前回の続きです。
そうは言っても大手マスコミの動員はまだまだ力はあるし、拒否権よりも麻生万歳みたいな人もいるし、選挙?興味ありませーん、遊ぶ約束が・・・・みたいな人もいるので、建て前はわかるけれどどうするのさって話になるでしょう。マスコミを無視しろと言ったって、それを本気にしている人を説得するのは難しく、一筋縄じゃいかないのではないか?
確かにじゃあ具体的にどうするんだよと言えば、一気に解決する方法などどこにも無いかのように感じる。が、しかしそんな事は無い、マスコミが本来はたすべき役割というか、何らかの必要があるからマスコミという機能が必要だったわけで、それを我々が補えばいいのです。ネットも含めたマスコミ機能の外部化へと変化した形がマスコミシステムの複合体になっていると書きました。それは我々がそれを補い、解釈し、伝える、コミュニケーションによって補えるものに変化している。というかそもそもそういうものであるのかもしれない。それをずっとやってこなかった。
主権を、拒否権を行使するというのと同じ事です。未分化な社会ではなく、外形的には分化した社会であるにもかかわらず、それが機能しないのは器の問題ではなく中身の問題だと言うのと同じで、機能分化した社会に我々がコミットすればいいのです。それはマスコミシステムを補うのと同じ。信頼を再構築する為の。
人から人へ伝える。一番原始的だけど、これをわかっている人間が伝えて行く。というかこれをサボっているから、社会が機能しなくなっている。本当は我々がはたすべきミドルマンの役割を、マスコミが代わりに担っていた。これが機能しなくなっているのだから、我々がやるべき事をやれば済む話です。今はネットもある事だし、伝える手段は十分あるわけです。
自分の経験で恐縮ですが、職人の仕事に従事する連中というのは、正直言って学の無い奴ばっかりです。おめでたい奴、無関心な奴、説明しても理解出来ない奴、学歴も無く、中学校しか出ていないのもいる。その人個人の人格は別の話ですし、もちろん仕事を覚えるのに学歴は関係ありませんが、学の無さという一点で言えば相対的にお寒い職業では無いかと思います。
大雑把に分けると料理関係に夢を持っている極端にモチベーションが高くてすぐに辞めちゃう子か(もちろん稀に続く子もいますけど)、全くモチベーションはないけれど、結構続くバカ(意外とこういう奴の方が続く)に二分する。特にゆとり教育以降の職人の仕事に来るような子というのは、後者のバカさ加減がただ事ではありません。もちろんだからと言って悪い奴ってわけじゃないし、仕込めばそれなりに一人前にはなりますが、ある程度の論理性と最低限の計算能力が無いと、おいしい料理は作れませんし、在庫管理も出来ませんので、教える方は結構苦労します。
漢字も書けないし、計算も出来ないし、一都六県を言ってみろと言ったら、大分県とか(なぜ?)横浜県とか、大宮県とか(神奈川とか埼玉を言いながらですよ)、滅茶苦茶な答えが返って来て具合が悪くなる事がある。漢字で書けないのではなくて言えない。二分の一足す二分の一を説明するのに、レモンを半分に切って、これが二分の一な、半分と半分を足したらいくつになる?なんて事まで説明しないとわからないおバカさんもいる。0.5と二分の一が同じ意味だという事を説明するのに、どえらい時間がかかったり。総理大臣の名前がわからないくらいでビックリしている場合じゃありません。冗談みたいな話ですが、そういう人達というのが実際にいて、本人達はその事にたいした危機感も感じていません。
麻生が漢字が読めないという問題で叩かれていました。自分もそんな下らない事で何を騒いでんだよと思いました。もっと報じるべき事があるだろうと。しかし実際にテレビを見て喜んでいる連中というのは、こういう信じがたいレベルの人もいるわけで、そういう人達にこの政治家さんをどう思いますか?というフックにするには、そういう問題を取り上げないと、何も考えないのかもしれないと、冗談抜きで思える部分があります。というか、麻生の漢字の読み間違い自体がひょっとするとわかっていないかもしれない。だからそんな事でバカ扱いされているのを見て同情と言うか共感しているかもしれない。そういう人に景気対策とか、公務員制度改革とか報じたって、全く意味がわからないわけで、天下りにしたって、退職金をいっぱい貰っているというくらいでしか釣り針にならない。
だけど、それでもこういった拒否権の問題や政治的な事をある程度わかりやすく説明すると、こりゃ大変だ!!選挙に行かなくちゃ!!という風にある程度説得出来る。民主主義というのは本来そういったものなのでしょう。
分数計算の初歩の初歩がわからなかったり、地名が言えなかったり、選挙なんてどうでもいい!!って思っちゃったりするのは、全部この国のシステムに問題がある。なぜかと言えばバカがいないと世の中回らないから。なぜバカが必要か?バカがいっぱいいれば、騙してネコババして巻き上げる事が出来る。そういう人達が騙されていると気付かないように巧妙に仕組まれている。みんなが賢くなったらそれが出来ない。
国民の権利として愚行権というのがある。それは人に迷惑をかけなければ、一見愚かな振る舞いに見えても他人がとやかく言う筋合いじゃない、本人の勝手という事。だから一日中パチンコに明け暮れるのも、飲み屋のねえちゃんのケツを追いかけるのも、ゲームばっかりやっているのも、携帯ばっかりいじくっているのも、人に迷惑をかけていなければ、人が迷惑だと言わなければ、何をやっても構わないという権利が我々にはある。もちろん説教したり教育したりするのは悪い事ではないし、本人の為を思っての事。だけど最終的には本人に決定権がある。少なくとも成人すればそうなる。
愚かな生き方などけしからんと言いたい人の気持ちはわかるし、言っている事はおそらく正論なんだろうけれど、いくら他人が言ったって、本人がそれでいいというのなら、これはどうにもならない。
煙草は体に悪い事と誰しもわかっちゃいるけれど止められない人がいっぱいいる(昔吸ってたので気持ちはわかります)。同じ部屋でプカプカ吸っているのは、吸わない人にとっては迷惑だけれど、自分の家の自分の部屋で吸う分には、他人がとやかく言う事ではない。どういう害があるのか?という事をわかった上で選択するのなら、その人の自由であると。それは酒もそうだし、何でもそう。法律に違反する事無く、他人に迷惑をかけなければ何をやっても構わない。これが統治権力が守るべき憲法意志に含まれている。
当然バカである事を選んで選択をしているのだから、賢い人との間に出来る格差は受け入れなければらない。羨ましがったり、同じ結果を望むのは間違っている。金儲けを否定するのも間違っている。自分が好きなように生きる権利を行使しているのだから、他人も尊重しなきゃフェアではない。だけどその事をわきまえて受け入れているのであれば、そういうバカがバカなままでも生きて行ける社会、バカであっても極端な損失を被ったり、被害を被ったりしないような社会を護持するのが統治権力の責務。生きて行けないような状況を作り出すようでは、統治権力としての責務を果たしているとは言えない。そしてもちろんバカであると気付いたら、もしくはバカであるという事に嫌気がさしたら、そこから這い上がれるような梯子を準備する事も。
しかしその事を逆手に取って、バカをバカなままでコントロールして動員したり、搾取したり、要するに騙したりネコババしたりしているのが、今の統治権力や一部のステークホルダーであると言ってよい。その事すら気付かせないような仕組みで回っている。普通に学校に行って、普通にテレビを見て育ち、トレンドに右往左往して、自分で自由に選択していると思っても、それは全てコントロール下にある。バカでいるのも悪くないとか、バカだっていいじゃないかと思わせて、しっかり上前をはねている。その事を気付かせない仕組みで回っている。
特に最近は、バカがいるせいでみんなが迷惑すると指をさしたり、政治家は一生懸命頑張っている、問題はバカがいるからだと責任逃れをしたり、自分達でそういうシステムに君臨して変える気もないくせに、そういう事をほざいているのが今の統治権力と言ってよい。またそういう尻馬に乗っかる愚か者もいっぱいいる。人の事をとやかく言える程の賢さなど無いにも関わらず、自分はバカじゃないという確認の為に人に指をさし実存を満たしている下らない生き方がある。
それはなぜかと言えばバカが拒否権を発動しないから。だから自分達の権利を守りたいと思ったら、誰を支持するとかそういう問題じゃなくて、キチンと現状を拒否する権利を行使しないと何も変わらない。と言った感じで。
その人その人によって伝える伝えかたというのがあるわけで、例えばサービス業に従事する人間から見えるのは、今ETC利権による高速道路安売りを翼賛していますが、これだって例えば土日だけというやり方の裏側が全く抜け落ちている。つまり飲食業に従事している人間というのは都市部はともかくとして、基本的にこの恩恵を受ける事はない。高速道路を安く利用して遠出をするというチャンスからは最初から除外されている。元々ETCを装備している人であっても恩恵を受けられない。
忙しくなって儲かるかもしれないけれど、それは一部の観光地はそうでしょう。それだって土日というのはただでさえ人を集め難い上に忙しさが集中する。平日と休日のギャップがもの凄い。つまり平日は人を必要とせず、土日だけは大量に動員する必要があるという状況になる。その都合通りに人は中々集まらないし、やりくりも大変になる。それに使われている立場の人間であればそんな事は基本的に関係ない。
高速道路というのは無料化して、制限を全て取っ払わないと景気対策にはなりません。地元で金使っていたのが、遠出して金使う事に変化するだけでは景気対策にはならない。ある地域が潤っても、そのおかげで別の場所が沈滞すれば景気対策にはなっていない。高速道路が安くなっている分、多少金を使うようになるという事はあるかもしれませんが、これも使う人もいるし、節約する人もいるという話でしかないので、経済効果としてはたいして期待も出来ない。元々の高速道路料金でも遠出をする人はその分金を使うでしょうけれど、ETC利権の恩恵を受けて遠出をする人達は、安くなったから遠出をするわけで、そういう人達はその分金を使うかと言えばあまり期待は出来ません。しかも税金で補填して役人の権益は守っているのですから、何の役にも立たない。一部の人間の為に金をバラまいて票を金で買っている最低の政策だと言える。
輸送コストを下げ、地理的格差を解消する為に高速道路を無料化し、企業を地域に移して損益分岐点を下げるという所までやってはじめて経済効果が見込める。そういう啓蒙こそが重要で、どこそこの高速道路が混んでいるとか、高速道路が安くなってうれしいと叫んでいる一般市民にマイクを向けて、景気対策になるかのように報じる事よりも伝えるべき事がある。こういう報道を見て、おそらくサービス業の人は違和感を感じているに決まっています。そこから切り口にすれば共感可能性は広がる。
先日自分の住んでいる近所をぶらついて信号待ちをしているとき、一件の潰れた店舗がありました。それを見た時に、あれ?ここって何の店だったけ?とツレに聞くと、不二家だったと言われた。そう考えて街を見渡すと、潰れた焼き肉屋だの、シャッター商店街もそうでしょう。消費者利益を散々煽って大店法緩和の世論を惹起したり、安心安全の観点から悪者をクソミソに叩いたりして、散々地獄に送り込んで来た。そういう風に煽られて右往左往する民度も話になりませんが、その先頭で旗を振っているのは常にマスメディアです。
不二家なんかは消費期限切れの牛乳を使ったとか何とかで、血祭りに上げられたわけですが、その前に、ヨーロッパの一部の国では販売する事を禁じられている飲み物である、うんこ入りの超高温殺菌牛乳を義務教育の9年間飲まされているという事をどれだけ多くの日本人が知っているのだろう?これがアレルギーの原因の一つを作っている可能性も指摘されたりしている。
これも役人の利権とマスメディアの広告主への配慮によって、殆ど表に出てこない話です。そういう事を知って選択しているのなら、それは個人の自由と言えるけれど、情報をスクリーニングされて、何も知らない人間が自由に選択していても、それは自由に選択している事とは違う。そういうものの消費期限が1日過ぎたって話で、多くの関係者や従業員を血祭りに上げているという事に対して、どれだけ自覚しているのか?
焼き肉屋だってそうですけれど、今は米国産牛などは平気で売っています。アメリカでの検査というのはヘタレ牛(狂牛病の恐れのある)であっても、電流でショックを与えて、立ち上がった瞬間に検査して検査を通しているという話もある。それが流通している。安い値段で売っている米国産の圧着肉などは繋ぎに牛の牛脂や血を使っている。それがどのような牛によるものなのかは開示されていない。そういうものが平気で流通している。それを考えるとあの大騒ぎは何だったのか?という話になる。結局今になって思えば、みんな平気な顔して、問題が解決したわけでも何でも無いのに米国産牛肉は消費している。牛丼屋で飯を喰っている。小さい焼き肉屋は潰れたけれど、クソマズい、ぞうきん食ってる気分になるようなチェーンの焼き肉屋ばっかりになっちゃった。
安心安全を大騒ぎして地獄に送り込むのはいいけれど、根底の部分でそれって安心安全になっていないんじゃないか?というような何を守ろうとしているのかが意味がわからない、乖離してしまっている。
飛翔体騒ぎも大笑いでしたけれど、北朝鮮にはノドンというミサイルがすでに実戦配備されていて、それが日本に向けられている。しかも核の搭載も可能になっているかもしれないと言われてもいる。通常弾頭が少なくとも100発以上、核弾頭搭載型が可能性として数発のノドンの脅威の方が本当は切実であるはずです。大騒ぎしろとは思いませんが、少なくともテポドンで大騒ぎする前に、日々その脅威に我々はさらされているわけで、テポドンは日本を攻撃するミサイルではないし、日本の安全保障の意味であればとっくに危機であるわけで、頭の上を通過するやもしれないという理由で大騒ぎするのは、何を騒いでいるのかがわからない。もっと重要な危機に日々さらされている。
破片が落ちて来るという理由で、MDを配備しても、そんなものを撃ち落とせるわけが無いし、破片を撃ち落とせたとしても、撃ち落としたその破片も落ちて来るわけで、撃ち落とせなければ迎撃ミサイルがそのままどこかに落下する事になる。破片が増えるだけで、逆に危ないような気もするし、そうすると何を騒いでいるのかよく意味がわからない。
それにミサイルであっても殆ど当たらない。レーダーで追尾する為にイージス艦を配置する合理性はそれなりに理解出来るし、イージス艦に搭載されているSM3であれば、まだ理解出来ますが、これが国内に物々しく配備されたPAC3に関して言えば、テポドンの高度300キロまでは届かない。半径1キロ圏内に飛んで来るミサイルに対してだけ有効な話で、そうであったとしても当たる確率は確率的には低い射程も20キロしかない。丁度真下にいないと迎撃出来ない。
国連の安保理決議を無視しているのが問題だとするのなら、それを無視している連中に対して安保理でどうにかしようとしたってどうにもなるものではないし、まして拘束力の無い、決議ですらないとなれば、一体全体何の為に騒いでいるのかさえわからない。
強行的な姿勢をとるのなら、それなりの考えがあるぜという事を示す必要があるのだとしても、実質対地攻撃能力の無いというか出来ないこの国で、全く効果の無いMDをちらつかせ、強気な発言で吠えても結局は安保理やアメリカ頼みであるという事を宣伝するだけの話でしかないわけで、だったら最初から衛星だって言うのなら勝手にやればと無視をして、その代わり日本に落とすなよ位の事を言うにとどめて、放置しておいた方が何の処方箋も無いという事を宣伝するよりはマシなような気がする。許さない!!と吹き上がるのはいいけれど何も出来ませんというのでは、一体何を騒いでいるのか何をしようとしているのか意味不明です。
強硬路線に対していろいろ意見はあるでしょうし、いろんな議論がありますが、この政府の対応は強硬路線でもない。もちろんその反対でも中間でも何でも無い。大きくズレている。何がしたいのかもわからないし、どこに着地点を求めているのかもわからない。
強硬路線と、強硬路線のパフォーマンスは違います。迎撃出来もしないミサイルで大騒ぎするのは、北の思う壷でしょう。ミサイルと核で脅すくらいしか交渉の手段が無いわけですから、そんな事は無視して、交渉の扉は開けながら、日本に仮に攻撃があった場合は許さんぞという風に思わせれば済む話です。向こうのゲームのルールに従う必要は無い。
この問題も強硬路線と強硬路線懐疑派という分断があって、その中でも強硬路線と強硬路線パフォーマンス、強硬路線懐疑派と強硬路線懐疑パフォーマンス派、その都度その都度によって硬軟織り交ぜながら最適化すべき派、いずれも無意味と日和見主義的ニヒリスト気取りで、ことごとくただナンセンスと斬って捨てる派、そして実際の処方箋の無意味さと、様々なレイヤーで実体との乖離があってその事をマスメディアでは報じる事がもはや出来ない。
百歩譲って国民を安心させるためという意味と、万が一という事もあるし、何の準備もしていないよりは、当たる確率が殆ど無くともゼロではないのだから配備させとこうと思うのは、まあしょうがない。政府としては何もしないという事は叩かれる原因にもなりかねないし、何かしらの対応をする姿勢は見せないと国民が納得しないというのもあるかもしれない。
しかしこれに対して、大騒ぎする報道はキチガイ沙汰です。どちらかと言えば何の準備もしていなかったという事や、無駄だとわかっているけれど、MDを配備していなかったという事が、マスコミが大騒ぎする事によって叩かれる可能性に繋がる。その為に過剰に政府が適応しているようにも見える。
そうすると何の為の政府の対応で、何の為のマスコミ報道なのか?実際の問題点とは大きく乖離した所で、お祭り騒ぎが起こっているように見える。
拉致問題を含めた北朝鮮問題というのは、政府に先ず責任がある。そしてマスコミにも。ずっと拉致問題を放置して来た。この問題が拉致被害者達が日本に帰国した時から、全部北朝鮮の責任にする事によって、政府やマスコミの責任がどこかに消えてしまった。つまり北朝鮮が悪者だ!!という事にしておけば都合のいい連中がいる。拉致を啓蒙するどころかむしろ握りつぶして加担して来た連中がいる。そういう連中から目線を反らす為には、お祭り騒ぎは都合がいいわけです。その為には北がずっと悪者であってくれないと逆に困るでしょう。解決してしまって、素直に北朝鮮が仮に謝罪でもしようものなら(するわけないと思いますけど)、責任の矛先は確実に隠蔽して来た政府やマスコミに向く。そういう行動原理で蠢いている連中がいる事も考えないとマズい。
その事によって冷静な議論を妨げてしまう。強硬路線か、それとも無視するか、それとも多少折れてみるか、その都度その都度、最適な答えを出す事が難しくなってしまう。要するに実体と処方箋が乖離していて、その埋め合わせをすべきマスコミも機能していないので、ポッカリ穴があいている。強硬路線の是非を問う前に、議論の前提を共有出来ていない。そこに楔を打ち込めばいくらでも共感可能性は広がる。その上で是非を問うのなら、どういう方向性に向かうにしろ今よりはマシになるでしょう。
ライブドアの問題も書きましたけれど、あれも会社法の観点から見ると脱法行為をしているとは言えない。だけど証券取引法の観点から見ると違法のようにも見える。つまり同じ法体系の中にありながら、すでに矛盾した法制度を抱えている。この場合、証券取引法を優先するというのが今の所の司法の判断ですので、これはこれで尊重すべき事です。そして日本社会はすでに事後チェック型社会に変化しているという事も考えねばなりません。それを考慮すると、これは以前も書きましたが包括規定適応という話になるので、逆にホリエモンの罪は軽過ぎるという見方も出来る。
株主保護の観点と投資家保護の観点というのは同じようですけれど、実は別の観点で、当時の特捜は株主保護とは言ってません。投資家保護と言っています。これが重要で、すでにライブドア株を持っている株主の保護はハナっから考えていないという事を言っています。株主というのはすでに投資をして株を持っている人、投資家というのはこれから投資をしようとしている人もひっくるめて、将来的にその可能性がある人、国民全てというか外国人投資家まで含まれますので、あらゆる人というと言い過ぎかもしれませんが、その可能性がある人全てと言えるかもしれない。そういう人達が全うな投資を行なう為には、市場の公正さを無視した会社は許さないというのがあの時の検察の論理です。比較すれば明らかに後者の方を優先させるのは当然といえば当然です(しかしその為に行なった介入が、市場全体を機能不全にしましたので、もっと厄介な事態を生み出してますから、その問題は別です)。
そういう観点から言うと、100分割、10、10の一万分割というのも尋常じゃない分割ですし、明らかに需給のギャップによるバランスを崩して株価の高騰をあえて狙ったのではないかという見方も出来るし、仮にあえて狙っていないとは言え、帰結的にそう思われても仕方がない。ましてニッポン放送買収の際にはMSCB(Moving Strike Convertible Bond ムーヴィング・ストライク・コンヴァーティブル・ボンド)=転換価格(下方)修正条項付き転換社債なんてのもありましたから、あれは投資家どころか、株主までバカにするような振る舞いです。
法律に違反していなければそういうのを許していいのか?という問題ももちろんあるし、証券取引法の包括規定適応であれば十分理解は出来る(繰り返しますが、いきなり強制捜査をして、市場を滅茶苦茶にした事に関しては明らかに検察のやり方には問題があるし、勝手に事後チェック型になっていると言われても、そんなの誰も知らないわけで、まして主権者である我々は同意もしていない。したがって恣意性の問題は消えない、適応基準の曖昧さという意味での恣意性も消えない)。あの当時否定肯定入り交じって、あの人は時の人でしたから、社会的影響力も相当なものでした。会社をいきなり上場廃止に追い込むのはどうかと思いますが、検察側の理屈も一定の理解が出来る。
しかし問題は法の乖離があるという事と、いつの間にやら勝手に事後チェック型社会へと変化し、その説明が全く無い政府の責任がまず第一にある。そういう社会になっていると、国民が認識出来ているのか?そして仮にその事を認識出来たとしても、事後チェック型社会に我々が適応しきれていないという問題。要するにお上任せではなく自己責任で生きていないという問題。
このライブドア問題の是非はわきにおいて、そういうポッカリ開いた穴を塞ぐのは、機能分化した社会では我々の役割でもある。マスコミは全くこういった事を説明する気配すらありませんでしたから、我々がそういった事の是非を考えて、どういう社会がいいのか?どういう市場であるべきか?という問題を考えて行かないと、この穴はそのまま権力にとっての恣意性、権益となるだけです。
今、漢検でマスコミが叩いておりますけれど、これも公益法人でありながら、もうけ過ぎみたいな意味の解らない。基準がよくわからない叩きかたというのをわきにおいたとしても、漢検が叩かれる理由は理解出来ますし、マスコミの言い分は一理あります。しかし、それを言うのならマスコミ共の公益性を無視したもうけ過ぎはどうなんだよって話で、大手マスコミの独占構造は公益法人なんてもんじゃない。もっと競争を免除された、特権を手にしているにもかかわらず、その儲けを回して甘い汁を吸いまくっている。その分際でありながらよくもぬけぬけと人の事をもうけ過ぎだのなんだのと叩けるもんです。頭が狂ってんじゃねえかって感じです。これも多くの人が違和感を感じるでしょう。
政治献金問題もそうです。金を貰うのはけしからんというのはいいでしょう。しかし小沢問題が典型的なように、彼の秘書は金を貰っていたからパクられているわけではない。記載の仕方が不適切であるという事でしょっぴかれている。不適切ですら無いのではないか?と思えますが、それをわきにおいても、その事に対して金を貰っているけしからんと叩くわけです。いや、みんな貰ってるから、って話で、それを誤摩化している人もいっぱいいる。むしろ小沢の問題は正直に書いちゃったから叩かれている。そうすると何を騒いでいるのか意味がわからない。
悪い!!というのもいいでしょうけれど、何が悪いのか?それはどのように法律違反であるのかをキチンと説明しないと片手落ちです。道義的責任がある!!というのはいいとしても、法的な問題で違法行為かどうかが先ず問題なのだから、どのような問題があるのかをキチンと検証しないとフェアではない。
違法行為をやっているから道義的問題も生じるわけで、違法行為かどうかわからない場合、少なくとも推定無罪なのですから、道義的責任も生じるわけが無い。献金をもらう事そのものが悪いというのだったら、これは政治家個人の問題というよりも仕組みの問題ですし、献金自体がいい事なのか悪い事なのかこれも判断が難しい。単純には言えない。企業献金を全面禁止にして個人献金だけでやれ、というのはいいけれど、大企業の社長とかお偉いさんだって、個人な訳で、だったら企業名がわかる方が、少なくとも迂回献金だとわかっている方が、可視化できている。それを禁じて、個人献金に切り替えるとなると、もっと見え難くなる。どこから金を貰っていて、どういう政策をやっている、もしくはやろうとしているという事がわかれば、そこから先は国民が判断する事です。検察が違法だと言っているから悪者で道義的責任も生じるというのだったら、マスコミがいる意味が無い。
耐震偽装で大騒ぎした事もありました。しかし建築基準法の問題、耐震性の不徹底の問題と、彼が設計した物件に偽装があったかどうかで安心安全の侵害だって話になって血祭りに上げたわけですが、その基準である建築基準法が何を守っているのか?という問題は殆ど語られない。またそれをバイオレートしたからと言っても、すぐに建物がぶっ壊れるってわけでもないし、基準を下回っている建物なんて腐る程ある。ある部分に基準を厳格に適応して裁く。
何を騒いでいるのか本質から乖離してしまっているような報道が溢れかえっています。その事によっていくらでも共感可能性ある。むしろ増えて来ているような気がする。これを上手く利用しない手は無い。
もう少しつづきます。
そうは言っても大手マスコミの動員はまだまだ力はあるし、拒否権よりも麻生万歳みたいな人もいるし、選挙?興味ありませーん、遊ぶ約束が・・・・みたいな人もいるので、建て前はわかるけれどどうするのさって話になるでしょう。マスコミを無視しろと言ったって、それを本気にしている人を説得するのは難しく、一筋縄じゃいかないのではないか?
確かにじゃあ具体的にどうするんだよと言えば、一気に解決する方法などどこにも無いかのように感じる。が、しかしそんな事は無い、マスコミが本来はたすべき役割というか、何らかの必要があるからマスコミという機能が必要だったわけで、それを我々が補えばいいのです。ネットも含めたマスコミ機能の外部化へと変化した形がマスコミシステムの複合体になっていると書きました。それは我々がそれを補い、解釈し、伝える、コミュニケーションによって補えるものに変化している。というかそもそもそういうものであるのかもしれない。それをずっとやってこなかった。
主権を、拒否権を行使するというのと同じ事です。未分化な社会ではなく、外形的には分化した社会であるにもかかわらず、それが機能しないのは器の問題ではなく中身の問題だと言うのと同じで、機能分化した社会に我々がコミットすればいいのです。それはマスコミシステムを補うのと同じ。信頼を再構築する為の。
人から人へ伝える。一番原始的だけど、これをわかっている人間が伝えて行く。というかこれをサボっているから、社会が機能しなくなっている。本当は我々がはたすべきミドルマンの役割を、マスコミが代わりに担っていた。これが機能しなくなっているのだから、我々がやるべき事をやれば済む話です。今はネットもある事だし、伝える手段は十分あるわけです。
自分の経験で恐縮ですが、職人の仕事に従事する連中というのは、正直言って学の無い奴ばっかりです。おめでたい奴、無関心な奴、説明しても理解出来ない奴、学歴も無く、中学校しか出ていないのもいる。その人個人の人格は別の話ですし、もちろん仕事を覚えるのに学歴は関係ありませんが、学の無さという一点で言えば相対的にお寒い職業では無いかと思います。
大雑把に分けると料理関係に夢を持っている極端にモチベーションが高くてすぐに辞めちゃう子か(もちろん稀に続く子もいますけど)、全くモチベーションはないけれど、結構続くバカ(意外とこういう奴の方が続く)に二分する。特にゆとり教育以降の職人の仕事に来るような子というのは、後者のバカさ加減がただ事ではありません。もちろんだからと言って悪い奴ってわけじゃないし、仕込めばそれなりに一人前にはなりますが、ある程度の論理性と最低限の計算能力が無いと、おいしい料理は作れませんし、在庫管理も出来ませんので、教える方は結構苦労します。
漢字も書けないし、計算も出来ないし、一都六県を言ってみろと言ったら、大分県とか(なぜ?)横浜県とか、大宮県とか(神奈川とか埼玉を言いながらですよ)、滅茶苦茶な答えが返って来て具合が悪くなる事がある。漢字で書けないのではなくて言えない。二分の一足す二分の一を説明するのに、レモンを半分に切って、これが二分の一な、半分と半分を足したらいくつになる?なんて事まで説明しないとわからないおバカさんもいる。0.5と二分の一が同じ意味だという事を説明するのに、どえらい時間がかかったり。総理大臣の名前がわからないくらいでビックリしている場合じゃありません。冗談みたいな話ですが、そういう人達というのが実際にいて、本人達はその事にたいした危機感も感じていません。
麻生が漢字が読めないという問題で叩かれていました。自分もそんな下らない事で何を騒いでんだよと思いました。もっと報じるべき事があるだろうと。しかし実際にテレビを見て喜んでいる連中というのは、こういう信じがたいレベルの人もいるわけで、そういう人達にこの政治家さんをどう思いますか?というフックにするには、そういう問題を取り上げないと、何も考えないのかもしれないと、冗談抜きで思える部分があります。というか、麻生の漢字の読み間違い自体がひょっとするとわかっていないかもしれない。だからそんな事でバカ扱いされているのを見て同情と言うか共感しているかもしれない。そういう人に景気対策とか、公務員制度改革とか報じたって、全く意味がわからないわけで、天下りにしたって、退職金をいっぱい貰っているというくらいでしか釣り針にならない。
だけど、それでもこういった拒否権の問題や政治的な事をある程度わかりやすく説明すると、こりゃ大変だ!!選挙に行かなくちゃ!!という風にある程度説得出来る。民主主義というのは本来そういったものなのでしょう。
分数計算の初歩の初歩がわからなかったり、地名が言えなかったり、選挙なんてどうでもいい!!って思っちゃったりするのは、全部この国のシステムに問題がある。なぜかと言えばバカがいないと世の中回らないから。なぜバカが必要か?バカがいっぱいいれば、騙してネコババして巻き上げる事が出来る。そういう人達が騙されていると気付かないように巧妙に仕組まれている。みんなが賢くなったらそれが出来ない。
国民の権利として愚行権というのがある。それは人に迷惑をかけなければ、一見愚かな振る舞いに見えても他人がとやかく言う筋合いじゃない、本人の勝手という事。だから一日中パチンコに明け暮れるのも、飲み屋のねえちゃんのケツを追いかけるのも、ゲームばっかりやっているのも、携帯ばっかりいじくっているのも、人に迷惑をかけていなければ、人が迷惑だと言わなければ、何をやっても構わないという権利が我々にはある。もちろん説教したり教育したりするのは悪い事ではないし、本人の為を思っての事。だけど最終的には本人に決定権がある。少なくとも成人すればそうなる。
愚かな生き方などけしからんと言いたい人の気持ちはわかるし、言っている事はおそらく正論なんだろうけれど、いくら他人が言ったって、本人がそれでいいというのなら、これはどうにもならない。
煙草は体に悪い事と誰しもわかっちゃいるけれど止められない人がいっぱいいる(昔吸ってたので気持ちはわかります)。同じ部屋でプカプカ吸っているのは、吸わない人にとっては迷惑だけれど、自分の家の自分の部屋で吸う分には、他人がとやかく言う事ではない。どういう害があるのか?という事をわかった上で選択するのなら、その人の自由であると。それは酒もそうだし、何でもそう。法律に違反する事無く、他人に迷惑をかけなければ何をやっても構わない。これが統治権力が守るべき憲法意志に含まれている。
当然バカである事を選んで選択をしているのだから、賢い人との間に出来る格差は受け入れなければらない。羨ましがったり、同じ結果を望むのは間違っている。金儲けを否定するのも間違っている。自分が好きなように生きる権利を行使しているのだから、他人も尊重しなきゃフェアではない。だけどその事をわきまえて受け入れているのであれば、そういうバカがバカなままでも生きて行ける社会、バカであっても極端な損失を被ったり、被害を被ったりしないような社会を護持するのが統治権力の責務。生きて行けないような状況を作り出すようでは、統治権力としての責務を果たしているとは言えない。そしてもちろんバカであると気付いたら、もしくはバカであるという事に嫌気がさしたら、そこから這い上がれるような梯子を準備する事も。
しかしその事を逆手に取って、バカをバカなままでコントロールして動員したり、搾取したり、要するに騙したりネコババしたりしているのが、今の統治権力や一部のステークホルダーであると言ってよい。その事すら気付かせないような仕組みで回っている。普通に学校に行って、普通にテレビを見て育ち、トレンドに右往左往して、自分で自由に選択していると思っても、それは全てコントロール下にある。バカでいるのも悪くないとか、バカだっていいじゃないかと思わせて、しっかり上前をはねている。その事を気付かせない仕組みで回っている。
特に最近は、バカがいるせいでみんなが迷惑すると指をさしたり、政治家は一生懸命頑張っている、問題はバカがいるからだと責任逃れをしたり、自分達でそういうシステムに君臨して変える気もないくせに、そういう事をほざいているのが今の統治権力と言ってよい。またそういう尻馬に乗っかる愚か者もいっぱいいる。人の事をとやかく言える程の賢さなど無いにも関わらず、自分はバカじゃないという確認の為に人に指をさし実存を満たしている下らない生き方がある。
それはなぜかと言えばバカが拒否権を発動しないから。だから自分達の権利を守りたいと思ったら、誰を支持するとかそういう問題じゃなくて、キチンと現状を拒否する権利を行使しないと何も変わらない。と言った感じで。
その人その人によって伝える伝えかたというのがあるわけで、例えばサービス業に従事する人間から見えるのは、今ETC利権による高速道路安売りを翼賛していますが、これだって例えば土日だけというやり方の裏側が全く抜け落ちている。つまり飲食業に従事している人間というのは都市部はともかくとして、基本的にこの恩恵を受ける事はない。高速道路を安く利用して遠出をするというチャンスからは最初から除外されている。元々ETCを装備している人であっても恩恵を受けられない。
忙しくなって儲かるかもしれないけれど、それは一部の観光地はそうでしょう。それだって土日というのはただでさえ人を集め難い上に忙しさが集中する。平日と休日のギャップがもの凄い。つまり平日は人を必要とせず、土日だけは大量に動員する必要があるという状況になる。その都合通りに人は中々集まらないし、やりくりも大変になる。それに使われている立場の人間であればそんな事は基本的に関係ない。
高速道路というのは無料化して、制限を全て取っ払わないと景気対策にはなりません。地元で金使っていたのが、遠出して金使う事に変化するだけでは景気対策にはならない。ある地域が潤っても、そのおかげで別の場所が沈滞すれば景気対策にはなっていない。高速道路が安くなっている分、多少金を使うようになるという事はあるかもしれませんが、これも使う人もいるし、節約する人もいるという話でしかないので、経済効果としてはたいして期待も出来ない。元々の高速道路料金でも遠出をする人はその分金を使うでしょうけれど、ETC利権の恩恵を受けて遠出をする人達は、安くなったから遠出をするわけで、そういう人達はその分金を使うかと言えばあまり期待は出来ません。しかも税金で補填して役人の権益は守っているのですから、何の役にも立たない。一部の人間の為に金をバラまいて票を金で買っている最低の政策だと言える。
輸送コストを下げ、地理的格差を解消する為に高速道路を無料化し、企業を地域に移して損益分岐点を下げるという所までやってはじめて経済効果が見込める。そういう啓蒙こそが重要で、どこそこの高速道路が混んでいるとか、高速道路が安くなってうれしいと叫んでいる一般市民にマイクを向けて、景気対策になるかのように報じる事よりも伝えるべき事がある。こういう報道を見て、おそらくサービス業の人は違和感を感じているに決まっています。そこから切り口にすれば共感可能性は広がる。
先日自分の住んでいる近所をぶらついて信号待ちをしているとき、一件の潰れた店舗がありました。それを見た時に、あれ?ここって何の店だったけ?とツレに聞くと、不二家だったと言われた。そう考えて街を見渡すと、潰れた焼き肉屋だの、シャッター商店街もそうでしょう。消費者利益を散々煽って大店法緩和の世論を惹起したり、安心安全の観点から悪者をクソミソに叩いたりして、散々地獄に送り込んで来た。そういう風に煽られて右往左往する民度も話になりませんが、その先頭で旗を振っているのは常にマスメディアです。
不二家なんかは消費期限切れの牛乳を使ったとか何とかで、血祭りに上げられたわけですが、その前に、ヨーロッパの一部の国では販売する事を禁じられている飲み物である、うんこ入りの超高温殺菌牛乳を義務教育の9年間飲まされているという事をどれだけ多くの日本人が知っているのだろう?これがアレルギーの原因の一つを作っている可能性も指摘されたりしている。
これも役人の利権とマスメディアの広告主への配慮によって、殆ど表に出てこない話です。そういう事を知って選択しているのなら、それは個人の自由と言えるけれど、情報をスクリーニングされて、何も知らない人間が自由に選択していても、それは自由に選択している事とは違う。そういうものの消費期限が1日過ぎたって話で、多くの関係者や従業員を血祭りに上げているという事に対して、どれだけ自覚しているのか?
焼き肉屋だってそうですけれど、今は米国産牛などは平気で売っています。アメリカでの検査というのはヘタレ牛(狂牛病の恐れのある)であっても、電流でショックを与えて、立ち上がった瞬間に検査して検査を通しているという話もある。それが流通している。安い値段で売っている米国産の圧着肉などは繋ぎに牛の牛脂や血を使っている。それがどのような牛によるものなのかは開示されていない。そういうものが平気で流通している。それを考えるとあの大騒ぎは何だったのか?という話になる。結局今になって思えば、みんな平気な顔して、問題が解決したわけでも何でも無いのに米国産牛肉は消費している。牛丼屋で飯を喰っている。小さい焼き肉屋は潰れたけれど、クソマズい、ぞうきん食ってる気分になるようなチェーンの焼き肉屋ばっかりになっちゃった。
安心安全を大騒ぎして地獄に送り込むのはいいけれど、根底の部分でそれって安心安全になっていないんじゃないか?というような何を守ろうとしているのかが意味がわからない、乖離してしまっている。
飛翔体騒ぎも大笑いでしたけれど、北朝鮮にはノドンというミサイルがすでに実戦配備されていて、それが日本に向けられている。しかも核の搭載も可能になっているかもしれないと言われてもいる。通常弾頭が少なくとも100発以上、核弾頭搭載型が可能性として数発のノドンの脅威の方が本当は切実であるはずです。大騒ぎしろとは思いませんが、少なくともテポドンで大騒ぎする前に、日々その脅威に我々はさらされているわけで、テポドンは日本を攻撃するミサイルではないし、日本の安全保障の意味であればとっくに危機であるわけで、頭の上を通過するやもしれないという理由で大騒ぎするのは、何を騒いでいるのかがわからない。もっと重要な危機に日々さらされている。
破片が落ちて来るという理由で、MDを配備しても、そんなものを撃ち落とせるわけが無いし、破片を撃ち落とせたとしても、撃ち落としたその破片も落ちて来るわけで、撃ち落とせなければ迎撃ミサイルがそのままどこかに落下する事になる。破片が増えるだけで、逆に危ないような気もするし、そうすると何を騒いでいるのかよく意味がわからない。
それにミサイルであっても殆ど当たらない。レーダーで追尾する為にイージス艦を配置する合理性はそれなりに理解出来るし、イージス艦に搭載されているSM3であれば、まだ理解出来ますが、これが国内に物々しく配備されたPAC3に関して言えば、テポドンの高度300キロまでは届かない。半径1キロ圏内に飛んで来るミサイルに対してだけ有効な話で、そうであったとしても当たる確率は確率的には低い射程も20キロしかない。丁度真下にいないと迎撃出来ない。
国連の安保理決議を無視しているのが問題だとするのなら、それを無視している連中に対して安保理でどうにかしようとしたってどうにもなるものではないし、まして拘束力の無い、決議ですらないとなれば、一体全体何の為に騒いでいるのかさえわからない。
強行的な姿勢をとるのなら、それなりの考えがあるぜという事を示す必要があるのだとしても、実質対地攻撃能力の無いというか出来ないこの国で、全く効果の無いMDをちらつかせ、強気な発言で吠えても結局は安保理やアメリカ頼みであるという事を宣伝するだけの話でしかないわけで、だったら最初から衛星だって言うのなら勝手にやればと無視をして、その代わり日本に落とすなよ位の事を言うにとどめて、放置しておいた方が何の処方箋も無いという事を宣伝するよりはマシなような気がする。許さない!!と吹き上がるのはいいけれど何も出来ませんというのでは、一体何を騒いでいるのか何をしようとしているのか意味不明です。
強硬路線に対していろいろ意見はあるでしょうし、いろんな議論がありますが、この政府の対応は強硬路線でもない。もちろんその反対でも中間でも何でも無い。大きくズレている。何がしたいのかもわからないし、どこに着地点を求めているのかもわからない。
強硬路線と、強硬路線のパフォーマンスは違います。迎撃出来もしないミサイルで大騒ぎするのは、北の思う壷でしょう。ミサイルと核で脅すくらいしか交渉の手段が無いわけですから、そんな事は無視して、交渉の扉は開けながら、日本に仮に攻撃があった場合は許さんぞという風に思わせれば済む話です。向こうのゲームのルールに従う必要は無い。
この問題も強硬路線と強硬路線懐疑派という分断があって、その中でも強硬路線と強硬路線パフォーマンス、強硬路線懐疑派と強硬路線懐疑パフォーマンス派、その都度その都度によって硬軟織り交ぜながら最適化すべき派、いずれも無意味と日和見主義的ニヒリスト気取りで、ことごとくただナンセンスと斬って捨てる派、そして実際の処方箋の無意味さと、様々なレイヤーで実体との乖離があってその事をマスメディアでは報じる事がもはや出来ない。
百歩譲って国民を安心させるためという意味と、万が一という事もあるし、何の準備もしていないよりは、当たる確率が殆ど無くともゼロではないのだから配備させとこうと思うのは、まあしょうがない。政府としては何もしないという事は叩かれる原因にもなりかねないし、何かしらの対応をする姿勢は見せないと国民が納得しないというのもあるかもしれない。
しかしこれに対して、大騒ぎする報道はキチガイ沙汰です。どちらかと言えば何の準備もしていなかったという事や、無駄だとわかっているけれど、MDを配備していなかったという事が、マスコミが大騒ぎする事によって叩かれる可能性に繋がる。その為に過剰に政府が適応しているようにも見える。
そうすると何の為の政府の対応で、何の為のマスコミ報道なのか?実際の問題点とは大きく乖離した所で、お祭り騒ぎが起こっているように見える。
拉致問題を含めた北朝鮮問題というのは、政府に先ず責任がある。そしてマスコミにも。ずっと拉致問題を放置して来た。この問題が拉致被害者達が日本に帰国した時から、全部北朝鮮の責任にする事によって、政府やマスコミの責任がどこかに消えてしまった。つまり北朝鮮が悪者だ!!という事にしておけば都合のいい連中がいる。拉致を啓蒙するどころかむしろ握りつぶして加担して来た連中がいる。そういう連中から目線を反らす為には、お祭り騒ぎは都合がいいわけです。その為には北がずっと悪者であってくれないと逆に困るでしょう。解決してしまって、素直に北朝鮮が仮に謝罪でもしようものなら(するわけないと思いますけど)、責任の矛先は確実に隠蔽して来た政府やマスコミに向く。そういう行動原理で蠢いている連中がいる事も考えないとマズい。
その事によって冷静な議論を妨げてしまう。強硬路線か、それとも無視するか、それとも多少折れてみるか、その都度その都度、最適な答えを出す事が難しくなってしまう。要するに実体と処方箋が乖離していて、その埋め合わせをすべきマスコミも機能していないので、ポッカリ穴があいている。強硬路線の是非を問う前に、議論の前提を共有出来ていない。そこに楔を打ち込めばいくらでも共感可能性は広がる。その上で是非を問うのなら、どういう方向性に向かうにしろ今よりはマシになるでしょう。
ライブドアの問題も書きましたけれど、あれも会社法の観点から見ると脱法行為をしているとは言えない。だけど証券取引法の観点から見ると違法のようにも見える。つまり同じ法体系の中にありながら、すでに矛盾した法制度を抱えている。この場合、証券取引法を優先するというのが今の所の司法の判断ですので、これはこれで尊重すべき事です。そして日本社会はすでに事後チェック型社会に変化しているという事も考えねばなりません。それを考慮すると、これは以前も書きましたが包括規定適応という話になるので、逆にホリエモンの罪は軽過ぎるという見方も出来る。
株主保護の観点と投資家保護の観点というのは同じようですけれど、実は別の観点で、当時の特捜は株主保護とは言ってません。投資家保護と言っています。これが重要で、すでにライブドア株を持っている株主の保護はハナっから考えていないという事を言っています。株主というのはすでに投資をして株を持っている人、投資家というのはこれから投資をしようとしている人もひっくるめて、将来的にその可能性がある人、国民全てというか外国人投資家まで含まれますので、あらゆる人というと言い過ぎかもしれませんが、その可能性がある人全てと言えるかもしれない。そういう人達が全うな投資を行なう為には、市場の公正さを無視した会社は許さないというのがあの時の検察の論理です。比較すれば明らかに後者の方を優先させるのは当然といえば当然です(しかしその為に行なった介入が、市場全体を機能不全にしましたので、もっと厄介な事態を生み出してますから、その問題は別です)。
そういう観点から言うと、100分割、10、10の一万分割というのも尋常じゃない分割ですし、明らかに需給のギャップによるバランスを崩して株価の高騰をあえて狙ったのではないかという見方も出来るし、仮にあえて狙っていないとは言え、帰結的にそう思われても仕方がない。ましてニッポン放送買収の際にはMSCB(Moving Strike Convertible Bond ムーヴィング・ストライク・コンヴァーティブル・ボンド)=転換価格(下方)修正条項付き転換社債なんてのもありましたから、あれは投資家どころか、株主までバカにするような振る舞いです。
法律に違反していなければそういうのを許していいのか?という問題ももちろんあるし、証券取引法の包括規定適応であれば十分理解は出来る(繰り返しますが、いきなり強制捜査をして、市場を滅茶苦茶にした事に関しては明らかに検察のやり方には問題があるし、勝手に事後チェック型になっていると言われても、そんなの誰も知らないわけで、まして主権者である我々は同意もしていない。したがって恣意性の問題は消えない、適応基準の曖昧さという意味での恣意性も消えない)。あの当時否定肯定入り交じって、あの人は時の人でしたから、社会的影響力も相当なものでした。会社をいきなり上場廃止に追い込むのはどうかと思いますが、検察側の理屈も一定の理解が出来る。
しかし問題は法の乖離があるという事と、いつの間にやら勝手に事後チェック型社会へと変化し、その説明が全く無い政府の責任がまず第一にある。そういう社会になっていると、国民が認識出来ているのか?そして仮にその事を認識出来たとしても、事後チェック型社会に我々が適応しきれていないという問題。要するにお上任せではなく自己責任で生きていないという問題。
このライブドア問題の是非はわきにおいて、そういうポッカリ開いた穴を塞ぐのは、機能分化した社会では我々の役割でもある。マスコミは全くこういった事を説明する気配すらありませんでしたから、我々がそういった事の是非を考えて、どういう社会がいいのか?どういう市場であるべきか?という問題を考えて行かないと、この穴はそのまま権力にとっての恣意性、権益となるだけです。
今、漢検でマスコミが叩いておりますけれど、これも公益法人でありながら、もうけ過ぎみたいな意味の解らない。基準がよくわからない叩きかたというのをわきにおいたとしても、漢検が叩かれる理由は理解出来ますし、マスコミの言い分は一理あります。しかし、それを言うのならマスコミ共の公益性を無視したもうけ過ぎはどうなんだよって話で、大手マスコミの独占構造は公益法人なんてもんじゃない。もっと競争を免除された、特権を手にしているにもかかわらず、その儲けを回して甘い汁を吸いまくっている。その分際でありながらよくもぬけぬけと人の事をもうけ過ぎだのなんだのと叩けるもんです。頭が狂ってんじゃねえかって感じです。これも多くの人が違和感を感じるでしょう。
政治献金問題もそうです。金を貰うのはけしからんというのはいいでしょう。しかし小沢問題が典型的なように、彼の秘書は金を貰っていたからパクられているわけではない。記載の仕方が不適切であるという事でしょっぴかれている。不適切ですら無いのではないか?と思えますが、それをわきにおいても、その事に対して金を貰っているけしからんと叩くわけです。いや、みんな貰ってるから、って話で、それを誤摩化している人もいっぱいいる。むしろ小沢の問題は正直に書いちゃったから叩かれている。そうすると何を騒いでいるのか意味がわからない。
悪い!!というのもいいでしょうけれど、何が悪いのか?それはどのように法律違反であるのかをキチンと説明しないと片手落ちです。道義的責任がある!!というのはいいとしても、法的な問題で違法行為かどうかが先ず問題なのだから、どのような問題があるのかをキチンと検証しないとフェアではない。
違法行為をやっているから道義的問題も生じるわけで、違法行為かどうかわからない場合、少なくとも推定無罪なのですから、道義的責任も生じるわけが無い。献金をもらう事そのものが悪いというのだったら、これは政治家個人の問題というよりも仕組みの問題ですし、献金自体がいい事なのか悪い事なのかこれも判断が難しい。単純には言えない。企業献金を全面禁止にして個人献金だけでやれ、というのはいいけれど、大企業の社長とかお偉いさんだって、個人な訳で、だったら企業名がわかる方が、少なくとも迂回献金だとわかっている方が、可視化できている。それを禁じて、個人献金に切り替えるとなると、もっと見え難くなる。どこから金を貰っていて、どういう政策をやっている、もしくはやろうとしているという事がわかれば、そこから先は国民が判断する事です。検察が違法だと言っているから悪者で道義的責任も生じるというのだったら、マスコミがいる意味が無い。
耐震偽装で大騒ぎした事もありました。しかし建築基準法の問題、耐震性の不徹底の問題と、彼が設計した物件に偽装があったかどうかで安心安全の侵害だって話になって血祭りに上げたわけですが、その基準である建築基準法が何を守っているのか?という問題は殆ど語られない。またそれをバイオレートしたからと言っても、すぐに建物がぶっ壊れるってわけでもないし、基準を下回っている建物なんて腐る程ある。ある部分に基準を厳格に適応して裁く。
何を騒いでいるのか本質から乖離してしまっているような報道が溢れかえっています。その事によっていくらでも共感可能性ある。むしろ増えて来ているような気がする。これを上手く利用しない手は無い。
もう少しつづきます。