無理。それは歴史が示している。今どんなにポケベルの既得権を握って護持していても何の役にも立たない。携帯が出来れば家の電話の価値は下がるし、公衆電話の価値もテレフォンカードの価値も下がる。意味が無くなる。馬車や籠屋は車の便利さには勝てない。
どんなに古い既得権を独占していても産業構造が変わってしまえば意味をなさなくなる。いくら電波を独占し、再販価格制度によって市場を独占していても、ネットの普及がそれを無効化してしまう。そういう状態になってもらっちゃ困る連中がいるわけです。だから経済成長をなんとしても邪魔したい人達がいる。
経済成長を起こす為に産業構造を変えろというのは順番が逆で、事前にそれがわかるならみんなビルゲイツや孫正義になれちゃう。次は何々産業だとか言っている話はだいたいインチキ、もしくは風説の流布の類いと一緒です。本当に儲かると思えば、自分でやった方が儲かるわけで、それをわざわざ他人に儲かるから是非といのは怪しいねずみ講と同じです。
環境政策もこの順番を勘違いしているような所があって、経済成長は環境を破壊するから、環境にやさしい方向性を目指せという事を、景気が停滞している時にいくら言っても変わらない。どんどん経済成長を加速させてバッファを増やし、流動化を増やし、冒険しやすくなる環境を整えて行けば、環境が金になるとわかれば、あっという間に産業構造は変わる。
所詮環境なんて金儲けだろみたいな話を言われると、そんな事無い!!って吹き上がっているから話にならないわけで、中田ヒデじゃありませんがみんながWinWinの関係を築けるようなメカニズムを組み込むには景気が悪くてはどうにもならない。背に腹は変えられないという風になる。
不況の時に全員平等に収入を下げるという選択をすれば、みんなで分かち合うという話になるわけですが、みんな下がりたくないので、どこかを守ればどこかを切り捨てるしか無い。経済成長が無いからそういうスパイラルが続いていて今ここまで来てしまった。バブル崩壊後の空白の10年そして今に至るまで、給料も下がらず、むしろ増えている連中がいます。それが競争した結果そうであるのなら、当然の報酬であると言えるかもしれませんが、競争を免除されそういう恩恵を受けていた奴がいますね。
しかもそういう連中というのは、景気が好いわけでも経済成長をしているわけでもないのに、ちょっと回復の兆しが見えた瞬間にバブルバブルと煽って無能な政府の介入を呼び出し、ホリエモンなり村上ファンドなりその案件が問題であるというだけの話だったはずなのに、不安を煽り、抜け駆けをしている輩が跳梁跋扈していると煽り、コンプライアンスで雁字搦めにして、経済の頭を押さえつけ、流動化を阻止し、不景気にしようとしていた輩がいる。それを国民もまんまと支持して拍手喝采していた。
流動化や経済成長すると既得権を守れなくなるので、経済成長したくないけれど、今までの生活は守りたいという人達がいる。不況の中その人達の生活水準を維持する為にはどこかを切らなきゃならない。
イザナギ越えなんて事を言われて、過去最高益なんて企業がほざいていたのに、全然豊かになっていないし、不況になればあっという間に転落する。どう考えても一部で儲けている奴らが儲かるだけなんじゃないか?という風になりがち。
だから経済成長なんてふざけんなって話になるわけですが、本当は経済成長なんてしていない。そこが問題で、流動化も末端の何の既得権もない人達を流動化しただけ、だから流動化にさらされて切り捨てられている方々を救えという錦の御旗の元、流動化阻止に加担するという事は、結局既得権を護持しようとしている連中に乗せられて手助けしている事になる。当たり前ですがその構造こそがまさに問題であるわけで、その事を自覚しないと出口はありません。
イザナギ越え何つって世間が騒いでいた時、半年くらいは本当に景気がいい時期もあった。その際見られたのはバイトの時給が上がって行くというのが見られた。それはこんな自給じゃ働けねえよと思われちゃ人が雇えないと思えたからで、今派遣で切り捨てられて、復活の経路が閉ざされているような人達を、金積んで動員かけないと、人が集まらないという状況、人が足らないという風にならないと出口は無い。
景気の拡大に伴ってサービスへの需要が復活すれば、サービスというのは人を沢山必要とするので人を沢山集めるには待遇を良くしないと回らないという風になり得る。それによって単純労働や熟練を必要としない労働への需要が増えて行く。
弱者を救うには経済成長をするという事と、再分配という方式がある。しかし金持ち優遇の減税措置をしてあげく、今消費税とかって話になっている。ブッシュと小泉が行なった減税というのは金持ちへの減税ばかりで、景気対策としてはマズい方向性です。手っ取り早いのは貧乏人に金を撒く事で、貧乏な人というのは自分もそうですが欲しいものもいっぱいあるし、必要なものが沢山ある。
欲しいものも無いという人が結構いるので、それ自体で日本って裕福な国なような気もしますが、これは教育や啓蒙によってモノへのモチベーションを持つのはあまりよろしく無いかのような教え方が蔓延っているというのもあると思う。
不安定な雇用状態にあったり、蓄えが無い人というのは欲しいものというか、必要なものがいっぱいあるはずで、それが消費を刺激して行く。生活費、衣食住を満たす為に。消費というと、耐久消費財、テレビとか冷蔵庫とかって話になりやすいけれど、日本の消費というのはサービスへの消費が多い。福祉介護や育児サービスのようなものは、供給が全然追いついていない。
経済成長によって格差が解消されるというのは、サービスへの需要が復活して、人手不足を起こさないといけない。勤労世代が減って行き、景気の改善、構造転換が起こると格差も意味がなくなる。要するに今の派遣のように景気の好し悪しで必要になったり切り捨てられるような不安定な階層の人達が人手不足になるとチャンスがめぐってくる。
例えばちょっと前までのロンドンなんかでは単純労働の需要が多過ぎて、週雇いの労働が週給10万円なんて話になっていた。その状態になれば、むしろ非正規の方が金を貰っているという事もあり得るわけで、あまり意味がなくなるというか、むしろ非正規の方がいろいろ自由になるわけで、正社員なんかよりよっぽど魅力的な職業になる。
日本にも昔はそういう感覚があった。正社員は安定こそしているけれど、自由は無いし給料は安いしと。だから若者がみんなフリーターになるという事態が起こったわけです。景気がよくなるという事は、冒険がしやすくなるという事でもある。途中で失敗しても何とかなるだろうという風になる。
それを若者の怠業批判、バブル崩壊、失われた10年、そしてサブプライムバブル崩壊と時代が移り変わり、非正規がもの凄く不利な仕事で、昔の日本的正社員、社畜がむしろ幸福なんだみたいな風潮に変わっている。派遣は自由じゃないかみたいな事を言う輩はいない。
そうするとなんでバブルが崩壊したのか?なんで派遣社員が今の境遇に叩き込まれたのか?というと、自由で且つ収入も悪くないという働き方が気に食わないと思う人がいるからでもある。誰が得をしたのか?
バブルを叩き潰したのは明らかに当時の大蔵省がトドメを刺していると言えますし、今回のサブプライムバブル崩壊までの数年間、明らかに官製不況の状態にあった。コンプライアンス不況によって、世界の経済から取り残されていた。
確かにサブプライムバブルによって上昇していた所もあったわけですから、バブルにうつつを抜かさなかったという意味で言えば、世界経済に背を向けているというのはある種賢明だったと言えない事もないのですが、日本の場合、サブプライムは蚊に刺された程度なんて事を、自民党のアホ政治家がほざいていたにもかかわらず、関係ある国よりもむしろ株式市場は暴落している。それはサブプライムだけが理由ではないからです。日本という国が成長性のない未来のない市場だからに他なりません。
下らない介入によって、一昨年、先進国の殆どが株式市場でプラス成長をしていたのに、日本は二桁のマイナス、先進国中ビリから2番目だったわけです。経済成長率だって先進国水準から考えると明らかに低過ぎる設定をしていたわけで、どう考えても末端を裕福にさせまいという力学が働いていた。
そして企業もそうです。基本的に労働のイニシアティブが労働者側に無くなっちゃった。企業が全てを握り、お前らを生かすも殺すも俺達の胸三寸だぜと脅せるようになっている。
ケっざけんなよ、辞めてやるぜ、なんて言えない環境を作り出し、給料も据え置きでも文句を言わせないような図式になっている。弱肉強食というのは嘘で、奴隷であるか否かが重要になっている。それって何の競争なんだよ?って話です。
段々問題点が見えて来ましたね。
日本型の経営が云々かんぬんという言い方がなされ、必ず言われる事の一つに、労働者が労働の権利をちらつかせて、真面目に働かず、就職しても続かず、権利ばかりを主張し義務を果たさないという、ある種の昔はそんな事はなかった的なインチキを言うバカがいますが、それはあくまでも経済成長というベースがあって、いつでも労働者は辞めてもびくともしないイニシアティブを握っているにもかかわらず、今まで働いて来た職場に対する愛情だとか、世話になった同僚や上司、そして経営者に対して、裏切るのは義に反するという意味での忠誠心、再就職の当てや、もっと給料だけを言えば報酬アップが可能であるにもかかわらず、その為だけに仕事をしているわけではない的な美しき幻想は、右肩上がりというベースがあっての話です。
それがない時代に当時の行動作法の美化されたいいところだけを騒ぐのはフェアじゃない。いつ切り捨てられるかわからないような環境で、しかも不況によって労働者側のイニシアティブが消えてしまった状況で、トドメに未来には絶望しか見えないような社会情勢で、奴隷になれ、何で奴隷にならないのだ?と言うのは筋が通らない。
言う事を聞かなければクビだ、仕事があるだけありがたく思え的な事をほざく、経団連御手洗的なゴミみたいな経営者に対してそんな気持ちなんて持てるわけがない。そういう所に忠誠心なんて持つ方がよっぽど気持ち悪い。美化されたありもしない、あった事もない幻想を拠り所にして、仕事に対する倫理を騒ぐクズがいっぱいいる。あげくそういう所に奴隷として従う事をむしろ自ら積極的に望んでいないと生き残れないような、労働者の権利もクソもない社会に成り果てた。
この国では必ず経済の調子が良くなると、行政が介入して阻止するという事が行なわれる。それは国民が裕福になっちゃ管理し難くなるからです。不安を沢山抱え、将来にビクビクし、経営者の言う事に逆らう事も無く、いざとなれば統治権力に何とかしてくれとすがる。奴隷として管理するのが一番楽で低コストで済む。その構造が統治権力者、経営者、そして不安を売り物にして金儲けしているゴキブリ、マスメディアに取って一番有利な条件であるからです。しかも流動化を阻止出来れば既得権も護持出来る。
そしてサブプライムバブルが崩壊した今、比較的影響が少ないと言っていたはずの日本の経済がここまで落ち込んでいる。新興国は内需に転換してすぐに復活してくるでしょうから、いかにしてそこに食らいつくのか?というのが今後の経済成長を占う分水嶺でもある。
にもかかわらず、中国ももうお終いだ的な啓蒙に溢れ、何とかして不況を維持させようと躍起になっている。大企業がそこに食らいついて利益を上げても経済成長には結びつかないわけだから、好きなだけ儲ける事も出来るし、それを還元しなくて済むようなスキームで回り、経済成長すると権益が減るステークホルダーは、なんとしてもこのチャンスを見過ごすように、統治権力は変なバカが総理に居座って機能不全を起こして政治空白を作り出し、マスメディアは暗い話ばかりを報じる。
続く!!!
成長と我々の生活の乖離に疑問を持ち、成長不要論が出てくるわけですが、普通の人が実感出来ないようなものは経済成長とは言いません。経済成長というのは国民の平均所得、一人当たりGDP増えていく事を言います。
ネガティブなイメージというのは企業がどんどん儲けて、六本木ヒルズみたいなのが出来て、ホリエモンみたいな人が登場するというのがあるわけですが、そういうのは実際の経済成長とはあまり関係なくて、一人当たりの平均所得が上がって行く事が経済成長と言う。
景気がイザナギ越えなんて話が出ていたりしたわけですが、バブル崩壊以降殆ど日本人の平均所得は増えていない。イザナギ越えとか言っても、公的には景気拡大と言っていたわけですが、景気がよかったというわけじゃなくて、実際には殆ど実感出来ないようなプラスかマイナスかで言うと、ほんの僅かにプラスになっているという話でしかない状態をダラダラと続けていたという事でしかない。
実際の景気がよかった時期というのは半年くらいしか無い。経済が実力以上に頑張っているのが好景気、実力を発揮出来ていないのが不景気、とりあえずプラスではあったけれど実力を発揮していたとは言えない。だから好景気とは言えない。したがってあまり実感が無いという風になる。
企業が過去最大とか昨年あたりは言っていたわけで、急に不景気になったら公的資金とか派遣切りとか言っているのでふざけんなよという話になるわけですが、ある程度上が儲けないと下に降りて行かない。ここしばらくは富裕層への減税なんかもやっちゃっているので、余計ネガティブなスティグマが張り付いている。なので国家や企業が経済成長や国益と言う名のインチキにかまけて弱者を食い物にするみたいな図式が流行っちゃう。
企業の活動がどうのこうのという話は実はあまり有効ではない。今回の派遣切りのやり方を見ていると、恥知らずな連中だぜと思うのは確かですが、実際は大企業というのはすでにグローバル企業と化しているわけで、法人税を取れと言えば、国外に行っちゃうし、法人税を安くしても、世界各国でそれをやれば、減税のチキンゲームになっちゃう。だからそこに重きを置いて考えているうちは、派遣のような問題は無くならないし、文句を言えば逃げて行く。この図式は変わらない。個人の所得から中心に考えた方が実のある話になる。
経済成長と国益とか国力とは関係ない。国民の生活を犠牲にするというのは経済成長でも何でもない。国民の生活を豊かにする事が経済成長と言う。だから「痛みに耐えて」とか言っていた人は経済成長などハナっから興味も無かったというのは事実でしょう。
大企業の最高収益とか言っていたのは、これは中国とアメリカの大きな景気に食らいつけたというのが要因で、大企業収益と経済成長というのはあんまり関係ない。グローバル企業はすでに日本企業とは言えない。アメリカ人はソニーをアメリカ企業だと思っているなんて話がありますが、グローバル企業は日本から生まれた企業というだけで、すでに労働者も日本人より外国人の方が多い会社もいっぱいあるわけで、グローバル化した企業が、国際的な景気がよかったというのがあったので、大企業は景気がよかった。日本国内に目を転じると国内企業は元気が無い。中小企業や個人商店は不景気、一人当たりの平均所得が増えているわけではないので、経済成長しているとは言えない。
しかし実際に世間を見回しますと、金持ちばっかり儲かって貧乏人を食い物にしているように見える。この状況は何なんだ?という風になる。人口も減っているし経済成長をすれば解決と言う話を誰も信じていない。
実力を発揮出来ているか否かが重要で、今の非正規雇用の問題なんかは基本的に長期的に景気が悪いという所に原因がある。経済成長がなく流動化の少ない社会というのは、今まで上手い事やって来た奴が、儲かり続ける社会であるわけで、不景気になればなるほど既得権を握っている人達はどんどん有利になって行く。
経済成長が強く起こっている時というのは、産業構造の変化を止めようと思っても止める事は出来ない。どんなに阻止しようとしても無理。それは歴史が示している。今どんなにポケベルの既得権を握って護持していても何の役にも立たない。携帯が出来れば家の電話の価値は下がるし、公衆電話の価値もテレフォンカードの価値も下がる。意味が無くなる。馬車や籠屋は車の便利さには勝てない。
どんなに古い既得権を独占していても産業構造が変わってしまえば意味をなさなくなる。いくら電波を独占し、再販価格制度によって市場を独占していても、ネットの普及がそれを無効化してしまう。そういう状態になってもらっちゃ困る連中がいるわけです。だから経済成長をなんとしても邪魔したい人達がいる。
経済成長を起こす為に産業構造を変えろというのは順番が逆で、事前にそれがわかるならみんなビルゲイツや孫正義になれちゃう。次は何々産業だとか言っている話はだいたいインチキ、もしくは風説の流布の類いと一緒です。本当に儲かると思えば、自分でやった方が儲かるわけで、それをわざわざ他人に儲かるから是非といのは怪しいねずみ講と同じです。
環境政策もこの順番を勘違いしているような所があって、経済成長は環境を破壊するから、環境にやさしい方向性を目指せという事を、景気が停滞している時にいくら言っても変わらない。どんどん経済成長を加速させてバッファを増やし、流動化を増やし、冒険しやすくなる環境を整えて行けば、環境が金になるとわかれば、あっという間に産業構造は変わる。
所詮環境なんて金儲けだろみたいな話を言われると、そんな事無い!!って吹き上がっているから話にならないわけで、中田ヒデじゃありませんがみんながWinWinの関係を築けるようなメカニズムを組み込むには景気が悪くてはどうにもならない。背に腹は変えられないという風になる。
不況の時に全員平等に収入を下げるという選択をすれば、みんなで分かち合うという話になるわけですが、みんな下がりたくないので、どこかを守ればどこかを切り捨てるしか無い。経済成長が無いからそういうスパイラルが続いていて今ここまで来てしまった。バブル崩壊後の空白の10年そして今に至るまで、給料も下がらず、むしろ増えている連中がいます。それが競争した結果そうであるのなら、当然の報酬であると言えるかもしれませんが、競争を免除されそういう恩恵を受けていた奴がいますね。
しかもそういう連中というのは、景気が好いわけでも経済成長をしているわけでもないのに、ちょっと回復の兆しが見えた瞬間にバブルバブルと煽って無能な政府の介入を呼び出し、ホリエモンなり村上ファンドなりその案件が問題であるというだけの話だったはずなのに、不安を煽り、抜け駆けをしている輩が跳梁跋扈していると煽り、コンプライアンスで雁字搦めにして、経済の頭を押さえつけ、流動化を阻止し、不景気にしようとしていた輩がいる。それを国民もまんまと支持して拍手喝采していた。
流動化や経済成長すると既得権を守れなくなるので、経済成長したくないけれど、今までの生活は守りたいという人達がいる。不況の中その人達の生活水準を維持する為にはどこかを切らなきゃならない。
イザナギ越えなんて事を言われて、過去最高益なんて企業がほざいていたのに、全然豊かになっていないし、不況になればあっという間に転落する。どう考えても一部で儲けている奴らが儲かるだけなんじゃないか?という風になりがち。
だから経済成長なんてふざけんなって話になるわけですが、本当は経済成長なんてしていない。そこが問題で、流動化も末端の何の既得権もない人達を流動化しただけ、だから流動化にさらされて切り捨てられている方々を救えという錦の御旗の元、流動化阻止に加担するという事は、結局既得権を護持しようとしている連中に乗せられて手助けしている事になる。当たり前ですがその構造こそがまさに問題であるわけで、その事を自覚しないと出口はありません。
イザナギ越え何つって世間が騒いでいた時、半年くらいは本当に景気がいい時期もあった。その際見られたのはバイトの時給が上がって行くというのが見られた。それはこんな自給じゃ働けねえよと思われちゃ人が雇えないと思えたからで、今派遣で切り捨てられて、復活の経路が閉ざされているような人達を、金積んで動員かけないと、人が集まらないという状況、人が足らないという風にならないと出口は無い。
景気の拡大に伴ってサービスへの需要が復活すれば、サービスというのは人を沢山必要とするので人を沢山集めるには待遇を良くしないと回らないという風になり得る。それによって単純労働や熟練を必要としない労働への需要が増えて行く。
弱者を救うには経済成長をするという事と、再分配という方式がある。しかし金持ち優遇の減税措置をしてあげく、今消費税とかって話になっている。ブッシュと小泉が行なった減税というのは金持ちへの減税ばかりで、景気対策としてはマズい方向性です。手っ取り早いのは貧乏人に金を撒く事で、貧乏な人というのは自分もそうですが欲しいものもいっぱいあるし、必要なものが沢山ある。
欲しいものも無いという人が結構いるので、それ自体で日本って裕福な国なような気もしますが、これは教育や啓蒙によってモノへのモチベーションを持つのはあまりよろしく無いかのような教え方が蔓延っているというのもあると思う。
不安定な雇用状態にあったり、蓄えが無い人というのは欲しいものというか、必要なものがいっぱいあるはずで、それが消費を刺激して行く。生活費、衣食住を満たす為に。消費というと、耐久消費財、テレビとか冷蔵庫とかって話になりやすいけれど、日本の消費というのはサービスへの消費が多い。福祉介護や育児サービスのようなものは、供給が全然追いついていない。
経済成長によって格差が解消されるというのは、サービスへの需要が復活して、人手不足を起こさないといけない。勤労世代が減って行き、景気の改善、構造転換が起こると格差も意味がなくなる。要するに今の派遣のように景気の好し悪しで必要になったり切り捨てられるような不安定な階層の人達が人手不足になるとチャンスがめぐってくる。
例えばちょっと前までのロンドンなんかでは単純労働の需要が多過ぎて、週雇いの労働が週給10万円なんて話になっていた。その状態になれば、むしろ非正規の方が金を貰っているという事もあり得るわけで、あまり意味がなくなるというか、むしろ非正規の方がいろいろ自由になるわけで、正社員なんかよりよっぽど魅力的な職業になる。
日本にも昔はそういう感覚があった。正社員は安定こそしているけれど、自由は無いし給料は安いしと。だから若者がみんなフリーターになるという事態が起こったわけです。景気がよくなるという事は、冒険がしやすくなるという事でもある。途中で失敗しても何とかなるだろうという風になる。
それを若者の怠業批判、バブル崩壊、失われた10年、そしてサブプライムバブル崩壊と時代が移り変わり、非正規がもの凄く不利な仕事で、昔の日本的正社員、社畜がむしろ幸福なんだみたいな風潮に変わっている。派遣は自由じゃないかみたいな事を言う輩はいない。
そうするとなんでバブルが崩壊したのか?なんで派遣社員が今の境遇に叩き込まれたのか?というと、自由で且つ収入も悪くないという働き方が気に食わないと思う人がいるからでもある。誰が得をしたのか?
バブルを叩き潰したのは明らかに当時の大蔵省がトドメを刺していると言えますし、今回のサブプライムバブル崩壊までの数年間、明らかに官製不況の状態にあった。コンプライアンス不況によって、世界の経済から取り残されていた。
確かにサブプライムバブルによって上昇していた所もあったわけですから、バブルにうつつを抜かさなかったという意味で言えば、世界経済に背を向けているというのはある種賢明だったと言えない事もないのですが、日本の場合、サブプライムは蚊に刺された程度なんて事を、自民党のアホ政治家がほざいていたにもかかわらず、関係ある国よりもむしろ株式市場は暴落している。それはサブプライムだけが理由ではないからです。日本という国が成長性のない未来のない市場だからに他なりません。
下らない介入によって、一昨年、先進国の殆どが株式市場でプラス成長をしていたのに、日本は二桁のマイナス、先進国中ビリから2番目だったわけです。経済成長率だって先進国水準から考えると明らかに低過ぎる設定をしていたわけで、どう考えても末端を裕福にさせまいという力学が働いていた。
そして企業もそうです。基本的に労働のイニシアティブが労働者側に無くなっちゃった。企業が全てを握り、お前らを生かすも殺すも俺達の胸三寸だぜと脅せるようになっている。
ケっざけんなよ、辞めてやるぜ、なんて言えない環境を作り出し、給料も据え置きでも文句を言わせないような図式になっている。弱肉強食というのは嘘で、奴隷であるか否かが重要になっている。それって何の競争なんだよ?って話です。
段々問題点が見えて来ましたね。
日本型の経営が云々かんぬんという言い方がなされ、必ず言われる事の一つに、労働者が労働の権利をちらつかせて、真面目に働かず、就職しても続かず、権利ばかりを主張し義務を果たさないという、ある種の昔はそんな事はなかった的なインチキを言うバカがいますが、それはあくまでも経済成長というベースがあって、いつでも労働者は辞めてもびくともしないイニシアティブを握っているにもかかわらず、今まで働いて来た職場に対する愛情だとか、世話になった同僚や上司、そして経営者に対して、裏切るのは義に反するという意味での忠誠心、再就職の当てや、もっと給料だけを言えば報酬アップが可能であるにもかかわらず、その為だけに仕事をしているわけではない的な美しき幻想は、右肩上がりというベースがあっての話です。
それがない時代に当時の行動作法の美化されたいいところだけを騒ぐのはフェアじゃない。いつ切り捨てられるかわからないような環境で、しかも不況によって労働者側のイニシアティブが消えてしまった状況で、トドメに未来には絶望しか見えないような社会情勢で、奴隷になれ、何で奴隷にならないのだ?と言うのは筋が通らない。
言う事を聞かなければクビだ、仕事があるだけありがたく思え的な事をほざく、経団連御手洗的なゴミみたいな経営者に対してそんな気持ちなんて持てるわけがない。そういう所に忠誠心なんて持つ方がよっぽど気持ち悪い。美化されたありもしない、あった事もない幻想を拠り所にして、仕事に対する倫理を騒ぐクズがいっぱいいる。あげくそういう所に奴隷として従う事をむしろ自ら積極的に望んでいないと生き残れないような、労働者の権利もクソもない社会に成り果てた。
この国では必ず経済の調子が良くなると、行政が介入して阻止するという事が行なわれる。それは国民が裕福になっちゃ管理し難くなるからです。不安を沢山抱え、将来にビクビクし、経営者の言う事に逆らう事も無く、いざとなれば統治権力に何とかしてくれとすがる。奴隷として管理するのが一番楽で低コストで済む。その構造が統治権力者、経営者、そして不安を売り物にして金儲けしているゴキブリ、マスメディアに取って一番有利な条件であるからです。しかも流動化を阻止出来れば既得権も護持出来る。
そしてサブプライムバブルが崩壊した今、比較的影響が少ないと言っていたはずの日本の経済がここまで落ち込んでいる。新興国は内需に転換してすぐに復活してくるでしょうから、いかにしてそこに食らいつくのか?というのが今後の経済成長を占う分水嶺でもある。
にもかかわらず、中国ももうお終いだ的な啓蒙に溢れ、何とかして不況を維持させようと躍起になっている。大企業がそこに食らいついて利益を上げても経済成長には結びつかないわけだから、好きなだけ儲ける事も出来るし、それを還元しなくて済むようなスキームで回り、経済成長すると権益が減るステークホルダーは、なんとしてもこのチャンスを見過ごすように、統治権力は変なバカが総理に居座って機能不全を起こして政治空白を作り出し、マスメディアは暗い話ばかりを報じる。
続く!!!