普段クソ映画を単独でエントリーにして、けなすという事は、一度やった事はありますが、基本的に時間もないので、そんな無駄な事は書かないようにしておるのですが、最近観たクソ映画があまりにも絶賛系が多くて、随分自分の感性は人と違うのだなと痛感しております。

最近レンタルして踏んでしまった地雷があまりにも酷かったのに、結構みんな面白いと言っているクソ映画。この映画を観てよかったとか言っている人は、映画を観た事あんのかよ?と思ってしまうくらいの、K(けー)・U(ユー)・S(エス)・O(オー)・クソ映画でした。そんな事もありまして、今日は久しぶりにクソ映画を徹底的にボロクソにけなす事にしますお題は「ホノカアボーイ」。

尚この作品に感動された方にこそ、読んでもらいたいのはやまやまですが、多分不愉快になる恐れもありますので、その事は最初に書いておきます。自分は変人ですので、変人の戯言だと思ってくださって結構です。それとネタバレ含みますので、もしこのクソ映画を本当に観るのを楽しみにしている人がいるのなら、ご注意くださいませ。それではおっぱじめます。

邦画にはある法則があります。それはテレビ局主動の映画は地雷の可能性が高い。今まで観て来たもののそのほとんどがクソと言える。その中でも、亀山千広が関わるもので面白い映画を観たためしがない。ことごとくクソ。これはあくまで自分の個人的な感覚なので違和感を感じる人も多いかもしれません。というかこの人が作る映画はそれなりにヒットもしますし、感動した!!とか言ってる人も多いので、どちらかと言うと自分の感覚の方が普通じゃないのかもしれない。

これ結構評価が高いのですが、自分的に言うとつまらないの一言です。一見雰囲気とか、奇麗な景色とか、人との触れ合いとか、登場人物のユーモアとか、おいしそうな料理?とか、何となく面白げな記号を集めて来てはいるのですが、根底に流れている構造が腐っているので、全く心に響かない。気持ち悪い感動げなだけの腐った台詞まわし。良い事言おうという気持ち悪さ全開。全く面白くもクソもない鼻持ちならないユーモア、まさしくご都合主義の感動げなだけの腐りきった映画です。

これに感動するとか言っている人は何を見てそう思うのか?理解出来ません。最近観た映画の中で一番酷かったクソ映画は「少年メリケンサック」これは構造が腐っているだけでなくて、観ていてムカつく。考え方とか物語の落としどころが本当腐っていて、害悪ですらあると思う。ギャグもことごとくつまらなくて、何となくギャグを自分で言いながら笑っちゃっている感じで、「これ面白いでしょ、うふふ」みたいな気持ち悪さ。この映画は観ていてムカつくので最悪でしたが、それよりはマシだけど、それに次ぐつまらなさでした。途中で「もうどうでもいいいよ」って感じ。

こういう面白げな雰囲気を持つ映画というのは、一発でクソ映画だとわかる映画に比べて始末に悪い。間違って観ちゃうからです。それにこういうのを観て映画ファンを気取る人も増やす事になる。だから徹底的にけなします。許せん!!

まず無駄な場面が多すぎる。冒頭、蒼井優が登場するくだりの場面は丸ごと不必要で、蒼井優を出す為だけに無駄な場面が付け足された感じ。冒頭垂れ流される説明的主人公のモノローグで説明している事をわざわざビジュアルにしてみせる。観ている人間をなめている。後に出てくる深津絵里の場面もそう。有名人をちょい役で出すために、わざわざどうでもいい話を付け足す。無駄。

蒼井優も深津絵里も好きですし、女優さん達には罪は無いのですが、本当観ていて不愉快です。特に蒼井優の映画は結構あたりが多いので、好きなんですけれど、正直邪魔でした。クソ映画に出ていると、せっかく好きな俳優なのに嫌いになりそうになる。少年メリケンサックの宮崎あおいも、好きだったのにアレでかなりムカついて、嫌いになりそうでした。まあ女優さんには罪は無いのですが。

だいたい始まってすぐ主人公のいい事言おう的なモノローグや説明で嫌な予感はしていたのですが、予感はすぐに的中。奇麗な景色をやたら無駄にこれみよがしに、自慢げに映し出す。これなら景色の写真集でも観ていた方が楽しい。

気持ち悪いばばあの家のおしゃれげなキッチンとか、主人公が働いてるおしゃれげな映画館とか、単なる記号として寄せ集めているだけで、作り手の「こういうのかっこいいでしょ?」とか、「こういうのおしゃれでしょ?」みたいな、こんな感じのものを入れてくとウケるんだよ。みたいな記号の寄せ集めがうざったくて吐き気がする。

本筋の話は主人公とババアの触れ合いが軸になっているのだけれど、これが最初っから最後まで徹頭徹尾、ご都合主義もいいところでいい加減にしてくれよって感じです。だいたいあんなババアがいたら気持ち悪い。行動がいちいちわざとらしくて気持ち悪いし、しゃべり方も気持ちが悪い。というかストローで飲み物を人の頭にかけたり、輪ゴムのピストルで人を撃ったり、初対面の人間に何してんの?あんた?ぶっ飛ばすぞババア。あのテレビが横になっている演出とか、観ているとむかっ腹がたってくる。

例えば主人公とババアが糸電話で家の二階どうしをつないでしゃべる場面があるのだけれど、まず糸電話という記号が何となく、見え見えの気持ち悪い、小賢しいダサイ演出だという事を脇に置いても、いきなり、ちょっと離れた家の二階どうしが繋がっている。どうやって糸引っ張ったんだよ?って突っ込みを入れたくなるも、それも脇に置いておくと、これが作品中最後の最後まで全く生かされず、最後の伏線の無理矢理な回収で出てくるのですが、この場面が本当吐き気がする。

途中で死ぬエロジジイもそうだし、ババアもそうだけど、死んだ後、幽霊なのか妄想なのか、主人公の前に現れる。その幽霊との会話で主人公がある決断を下したり、何かを納得したりするのですが、本当に幽霊だという設定なら、もう何も言う事も無いくらいバカらしい話ですけれど、妄想でそういう錯覚を観て勝手に納得しているのなら、それお前の勝手な妄想だから、って話で、妄想でご都合主義的に納得して、ああいい話だったなみたいな展開になる。本当死ね!!

亀山モデルで言えば「UDON」というご都合主義のクソ映画でも、勝手に妄想で納得して、いっさい成長する事も学ぶ事も無くハッピーエンドみたいな吐き気がするような展開がありましたが、最近の日本映画はこの病気が蔓延っている。勝手な妄想に甘えて、その甘さに気づかされて学ぶならともかく、それで何となく上手くいっちゃって、良かった良かったって展開が多すぎる。良くねえよ!!少年メリケンサックなんかも、こういう構造があった。根底から発想が腐っている。

痛みが全く描かれず、全部ご都合主義的に話が進む。人が都合よく病気になり、人が都合よく死ぬ。にもかかわらず痛みも葛藤も無い。痛みを感じているげな場面だけで、妄想で納得し、良い話だったみたいなオチになる。最低です。いい加減にしろよ。

ババアの目が見えなくなるご都合主義的な展開は百歩譲ってまあ良いとしよう。映画ですし。だけどその設定が全く生かされない。主人公が日本にいつかは帰らなきゃならない。だけど、世話になっているバアさんの目が見えなくなっちゃった。これを放っては行けない。ここの葛藤を真剣に描かないでどうすんだよ。一番映画的においしい設定なのに。

主人公はまだ若いし、老人だらけの町で自分探しをしている状態から、いつか現実に向き合う日が来る。日本に帰り、自分の居場所で現実を生きていかねばならない。途中で床屋のババアにもそんなような説教をされる。そこを真剣に描いていればもっと良い映画になる可能性はあるのに、そこが全く描かれず、都合良く目が見えなくなったババアが死ぬ。「ホノカアの風になった」だって。ありがとう的な主人公の納得。死んでありがとうなんだろ、要するに。そういう風に描いちゃってるよ。

断っておきますがこういう雰囲気の映画は嫌いじゃない。だから観てるのだし、亀山モデルだって気づいたのは見終わってから(というか冒頭、電通とフジテレビのロゴが出て来たのでいやな予感がしたら的中でした。)です。だけどこういう面白そうなものを記号的に寄せ集めて、感動げな話を作れば客は喜ぶんだよ的な腐った根性が見え見えの映画と、本当に面白い映画というのは決定的に違う。最近の邦画にはこの「げな感動」が多すぎる。これは一種の病です。

バカなテレビ番組観てテレビ局主動のクソ映画に感動している輩がいっぱいいるので、需要があるんだろうけれど、こんなもので感動しているから、世の中コミュニケーション不全が蔓延り、様々な問題を引き起こしていると知れ。

登場人物しか街に出てこない、こういう抽象化された映画は一種のファンタジーなので、それ自体はまあ一つの描き方としてはありだと思う。というかそういう作品は上手く描けばカルト的な人気を得る事が出来るし、実際にそういう名作は多い。

だけど途中でウザイ観光客が出て来たり、ジジイの埋葬の場面で、メインキャスト以外の人が出てきたり、残された痴呆のバアさんが出て来たりと、ファンタジーとして描こうとしているのか?それとも現実的な物語として描こうとしているのか、どっち付かずで、悪いところだけを合わせ技的にしてしまっている。

現実として描くのだったら幽霊出すなよって話ですし、痴呆のバアさんが取り残されてしまった痛みみたいなものをちゃんと回収しろよ。ファンタジーとして描くのだったら、現実的な物語なのか?と作り手が自らファンタジーをぶっ壊すような展開は入れなくていいよ。ファンタジーを壊しておいて、現実の問題は回収せずに、ファンタジーに逃げる。最悪の作りです。必然性も無く都合よく話が展開し、いっさい痛みにも向き合う事無く、勝手に良い想い出みたいにオチる。

この映画が面白いと思った人、世の中には良い映画はいっぱいあるので、こんな構造の腐った映画に騙されてんじゃねえよ。と思ってしまう。のんびりとかまったりとか、一種のノスタルジーブームの腐った構造や、自然っていいよねという感じの、似非スローライフとか、似非エコロジーを記号的に組み入れ腐臭を放つ構造で描かれているこの映画は、のんびりでもまったりでもなくて、単に退屈なだけのテレビの旅行番組と同じ。だったらテレビでやれって話で、映画なめんじゃねえよ。

例えばファンタジーと現実の狭間での葛藤をきちんと描くのだったら、ギレルモ・デルトロ監督の「パンズラビリンス」という最高の映画があります。この監督の最近の映画「ヘルボーイ2・ゴールデンアーミー」も最高の映画でしたけれど(中身は全く別物ですが)、この「パンズラビリンス」と言う映画を例にとるとわかりやすい。

これは第二次大戦下でのヨーロッパ、ある少女の身に起こるダークファンタジーですが、現実世界はナチスの陰、大戦の悲惨な現実が少女の現実を浸食している。その中で少女は現実の痛みからの逃げ場として、ファンタジー世界に逃げ込む。徹底的な弱者であり、現実に向き合うような力も無いのですから、現実の痛みは少女にはあまりにも過酷すぎる。大人達はその少女の痛みにやさしくない。

最終的には少女は現実的な物語の中で徹底的に絶望に陥り、ファンタジーに逃げ込む。それが幻か?それとも本当にファンタジー世界に行けたのか?救いか?絶望か?これは見る側の解釈に委ねられているのですが、現実とファンタジーの狭間を上手く描ききって、最後は号泣せずにはいられない。子供向けの童話「マッチ売りの少女」の再解釈映画とも取れる。

わかりやすいところで行けば、おっさん版「パンズラビリンス」のミッキーローク主演「レスラー」なんかもそうだったでしょう。プロレスというファンタジーの中でしか生きられない主人公が、そのファンタジー世界への断念を迫られる。現実に向き合うものの、現実世界は主人公の居場所がどこにも無く、あまりにも過酷。それを過酷だと感じる主人公の甘えも、その状況を作り出したのも、全部主人公の自業自得、愚かさ故の事だという事までキッチリ描いて、最後には行き場の無くなった主人公がプロレスというファンタジー世界に帰っていく。

その先は希望なのか?それとも絶望なのか?観ている我々に判断は委ねられ、一瞬の輝きを取り戻して物語は切れ味鋭く終わる。

これに老人と若者の触れ合いをプラスすれば、これは見終わった後身動き一つ取れなかった、クリント・イーストウッドの「グラントリノ」なんかもそうでしょう。これは痛みをしっかりと描いて、優しさと希望を見せてくれる。突っ込みどころは多いけれど、イーストウッド信者の自分としては満点の出来でした。それに比べて老人と若者の触れ合いの話なのに、何なんだこのクソ映画?

結構古い映画ですが「ダンサーインザダーク」なんかも現実の厳しさを突きつけられた主人公が、ミュージカルというファンタジー世界に逃げ込む。そこにしか彼女を肯定してくれる世界は無い。厳しい現実に負けそうになると、ファンタジーが彼女を救う。

しかし最後にファンタジーに逃げ込む事の出来ないような、どうにもならない現実を突きつけられたとき、はじめて現実世界で主人公が歌う。その歌声は現実世界をほんのちょっとだけ震わせて、彼女の生を鳴らす。ギリギリのどん底状態で現実に向き合った痛々しさ故に、その声は希望を奏でる。しかし現実は容赦なく彼女を絶望に叩き込む。だからこそその希望が深く胸に突き刺さる。

主人公の妄想的な独りよがりでの納得を説得的に描くならば、アニメ作品の97年版エヴァンゲリオンのラストでの梯子外しみたいな図式的なものも必要だろうし、自然の美しさを描くのなら、あんまり好きじゃないけれど、ショーン・ペンの監督作である「イントゥ・ザ・ワイルド」的な美しい大自然を描きつつ、その裏側にある、あるとき突然牙を剥いて襲いかかる、自然の驚異を描いてこそじゃねえのかよ。

この映画も独りよがり的な納得ファンタジーに幻想を抱いていた主人公が、その幻想が単なる幻想だったと後悔し、時すでに遅しという所まで描いている。物語自体は青臭くて終始、バカか?こいつ?と突っ込みどころ満載の、物語の趣旨とは違い、不遜かもしれませんが笑いながら観ちゃいましたが、主人公の自分探しと人との触れ合いの切実さという意味で言えば、このホノカアボーイというクソ映画よりは何億倍もマシに描いている。

奇麗な景色をただきれいに描くだけだったら、そんなの素人に毛の生えた程度の写真家だって取れる。奇麗な景色の裏側にある獰猛さとか、神秘とか、この世のある摂理が見えてしまっているのではないか?とか、観てはいけないものを観ているのではないか?とか、そういう事まで描いてこそのプロの映画ではないのか?

逆になんでもない日常の風景、日常の様々な場所を、ああこんなに素敵な空間なんだ、と気づかせるようなところまで描いてこそが映画ではないのか?またなんでもない日常の風景のほんのわずかな裂け目から、時々垣間見えるグロテスクさを描くとか、いくらでも映画的なやり方はあるだろう。

こういう雰囲気だけを「げな」だけ取り入れたクソ映画を観て、普通の映画(要するにハリウッド的な大作映画なんか)とは違った味があるよね的に映画好きを気取って騙されてるそこのあんた!!ちゃんと映画を観ましょう。退屈とのんびりをはき違えちゃもったいない。

また極端にファンタジーとして抽象化された世界を描くのだったら、大林宣彦作品のような良いお手本もあるし、これはジャンルは全く違うけれど、大好きな映画監督、ジョニートー作品で、昨年の「エグザイル絆」なんてのもありましたが、これなんかは極限まで抽象化された世界観で、誰も町の人が出てこない、主人公の男達と敵対する集団だけが、男の友情とか、ホモソーシャル的な絆を、ひたすら甘美に、かっこわるいのがかっこいいというところまで描いて、最後の最後までそのファンタジー世界に浸れる人にとってはケチのつけようが無い完璧な作品でした。腐女子は必見の映画でしょう。

奇麗なホノカアの風景と、そこで繰り広げられる抽象化されたおとぎ話として描くのだったら、もっと徹底しろ。現実の痛みに向き合っているフリはいらねえよ。

蒼井優は好きなのでフォローしておくと、昨年の映画で「百万円と苦虫女」と言う映画がありましたが、この作品なんかは途中でガッカリするかとハラハラしましたが、最終的にはなかなか良い映画でした。突っ込みどころは多いのですが、蒼井優が素晴らしかった。

海とか山とかも描いているし、景色の切り取り方も奇麗だった。それと対照的な田舎独特の人間関係のめんどくささの対比も良かった。めんどくさいけど、そのめんどくささのありがたみと、本当にうんざりするめんどくささの対比、田舎の景色と、最初に住んでいた団地の風景や町並み、最終的に主人公がたどり着く、どこにでもある普通の町の普通な風景の対比。こういうのが上手く生かされる。

日常に着地する痛さとか、人間関係上のめんどくささや厄介さから逃げていた主人公が、やっぱり逃れられない人間関係上のめんどくささに巻き込まれ、だけど、その人間関係のめんどくささこそが痛いけれど、切実だという気付きまで描いて、森山未来と最後に抱き合って愛を確かめ合う予定調和的ラストではなく(こうなりそうでハラハラした)、おんな寅さんへと成長した主人公が笑顔で肩で風をきって去っていく。ダサくてイケてない間の悪い女の子が、しっかりと大人の女へと成長する姿を描いている。

と書き出すときりがないのですが、現実とファンタジーの狭間を描いて観せるという手法は、この「ホノカアボーイ」みたいな甘っちょろい手法じゃ描く事は出来ない。醜悪どころか害にしかならない。一番過酷な描き方を必要とするジャンルであり、そこを描かなければこの設定は生かされない。そこを描く気がないなら、こんなものは映画にする必要は無い写真で十分。こんなものにつきあうほど暇じゃねえんだよ。そして音楽もそうで、わざとらしい雰囲気だけの音楽、途中から繰り返される主題歌にうんざりでした。

古いところで言えばテレビ番組ですけれど、同じフジテレビの「北の国から」なんかも、一種のファンタジーと現実の狭間を描いている。このテレビシリーズなんかは、そもそも西武グループ総帥で有罪になった堤義明氏と倉本聰は麻布中高の同級生。北海道の札幌プリンスホテルが札幌オリンピックの集客を見込んで事業が進み、その後、富良野プリンスホテルも出来る。その観光として利用する為に、北海道を舞台にしたドラマを全面バックアップして倉本が「北の国から」を作り上げる。構造としては腐臭の漂う構造を抱えている。

もちろんテレビドラマですので、話もご都合主義だし、突っ込みどころは満載だけど、この映画に比べたら、自然も人との触れ合いも、ファンタジーとしての富良野美しさも、自然がある瞬間に見せる人智を超えた獰猛さも、そこに生命が存在するという圧倒的な自然の神秘も、現実に直面する様々な葛藤も、この映画と比べたら、何億倍もキッチリ描いている。だからあれだけ名作だとみんなが褒めそやす。それに比べたら、表面的な記号との戯れを何の引っかかりも学びも無いまま、ご都合主義的に信じれば良い事がある的な展開のこの映画は吐き気がする。

それにこの「北の国から」というのは、結構今の日本の映像作品には悪い影響を多々与えていて、非常に罪作りな作品だと言えるところがある。例えばこの作品の特徴的なところの一つに、純君のモノローグ的説明というのがある。純君独特の言い回しで、時に涙を誘うような事を言う。倉本聡作品にはありがちな部分なんですが、多分これの悪影響を受けている作品が多いと思う。モノローグ的説明をグダグダ言いながら、感動げないい事言おう、泣かせよう的なクズ作品の出発点として影響を与えちゃっている。

だけど、「北の国から」自体には罪は無いし、この作品の良さの一つでもあると思う。実際それがこの作品の感動的なところでもあるのだろうし。だけどこの手法は気をつけないと危険です。全部台詞で説明しちゃっているのだから、小説とか漫画なら描写として必要かもしれませんけれど、映像作品としては結構禁じ手だと思う。北の国からは演出が良かったというのもあるのだろうし、テレビドラマだからというのもあるのでしょうけれど、これを感動げなだけで、真似ちゃうからクソ映画まみれになっている。使うなとは言いませんけれど、使い方には気をつけないと、いっぺんで覚めちゃう。

例えば先ほど書いた「グラントリノ」なんかは穴があると書きましたけれど、その一つに主人公の独り言が多い。イーストウッドはそういうところがあって、話をさくさく進める為に、物語の本筋とは関係ないところは台詞で説明しちゃうところがある。だけどそこは突っ込みどころでもあるのだけれど、それこそが彼の映画の愛すべき部分でもあって、魅力にすらなっちゃっている。だから使い方次第なのですけれど、記号的な寄せ集めクズ作品ではそういう魅力を出せるわけも無く、不愉快にしか感じない。「ホノカアボーイ」のそれも全く不愉快でしかなかった。観てる人間をバカにすんなよ。

あえて地雷を踏みたい人は別ですけれど、全くおススメ出来ないので観ない方が懸命です。まあ娯楽ですから、人の感じ方はそれぞれですし、これを観て感動出来る人が感動してよい気持ちになること自体に罪は無い。

だけどこういう映画に感動している人が増えている、という事と、日本映画の質がどんどん下がっているという事は共犯関係にありますし、日本の社会の様々な構造問題の根幹にも、こういうご都合主義に侵された人が多すぎるところにも問題があると思う。感動げな作品でコントロールされるという事は、メディアの情報操作にこれだけ引っかかっているたわけ者が多い事ともリンクしている。娯楽だから良いじゃないか、と言い切る事も出来ないところもある。個人の実存レベルのホメオスタシス維持であれば勝手に観りゃいいと思いますけれど、現実社会を脅かしている一つの癌だとも言えると思う。

それとこういう広告的な映画自体を否定するつもりも無い。儲からなきゃ映画を撮りたくたって誰もスポンサーにはなってくれないでしょうし、スポンサーが無きゃ作品は作れませんから、北の国からのような構造を抱えていたって、それがみんなに愛される作品で、良い作品であればいっこうに構わない。だけど、何の為に映画を撮るのか?という事をはき違えちゃ駄目でしょう。単なる金儲けなら別の商売もあるんだし、映像を撮る目的が金儲け第一になっちゃいすぎると、本末転倒です。特にテレビ局主動のクソ映画は、この本末転倒が多すぎます。

良い映画には絶賛を、クソ映画には死を。本日はこれにて。

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またしても久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。連休はいかがだったですか?

攻撃する対象が無いと、何ともモチベーションがわいてこないと思っていたのですが、いましたいました。敵発見です。久しぶりにエンジン全開でかっ飛ばして行きます。イエーイ!!

すでに皆様ご存知の事と思われますが、さっそく民主党政権、公約破りを公然と行っております。すでに既得権益層からの猛烈な抵抗を受け、実際のところかなり押し込まれているように見える。

何が問題か?ダムの建設中止?温暖化ガス-25%削減?高速道路無料化?No、これらが問題なのではない。マニフェストに書かれてある事は、政治家の命よりも大切な事であって、守らなかった場合にのみ文句を言うべき事です。

それをマスメディアごときが良いとか悪いとか言う権利は無い。問題があるとすれば、民主党にあるのではなく、それを支持した国民にあるのであって、支持された以上、民主主義国家である以上、国民との約束は政治家の命よりも重い。それが原理原則ですし、民主党の政策を指示したわけではないとマスコミのキャンペーンに乗せられているようじゃ問題外。

支持した結果、公約を果たさなかった場合、もしくはその公約が骨抜きだった場合、そしてその公約が公約通り実行されたものの、実際のところ良い影響よりも、大きな悪い副作用を及ぼしてしまい、にもかかわらずその失敗を認めずに、なんの手当も行わなかった場合、それらのところを考慮して次期選挙で意思を表明すれば良い。

それに、それらの政策のネガティビティばかりが喧伝されますが、それらは基本的に嘘だと思った方が良い。誰がそれを発しているのかと言えば、マスコミを含めた既得権益層であって、ダムの問題を隠れ蓑にしてバックフラッシュさせようとしている。

ダム本来の機能の必要性が認められないのなら、ダムを使って町おこしというのは目的が違っている。ダムが出来たからと言って必ずしも町おこしにつながるとは限らない。またそのときに何らかの国家的な救済措置を住民が待ち望む可能性が出てくる。ダムを造らないと幸せになれないかのような、住民達が可愛そうであるかのような報じ方をしているのは、何を守りたくてそれを報じているのか?見極める必要があるでしょう。

その住民達に様々な既得権が張り付いて、住民達を利用している。ならば直接住民達に補償をしてしまった方が安上がりで済む。地元住民が仮に全員反対しているとしても、マニフェストはマニフェストであり、住民の救済措置は公共事業とは別に考える必要がある。公共事業=住民の救済措置しかないかのような思い込み、もしくは情報統制は明らかにそれを利用している連中にとって都合がいいわけです。

だからそれも問題ではない。むしろそこで妥協すれば、必ず骨抜きがすべての分野で始まってしまう。それに必ずバカマスコミはぶれたと煽りだすに決まっている。絶対に忘れてはならないのは、小泉竹中が批判されたように、単なる末端の切り捨てではなく、救済措置は救済措置で考える必要があり、既得権をはぎ取って末端に分配するという図式を貫徹する事。ダムしか救済措置がないかのようなすり込みは完璧な情報操作でしょう。

小さな政府とか、構造改革という言葉は、単に末端を切り捨てて、自己責任に放り込み、逃げ切り野郎が肥え太るスキームであるのか?それとも中抜きして暴利を貪っている既得権をはぎ取って、末端に分配して自己責任を取れるリソースを配分した上で、自己責任に任せるのか?この違いが決定的であり、自民党のスキームは前者だったから問題であって、民主党は基本的に後者のスキームを貫徹すると言って政権を取ったのだから、それを実行すればよし。その事には何の問題も無い。

基本的に政府の機能というのは配分の問題を考える事で、バカマスコミ的な煽りに乗せられてバラまき批判をしている奴は何にもわかっちゃいない。政府の仕事=バラまきであると言える。どこにどうバラまくのかを考えるのが国家権力の根本的な役割。

これまでの日本政府及びそこにぶら下がる既得権益層、もちろんマスコミも含めた連中は、中間の中抜き団体にバラまく事を政策と呼び、末端にまく事をバラマキと言って批判してきた。それは要するに、国民に配分するものを俺たち(既得権益層)によこせ!と喚いているにすぎず、それを国民が乗せられて吹き上がっている構図は笑い話でしかない。

だから全くこれらの民主党の政策には何の問題も無い。単純に言って自殺率の高さだけを見ても、先進国基準で言えばぶっちぎりのトップで、日本はあまり幸せな国ではないと言える。それは政府の配分が失敗して来た事も大きな要因でしょう。これだけ財政を悪化させたのもそう。

教育に対する金の掛け方もしかり。OECD加盟国ではビリッケツです。韓国よりも下。それに比べて道路にかけている金は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアを合計した金額に匹敵する金を今でもかけている。超高齢化社会を迎えているというのに。にもかかわらず高速道路は有料だし、まだ足りない足りない騒いでいる。

民主党の公約である。子供手当を月2万6000円支給して、公立高校の授業料を無料化にしても、子供への投資に関して言えば、OECD加盟国平均にも満たない。下回っている。である以上、少子化も当然の帰結だし、未来に希望もなくなる。未来への投資を投資しないのだから、リターンもあるわけない。

安倍晋三とか石原都知事的な道徳とか伝統とか吹き上がって子供の教育を騒いでいるたわけ共は何にもわかっちゃいない。そういう精神論はいいから、ちゃんと国家が投資しろよって話です。個人の格差が固定化してしまうような機会の不平等を認めておいて、道徳とかほざいてんじゃねえよ、このクソが!!死ね!!

こういうクズ共の言い分というのは、本人達は悪気は無いのかもしれませんけれど、国家が子供に全く投資せずに、既得権益層や道路に金をかけて利権を貪っている現状の仕組みを肯定する言い訳に使われてしまっている。投資するものをきちんと投資した上で、それから精神論で子供にあれこれ言いたいオヤジは言えばいい。

子供に投資するとなると、子供のいない家庭はどうなるのだ?実質増税ではないか?とか、高速道路の無料化なんかでもそうでしょう。車なんて使わない俺たちの税金がなんでそんなものに?みたいな官僚やバカマスコミが書いた筋書きに乗せられて吹き上がっているたわけがいますが、子供の問題で言えば、子供のいる家庭というのは、将来何らかの面倒なり負担なりを子供が親に対して行う事がそれなりに期待出来ますが、子供のいない家庭の何割かは、将来自己責任を取れない状況に陥る可能性が子供のいる家庭よりは高いでしょう。そうなれば乳母捨て山に捨てるわけには行かないので、国家が面倒みる事になる。そのときその税金を負担するのは、その子供達になるわけで、子供を産まないのも自由だし、産めない人もいるでしょう。だけど、将来への先行投資だと思えば、子供を育てている家庭に対して、子供のいない家庭が多少負担するのは、不公平でも不平等でもなんでもない。全部自分でなんとかすると今言えたからといって必ずしもそうなるとは言えない。年を取って困ったときにそれを負担するのは誰なのか?それを考えたら、こんな問題で騒ぐこと自体が下らない。

高速の無料化にしたって、車を持っていようがいまいが、物流の恩恵は誰しもが享受している。車を使って移動するだけの問題ではない。それにその事にまつわる渋滞問題で騒ぐのもナンセンスな話で、渋滞の原因は料金所に殆どの問題があるわけで、料金所がなくなれば問題は解決出来るし、出入り口を沢山作って、一般道路とつなげれば渋滞は確実に減る。その出口も料金所込みの出入り口の40分の1のコストで出来る。一カ所作る金額で単純に考えれば40カ所出来るのだから、それを騒ぐのもナンセンス。

もちろんその事にたいして、温室効果ガス-25%削減と矛盾しているじゃないか!!という批判も的外れ。高速道路を無料化にしなくたって一般道の交通量は変わらないし、車を使う奴は車を使い続ける。

だったら渋滞を緩和してスムーズに流通させた方が、温暖化ガスの排出量は減る。渋滞でグズグズ時間をかけて車に乗る時間が長引けば長引くほど、余計に二酸化炭素を排出しているわけで、高速道路の有料化がエコであるかのような話は論外です。

物流のトラックなんかが高速を利用してくれれば、一般道の歩行者や子供の登下校なんかでの巻き込まれ型の理不尽な事故は確実に減るでしょう。年間7000人近く事故で死んでいる。交通がスムーズになればなるほど事故は減る。一部にスピードを出すバカが出現したとしても、歩行者がうろついている道路でかっ飛ばさないだけマシです。だからこれも全く何の問題もない。やらなかったら文句を言えばいい。

連立に少数党が参加し、あれだけの得票を得た民主党の政策がねじ曲げられるのではないか?No、民主党は排除ではなく包摂を打ち出しているのだから、マイノリティの意見を反映させる仕組みの構築は必要です。である以上、社民や国民新党を内閣に入れて、仙谷のような民主党の主流派に否定的な人選も閣内に盛り込んだのは良い事でしょう。

あまりにも社民や国民新党が民主党の基本理念を踏みにじるような振る舞いが見られた場合、次の参院選で国民の意思を表明すれば良い事であって、基本的には民主党が単独で暴走した場合のブレーキ役的な安全装置として、それらの少数党が組み込まれているのは悪い話ではない。一応言っておきますが社民党も国民新党も自分は基本的に評価しちゃいません。しかしその事と一党が巨大な力を握ってしまう危険性をはかりにかければ後者の方が優先されるべき事だと思います。

では何が問題か?

これはもう、多くの方々がご存知のことでしょうけれど、鳩山内閣の布陣を見たとき、何となくいやな予感がしていたのですが、やっぱりというか案の定というか、鳩山首相自身の献金問題という爆弾を抱えている状況を守ろうという力学が働いてしまっている。

これはすでに総選挙前からわかっていた事であり、これがある以上、民主党に期待は出来ないと思っておりましたが、まさか首相になった瞬間に速攻だとは思わなかった。

大手マスメディアでは完璧に無視を決め込んで、報じる事も無く全く触れておりませんでしたけれど、あれほど繰り返し民主党の歴代の代表者達が約束し続け、鳩山首相に至ってはマニフェストに入れるまでもない、当然やるべき事だ。と言っていたはずの記者クラブ開放を早速反古にしやがった。官房長官の平野博文。こいつが早速やらかしやがった。

何を考えてんだ?今まで民主党を支持してきた支持層に対する裏切り行為です。ネットの影響力を甘く考えているのではないだろうか。民主党の政策は凄まじい抵抗を受けるだろうから、本気で取り組んだとしてもそう簡単な話ではない。

しかし一番金もかからず、政権交代を実感させ、尚かつ社会を劇的に変化させる手っ取り早い方法は徹底して開かれたディスクローズ、これしか無い。これは民主党の政策の一丁目一番地、ここが変化させる事が出来なければ絶対にそれ以外も骨抜きになるに決まっている。

しかもクソマスコミは会見が開かれたかのように嘘を報じている。全く腐ってやがる。ここまで徹底して黙殺してる姿は醜いを通り越して滑稽ですらある。おそらくは民主党との取引の結果、そういう翼賛記事を書いてあげて、民主党はオープンな政策を実行し、記者クラブに所属する我々もそれを受け入れました。偉いでしょう。的な腐りきった記事。

今までオブザーバーとして外国人記者や雑誌記者が会見に出席する事だけは許されてきた。だから何も変わっていない。問題は質問を出来るかどうかであって、会見を見れるだけでは意味が無い。しかもネットの記者やフリーの記者は相変わらず排除している。どこが開かれた政党なんだ?民主党さんよ。

いったんこういう従来型のスキームで押し通されてしまえば、もう会見でなぜオープンにしなかったのかという事を聞く記者がいない。大手マスコミがそんな事を聞くわけが無いので、最初の時点でこれを突破出来なかった事は大きなつまずきです。元々それほど期待はしちゃいませんが、何となくもう限界が見えた感じがします。いくら何でも早いだろ。

クソマスコミの連中も、鳩山の奥さんが何を食ったとか、どうでもいいような下らない事を報じてしらっとしている。自分達の利害に関わる問題についてはいっさい書かない。それどころか嘘でそれを守ろうとすらする。どこまで腐っていれば気が済むんだよ。

記者クラブというのは主要メディア、テレビや新聞を含めた、新聞協会とか民放連とかNHKの私的懇話会。その私的懇話会である記者クラブの主催で、政府の記者会見や党の記者会見がなされて来た慣行がある。

この問題は、フリーも含めた様々な記者達が談合的な質問ではなくて、真剣勝負の質問とそれに対する回答の応酬があってこそ、権力へのチェックがはじめて機能する。閉ざされた一部の人間達の特権として認めてしまえば、その場は馴れ合いの場へと堕落する。というか実際に堕落している。

なぜならばその特権的なイスからはじかれないように振る舞う事が少なくとも特権を握っている人間にとっては合理的な行動作法になってしまう。わざわざ真剣勝負の取材をして権力がいやがる質問をするインセンティブが働きようが無い。その特権のイスを与えてもらっているという弱みを握られてしまう。

もちろん会社の上司からも、その特権を失うような記事を書くな、質問をするなと圧力がかかる。圧力がかからなくとも、それを恐れて自己規制してしまう。結果情報を公開するというよりも、隠蔽する方に加担している事になるし、実際に隠蔽し続けて来た。これによって貸し借り関係が生まれ癒着構造となる。

これでは国民に選べと言っても選ぶだけの情報が流れない仕組みになっている。権力とそれに結託したマスコミの都合のいい情報が垂れ流されて、国民はそれにコントロールされる。自民党がずっと一党独裁状態だった最大の理由はそこにある。自民党が優れていたからではない。

さらに言えばバカ麻生が漢字が読めないとか、そういった類いのくだらない権力批判をマスコミの連中はするので、一部の麻生を支持していたバカにとっては、マスコミは自民党を批判しているとか、民主党を持ち上げているとか、お門違いなマスコミ批判も結構ありましたが、少なくともこの構造だから、漢字が読めないレベルの批判しか出来ないのであって、マスコミは権力批判なんてしちゃいないし、やった事も無い。出来ない構造になっている。

田原総一朗なんかが、よく二言目には、マスコミは権力の批判しかしない、なんて戯言を抜かしますが、ふざけんな!って話で、権力批判なんて出来ない仕組みを丸抱えしているから、日本がここまで腐っている。

さらに新聞社というのは権力から自由であるべきだというのが基本なんですが、記者クラブという腐った構造プラス、クロスオーナーシップという特権も認めてもらっている。要するにテレビ局の株式を保有する事を認めてもらっている。電波利権は総務省に認めて貰っている。あげく再販価格制度まで国家に認めてもらっている。こんな連中が権力批判?簡単な話ですが出来るわけがないし、やったためしもない。

何で政権交代が起こったのかと言えば、ネットによって隠蔽されて来た構造が一般人にまで可視化出来るようになったからであり、マスコミが権力批判をしたからじゃない。むしろ自民党のバカ麻生をなんとか勝たせようと必死だった。民主党を支えるように見えたのは、政権交代が起これば民主党が権力を握る事になるわけですから、次の権力に向けて保険をかけて来たにすぎない。ここがこの国の最大の問題点だとも言える。民主主義国家なのに、国民に情報が開示されないし、啓蒙もされない。したがって選べない。既得権益層に都合のいいような情報操作によってコントロールされる。これがずっとこの国の構造を作って来た。

今はネットで情報が可視化されて来たので、情報操作や嘘は簡単にバレます。むしろそこが権力をチェックしていると言える。だから今回のような政権交代が起こったのだし、記者クラブの問題も広く国民が知るようになった。にもかかわらず、ネットを敵に回すような事をしてどうすんだよ。

権力をとった瞬間にこうも簡単に豹変するとは、いやはや驚きです。いくら何でも早すぎる。やっぱり敵は権力であって、政治家は基本的に全員敵だと思うくらいでちょうどいいのかもしれません。

なぜそれをしたのか?と言えば、記者会見が真剣勝負の場であっちゃ困るからでしょう。確かに鳩山首相にはヴァルネラブルなところがありますので、政権党としては合理的判断と言えば合理的です。ただ一点読み違えている。

小沢の西松事件の際、大手マスコミは嘘捏造と官報垂れ流しで批判一色だったのに対して、ネットなどのコミュニケーションはどうだったのかと言うと、最初は少なかったとは言え、次第に増えていき、だいたい五分くらいまで、小沢を擁護しないまでも検察批判は普通に行われていた。それに大手マスコミがあとからぼちぼち乗っかるところが出てきた。その事を忘れちゃならない。どこを敵に回したのかわかってんのか?

政治というのは政策を実現するのが重要なのですが、政策を実現する為には政治的な駆け引きも必要になる。だから政策を実現するために、ネガティブキャンペーン大合唱の先兵としてわめいている大手マスコミにアメを与えて、政権存続の為の政治なんだろうという事はわかる。だけど、何の為の政権存続なのか?と言えば、政策を実現する為であって逆は無い。政権存続自体が自己目的化してしまえば、自民党と同じです。

そして仮に政策を実現するための手段としての政治なんだとしても、はっきり言って、そこのところをクローズにしてしまえばネットメディアからは激しく攻撃が始まるでしょう。というかもうすでに始まっている。情報リテラシーのある一般人であれば、もはやネット環境にて情報を集めるのが基本ですから、それらはやがて広がっていく。広がっていけば行くほど、国民からの支持は離れ、あっという間に不人気になるでしょう。その辺を読み違えているのではないか?

実際、すでにマスコミも初期の民主党へのネガティブキャンペーンは読売や産経はまだやってますけれど、その他の大手メディアは随分トーンが弱まっている。読売や産経ですら弱まっている。それは記者クラブという特権を民主党が守る姿勢を見せたからでもある。その反面ネットでは、今回の公約破りにがっかりして怒りを表明している人がもの凄い数に上っている。これがどういう帰結につながるのか?自民党の顛末を見ていて学んでないのかよって感じです。

民主党は脱官僚を謳っていますが、官僚の発する情報をそのまま各省庁の番記者達が垂れ流し、政治家もコントロールされてしまうという構造が最大の癌だったわけですから、マスコミを支えるという事は、官僚の手助けにもなってしまう。

既得権益を守る為に、マニフェストに書かれていた事に対して情報をねじ曲げてネガティブキャンペーンをしたり、高速道路の無料化に反対したり、ダム中止によって可愛そうな住民達を演出したり、最大のスポンサーである電力会社の片棒を担いで、温室効果ガスの削減目標たいして経済成長を阻害するなんて報じたり、国民に直接バラまく事を、バカメディアに洗脳された国民自身が、バラマキだ!と批判するような情報操作をしたりと言ったように、民主党が掲げる政策すべてが骨抜きになる可能性が高まる。

クローズなところで役人を押さえ込もうとしても、絶対に民主党の甘ちゃん議員ごときでは押さえ込めるわけが無い。それをマスコミも報じるわけが無い。徹底的にオープンに開いて、情報を流し、国民を味方につけないと無理に決まっている。これはすべての政策の成否にかかっている。ここをやる気が無いという事は、民主党は何もやる気が無いという事を表明している事になる。元々そのつもりならこれはどうにもならないけれど、優先順位でそう思っているのなら大きく読み違えている。

結局のところ、今回の一件でわかったのは、この国には権力をチェックする仕組みがネットしか今のところ無い。大手マスコミも死んでるし、政権交代しても権力者が入れ替わるわけで、権力者にとって一見都合のいいシステムで回っている。マスコミのゴキブリ野郎共は自分達の利権を守ろうと必死だけれど、それは誰にとって都合がいいのかと言えば、権力にとって都合がいい仕組みであり、大手メディアの連中が金儲けしようが、利権を貪ろうが、それよりも何よりも、チェックが働かない事が問題なんだという事です。

政権交代をしても、この体たらくであり、民主党に絶望して自民党に投票したって、今の今までその権力翼賛マスコミを利用して隠蔽して来たのは自民党なんだからそこに希望なんて無い。野党になったとたんに記者クラブ開放をしなかった与党にたいして、公約破りだ!!なんて批判するわけも無い。しかも現状の自民党の体たらくを見ていれば、復活までかなり時間を要するように見える。残っているのは殆どクズばかり。

今回の問題が仮に平野官房長官の独断専行で行われた事で、鳩山は知らない事だとすれば、すでに鳩山は内閣を操縦する事が出来ていない事を示しているし、鳩山がそれを承知で平野を起用したのだとすれば、なぜマニフェストから記者クラブ開放が抜けていて、単なる会見での口約束だけだったのかの意味もわかる。

はじめから国民を欺くつもりであえてマニフェストから抜き、フリーの記者からの質問には記者クラブを開放すると答えても、それを大手マスメディアが報じる事は絶対にないので、政権を取ったあかつきには従来の閉じた記者クラブ体制での記者会見に切り替える。その事を問題視する声は記者クラブ体制内の記者達にはあるわけが無いので、知らない人にとっては全く何の問題も存在しなかったように隠蔽出来る。おまけにその見返りに、大手メディアは民主党批判のトーンを弱め、あげく記者クラブを開いたという嘘記事まで援護射撃的に書く。

困った話です。ネットをなめんなよ。もう当ブログの戦闘態勢は整いました。ボロクソに書いてやる。やっぱりこうやって批判してボロクソに書く対象がいないと書く気も起こらないので丁度いい。

まあでもおそらくはこんなところではないかと思えるストーリーは、鳩山は弱みを抱えている。官僚や企業、そしてマスメディアと二正面作戦というか多方面作戦は失敗する。政権存続しないと政策も実行出来ないので、本来であれば岡田あたりを官房長官に据えれば一番イメージ的には良かったところを、あえて側近の平野にした理由はそこにあるのでしょう。

そしてこの平野という男は元々旧社会党的な組合出身の議員であり、どちらかと言うと、政策通というよりも、自民党的な腐敗と裏表の関係にあったような人間でもある。ようするに政策よりも政治的方向に長けている。だからあえて記者クラブ開放を反古にしろと命じないまでも、おそらくはこの男にメディア対応まで含めて任せてしまっている可能性がある。目的は政権存続のため。任せている以上、口出し出来ないというところかもしれない。

要するにメール問題の時の民主党と同じ図式です。メール問題を1人の議員に任せる。その議員がこのメールは絶対に本物だという確証があると言う。そうするとそれを任せている手前、代表自らメールなんていくらでも偽装出来るし、怪しいのは百も承知だけれど否定は出来ない。何の確証も証拠も無くというか、むしろ小泉サイドからの(まさか引っかかるような奴がいるとは思えない)単純なトラップに引っかかった事を認める事が出来ない議員のはしごを外すわけにも行かず、信じたツケが仇になって帰る。それと似ている。

この辺が民主党の一番弱い部分でもある。これは大きく見誤っている。小沢の西松事件で首の皮一枚で民主党の危機を乗り切った原動力は、小沢がすべての会見をオープンにしていたからに他なりません。だから鳩山の問題もオープンにする事の方が結果的に民主党の為になる。隠蔽は簡単にネットで暴かれ、あっという間に広がる。それをなめちゃマズい。マスコミと検察の隠蔽の図式が可視化され広がったから、あの致命的とも思えるスキャンダルがあっても、民主党はたいして傷つかなかった。

そして優先順位で言えば、二正面作戦が取れないというのであれば、まず情報の徹底したディスクローズが先であって、それをやれば、官僚だろうが既得権だろうが、簡単に腐敗堕落の構造は可視化される。それがすべての原動力になり、民主党が踏ん張らなくたって国民がバックアップするでしょう。本当に民主党が問題を解決する気があるのなら。

いきなり絶望的な事を書きましたが、絶望する必要は無い。今回はマスコミの連中は記者クラブは開放するものだと思って諦めていた節がある。それを平野の方から意図が何であれ開放しなくてよろしいとトップダウンで決まった。

これでどこに敵がいるのかがハッキリわかった。マスコミの問題というよりも、権力の問題であってマスコミはそれに利用されているにすぎない。もちろんそれで特権を認めてもらい、競争を免除されて暴利を貪って来たのだから、奴らにはいっぺんの同情の余地もないし、万死に値する罪でしょう。

しかしマスコミを叩いていても、結局一番得をしているのは権力であり、これは昔から権力がよく使う手の基本中の基本の戦略である分断統治の構図がはっきりと可視化された事はむしろ良かったと思える。一番の問題は権力へのチェックなんだという事を。権力をチェックする唯一の仕組みであるネットの力が改めて問われているのかもしれない。この構造を許し続ける国で今後もいいのか?という事を。

民主党の政策の骨格は結構スジはいい。しかしそれに対するチェックが働かない以上、必ず換骨奪胎が行われる。ネットを利用している我々はそこに目を光らせておく必要があるだろうと思います。

そして今回男を上げたのは岡田外務大臣。この人はよくも悪くも頑固一徹、鉄仮面と呼ばれているだけの事はあって、さすがぶれない。外務省の霞クラブを開放し全メディアに開いた。ブラボー!!

この政権移行期の混乱状態の中枢にむしろ彼が関わらずに、汚れなかったのは不幸中の幸いかもしれない。粛々と外務省の密約問題や、西山太吉問題なんかに手を付けると言っているのは心強い。前原なんかもダムはあくまでも中止と言っているし、この辺の連中が、政権移行時のドタバタ状態の汚れを鳩山や平野と言った人達に背負わせてあとを引き継げば希望は残っていると言えるかもしれない。

岡田なんかは国民の人気もあるし、そもそも民主党の会見を開いたのも彼だし、いろいろと融通が利かないところはあるけれど、それがむしろ必要な場面は必ず出てくる。二の矢がある所は良かったかもしれない。

鳩山の力が衰える事無く、平野のような議員の力も温存された状態で、政権移行時に彼が代表を務めてしまっていたら、民主党はもうその時点で二の矢が無くなる。鳩山が献金問題でクリーンじゃないという事は国民はみんな知っている事なので、いっその事、負の構造はすべてその辺に背負わせて、政治的な発言力も力を失えば、若手の連中にチャンスが巡ってくる。

それまでは政治ごっこがしたいじじい共にせいぜい、腐敗堕落の構造や権力の問題点を可視化させてもらって、その後で一気に畳み掛けた方が問題点が見えている分だけ対処しやすいかもしれない。

頭の古い連中が従来型の政治のあり方から一歩も枠を超える事無く、改革だの革命だのと言った事がどれだけ不可能なチャレンジなのかを失敗する事によって、それがその後の学びにもなるし、世代交代を加速させるチャンスにもなりうる。

自分は基本的に鳩山でも小沢でも岡田でも、誰が民主党のトップであろうとも、その事に興味はあまりありませんし、誰でもいいと思っています。が、政権交代をさせるという意味で言うと、小沢とか鳩山の方がどちらかと言うと役割としては合っていたと思う。しかし政権交代が実現した今、小沢とか鳩山のようなトップがまとめなくとも、政権党なんだからまとまるでしょう。

自民党があの体たらくである以上、牽制は全く期待出来ない。放っておけばあっという間に権力は腐敗する。これでブログを書くモチベーションにもなるってもんです。平野官房長官ありがとう!!
お久しぶりでございます。三日坊主です。起こりましたね政権交代。いやあ大爆笑でした。とりあえず政権交代が実現しない事には何も始まりませんので、第一関門はなんとか突破出来たという感じでしょうか。

今までは与党であった自民党や公明党に対して、それこそ目の敵のようにボロクソに批判してきましたが、これからは今までのように集中攻撃的に批判はしません。批判の矛先は権力を握った民主党という事になります。なので今まで民主党を応援してきたかのようなスタンスを取ってきましたが、政権党になったからには容赦せずに問題があればボロクソに(今までも書いてきましたけれど)批判します。代わりに野党に下った政党には多少甘くなるでしょう。もちろん今まで行ってきた事のツケは彼らに責任があります。比例で薄汚い連中が復活してるので許しがたい事は沢山あるでしょうけれど、民主主義を健全に機能させる為には野党がしっかりしないと上手く行きません。したがって応援しないわけにはいかない。自分のスタンスは反権力が基本ですので。

さて、ずいぶんとブログを書けない日々を過ごしてしまいましたが、衆院選ではもはや書くべき事は書き尽くした感がありましたし、何しろパソコンが壊れちまいまして、自力で修復しようと奮闘しましたが上手く行かず、修理しようか買い替えようか、買い替えるとしたらマックかウインドウズかって事で、いろいろと迷ってしまっていたわけであります。映画を観たり本を読んだり楽器を弾いたりしながら迷っているうちにグズグズと時間が過ぎてしまい、今にいたる次第です。

何しろ二台あったパソコンがオーマイゴッド両方イカれちまいまして、非常に不便な日々を送っております。パソコンがないとこんなに不便なのかとビックリです。今まではマックとバイオを利用していたのですが、さすがに二台は必要ないかなとも思いまして、買い替えるのならウィンドウズ系かマックかどちらかにしようと決めたはいいのですが、普通に一台だけにするのならマックじゃ何かと不便だし、ウィンドウズ系でいいかな、と思って電気屋に行ってマックを見ると、やっぱマックのがかっこいいしな・・・・かといって二台買うんじゃカネもかかるし、それじゃ修理すればいいかなと思い至るも、電気屋で真新しいパソコンに触れていると、やっぱ新品欲しいしなと迷ってしまって修理も躊躇し、バラで部品を買って組み立てるかなとか思ってみるもやっぱめんどくせえし、通販で買えばいいじゃんと思ってもパソコンねえから出来ねえし・・・・・・

何かを決めるときに普通こんなに迷わないのですけれど、何となく最近のパソコンの向かっている方向性というのが自分が求めていない余計な機能が(テレビが見れるとか、ブルーレイがついているとか)ついていて、あんまり欲しいと思えない。かといって、シンプルなものにするとデザインがかっちょわるいし、じゃあノートにすればいいじゃないかという感じもしないでもないのですが、基本ノートは好きじゃないので、欲しいと思うものが無いというかズレている。その機能いらねえんだよなって感じで、付加価値が付加価値になっていない。なんか需要不足の原因の一端はここにありって感じがしてしまいます。

ぶっ壊れた当初は壊れたショックと、パソコンが無いという事の不便さに発狂しそうになりましたが、迷っているうちにだんだん慣れてきてしまい、不便だとわかっているのに、パソコンのない日々を過ごしてしまっています。したがってブログも放置プレーになっていたわけです。おかげで本日も人のパソコンを拝借して更新する次第です。政権交代が起こってからしばらく経つというのに何も書かないのもアレですし。

さて溜まりに溜まった夢精寸前状態ですので、長くなるかもしれませぬが気にせずおっぱじめます。

政権交代が起こっても尚この国の現状は八方ふさがりである事は事実であり、その状況を打開する方法は簡単じゃありません。というか多分そういう政策は打てっこない。まず今の日本の現状を考えると、人口を増やすか?人口増を諦めて人口のバランスが適正化するまでしばらくは貧しくなる事を受け入れるか?大雑把に言うとこの二択しか無い。人口減で逆ピラミッド型の社会でありながら経済も右肩上がりというのはなかなか難しいでしょう。ただその方法が無いわけではなく、そこに至るまでの道のりを考えると、かなり分厚い壁がある。

そして官僚政治の打破という事を民主党は言っていましたが、官僚を上手く使わない事には必ず行き詰まるでしょう。政治家ごときがスペシャリストである役人と専門分野でしのぎを削ったって太刀打ち出来るわけがない。何百人議員を送り込んだって無理です。

もうすでに結構取りざたされていますけれど、鳩山代表の論文問題、脇の甘さに目眩がします。民主党の弱点と言いますかこういう政党であるという事はわかってはいましたが、官僚を頼らないという事は自分達でキッチリハンドリングしなけりゃ国益を損なってしまう。

官僚を頼ってきたが故に癒着構造が生まれ腐敗の温床にもなってきたのだから官僚との距離を保ちながら上手く使いこなすという事は重要ですけれど、あんたら本当にそれで大丈夫か?って感じは否めません。

論文と言うかエッセイの類いであり、たいした話は書いてありません。主にアメリカ批判の下りにアメリカ側が反発しているわけですが(またそれに対する反応も、左派系の新聞、例えば朝日のような所が中国などにご注進報道を行い政府を批判していたのと同じで、読売や産経のようなバカ保守系の売国新聞社がアメリカ批判なんてとんでもないと批判しているのも笑っちゃう、いずれにせよこの国の報道はベクトルが逆を向いていても総じてすべて同じような行動作法であって国益とは何の関係もないズレている。まあ自分達の権益護持に必死なんでしょう醜い連中です。)グローバル化やアメリカの市場原理主義云々を批判したい気持ちはわかるけれど、それを言って筋が通るのはアメリカ国民だけであり、それを何の自覚も無く受け入れ、それを支持してきた日本国民自身が問題なんであってアメリカが悪いわけではない。アメリカはアメリカの国益の為に交渉してプラットフォームを押し付けてきているわけで、嫌ならそれをはねつければいいだけの話です。それを散々受け入れてきて結果的に社会が空洞化したからと言っても、それを無策でただ受け入れてきたこの国自体の問題であるわけです。

サブプライムの問題にしても、アメリカに問題があるのは確かですしムカつくのはわかりますが、それがあったから外需依存のこの国も恩恵を受けていた事もあるわけだし、確実にその構造で儲かっていた部分もあったわけで、そのまま儲かっていて景気もそこそこであっても同じように文句を言うのか?と言えば、崩壊したからこそ文句を言っている部分も間違いなくある。散々その構造に乗っかって儲けてきたくせに、損したらアメリカのせいというのでは、言われた方は反発してしまう。

グローバル化というのは確かに先進国にとっては企業が海外へ進出し、雇用が減ってしまったりしますので、相対的に貧しくなってしまったり、社会が空洞化してしまったりする部分はある。だけど資本が国境線を超えて移動する事によって、これまで貧困で喘いでいた国が食えるようになっているという事も間違いなくある。フェアネスという観点から考えれば先進国が勝ち続ける構造から、BRICs諸国が台頭してきたように、貧しい国でも裕福になれるチャンスを生み出した事は間違いない。それは悪い事ではないわけで、泥沼の内戦で餓死者が大勢出るよりはマシなわけです。日本人から言えば残念だという話でしかない。もっと言えばグローバル化の中でも経済成長を続け日本ほど社会も空洞化せずに上手く舵取りしている国だって沢山ある。要するにドメスティックな問題であってアメリカ批判はお門違いな話です。

アメリカ的なるものを無自覚に受け入れる構造のもとでの権益分捕り合戦をこの国の統治権力や企業が行ってきた事や、バカメディアが翼賛してきた事や、その事に対して無自覚に受け入れ支持してきた国民に問題があるだけです。

そういうオヤジの繰り言的な愚痴を書きたい気持ちはわかる。しかし一国の首相になる可能性のある人間が、古い左翼の戯言みたいな事を書いて、書くだけならまだしも、鳩山代表は寄稿した覚えは無いととぼけておりますが、海外のメディアが勝手に取り上げるわけはないわけで、明らかに鳩山サイドが編集権も委ねて、事前にチェックする事無く許してしまったという失点がある。実際には秘書がそれを許している。編集されたと言ったって、書いてない事を書かれたわけではなくて、論文自体を短く切っているだけ。そういう風に使われて誤解されかねない事を書いたのは間違いない。そのおかげで最初のオバマとの電話会談の時点ですでに、日米関係はこれからも大切です。なんて釈明しなきゃならない状況を作り出してしまった。沖縄米軍基地の問題なんかでこれからバトルがありそうなのに、最初の時点で釘を刺されてしまっている。一体何やってんだ?って話です。

友愛の哲学を説明する為に一例としてグローバル化の負の側面に言及したという事は全体を読めばわかりますが、それをアメリカに責任を押し付けるのも問題があるし、書くだけならまだしもそれがアメリカの目に触れて、交渉のカードをみすみす渡してしまっている。これは大失態です。野党の党首気分じゃ困る。

さらに言えばそれをまわりの人間が、アメリカ批判の部分をアメリカはアメリカの国益の為に交渉しているのであって、それを無自覚に受け入れてきた今までの日本の問題なんだから、ここまでアメリカ悪者説と捉えられかねない事を書くのはマズいんじゃないの?勘違いされかねないよ。という事を誰も言ってあげてないというのも問題です。完全にバカ殿状態であるのなら麻生と変わらない。仮にそれを回りに言われても話を聞かないというのならもっと始末に負えない。

まだ総理になる前、政権交代前の出来事だったから救いもあるけれど、こういう軽はずみな交渉のカードをみすみす手放すような失態を繰り返すのなら、民主党政権も長くはないでしょう。それでは何の為の政権交代なのか?せっかく不可能と思われていた政権交代が起こったのだから、最低限やる事やってくれよって話で、次の選挙で審判を受ける前に、バカマスコミの世論誘導で支持率が激減し、何もなさないうちにお終いでは、益々この国の復活の経路は閉ざされてしまう。しっかりやってほしいもんです。

さていきなり久しぶりに書いて、早速新たな権力者を批判したわけですが、この国では自民党から政権交代で権力を奪っても、真の意味での自民党によって権益を護持してきてもらい同時に支えてきた権力があります。今の時点では民主党はまだまだ劣勢で、これからその権益にいかに突っ込んでいけるかどうかが、本当の意味での政権交代になる。なのでそういう意味ではこの国はまだ真の政権交代はなされてはいないとも言えます。まだ民主党は何もなしていませんし、これからが本当の戦いだとも思いますので、新人権力者イジメはこのくらいにして、真の問題点に突っ込んでいこうと思います。

確かに鳩山代表の振る舞い方には問題があったし、論文の内容も気持ちはわかるけれど、ああいう書き方をしてしまったのでは真の問題点に切り込む前に撃沈してしまう。この場合アメリカ批判をするのではなく、アメリカの要望である事を装ってアメリカのせいにしながら、そのもとでアメリカからの要望が激しいのでしょうがないと言い訳をたらたらいって国民を欺き、権益をむさぼってきた国内の売国奴どもが真の問題なんだから、アメリカを敵に回してどうすんだよって話で、アメリカ自体は味方に付けて、アメリカのせいにしていい加減な事をやってきた連中の問題に対処する為に、アメリカに協力を要請するような書き方をすべきだった。というのが大前提ではあるものの、アメリカのもとで保守を装う売国マスコミを筆頭にして、リベラルを装うクソ新聞社、経済新聞を装うゴミ新聞社、及びそれらのもとにあるテレビ局、要するに大手マスコミや御用学者、財界の連中が大々的に行っている民主党批判は全くの的外れです。

例えばジェラルド・カーチス教授が外国人特派員協会の記者会見で、鳩山代表を批判していた。そして「対等な日米関係」というのならフリーライドしている現状の問題はどうなるのか?NoではなくなにがYesなのか?ポジティブなメッセージが伝わらないと酷評していた。確かに言いたい事はわかるけれど、それをありがたがって流用して日本人が対等な日米関係の危険性や、アメリカに文句を言うのはいいけれど、フリーライダー問題をどうするのか?といったような親米バカ保守系のクズ野郎どもの言い分の受け売りを、そのままアメリカ隷属利権をむさぼる売国奴どもの権益護持に加担して、一般市民までコントロールされて民主党批判している状況に対しては如何なものかと思える。

ジェラルド・カーチス教授はアメリカ人なんだから自国の国益の最大化の為にも、鳩山政権に釘を刺しておくという意味もあるだろうし、アメリカ人がそれを言うのはわからない話じゃない。だけど日本人が言うのはどうなんだ?って話です。対等な日米関係というと、アメリカの戦争のお手伝いをする為に海外に軍隊を派兵しなきゃならないかのようにほざく連中が多すぎる。全くロジックが狂っている。もちろん外交というのは相手があっての話ですから、日本が政権交代したからと言って、ホイホイ政策を変更してしまえば、信頼を失ってしまう事も事実なので、慎重さにかけた舵取りの批判ならわかるけれど、どうもそういう感じではない。

例えばアメリカのホワイトハウスのすぐ目と鼻の先や、ハワイなんかに、アメリカが土地を貸してくれて、アメリカが費用を負担してくれて、日本の自衛隊の基地を提供してもらって、アメリカの領土内において何らかの軍事衝突があった場合のみ、集団的自衛権を行使するという話なら論理的に正しい。アメリカに基地を提供してもらって費用負担もしてもらっているにもかかわらず、アメリカ本土がどこかの国から攻撃を受け、人が死に国土が破壊されても、アメリカ軍の本土防衛に手を貸すこと無く、日本には関係ありませんと無視を決め込んでいたとしたら、フリーライドするな!という言い分も百歩譲って成り立つ。本当はそれでも成り立たないのだけれど。

しかし日本の領土の中に、基地を貸してやって、その費用まで負担して、アメリカ本土の防衛でもないのに、ノコノコ外に出かけて集団的自衛権の行使なんて話は、1ミリも正当性の無い論理矛盾もいいところ、破綻した話です。日本人でありながら、それをする事が対等な日米同盟であるかのような事をほざいて危険だと言っている連中が何を守りたくてそう言っているのか?それを理解する必要があります。

日本の国土をアメリカに貸して基地として使わせているだけだって、十二分に貢献している。その上費用も負担し、移転費も出せと言ってきているのに対して、それをはねつける事のどこにフリーライドがあるのか?なぜここまでやっているのに、アメリカの戦争の手伝いをしないと対等と言えないと思うのか?こういう批判をしているバカ共は頭がどうかしている。

民主党はあくまでも派兵するにしろ国際協力するにしろ原理原則を定めると言っているだけで、現状のアメリカの戦争に無原則でお手伝いする事に対して異を唱える為に国連を持ち出してきて主体的に判断すると言っている。あくまでも国連の承認は必要条件であると。十分条件だとは言っていない。普通に考えれば無原則に派兵するよりはマシだと思うのですが、危険だという話になる。憲法9条があっても現状は無原則で何の縛りも無くアメリカに言われたという事を利用して実際に派兵してしまっているのに。

アメリカ人がフリーライドだと文句を言うなら(もちろんムカつきますが)まだいいけれど、日本人がよく恥ずかしげも無く言えたもんです。バカでわからないのか、本当にアメリカの手先として国を売って権益を貪っているのか知らないけれど、そういう連中の戯言に乗せられているようじゃ、民主党政権の掲げる市民の引き受ける政治なんて100年経っても不可能でしょう。自分の頭で考えて情報を精査出来ないのであれば、政治に無関心な方がマシです。

投票に行けと、この国の大人達は常識人面を装っていいますが、はっきり言って、自分の頭で思考出来ない人間は投票に行かない方がいい。最低限自分が投票した政党の政策や理念くらいちゃんと理解してから投票すべきであって、誰かがよくないと言っているからつられてよくないと思ってしまうような思考法で反対したり支持しておいて文句を言うのは最悪です。それは投票に行けと説教している大人だって半分以上そうでしょう。

支持した政党の言っていた事とやっている事が乖離している場合に文句を言うのならわかるけれど、それを情報の精査もなくして、誰かさんのネガティブキャンペーンに乗せられて文句を言い出すようでは、有権者としては必要最低限の能力が欠落している。

だいたい小泉自民党にあれだけ支持した人がいっぱいいたのに、なんで自民党に対してこれだけ逆風が吹き荒れたのか?本当に自分達の頭で考えて自民に反対票を投じたのか?郵政民営化にみんな賛成していたのに、なぜか今は反対の人がいっぱいいる。そもそもなんで賛成したのか?なぜそれが今は反対しているのか?理由があるとしてそれは情報を吟味して自分の頭で考えてそう思っているのか?市民政治を駆動させる為にはこの辺が大きな壁となるでしょう。

これは以前も書いた事ですが、現時点でもアメリカ軍に日本は守ってもらっていない。アメリカ軍も自衛隊が日本に存在して安全だから日本にいる。人数や兵器の数を考えても、日本は自衛隊が守っている。陸上部隊が米軍1万3千(補給部隊が多くて実力は2000人程度)、自衛隊14万9千、空母、護衛艦が米軍10隻、自衛隊53隻、戦闘機、米軍42機、自衛隊373機、戦車、米軍0、自衛隊910輌、このバランスを見れば誰でもわかる話ですが、アメリカは外に出て行く為に待機しているだけで、軍事力によって日本を防衛するという意味においては何の役にも立ってない、金の無駄、いなくても全然変わらないわけです。

しかもアメリカが沖縄に基地をおいているのは安全性があるからであって、旧ソ連の戦闘機の行動範囲外、爆撃機が沖縄に到達するまでに、自衛隊の戦闘機が撃墜してくれるから安全なんだと、アメリカ自身が自国で説明する時に言っていたわけです。アメリカは海外に派兵する為に日本の基地がただでしかも費用もとりたい放題だから日本にいるだけで、もし有事があったって日本の事なんて守るわけが無い。ちゃんと97年のガイドライン改訂ではっきりとそうなっている。

しかもその事を当時の自民党政府は受け入れている。その事を日本人に隠している。プライマリー・リスポンシビリティと、日本で何らかの紛争が起こった場合、防空、日本船舶、商船の保護、敵が日本に上陸して来た場合の阻止撃退、ようするに国防に関しては、自衛隊が一義的に責任を背負うと英文でハッキリ書かれてあって、日本政府も合意している。

要するにアメリカは関係ありません日本の問題であり自衛隊の問題だとはっきり書かれている。それを訳すときに、自衛隊が主体的に対処する、というインチキ翻訳にすり替わっている。全然ニュアンスが違う。アメリカには責任が無くて、日本が全責任を負うという話になってない。誤摩化しているわけです。だから仮にアメリカ本土に自衛隊の基地を貸してもらってその費用を負担してもらったとして、アメリカ本土が攻撃を受けて本土防衛の為の集団的自衛権だとしても、本当は無視していても構わない。先ほど「本当はそれでも成り立たない」と言った理由です。

現実としてアメリカ軍に日本は守ってもらっていないし、在日米軍にそんな能力は無い、だから現実の追認としてガイドラインの改訂になったわけですが、その事をきちんと説明した政治家なり役人なりマスメディアなり見た事があるでしょうか?多くの人が皆無でしょう。にもかかわらず対等な日米関係の意味をはき違えてまるで日本が危険に陥るかのような事を吹聴して回っている連中が何を守ろうとしているのか?自覚しろって話です。それが市民政治に必要不可欠なまなざしです。

アメリカに依存しているという状態にしておきたい、つまりアメリカ依存体制で権益を握っている連中にとってこの構造は都合がいいわけです。もちろん一般的なアメリカ人も知りませんので、日米ともに日本はアメリカに守って貰っているというフィクションが蔓延っているわけです。したがって中国脅威論とか、北朝鮮脅威論というのは誰にとって都合がいいのか考えた方がいい。アメリカにとって中国はもう重要なビジネスパートナーですし、北朝鮮なんてハナクソみたいにしか思っていない。

中国の軍事費を大騒ぎしますが、日本とたいして変わりません。あの国の面積から言っても、周辺事情から言っても、どこか一カ所に軍事を集中して展開するなんて事は出来ません。それが出来ない以上、守るべき面積の差から軍事費を考え、しかも日本は防空に特化して戦えるわけですから、軍事的な中国脅威論も嘘です。

そもそも中国脅威論は冷戦終結の直後から出て来た話で、アメリカ軍の縮小を阻止する為に、アメリカの軍関係者が使ったネタです。兵器の近代化と喚いていますが、日本も韓国も台湾もおこなって来た事で、兵器の近代化なんてそんなの当たり前の話です。

核兵器の脅威はもちろんあります。ありますがこれはアメリカ軍がいようが、いくら軍備に金かけようが、軍事で何とかするのなら、核が無くちゃ抑止にはならない。中国が核実験に成功したのは60年代の事で、これも今更騒ぐような事でもないし、MDなんてのは役に立たない。単なる利権でしょう。アメリカ軍は日本を守るとは言っていませんので、当然核の脅威があるからアメリカが必要というロジックも成り立たない。日本に核が撃ち込まれてもアメリカは何もしないとハッキリそう言っている。日本もそれを受け入れている。その事を国民にちゃんとディスクローズしてこなかったし、マスコミも報じてこなかった。もちろん中国や北朝鮮が本当に脅威なんだとしてもしかりです。アメリカに頼ってもどうにもならない。軍事と外交を駆使して日本がなんとかするべき事です。

08年度の予算、日本が米軍に負担している総額は6252億、そのうち思いやり予算が2083億円、地位協定の範囲内のものが667億、特別協定の範囲内のものが1416億、日米安保条約による地位協定、24条には、合衆国軍隊の日本駐留に伴うすべての経費は(高速道路の料金のようなものや税金、土地代を除き)、この協定の存続期間中日本に負担をかけないで合衆国が負担する事が合意される、となっています。

これは1960年の安保改定の時に盛り込まれたもので、その当時はアメリカが日本から補助金をもらうなんていう構図はアメリカだって想像していなかったというのもあるでしょう。ベトナム戦争に負けて、経済が失速しドルの価値が下がり、円の価値が上がってくると、アメリカが払わないとゴネ始めて日本側が折れる。78年に62億出す事になった。何の根拠もないので何の為に出すのか?という話になり、金丸が思いやりの気持ちでと言ったわけです。87年に後付けで特別協定を締結し、法的根拠を調達する。これは地位協定の改定であり、即ち安保改定でもある。

基地の従業員の給料を全額出せ、基地の光熱費を負担せよ、施設の立て替え費を出せ、最初は土地代という話だったのが施設込みでという話にすり替わってくる。当然その工事にまつわる権益も当たり前ですが発生します。駐留米軍の総数3万3500、日本が負担している総額をこれでわると一人頭1800万以上になる。世界各国でアメリカ駐留軍への負担割合を見てみると、ダントツのぶっちぎりで1位です。日本は桁が違います。一人当たりの負担で考えると2位の5倍払っている。そこにはこの構造で膨大な基地利権によって暴利を貪っている売国奴共がいる。

78年頃が米軍の駐留のピークで4万5千、その時の基地従業員が2万1千、米軍がどんどん減っているのと反比例して、基地従業員は増えている。今は2万5千くらい、米兵100人に対して基地従業員が75.8人、娯楽施設への負担、コック、ウェイトレス、ウェイター、バー関係、ゴルフ場管理、ボウリング施設の管理、床屋、動物世話係、観光ガイド、映画映写技術者、劇場業務監督、エアロビのインストラクター等々、実に様々なものを負担しています。しかもその検証が日本政府にはキチンと出来ない。

チェーンのハンバーガーショップなんかもあって、米兵も金を払って食っているのですが、そこの光熱費や人件費も日本政府が負担している。ただ同然で利益が出る構造がある。しかもその金が何に使われているのかもわからない。

周辺への騒音対策や、移転への経費、酷いのになると、教会なんかの建設費にまで金を出している。宗教団体に対する支出ではなくて、アメリカ軍への支出であるから憲法違反にはならないと逃げているわけです。

日本に駐留しているのは情報機関が多い。かつてはソ連の情報を盗聴したりしていたわけですが、冷戦以降は明らかに日本への情報戦を仕掛けているわけで、そういう所への負担を日本政府が、というか我々の税金で賄っている。このバカバカしさ。日本の技術資料を収集し、英語に翻訳してアメリカに送るというような、産業スパイ的な行為を公然とやっていたりした。そこの基地従業員は日本人で、日本が負担をしていた。

こういう背景がありながら、日本がただ乗り国家だなんて話はふざけんなって話で、それをアメリカ人が言うならまだしも、日本人が言うのは完全なお門違いです。読売や産経と言った保守を装う連中の実態は、保守でも何でもありません。自衛隊には自衛する能力が無いかのように装う事によってアメリカ基地利権の既得権益を保守しているだけで、日本国民にとっては売国奴以外の何者でもない。

そしてそれは右を装うバカ共だけの問題ではない。左を装うバカ共も同様です。この状況を放置して、アメリカは海外にばんばん派兵している状況を放置して平和主義?ふざけんなって話で、こういうアメリカに日本は守ってもらっているというフィクションがあるから、憲法9条だの平和主義だのといった恥知らずなことを言えてきた。日本は軍事力で自衛する能力は現時点であるのだから、それを否定せずに追認するだけで、自立しようと思えばいつでも出来る。しかし軍事を否定する事によって正統性を得ようとするあまり、国民もアメリカがいないと自衛出来ないと思い込まされ、いつまでもアメリカ依存のもとでの売国奴連鎖を許し続けてきた。

基地労働者達の組合系の問題もあるわけだから、その意味では野党の責任も重い。基地従業員がこれだけバカみたいに沢山いるのも元を正せば、旧社会党が全駐労をバックアップして、思いやり予算によって日本政府がアメリカの負担の肩代わりをした事が出発点になっている。もちろんそれを受け入れたのは与党ですから自民党にも責任は等しくある。

そしてその事をアメリカが主張してきた事やこういう要求を日本政府に突きつけてきたとするのなら、その事にムカつく気持ちはわかるけれど、それらはすべて日本のドメスティックな問題であって、はねつければ済む話です。アメリカが要求してきているので断れないかのように言い訳を垂れ流しながら、この利権構造でカネと票を集める仕組みが回っていた。役人の天下り先の確保にもなるだろうし、ブラックボックスである事をいい事に利権が生まれ、与党議員に献金としてキックバックがかえっていく。こういう構造を保守しようとしている連中が、要するに民主党的理念にケチを付けているわけで、それにまんまと乗せられて批判しているような連中にちゃんと教えてあげましょう。そして組合系の問題も絡むので、そこに切り込めなければ当然民主党自体の問題にもなる。そういう意味でキッチリ新たな与党である民主党をチェックする必要がある。最低限これくらいの前提は共有しないと、引き受ける政治もクソも無い。

という事で、冒頭ではこれからは民主党をばんばんチェックしていくと書きましたが、与党になった彼らの政策がザルだったり、骨抜きだったりした場合もちろん徹底的に書きます。しかし当面はその効果にしろ骨抜きにしろ、見えているわけではない。それよりも現段階ではマスコミ及び役人、そして財界のステークホルダー共が、主権者である民意によって政権交代した政党のマニフェストに対して公然と反対を表明している。マニフェストにこだわるななんて事を報じる始末。それで実行しなきゃしないでブレたと叩くくせに。

これはとんでもない話で、主権者である我々との契約がマニフェストであり、それを実行する事が選ばれた政党や政治家にとっては彼ら自身の命よりも重要な事です。それが政治家の責務に含まれている。それを主権者の契約を無視して己の利権を守る為に、立場や報道を通して妨害するという事は完全に民主主義の精神を逸脱している。百歩譲って財界の連中はまだいい。しかし役人が裏で糸を引いてそういうネガティブキャンペーンを行うなど言語道断。普通の民主国家であれば犯罪行為です。

もちろんマスコミもしかり。自分達に都合がいいような報道によって人々を先導しようとしている。これではどこに主権があるのかわからない。そして一番最悪なのは、国民自身が民主党を支持して政権交代させたにもかかわらず、自民党にお灸を据えただけだという話になっていて、民主党の政策は支持していないなんて事をいう輩が結構な数でいる。マニフェストも読んでいないくせに、役人及びマスコミや財界のステークホルダー共のネガティブキャンペーンに乗せられて、やれ財源が無いだの、高速無料化は賛成出来ないだの、バラマキは反対だの、成長戦略がないだのと、本当に情報を吟味してそう思っているならまだしも、コントロールされて自分の頭で考えているかのように錯覚している輩が多すぎる。もちろんマスコミの世論調査はインチキであれ、そういう連中が結構な数いるのは事実でしょう。したがって当面はその辺の問題について書かないわけにはいかない。

本当の政権交代は自民党を下野させるだけでは足りません。財界やマスコミの連中も含め、ステークホルダーの連中をある意味政権交代させないと、この国の本当の問題点は是正出来ない。そして我々のマインドもこれまでの常識のとらわれて、自分の頭で考えない古い思考を持つ輩が多すぎる。そういう人間の頭の中身も入れ替えないと、真の政権交代には届かない。最初に書いたようにまだ第一関門を突破しただけですので、民主党をボロクソに書く前に考え方を変えない以上退場してもらう必要がある連中が大勢いる。

もうしばらくはその辺を書く必要がありそうですね。本日はこれまで。