前回の続きです。
派遣切りのような問題、貧困の問題、こういうものを解決する手段は先ず最初に結論から書きますが、経済成長、これしか無い。と書いた瞬間にある種アレルギー反応を起こすそこの貴方!!そのアレルギー反応をちょっと我慢して下さい。
何となく経済成長というと、小泉竹中改革のネガティブな側面にばかりスポットが当たり、大企業ばっかりが儲かって、株主はいい思いをし、庶民には恩恵は無い。六本木ヒルズみたいなバブリーな建物が出来たりして、ホリエモンのような不届きな輩が出てくるし、弱肉強食、優勝劣敗、庶民にいい事なんて何にもない。金の亡者がいい思いをして、弱者切り捨て、高齢者は放ったらかし、派遣の問題だって、そもそもそういう構造が生み出した使い捨てじゃないかと。何にもいい事なんて無いじゃないかと。大量消費に塗れ、大事なココロを置き去りにし、冷酷で人間味は無くロクなもんじゃない。一部の奴らがおいしい思いをしているだけなんじゃないかと。
経済成長なんて事にうつつを抜かすよりも、身近な所の絆を大切にして、もういいじゃないかこれ以上何が欲しいんだよ。これ以上何を求めるんだ?だいたい日本は人口も減って行くわけだし、もう経済成長なんてそもそも無理なんだから、経済成長なんてしなくても安定した生活があればそこそこでいいじゃないかと。
まあ、こんな感じのイメージを持っている方々が結構いるのではないかと思います。ヘタしたら政治家や経済学者までこういう事を言うようになっている。それなのに何で今更経済成長が大切だなんて事を言うのかと。
しかし本来弱者を放ったらかしにするかどうか、老人を切り捨てるかどうか、派遣の人達を切り捨てるかどうか、はたまた金持ちばっかりがいい思いをするかどうか、ココロの問題を置き去りにしているかどうか、その他諸々、経済成長によって生じるネガティブな側面だと思っている事の殆どは、冷静に考えればわかる事ですが、経済的に豊かになるという事とは無関係の事です。
そもそも経済成長なんてしなくたって心が豊かならばいいじゃねえかという言い方もおかしな話で、経済成長と心の豊かさの問題は関係ない。経済的に裕福になるという事と幸せになる事とはイコールではない。経済的に豊かになるという事は経済的な豊かさだけが増えるわけで、心の問題は別の話です。
その豊かさが増えたからと言って必ずしも幸福になれるとも言えないし、なれないとも言えない。貧乏だから不幸せとは言えないのと一緒で、ある程度の因果関係は生じる可能性は有り得ますが、経済成長は経済的な豊かさを増やすという話でしか結局の所無いわけで、そのせいで心を置き去りにするようになるとすれば、それは経済的豊かさの問題ではなく、心を置き去りにしてしまった事そのものが問題であるわけです。同じ境遇でも心を大切にしている人はいる。そこを切り離して考えないと変なイメージで経済成長を捉えてしまう。
弱者を切り捨ての問題もそうです。弱者を切り捨てているとすれば、弱者を切り捨てている事そのものが問題なだけで、経済成長とは別の話でもある。早い話が裕福になると弱肉強食になるとか、みんな利己的になるという事を要するに言っているわけですが、裕福になって余裕が生まれた方が、貧乏でカツカツの状態よりは、むしろ分け与えやすいはずで、プラスの効果こそあれ、マイナス効果は普通無いような気がする。経済成長に原因があるという事より、不況に原因がある。
しかしなぜか一般的には逆に捉えているというか、そのへんの区別が出来ていない所があります。経済成長なんて言うとご不満の方もいると思いますが、何によってそう思わされているのか?そのへんを少し切って行こうと思います。
格差問題、今のロスジェネ問題、派遣の問題、正規と非正規の問題、そしてワーキングプアの問題と、貧困の問題が騒がれる昨今、こういった問題の出発点はフリーターの問題から始まっていると思います。当時はどちらかと言えば怠業批判が出発点にあり、若者けしからんというのが元々あった。
これが段々深刻になって来て、今でも怠業批判しているバカもいますが、最近はどちらかと言えば、そういう人達を救うにはどうすればいいのだろう?という問題意識が共有されるようになっているかと思います。正社員の既得権をよこせとか、同一労働同一賃金とか、最低賃金を何とかしろと言った感じの、広い意味でのワークシェアリングに問題はフォーカスが当たっている。
しかし何でそういう人達がいるのだろう?という事を考えますと、そもそも原因となっているのは長い間不況が続いて、ちょっと景気回復したと思ったら再び不況に陥ってどうにもならなくなっている。原因の大本は不況にあるわけですが、不況というのは経済成長をしていないという事であるはずです。であるならば、もちろん不当に貯め込んだ利益をよこせというのはわかるのですが、経済成長しろという話がそういう弱者問題への処方箋としてあったっておかしくないはずなのに、そういう声はあまり出て来ない。実際に不遇な境遇に叩き込まれている方々もあまりそういう事は言わない。
むしろそれは悪い事であるかのような風潮もあるし、小泉竹中路線はインチキであったというのは間違いないのでしょうけれど、上げ潮路線、経済成長重視という風に言っていたわけで、それが全ての元凶だという話に落ちている。でもそれはちょっと違うんじゃねえか?という気がする。
限られたパイをどういう風に配分するかという問題ばかりにスポットが当たり、ジリ貧状態をどうやって打破するのかという話が出て来ない。そのパイを増やせば問題解決には一番手っ取り早いはずなのに。
経済成長にはネガティブな風潮、優勝劣敗弱肉強食的な匂い、それと同時に、人口も減って行くし、もうそもそも無理だよという諦めもある。そうであるとするならば、原因となる不況を克服せずに弱者を救うというのは非常に難しいんじゃないかという気がする。景気がよくても分け与えなかった事を、みんなカツカツになっていて分け与える事が出来るのか?
みんなが分け与えればそれで一時は済むかもしれませんが、どんどん縮小してしぼんで行くわけで。仕事が無くなって行くという事がこれからどんどん厳しくなる可能性がある。そこを手当てしないとどうにもならない。だいたい分け与えるような所が全く無くて、持っている人はそれを何とかして護持しようとしているのが今であるわけで、分け与えるのも難しいし、分け与える事が出来たとしても、経済成長を諦めるという前提というのは、諦めながら同じ水準でずっと保つという事は不可能です。どんどん貧乏になって行くのを受け入れるということですから、それでは袋小路な気がする。
このどんどん貧乏になるという感覚が理解出来ない人も多いのかもしれませんが、経済というのは一国の問題ではありませんので、環境や資源の問題なんかを考えると経済成長無しというのですと危険性を感じざるを得ない。経済成長イコール環境が保たない論が結構蔓延っているので厄介なのですが、今新興国もサブプライムの余波によって、壊滅的な打撃を受けたなんて言われていますが、アメリカの打撃とは根本的に話が違う。
まだまだ成長の余地が有り余る程あるわけで、まだまだ公共投資だって必要でしょうからどんどん内需も拡大して行くでしょう。特に中国なんかは積極的にそういう方向性をとると言っている。日本にはその余地もないし金も無い。政治家がバカなので多分10年20年グズグズするんでしょうけれど、それに比べれば比較的早い段階で回復すると思います。
その時に、どんどん裕福になるという事は、停滞している国に比べて、資源の購買力が高まって行く。そうすると需要が増えれば国際価格は上昇する。日本人が今まで買えた値段では資源が買えなくなってくる。あげく日本人の裕福さが下がり、経済がどんどん落ち込んで行けば、給料のうちに食費が占める割合、エネルギーが占める割合が増えて行き、家計を圧迫する。縮小再生産で所得も減って行く中で益々ジリ貧になって行くでしょう。経済成長不要論の危険さはそういう所にもある。そこそこでずっと同じ水準というのは諦めたら保てない。落ちて行く。
それじゃ自給自足なんだって話しに行くわけですが、みんなで自給自足すりゃ何とかなるでしょうけれど、自分は作らないけれど、誰か作ってねというのが殆どの人であるわけです。
そうなるとどっち道買うわけですが、例えば国際価格が倍で、中国やインドの人に売れば倍の値段で売れるものを、国内の人に2分の1で売れという話になったとしたら、それは農家の人だって売りたくなくなるだろうし、モチベーションも下がる。それを強制的に売れという風にするのも話が違う。天然資源に至れば外から買うしかないのが殆どなので更に言うまでもない。
自給率の問題もいろいろと罠があるので単純には言えないのですが、自給率を上げるという事そのものは別に悪い話じゃないと思いますが、それとセットで購買力の問題も考えないとマズい。
貿易というのは凄いもので、ソビエトがアフガンに侵攻したときもアメリカはソ連への輸出を止める事が出来なかった。中国人は日本人のことが大っ嫌いですが、日本製品は大好きですし、日本と韓国もなんだかんだともめますが、ドラマとかは大人気だったりする。経済活動というのは凄いもので、外国との関係性に敵か味方か?という評価とは別に、損か得か?という評価を生み出してくれます。得になると思えば嫌いだけれど仲良くするという選択肢が生まれる。薩摩と長州が憎しみあっていても同盟を結べたのはそれがあったからです。
そういうのが完全に止まってしまうような状況になるとしたら、それは第二次大戦と同等クラスの大戦争が起こる事を意味する。もしくは世界的な資源への需要が、本当の実体供給量を上回ってしまって奪い合いになることを意味する。だからその意味でも世界大戦が起こるという事かもしれませんが、そういう可能性はないとは言えないけれど、起こる可能性は低い。全然足りていてもちょっと不安が起これば大騒ぎするわけで、そのことで金儲けに利用されちゃっているという側面もあるわけです。
世界中の国家元首が麻生みたいなバカしかいないのなら可能性は大ですが、もう少しまともな人が普通なるものですから、一次的に危機は起こるかもしれませんが、壊滅するまで突っ走るという可能性は低いでしょう。仮にそういう事が起こればどっち道お終いですので、可能性は低くとも起こればリスクが高過ぎますから、そういう意味での食料自給率を心配するのも大切なのですが、もっと現実的且つ直近の問題としては買えるかどうか、購買力があるかどうかの方を切実に心配した方がいい。じゃないと国内の農家までも搾取しなくちゃ回らなくなる。
新興国が毎年成長を続けて行けば、そのうち日本よりも間違いなく裕福になり、日本が経済成長を諦めるのなら、追い抜かれればもう二度と追いつくことは出来ないでしょう。そうすればどうしたって、食料の需要は桁違いですし、購買力も持てば、日本人の家計に占める食費の割合は増えて行かざるを得ない。そういうことも含み込みでわかって経済成長を諦めろと言っているのなら話はわかりますが、単なるノスタルジックなクソみたいな感覚で、経済成長害悪論に加担しているのだとしたら、とんでもない話です。
経済成長イコール環境が保たない論も日本は結構環境効率のいい国でもあるので、日本が経済成長したくらいじゃ環境破壊にはたいして影響は無いでしょう。日本のGDPは世界の10%をちょっと切ったくらいであるのと比較すると、CO2の排出量は世界の5%弱ぐらいで、CO2効率のいい国でもあるし、経済発展しても環境負荷が大きくなるようなものは需要していない。需要飽和によって資源をバンバン使っているようなものを欲しがらなくなっている。むしろ環境の問題に効果的なものを開発する余裕が無くなって行く事の方が問題で、そういう問題を解決する為にも、経済成長した方が袋小路に落ちなくて済む。
日本だけ環境を大切にしても、地球は一つですので、新興国が猛烈に経済成長に突っ走れば環境の問題は深刻になる可能性がある。その時にある程度意見を言ったり存在感を示すには、金も無く落ちぶれた衰退国家で、開発力もなく余裕も無い国になってしまえば、誰も聞いてくれない。環境対策がただ貧乏になって我慢しろでは魅力が無さ過ぎる。それでは動員にはならない。
大恐慌を引き合いに出して、資本主義の終わり、アメリカの終焉を言う論調が結構あるわけですが、その時ピークに落ち込んでいたのはだいたい2年くらいで、その後強く回復する。なので恐慌自体が資本主義全体の危機とまで言っちゃうのは言い過ぎです。特に日本人というのは、日本はもうダメだ論、お終いだ論が大好きなので、アメリカ人的楽観論とは随分違う所がある。アメリカ人は2年でバブル崩壊を忘れるなんて言います。
日本の成長出来ない、いらない論というのは、批判的精神であるのならいいのですが、それが主流になってしまうパターンがある、無理矢理にでも旗を振って景気を回復もしくは拡大させるぞというべき政治家が、成長を諦める的な事を本当にバカでポピュリズムに媚びて言っちゃう人も多い。非常に恐い事です。
民主党は決定的に経済政策のセンスが無いし、自民党の幹部の中でもすでに経済成長を諦めようという風に本気で言っている奴らもいるので、非常に危険な状態、何を言っているのかといえば結局増税しか言っていない。
与謝野が景気がよくなったってどうせ先送りするだろうから、今のうちにやっておく的な事を言ってましたが、そういう問題じゃねえんだよって感じです。
国民はどうせ官僚のポケットに入るだけだろうという事を懸念しているわけで、増税が絶対にダメだと思っているわけじゃない。誰だって、増税は必要かもしれないなと思っている。だけどそれが無駄に使われているのではないのか?という事を怒っているわけで、その疑いを全力で晴らすか、キッチリ透明化して役人の懐に入らないようにするのが先であって、この順序は最低限の基本的な常識的話です。逆は有り得ない。
風呂にお湯を溜めるには、風呂桶に栓をしなきゃお湯は溜まらない。栓がしまってないどころかでっかい穴があいているわけで、それを塞がないと、どんなにお湯を汲んだって無駄です。
このタイミングでどうせ不人気なんだからという事で自爆覚悟で増税をちらつかせる経済へ鈍感過ぎる感性も絶望的ですが、経済が停滞してジリ貧になって行けばどんなに増税したとしても、財政再建は出来ない。今の日本の借金であれば実質成長2.5%インフレ率2.5%で5%成長を10年続ければ、たいした額じゃない。しかしゼロ成長で今の借金を返すのは非常に厳しい。
統治権力が国を豊かにする事が出来ないと公言して、普通でいられるという状態は異常です。自らを無能なりと言って平気な顔をしているわけですから。
経済成長というと小泉竹中改革のネガティブ面を取り上げられますが、これも今イチよくわからない。彼らは別に何もやっちゃいない。とてもじゃないけれど経済成長に繋がりそうな政策は打っていない。たいした事は何もしなかった、無策だったわけです。統治権力が余計な事をしなかったから経済が復活して行った。言わば棚ぼた的な話です。
もちろんアメリカとの関係や自衛隊の扱い、政府の審議会に経団連のステークホルダーを入れて、そいつらが儲かりそうな所を改革するぞと旗を立て、責任を民間にパージして統治権力が責任を取らなくて済む構造に変えたというのは確かにそうなんですが、これらは自民党がずっと行なって来た方向性でいつものパターンだっただけの話です。年次改革要望書スキームに従うという。事後チェック型の社会も90年代から着々と進んで来た。
日本経済を外資に売り渡したとか言っていた人もいっぱいいましたが、外資に売り渡すも何も買っても貰えなかったし、もう今ではそんな事を言うのも虚しい状態です。そういう事を言っていた人は、その口を拭う事も反省する事もなく、オバマはユダヤの手先だ的な事を言っています。困ったもんです。まあ本当なのかもしれませんが、せめて自分達が言っていた事くらい反省してから次の話に行けよって感じがする。
問題点はいっぱいあったのは確かですが、少なくとも経済政策はたいした事はしていない。復活する時というのは、どうしても金持っている人とか大企業から先に復活して行くもので、それがトリクルダウンするには時間がかかる。しかしトリクルダウンする前に、小泉のレイムダックとともに大騒ぎして余計な介入が始まって、メディアもバブルバブルと大騒ぎして、国民もそれを喜んで受け入れた。不景気になりたくてなった。わざわざ不況にしたわけです。
そこにトドメとも言えるサブプライム問題が起こるわけですが、その前から官製不況が起こっていた。小泉政権の末期のレイムダックからの官製不況の始まりを問題にするのならわかりますが、そこはむしろホリエモン問題なんかもあったので、国民は拍手喝采している。今でもそれはズルをして儲けた金持ちに対する天罰だ的な、どちらかと言えば小泉的な優勝劣敗、市場原理主義的方向性を食い止めたみたいな感じで言われることがあっても、そこが問題だという話はあまり表には出て来ない。
派遣法の改正だって、そもそも一番の転換期は99年であるわけで、小泉政権の時の話ではない。彼らのせいだというのはちょっと違う。もちろん彼らも法改正はしていますから彼らが悪くないとか言いたいわけじゃありませんが、それは元々の既定路線だと言えるわけで、彼らが諸悪の根源だとまで言ってしまうのは、ちょっと言い過ぎな気がする。自民党が行なって来た路線をそのまま続けていただけです。みんな自民党を支持して来たわけです。
もちろん小泉は金持ち減税をやったりしているので、その事が格差拡大的な感覚を後押ししたのかもしれませんが、郵政公社の名前を変えただけの郵政民営化と、善いか悪いかは別として官邸主導に変えたという変化があったくらいで、経済成長の為には別に何もやってない。
官僚の権益が減っているわけでもないし、小さな政府になったわけでもない。何もやっていないという批判ならわかるけれど、日本経済を散々いじくって滅茶苦茶にしたみたいな言い方はちょっと彼らの評価を見誤っている。何にもやってないから問題なんだというのなら話はわかるけれど、上げ潮路線が足らなかったという話じゃなくて、そのせいでこんなになっちゃったという話になっている。
一番わかりやすい話を言えば、竹中平蔵がメディアに出て来て経済成長の為に自分がやった事として必ず言う事、これはほぼ一つしかありません。不良債権処理これしか言わない。なぜなら他に何も無いからです。たいした事はやっちゃいない。
不良債権処理を竹中は誇っていますが、別に竹中がやったわけじゃないし、海外の景気がよかったのと、円安を放置出来たというのが、ドライブさせた原因で、結果的によかったという話でしかない。経済成長の為に必要な措置は何もしていない。無能な統治権力が何もしなかったからかえって上手く行った。棚ぼたなだけ。
格差の問題も小泉と同じように言われた人物が70年前にいました。だるま宰相こと高橋是清です。暗殺されちゃいましたが、昭和恐慌というのは世界恐慌のようにいきなり来たわけじゃなくて、1920年代から、10以上不況が続いた。その間に広がった格差だったわけですが、格差の実感というのは格差の原因が始まってから暫くたたないと実感出来ない。
経済停滞によって社会が崩壊するまでには結構時間がかかる。イギリスが第二次大戦以降ずっと調子が悪かったけれど、悪くないそこそこだと言っていたら70年代に入って底が抜けたようにどん底状態になる。
小泉政権が棚ぼただったのと逆に、アンラッキーだったのは、格差の原因が始まったバブル崩壊以降、失われた10年の間に無策だったというか、無能な統治権力が余計な事をやって、的確な対策を打たず益々不況になり(放置しといた方が上手く行ったかもしれない、今も財政出動とか言ってますが、失われた10年でいくら使ったか?120兆使っても効果がなかった。しかも120兆使って、借金が800兆です。不況のときの財政出動は変動相場制のもとでは効果がない。これは経済学の基本です。しかしこれは政治家には人気がない。票稼ぎに使えないわけですから。)、出口が見えなかった。それが顕在化して来たから、小泉が全部悪いように見えちゃった。それに金持ち減税なんかしちゃったもんだから余計に悪の権化みたいに見えたのかもしれません。
ある程度の期間経済発展を遂げた国というのは、バッファがあるので不景気になってもクッションの作用を起こして、一気に絶望しないで済む。不況とか経済の長期停滞というのはそのバッファをゆっくり削って行く、日本もだいぶ厳しくなって来ましたが、この状態でもそこそこ暮らせるし、まあ何とかやっているわけだから、経済成長しなくてもいいんじゃないか?という風に今後10年続けていくと、ある時、どうにもならないような底抜けが始まる。いやもう始まっているのかもしれない。
教育もまともに受けられない世代が社会に登場し出すと、もう社会不安とか格差の固定化とかそういう呑気な話じゃなくて、手のつけようが無い状況になってしまう。今はかろうじて話が通じる(通じない人も増えていますが)からどうにかなるし、テレビであったりパソコンであったりと、なんだかんだでみんな持っていますから、それなりに共通前提を作り出す、社会というフィクションを回す共通了解を共有出来るわけですが、それが消えるという事は、もう取り返しがつかない状況になる。浮上する確率がゼロであれば、犯罪を犯すという選択が十分合理的な選択になってしまう。
このまま放置して行けば今のロスジェネのジュニア達が社会に出るまで持たないかもしれない。というかロスジェネには子供を作れないという人もいるでしょうから、そういう所をどうやって引っ張り上げるのかを考えないと、経済成長なんてしなくていいぜなんて呑気なことを言ってる場合じゃなくなる。経済成長も何も社会全体が回らなくなる。そういう事を含み込みで、経済成長無用論をみんなが望んでいるのなら、これはどうにもなりませんが、明らかに選択出来るように選択肢が提示されているようには感じられません。
小泉が生み出した格差で重要なのは地方と都市間の格差だったでしょう。日本の場合地方と都市間格差を埋める為にずっと金を使って来た。昔は自分の生まれた、親が住む故郷への再分配という感覚、地方出身者が都会に出て来て発展させる代わりに、地方を空洞化させた事へのオトシ前的感覚があったので機能していたわけですが、段々何も関係ない所で金が回っているという感覚が増えて行く、不況で都市部でも辛い人々が増えているのに、口を開けて公共事業を待っている連中に再配分するのがバカらしくなる。
昔は都市部は裕福、地方は貧乏という図式があったわけですが、もう随分前から都市部にも貧乏人がいるし、地方にも公共事業のような金を回して、利権を貪って裕福な輩がいるようになって来た。都市部の貧乏人から金を撒き上げて、地方の金持ちに金を撒いているという図式に見えるようになって来た。地方の金の無い人達が救われているという事よりも、公共事業の悪弊、一部の既得権が談合を通じて利益を回している構造が目立つようになって行く。中抜きしている連中の利権が多くの国民にとって共有出来るようになる。
これはいきなりそうなったという話ではなくて、昔からそういう図式はあったのだろうと思いますが、なぜそういう事が気になり出したのかといえば不況だったからです。景気がよければ気にならない。不況になると抜け駆けを感じるようになる。こういう図式を見ても経済成長無しで分け合う事の難しさを感じます。
この世代論的なルサンチマンを小泉は上手く拾って動員した。そこに乗っかったのは明らかに国民で、彼があれだけ支持されたのは国民が支持したからで、支持率何%だったか?その事を忘れちゃいけない。その頃規制緩和しろとみんなで吹き上がっていたのに、全く同じ人が再配分を要求したり、構造改革害悪論を唱え、経済成長無用論を唱えたりしている。そこの所を自覚しないとマズい。
つづく!!
派遣切りのような問題、貧困の問題、こういうものを解決する手段は先ず最初に結論から書きますが、経済成長、これしか無い。と書いた瞬間にある種アレルギー反応を起こすそこの貴方!!そのアレルギー反応をちょっと我慢して下さい。
何となく経済成長というと、小泉竹中改革のネガティブな側面にばかりスポットが当たり、大企業ばっかりが儲かって、株主はいい思いをし、庶民には恩恵は無い。六本木ヒルズみたいなバブリーな建物が出来たりして、ホリエモンのような不届きな輩が出てくるし、弱肉強食、優勝劣敗、庶民にいい事なんて何にもない。金の亡者がいい思いをして、弱者切り捨て、高齢者は放ったらかし、派遣の問題だって、そもそもそういう構造が生み出した使い捨てじゃないかと。何にもいい事なんて無いじゃないかと。大量消費に塗れ、大事なココロを置き去りにし、冷酷で人間味は無くロクなもんじゃない。一部の奴らがおいしい思いをしているだけなんじゃないかと。
経済成長なんて事にうつつを抜かすよりも、身近な所の絆を大切にして、もういいじゃないかこれ以上何が欲しいんだよ。これ以上何を求めるんだ?だいたい日本は人口も減って行くわけだし、もう経済成長なんてそもそも無理なんだから、経済成長なんてしなくても安定した生活があればそこそこでいいじゃないかと。
まあ、こんな感じのイメージを持っている方々が結構いるのではないかと思います。ヘタしたら政治家や経済学者までこういう事を言うようになっている。それなのに何で今更経済成長が大切だなんて事を言うのかと。
しかし本来弱者を放ったらかしにするかどうか、老人を切り捨てるかどうか、派遣の人達を切り捨てるかどうか、はたまた金持ちばっかりがいい思いをするかどうか、ココロの問題を置き去りにしているかどうか、その他諸々、経済成長によって生じるネガティブな側面だと思っている事の殆どは、冷静に考えればわかる事ですが、経済的に豊かになるという事とは無関係の事です。
そもそも経済成長なんてしなくたって心が豊かならばいいじゃねえかという言い方もおかしな話で、経済成長と心の豊かさの問題は関係ない。経済的に裕福になるという事と幸せになる事とはイコールではない。経済的に豊かになるという事は経済的な豊かさだけが増えるわけで、心の問題は別の話です。
その豊かさが増えたからと言って必ずしも幸福になれるとも言えないし、なれないとも言えない。貧乏だから不幸せとは言えないのと一緒で、ある程度の因果関係は生じる可能性は有り得ますが、経済成長は経済的な豊かさを増やすという話でしか結局の所無いわけで、そのせいで心を置き去りにするようになるとすれば、それは経済的豊かさの問題ではなく、心を置き去りにしてしまった事そのものが問題であるわけです。同じ境遇でも心を大切にしている人はいる。そこを切り離して考えないと変なイメージで経済成長を捉えてしまう。
弱者を切り捨ての問題もそうです。弱者を切り捨てているとすれば、弱者を切り捨てている事そのものが問題なだけで、経済成長とは別の話でもある。早い話が裕福になると弱肉強食になるとか、みんな利己的になるという事を要するに言っているわけですが、裕福になって余裕が生まれた方が、貧乏でカツカツの状態よりは、むしろ分け与えやすいはずで、プラスの効果こそあれ、マイナス効果は普通無いような気がする。経済成長に原因があるという事より、不況に原因がある。
しかしなぜか一般的には逆に捉えているというか、そのへんの区別が出来ていない所があります。経済成長なんて言うとご不満の方もいると思いますが、何によってそう思わされているのか?そのへんを少し切って行こうと思います。
格差問題、今のロスジェネ問題、派遣の問題、正規と非正規の問題、そしてワーキングプアの問題と、貧困の問題が騒がれる昨今、こういった問題の出発点はフリーターの問題から始まっていると思います。当時はどちらかと言えば怠業批判が出発点にあり、若者けしからんというのが元々あった。
これが段々深刻になって来て、今でも怠業批判しているバカもいますが、最近はどちらかと言えば、そういう人達を救うにはどうすればいいのだろう?という問題意識が共有されるようになっているかと思います。正社員の既得権をよこせとか、同一労働同一賃金とか、最低賃金を何とかしろと言った感じの、広い意味でのワークシェアリングに問題はフォーカスが当たっている。
しかし何でそういう人達がいるのだろう?という事を考えますと、そもそも原因となっているのは長い間不況が続いて、ちょっと景気回復したと思ったら再び不況に陥ってどうにもならなくなっている。原因の大本は不況にあるわけですが、不況というのは経済成長をしていないという事であるはずです。であるならば、もちろん不当に貯め込んだ利益をよこせというのはわかるのですが、経済成長しろという話がそういう弱者問題への処方箋としてあったっておかしくないはずなのに、そういう声はあまり出て来ない。実際に不遇な境遇に叩き込まれている方々もあまりそういう事は言わない。
むしろそれは悪い事であるかのような風潮もあるし、小泉竹中路線はインチキであったというのは間違いないのでしょうけれど、上げ潮路線、経済成長重視という風に言っていたわけで、それが全ての元凶だという話に落ちている。でもそれはちょっと違うんじゃねえか?という気がする。
限られたパイをどういう風に配分するかという問題ばかりにスポットが当たり、ジリ貧状態をどうやって打破するのかという話が出て来ない。そのパイを増やせば問題解決には一番手っ取り早いはずなのに。
経済成長にはネガティブな風潮、優勝劣敗弱肉強食的な匂い、それと同時に、人口も減って行くし、もうそもそも無理だよという諦めもある。そうであるとするならば、原因となる不況を克服せずに弱者を救うというのは非常に難しいんじゃないかという気がする。景気がよくても分け与えなかった事を、みんなカツカツになっていて分け与える事が出来るのか?
みんなが分け与えればそれで一時は済むかもしれませんが、どんどん縮小してしぼんで行くわけで。仕事が無くなって行くという事がこれからどんどん厳しくなる可能性がある。そこを手当てしないとどうにもならない。だいたい分け与えるような所が全く無くて、持っている人はそれを何とかして護持しようとしているのが今であるわけで、分け与えるのも難しいし、分け与える事が出来たとしても、経済成長を諦めるという前提というのは、諦めながら同じ水準でずっと保つという事は不可能です。どんどん貧乏になって行くのを受け入れるということですから、それでは袋小路な気がする。
このどんどん貧乏になるという感覚が理解出来ない人も多いのかもしれませんが、経済というのは一国の問題ではありませんので、環境や資源の問題なんかを考えると経済成長無しというのですと危険性を感じざるを得ない。経済成長イコール環境が保たない論が結構蔓延っているので厄介なのですが、今新興国もサブプライムの余波によって、壊滅的な打撃を受けたなんて言われていますが、アメリカの打撃とは根本的に話が違う。
まだまだ成長の余地が有り余る程あるわけで、まだまだ公共投資だって必要でしょうからどんどん内需も拡大して行くでしょう。特に中国なんかは積極的にそういう方向性をとると言っている。日本にはその余地もないし金も無い。政治家がバカなので多分10年20年グズグズするんでしょうけれど、それに比べれば比較的早い段階で回復すると思います。
その時に、どんどん裕福になるという事は、停滞している国に比べて、資源の購買力が高まって行く。そうすると需要が増えれば国際価格は上昇する。日本人が今まで買えた値段では資源が買えなくなってくる。あげく日本人の裕福さが下がり、経済がどんどん落ち込んで行けば、給料のうちに食費が占める割合、エネルギーが占める割合が増えて行き、家計を圧迫する。縮小再生産で所得も減って行く中で益々ジリ貧になって行くでしょう。経済成長不要論の危険さはそういう所にもある。そこそこでずっと同じ水準というのは諦めたら保てない。落ちて行く。
それじゃ自給自足なんだって話しに行くわけですが、みんなで自給自足すりゃ何とかなるでしょうけれど、自分は作らないけれど、誰か作ってねというのが殆どの人であるわけです。
そうなるとどっち道買うわけですが、例えば国際価格が倍で、中国やインドの人に売れば倍の値段で売れるものを、国内の人に2分の1で売れという話になったとしたら、それは農家の人だって売りたくなくなるだろうし、モチベーションも下がる。それを強制的に売れという風にするのも話が違う。天然資源に至れば外から買うしかないのが殆どなので更に言うまでもない。
自給率の問題もいろいろと罠があるので単純には言えないのですが、自給率を上げるという事そのものは別に悪い話じゃないと思いますが、それとセットで購買力の問題も考えないとマズい。
貿易というのは凄いもので、ソビエトがアフガンに侵攻したときもアメリカはソ連への輸出を止める事が出来なかった。中国人は日本人のことが大っ嫌いですが、日本製品は大好きですし、日本と韓国もなんだかんだともめますが、ドラマとかは大人気だったりする。経済活動というのは凄いもので、外国との関係性に敵か味方か?という評価とは別に、損か得か?という評価を生み出してくれます。得になると思えば嫌いだけれど仲良くするという選択肢が生まれる。薩摩と長州が憎しみあっていても同盟を結べたのはそれがあったからです。
そういうのが完全に止まってしまうような状況になるとしたら、それは第二次大戦と同等クラスの大戦争が起こる事を意味する。もしくは世界的な資源への需要が、本当の実体供給量を上回ってしまって奪い合いになることを意味する。だからその意味でも世界大戦が起こるという事かもしれませんが、そういう可能性はないとは言えないけれど、起こる可能性は低い。全然足りていてもちょっと不安が起これば大騒ぎするわけで、そのことで金儲けに利用されちゃっているという側面もあるわけです。
世界中の国家元首が麻生みたいなバカしかいないのなら可能性は大ですが、もう少しまともな人が普通なるものですから、一次的に危機は起こるかもしれませんが、壊滅するまで突っ走るという可能性は低いでしょう。仮にそういう事が起こればどっち道お終いですので、可能性は低くとも起こればリスクが高過ぎますから、そういう意味での食料自給率を心配するのも大切なのですが、もっと現実的且つ直近の問題としては買えるかどうか、購買力があるかどうかの方を切実に心配した方がいい。じゃないと国内の農家までも搾取しなくちゃ回らなくなる。
新興国が毎年成長を続けて行けば、そのうち日本よりも間違いなく裕福になり、日本が経済成長を諦めるのなら、追い抜かれればもう二度と追いつくことは出来ないでしょう。そうすればどうしたって、食料の需要は桁違いですし、購買力も持てば、日本人の家計に占める食費の割合は増えて行かざるを得ない。そういうことも含み込みでわかって経済成長を諦めろと言っているのなら話はわかりますが、単なるノスタルジックなクソみたいな感覚で、経済成長害悪論に加担しているのだとしたら、とんでもない話です。
経済成長イコール環境が保たない論も日本は結構環境効率のいい国でもあるので、日本が経済成長したくらいじゃ環境破壊にはたいして影響は無いでしょう。日本のGDPは世界の10%をちょっと切ったくらいであるのと比較すると、CO2の排出量は世界の5%弱ぐらいで、CO2効率のいい国でもあるし、経済発展しても環境負荷が大きくなるようなものは需要していない。需要飽和によって資源をバンバン使っているようなものを欲しがらなくなっている。むしろ環境の問題に効果的なものを開発する余裕が無くなって行く事の方が問題で、そういう問題を解決する為にも、経済成長した方が袋小路に落ちなくて済む。
日本だけ環境を大切にしても、地球は一つですので、新興国が猛烈に経済成長に突っ走れば環境の問題は深刻になる可能性がある。その時にある程度意見を言ったり存在感を示すには、金も無く落ちぶれた衰退国家で、開発力もなく余裕も無い国になってしまえば、誰も聞いてくれない。環境対策がただ貧乏になって我慢しろでは魅力が無さ過ぎる。それでは動員にはならない。
大恐慌を引き合いに出して、資本主義の終わり、アメリカの終焉を言う論調が結構あるわけですが、その時ピークに落ち込んでいたのはだいたい2年くらいで、その後強く回復する。なので恐慌自体が資本主義全体の危機とまで言っちゃうのは言い過ぎです。特に日本人というのは、日本はもうダメだ論、お終いだ論が大好きなので、アメリカ人的楽観論とは随分違う所がある。アメリカ人は2年でバブル崩壊を忘れるなんて言います。
日本の成長出来ない、いらない論というのは、批判的精神であるのならいいのですが、それが主流になってしまうパターンがある、無理矢理にでも旗を振って景気を回復もしくは拡大させるぞというべき政治家が、成長を諦める的な事を本当にバカでポピュリズムに媚びて言っちゃう人も多い。非常に恐い事です。
民主党は決定的に経済政策のセンスが無いし、自民党の幹部の中でもすでに経済成長を諦めようという風に本気で言っている奴らもいるので、非常に危険な状態、何を言っているのかといえば結局増税しか言っていない。
与謝野が景気がよくなったってどうせ先送りするだろうから、今のうちにやっておく的な事を言ってましたが、そういう問題じゃねえんだよって感じです。
国民はどうせ官僚のポケットに入るだけだろうという事を懸念しているわけで、増税が絶対にダメだと思っているわけじゃない。誰だって、増税は必要かもしれないなと思っている。だけどそれが無駄に使われているのではないのか?という事を怒っているわけで、その疑いを全力で晴らすか、キッチリ透明化して役人の懐に入らないようにするのが先であって、この順序は最低限の基本的な常識的話です。逆は有り得ない。
風呂にお湯を溜めるには、風呂桶に栓をしなきゃお湯は溜まらない。栓がしまってないどころかでっかい穴があいているわけで、それを塞がないと、どんなにお湯を汲んだって無駄です。
このタイミングでどうせ不人気なんだからという事で自爆覚悟で増税をちらつかせる経済へ鈍感過ぎる感性も絶望的ですが、経済が停滞してジリ貧になって行けばどんなに増税したとしても、財政再建は出来ない。今の日本の借金であれば実質成長2.5%インフレ率2.5%で5%成長を10年続ければ、たいした額じゃない。しかしゼロ成長で今の借金を返すのは非常に厳しい。
統治権力が国を豊かにする事が出来ないと公言して、普通でいられるという状態は異常です。自らを無能なりと言って平気な顔をしているわけですから。
経済成長というと小泉竹中改革のネガティブ面を取り上げられますが、これも今イチよくわからない。彼らは別に何もやっちゃいない。とてもじゃないけれど経済成長に繋がりそうな政策は打っていない。たいした事は何もしなかった、無策だったわけです。統治権力が余計な事をしなかったから経済が復活して行った。言わば棚ぼた的な話です。
もちろんアメリカとの関係や自衛隊の扱い、政府の審議会に経団連のステークホルダーを入れて、そいつらが儲かりそうな所を改革するぞと旗を立て、責任を民間にパージして統治権力が責任を取らなくて済む構造に変えたというのは確かにそうなんですが、これらは自民党がずっと行なって来た方向性でいつものパターンだっただけの話です。年次改革要望書スキームに従うという。事後チェック型の社会も90年代から着々と進んで来た。
日本経済を外資に売り渡したとか言っていた人もいっぱいいましたが、外資に売り渡すも何も買っても貰えなかったし、もう今ではそんな事を言うのも虚しい状態です。そういう事を言っていた人は、その口を拭う事も反省する事もなく、オバマはユダヤの手先だ的な事を言っています。困ったもんです。まあ本当なのかもしれませんが、せめて自分達が言っていた事くらい反省してから次の話に行けよって感じがする。
問題点はいっぱいあったのは確かですが、少なくとも経済政策はたいした事はしていない。復活する時というのは、どうしても金持っている人とか大企業から先に復活して行くもので、それがトリクルダウンするには時間がかかる。しかしトリクルダウンする前に、小泉のレイムダックとともに大騒ぎして余計な介入が始まって、メディアもバブルバブルと大騒ぎして、国民もそれを喜んで受け入れた。不景気になりたくてなった。わざわざ不況にしたわけです。
そこにトドメとも言えるサブプライム問題が起こるわけですが、その前から官製不況が起こっていた。小泉政権の末期のレイムダックからの官製不況の始まりを問題にするのならわかりますが、そこはむしろホリエモン問題なんかもあったので、国民は拍手喝采している。今でもそれはズルをして儲けた金持ちに対する天罰だ的な、どちらかと言えば小泉的な優勝劣敗、市場原理主義的方向性を食い止めたみたいな感じで言われることがあっても、そこが問題だという話はあまり表には出て来ない。
派遣法の改正だって、そもそも一番の転換期は99年であるわけで、小泉政権の時の話ではない。彼らのせいだというのはちょっと違う。もちろん彼らも法改正はしていますから彼らが悪くないとか言いたいわけじゃありませんが、それは元々の既定路線だと言えるわけで、彼らが諸悪の根源だとまで言ってしまうのは、ちょっと言い過ぎな気がする。自民党が行なって来た路線をそのまま続けていただけです。みんな自民党を支持して来たわけです。
もちろん小泉は金持ち減税をやったりしているので、その事が格差拡大的な感覚を後押ししたのかもしれませんが、郵政公社の名前を変えただけの郵政民営化と、善いか悪いかは別として官邸主導に変えたという変化があったくらいで、経済成長の為には別に何もやってない。
官僚の権益が減っているわけでもないし、小さな政府になったわけでもない。何もやっていないという批判ならわかるけれど、日本経済を散々いじくって滅茶苦茶にしたみたいな言い方はちょっと彼らの評価を見誤っている。何にもやってないから問題なんだというのなら話はわかるけれど、上げ潮路線が足らなかったという話じゃなくて、そのせいでこんなになっちゃったという話になっている。
一番わかりやすい話を言えば、竹中平蔵がメディアに出て来て経済成長の為に自分がやった事として必ず言う事、これはほぼ一つしかありません。不良債権処理これしか言わない。なぜなら他に何も無いからです。たいした事はやっちゃいない。
不良債権処理を竹中は誇っていますが、別に竹中がやったわけじゃないし、海外の景気がよかったのと、円安を放置出来たというのが、ドライブさせた原因で、結果的によかったという話でしかない。経済成長の為に必要な措置は何もしていない。無能な統治権力が何もしなかったからかえって上手く行った。棚ぼたなだけ。
格差の問題も小泉と同じように言われた人物が70年前にいました。だるま宰相こと高橋是清です。暗殺されちゃいましたが、昭和恐慌というのは世界恐慌のようにいきなり来たわけじゃなくて、1920年代から、10以上不況が続いた。その間に広がった格差だったわけですが、格差の実感というのは格差の原因が始まってから暫くたたないと実感出来ない。
経済停滞によって社会が崩壊するまでには結構時間がかかる。イギリスが第二次大戦以降ずっと調子が悪かったけれど、悪くないそこそこだと言っていたら70年代に入って底が抜けたようにどん底状態になる。
小泉政権が棚ぼただったのと逆に、アンラッキーだったのは、格差の原因が始まったバブル崩壊以降、失われた10年の間に無策だったというか、無能な統治権力が余計な事をやって、的確な対策を打たず益々不況になり(放置しといた方が上手く行ったかもしれない、今も財政出動とか言ってますが、失われた10年でいくら使ったか?120兆使っても効果がなかった。しかも120兆使って、借金が800兆です。不況のときの財政出動は変動相場制のもとでは効果がない。これは経済学の基本です。しかしこれは政治家には人気がない。票稼ぎに使えないわけですから。)、出口が見えなかった。それが顕在化して来たから、小泉が全部悪いように見えちゃった。それに金持ち減税なんかしちゃったもんだから余計に悪の権化みたいに見えたのかもしれません。
ある程度の期間経済発展を遂げた国というのは、バッファがあるので不景気になってもクッションの作用を起こして、一気に絶望しないで済む。不況とか経済の長期停滞というのはそのバッファをゆっくり削って行く、日本もだいぶ厳しくなって来ましたが、この状態でもそこそこ暮らせるし、まあ何とかやっているわけだから、経済成長しなくてもいいんじゃないか?という風に今後10年続けていくと、ある時、どうにもならないような底抜けが始まる。いやもう始まっているのかもしれない。
教育もまともに受けられない世代が社会に登場し出すと、もう社会不安とか格差の固定化とかそういう呑気な話じゃなくて、手のつけようが無い状況になってしまう。今はかろうじて話が通じる(通じない人も増えていますが)からどうにかなるし、テレビであったりパソコンであったりと、なんだかんだでみんな持っていますから、それなりに共通前提を作り出す、社会というフィクションを回す共通了解を共有出来るわけですが、それが消えるという事は、もう取り返しがつかない状況になる。浮上する確率がゼロであれば、犯罪を犯すという選択が十分合理的な選択になってしまう。
このまま放置して行けば今のロスジェネのジュニア達が社会に出るまで持たないかもしれない。というかロスジェネには子供を作れないという人もいるでしょうから、そういう所をどうやって引っ張り上げるのかを考えないと、経済成長なんてしなくていいぜなんて呑気なことを言ってる場合じゃなくなる。経済成長も何も社会全体が回らなくなる。そういう事を含み込みで、経済成長無用論をみんなが望んでいるのなら、これはどうにもなりませんが、明らかに選択出来るように選択肢が提示されているようには感じられません。
小泉が生み出した格差で重要なのは地方と都市間の格差だったでしょう。日本の場合地方と都市間格差を埋める為にずっと金を使って来た。昔は自分の生まれた、親が住む故郷への再分配という感覚、地方出身者が都会に出て来て発展させる代わりに、地方を空洞化させた事へのオトシ前的感覚があったので機能していたわけですが、段々何も関係ない所で金が回っているという感覚が増えて行く、不況で都市部でも辛い人々が増えているのに、口を開けて公共事業を待っている連中に再配分するのがバカらしくなる。
昔は都市部は裕福、地方は貧乏という図式があったわけですが、もう随分前から都市部にも貧乏人がいるし、地方にも公共事業のような金を回して、利権を貪って裕福な輩がいるようになって来た。都市部の貧乏人から金を撒き上げて、地方の金持ちに金を撒いているという図式に見えるようになって来た。地方の金の無い人達が救われているという事よりも、公共事業の悪弊、一部の既得権が談合を通じて利益を回している構造が目立つようになって行く。中抜きしている連中の利権が多くの国民にとって共有出来るようになる。
これはいきなりそうなったという話ではなくて、昔からそういう図式はあったのだろうと思いますが、なぜそういう事が気になり出したのかといえば不況だったからです。景気がよければ気にならない。不況になると抜け駆けを感じるようになる。こういう図式を見ても経済成長無しで分け合う事の難しさを感じます。
この世代論的なルサンチマンを小泉は上手く拾って動員した。そこに乗っかったのは明らかに国民で、彼があれだけ支持されたのは国民が支持したからで、支持率何%だったか?その事を忘れちゃいけない。その頃規制緩和しろとみんなで吹き上がっていたのに、全く同じ人が再配分を要求したり、構造改革害悪論を唱え、経済成長無用論を唱えたりしている。そこの所を自覚しないとマズい。
つづく!!