主要メディアの民主党政権に対するバッシングは一応落ち着きを見せ始めたように感じます。例えばCO2の-25%という削減目標に対して、最初の抵抗から考えると随分トーンが弱まっているように。これらは何を意味するのか?
温暖化防止はいい事だから、マスコミも協力しましょうなんていう話でない事は想像がつきます。記者クラブ体制を擁護するかのような姿勢を見せた鳩山内閣を支持する事が、マスコミの既得権益を護持出来るという事で、急にバッシングのトーンが弱まったのと同様に、温暖化対策の方向性についても、何らかの妥協、既得権益のとっては骨抜きが起こっているのではないか?と普通の感覚を持った常識人であれば疑ってしまうでしょう。
すでに日経新聞ですら、全肯定ってわけではありませんが、かなりポジティブな記事を見かけるようになりました。科学記者クラブとか、環境記者クラブから上がってくる情報ならともかく、経済記者クラブから上がってくる記事や社説にまでポジティブなところが出て来ているという事を、素直に受け止めてよかったよかったと呑気に構えていると痛いめに合うというのがこれまで繰り返されて来たパターンですので、その辺の構造の変化は何を意味しているのか?少しその辺から書いて行く事にします。その前に少し前提話を整理して行きます。
最初の段階で鳩山首相がCO2-25%削減を打ち出したとき、経産省の次官がそれは無理だという発言をする。経済成長の妨げになると。国民の負担が増えると脅す。政府の方針を勝手に官僚がねじ曲げようとした。この振る舞いは議院内閣制の制度を採用している国であれば基本的にクビです。
この同じ日に環境省の次官も会見をしていて、こっちは世界的な枠組みとしての最低のラインを表明したに過ぎず、当たり前の事だし、これは良い事だと会見した。どっちの言葉が大手メディアに載るのかというと、環境省の会見は無視、経産省の恣意的な試算とネガティブなコメントを、マスコミは大々的に取り上げ、ネガティブキャンペーンに利用する。
それ以前から総選挙の際も、選挙期間でありながら、民主党の掲げる中期目標に対して、経産省の試算をもとにしたネガティブキャンペーンが大々的に新聞紙面を踊っていた。この数字が既成事実となって政治家は身動きが取れなくなり、国民の意思は国会に届かなくなる。
前々回書いた役人の勝手な会見を禁止するという話も、こういう事を勝手にやらせない為に必要な措置でもある。それをマスコミと役人はつぶそうと邪魔をする。自民党が機能不全を起こしていた理由の一つも、この官僚のコントロールが強固だったからです。国民不在の利権の草狩り場として利用されてしまう。
それは国民の意思が国会に届けば正しい事が行われるから重要なわけではなく、ハンドルを握っている連中が責任を取らなくて済む仕組みだから問題なのです。当然責任が無ければ痛みも感じないわけだからブレーキも破綻するまで踏めない。前大戦から延々と是正出来ない構造です。
政府の決定というのは国民の負託を受けている。これはたとえ間違った決定だとしても、基本的に官僚ごときが、それに反対する資格は無い。もちろんクビ覚悟で正しいと思う事を言うくらいの気概のある人間であれば、それは官僚としては不適切でも、専門家としては望ましい事かもしれませんが、仕組みとしてはそういうものであるしかない。勝手な振る舞いは許してはマズい。
勝手に官僚が政府の決定をねじ曲げる事を許してしまえば、それがまさに日本の構造問題を形作って来た。だから国民が間違った選択をしているとしても、自分達の選択は失敗だったと気付かなければいつまでたっても市民政治は根付かない。
今の政治に必要な事は正しさではなく、いかにして合意を調達するのか?という事です。80年代から言われて来た、正統性の困難がいっそう深刻になって来たこの日本で、どのようにして国民の合意を得る事が出来るのか?という問題をクリアーしないと何も話は進まない。
今のグローバル化した、情報が瞬時に共有される時代に、何が正しい事なのか?誰も言えなくなっている。俺はわかっている的な事を言う輩はいますけれど、それがどんなに正しくても、合意調達とは無関係な時代になっている。そもそも官僚の言う正しさなんてものは実際に政策は失敗だらけ、責任も取らず、延々と利権を貪り国民にツケをまわし続け、日本中のほとんどの人が信じていない。
したがって数多ある正しさの中から、必ず恣意的に優先順位をつけざるを得ないので必ず梯子外しが始まる。優先順位をつけた瞬間にそれはあるポジションから見た視点でしか無く、恣意的であるしか無いので、絶えず正統性は揺らぎ、合意調達は困難にならざるを得ない。それに対処するには境界線を常に見直し、ひき直し続けて行くしか無い。そういう民主制の困難さを自覚した上でドライブさせないと、これこそは絶対と言う理念や利権の柱にすがって排除しあう不毛な構造を繰り返すしかなくなる。これこそは絶対というのは、単にその人から見た世界の見え方でしかないという事を自覚しないと、市民政治なんて100年経っても不可能です。
これは誰しも人間である以上わかる限界ですが、誰にも先の事はわからない。何を行えばどんな副作用が生じるのか、正確に理解している人間は多分この世に存在しない。神様がいれば可能かもしれませんが、そんな事はとっくに科学が不可能を証明している。そういう時代に俺の言う事は正しい的な事を競い合っても無意味な状況に陥っている。中央集権型の巧みな人間がコントロールする時代ではない。分散型のアーキテクチャーによって保険をかけておかないと、全体で沈没するリスクを抱える事になる。というかすでにかなりの段階までこの国は沈没している。
小沢環境大臣が炭素税の導入を言っています(自分は炭素税が一番しっくりくるような気がします)。これはあたかも増税であるかのようなミスリードをあえてメディアは流しますが、税収ニュートラルであって、環境という口実を使い租税システムの全体の組み替えの話です。増える分は何かで減らす。なので無駄なものに税が使われている現状を見直して、環境に配慮した税体系に組み替える大きな意味がある。簡単に言えば二酸化炭素の排出量が多い人にとっては増税になるけれど、少ない人にとっては減税になる。全体としての税収は変わらない。なので減らすインセンティブを埋め込むのに重要な措置でもある。一般の家庭にはあまり関係のない話です。
これを増税のごとく煽って国民感情を利用しようとしているのは、企業がそれを負担したくないからです。バカマスコミはそれを煽る。本当に国民にとって不公正な姿が見えたら、容赦なく批判するのはいいと思いますけれど、今の段階でそうであるかのような言い方はミスリードです。
民主党の政策は、バブル崩壊以降の非効率の是正や、グローバル化対応の政策が主な柱になっている。
グローバル化以前であれば、確かに企業というのは国民生活と密接なつながりがあったので、大企業を優遇する事が、すなわち国民生活を裕福にして来た。
しかしグローバル化が進み、企業は海外へと進出した結果、企業を優遇しても、富を海外に移転してしまい、ダイレクトに国民が恩恵を受ける事が出来なくなっている。ちょっと前まで大企業が至上最高益を叩き出したなんて騒いでいたけれど、実際に国内の景気は悪いまま、国民も景気の良さを実感する事など出来なかった。これはもうすでに企業を優遇しても、国民生活に直結していない事を意味している。
なので企業優遇から個人優遇へと再分配の仕組みを変える必要がある。それが民主党の政策の骨格にあります。その為に予算の組み替えによって優先順位をつけ直す必要がある。これを従来型の大きな政府と同じであるかのような批判は現段階では的を射ていない。少なくとも自民党や役人達のやり口を誰も信用しなくなっちゃていたのだから、一度今までの権益の配置を見直す必要がある。そうしないと合意が調達出来ない。
もちろんただ企業を締め上げて、富を吸い出させるだけでは、企業は外に逃げていくので、環境対応の負担を強いる代わりに、法人税率を引き下げるとか、国民に富を還元する事によって、優遇されるようなインセンティブメカニズムを構築する事は重要でしょう。
だけど企業が国際社会の競争で勝ち残る為には、どうしたって日本の従来型の雇用慣行や、賃金を維持する事は難しくなる。だから企業からの再配分を期待するのではなく、企業は企業で国際競争をしてもらって、直接国民に配分する事によって、内需を増やし消費を刺激して行く方向性を取る必要がある(もちろんそれをしたからと言って景気がすぐに回復するとか、そういう事を言いたいのではありません。個人に配分したらそこから先は自己責任になりますので、不合理は沢山生じるでしょう)。
この路線から脱線した場合に徹底的に叩くのは重要でしょうけれど、今の段階での批判というのは、この路線に行かせまいとするこれまで分配を受けて優遇されて来た連中のデマゴギーの声の方が圧倒的に大きい。
-25%削減に対してもそうです。マスコミがきちんと調査報道をして批判するのなら一向に構わないけれど、まるで電事連の既得権益を守る為に言っているかのような経産省の物言いを、同じく電事連というか、電力会社が最大のスポンサーであるバカマスコミが提灯報道をして、国民の負担が増えるかのような錯覚をさせ、それに国民がコントロールされてしまう。
記者クラブを利用し政府の決定を勝手に役人と番記者が結託して変えようとする行為は、国民の意思が政治に反映出来ない構造を継続させる事になる。繰り返しますが、国民の意思が政治に反映させるという事が正しいから言っているのではない。間違う可能性は十分ある。というか間違うに決まっている。
だけどそこまで引き受けてこそ民主主義というものです。我々の決定によって政府の方針を変化させる事が出来るという事が重要なのです。政策を誤るかどうかよりも、我々の意思によって政府をコントロール出来るかどうかの方がどう考えても優先順位で言えば上です。これは前にも言いましたが、民主主義は絶対に間違う。だけどそれを正す事も民主的決定によって可能であるという事が尊いのです。
それにこの中期目標に反対している声というのは、国民生活や国民負担を思っての事ではないわけで、今までは政府が何もやらないことの防波堤となっていたのが、悪名高い自主行動計画。自主行動計画があるから政府は規制を入れるなと、経産省と結託した財界が出していた。麻生の中期目標と同時に、この自主行動計画を延長しようと財界は画策していた。電力会社なんかは2010年に達成する目標を、そのまま2020年まで横ばい。要するに経済界はこのまま何もしなくていい。だから国は何も規制を導入するな。規制をするなら一般家庭や運輸だけにしろ、と言っている。そもそもアンタッチャブルなプロテクションを構築して国民負担を増やせと言っておきながら、よく経済が悪化するとか言えるもんです。
民主党の数値目標に反発して、国民一人一人に負担がのしかかるとか官報メディアはほざいていましたが、ハナっから国民に負担を押し付けるスキームが政界と役人と財界とゴキブリメディアが結託して進んでいたわけで、国民負担を押し付けて企業が逃げ切り、役人が肥え太り、政治家にキックバックが入っていくようなスキームだったわけです。民主党の数値目標があろうがなかろうが、そういう風になっていた。
エネルギー政策というのは一国だけ孤立して行う事は出来ないし、特に日本の場合は現状のエネルギー政策というのは輸入に頼らないと回らないわけで、そういう状況下で孤立してしまえば、いずれ手痛いサンクションを受ける事になる。だから遅いか早いかだけで、国際的な枠組みはどの道受け入れざるを得ない。それをステークホルダーもわかっているから、尚更なんとかして逃げ切ろうとしている連中が牛耳って未来にツケを残そうと必死になっている。これは敗走中の帝国陸軍と全く同じ図式。この図式が最終的に止まったのは原爆を落とされて、決定的な敗戦を迎えるまでブレーキが踏めなかった。電事連とそれをプロテクトする役人やマスコミの図式はそれと全く同じで、本当に回復不能な原発事故でも起こらない限り、自浄作用は絶対に期待出来ない。
財界は本当は一枚岩ではなく、環境適応についてのきちんとした共通認識は無い。電力や鉄鋼と言った大反対している連中の声の大きさに引っ張られて反対の声が上がってくる。
グローバルにビジネスを展開しているような企業は本当は国内でそれで良くたって海外では通用しないし、新興国にポイ捨てしているようでは、日本ではバカマスコミが報じないから通用するかもしれないけれど、国際的には避難の対象になりかねない。だから本音を言えば経団連の中だって、環境適応した方がカネになると思っている人だっているはず。実際にそういう声も出てはいる。
しかし当面経営者として自分がいる間は逃げ切れるという根拠の無い逃げ切り世代にとっての合理性によって、空気を読んで一枚岩になっている。ここにくさびを打ち込まないと、海外から突っ込まれる弱みを抱え続ける事になる。
古い世界観で頭の中身を変えようともしない連中が、古い世界観のままの産業構造を維持しようとしていて、鉄鋼はある程度グローバル化に取り込まれているので見込みもあるけれど、電力会社はどうにもならない。原子力と石炭原理主義でそこにしがみつき、とにかく安定供給という大義名分を掲げ、ガチガチの既得権益で身動きが取れなくなっている。
経産省は元々は原子力中心の技官と、市場原理主義中心の事務官で出来上がっていた。90年代はその中で市場原理主義の事務官の力学が増していて、97年頃から電力の自由化、解体を迫ったりしていたので牽制になっていた。一方電力会社の中もそれに抗うだけでなく、二つに割れて新しい方向性と守る方向性に分かれていた。
それが2001年エンロンの崩壊があって、その煽りを食って日本の電力自由化の力学が急激にしぼんで閉じてしまう。2001年というとちょうど小泉が首相になった年で、あの人確か、改革だの自由化だの規制緩和だのと言ってましたよね。ちょうどその頃、実はこういった既得権益護持の力学が強まって、事実上小泉自民党はそれを許し、表面上のインチキ構造改革やインチキ郵政民営化でポーズだけとり、それを国民が支持していた。皮肉な事にそのもとでは、ここで一端電力の自由化解体は頓挫する。
その後2004年、六ヶ所再処理工場を巡って再び経産省が割れる。六ヶ所再処理工場はあまりにもナンセンスだという事で、経産省だけでなく電力会社も二つに割れて改革派が食い止めようとする。結果はアンシャンレジームの勝ち。マスコミなんかを筆頭にして市場原理主義の弊害が叫ばれていた背後では、何を守っていたのかと言えば、こういう腐った構造が護持されていた。
それ以降、電力会社と経産省は益々一枚岩になり、まさに既得権益でガチガチに固めて身動きが取れない、暗黒の構造にシフトする。事実上解体自由化を唱えていた人達はパージされてしまう。既得権益のバカ大将である当時の甘利大臣なんかに対してイエスマンばかりが主要なポストを占め、不透明性を高め、権益護持、原子力推進、環境政策軽視の方向性へと突っ走る。
日本の電力会社というのは先進国では異例なレベルでの独占企業(韓国や中国よりも強固な独占構造を持っている)であるにもかかわらず、なぜかテレビのCMなんかがばんばん流れて宣伝している。要するに独占構造を守り、利権をプロテクトする為に同じく独占企業であるテレビや新聞を買収し、マスコミを買収している。
一方広告収入の激減によってマスコミはどこも経営が苦しい状況で、産経や毎日なんかはつぶれかかっている。日経まで赤字に転落している(まあ高コスト構造を是正すりゃいいだろと思うのですが)。そんな状況で最大のスポンサーにとってネガティブな情報なんて出てくるわけが無い。
なので民主党の打ち出した中期目標に対する批判の力学は誰が言っているのかを気をつけて見なければ危ない。それは国民の生活を守るとか、未来の借金を減らすとか、そういう意味で言っているのではない場合の方が、現状の仕組みの中ではむしろ多いと見る方が妥当です。
電事連なんかが使うロジックに、顧客へのエネルギーの安定供給というの言い方があります。柏崎刈羽原発の顛末を見れば明らかなように、地震によって一斉に800万キロワットの電力が失われて、首都圏をあわや停電という状況を作り出し、他の原発も耐震設計は古い、しかも偽装しているからいざとなったら止めざるを得ないところもいっぱいある。巨大電源で中央集中的に供給するというのは裏を返すとそれが止まったらお終いというリスクを抱えている。今が安全で、中期目標を導入すると顧客への安定供給が乱れるかのような言い草ははっきり言ってお笑いぐさです。
実際に柏崎刈羽原発のような事態が起こったり、耐震偽装やことごとく活断層の上にわざと作っているのか?と思えるような原発の乱開発。実際には温暖化ガスの排出量が昨年で90年比+9.2%まで増えている。既得権を守れなさそうになってくると、ドタバタでボロクソに骨に抜きにされた、経産省の利権バリバリのインチキな固定価格買い取り制度を導入しようとしたり、安心安全、安定供給、エコ、こういうインチキなお題目を掲げ、そのもとでいかにして利権を漁るのかという事ばかりをやっている連中が作るフィクションを現実がどんどん食い破っている
石炭火力が90年からひたすら増え続けていて、福島県の小名浜に石炭火力をGOサインをかける、横浜の磯子でも60万キロワットの石炭火力、経産省と結託して、まだまだ新規の石炭火力の計画がある。+9.2%でこんな事をやっている。
これは何度も書いている事で、とりあえず繰り返しておきますが、自分は基本的に温暖化説にもCO2犯人説にも、現状の環境問題に対する対応にしても、全部信じちゃいません。というか嘘だと思っている。それに排出権取引なんて制度も絶対よからぬ帰結をもたらすとも思っている。だから人類にとって生きやすい環境を整えるという意味での、公害を減らすとか、空気や水をきれいにするための山林保護であるとか、食の安全を確保する為の環境保護であるとかなら悪い事だとは思いませんし、それに繋がるのならCO2犯人説が仮に嘘であっても、まあそれはそれでしょうがないとは思いますが、排出権取引というのはキャップを儲けるという意味では悪い話ではないのでしょうけれど、確実に権利を売り買いする事によって暴走の危険性をはらみますし、またたかられるのがオチではないかって気もする。なので問題は山積しているのですけれど、だけど、その事と国際交渉上の枠組みへのコミットメントは別の話だと思っています。
まず一つは予防原則という観点の、後からやっぱり温暖化は本当だったというパターンになってからではどうにもならないという本当の意味での危機よりも、予防原則という煽りによって起こる帰結の問題の方が大きいと思います。これは外交問題という部分もあるけれど、内政問題に直結する。食料自給率や安保の問題とも似ているのですが、簡単に言えば環境問題を使って例えば国民負担が増えるとか、国際社会から叩かれているとか、いろいろな脅しとして利用されてしまう側面がある。これはエネルギーの安全保障にも繋がるので、原子力の正統性も調達するでしょう。そういう煽りや恐れを利用して、そこに権益の楔が打ち込まれる。そういう構造をずっとこの国は野放しにして来た。
食料自給率なんかと同じで、例えば自給率が低いという脅しによって、もしくは食の安心安全という脅しによって、様々な権益が生まれ、その分捕り合戦に利用されてしまう。アメリカ軍がいないと北朝鮮の脅威が!!と言われると、国民も恐ろしいので、そういう脅しをたてにして様々な権益を潜り込まされてしまい、気付いたら誰も責任を取らず、環境は改善される事も無く、食料自給率はより下がり、北朝鮮はまんまと核兵器を手にしちゃう。みたいな図式の繰り返しです。そのツケは国民が払う事になる。
だから嘘だとか本当だとかそういう事とは別のレイヤーとして、実際にそのフィクションをネタにして、様々な情報操作や利権の草狩り場になってしまう状況の方がたちが悪い。
現状のエネルギー政策や、今まで取られて来た環境軽視の方向性というのは、それが合理的だからというよりも、要するに利権であるわけで、利権の配置を入れ替えて風通しを良くする意味だけでも、いったんブレーキを踏む事は結構大きいのではないかと思える。
だからと言って、民主党の環境政策が正しいかと言うと、旗を掲げたものの具体的な話はまだまだ進んでおらず、すでに経産省に取り込まれちゃった人も見受けられる。
現行の枠組みを見直すという意味合いで重要だとは思いますけれど、環境税は環境省に丸投げ、排出権取引は経産省に丸投げ、固定価格買い取り制度もしかり、と言ったように、従来の自民党的メンタリティで役人に骨抜きにされて、利権まみれになってしまえば、事実上無意味なので、その事はしっかりとウォッチして行かないとマズいでしょう。
さてこれらの前提話をふまえた上で、今少しずつマスコミの報道なんかが鳩山中期目標に対して、若干ポジティブな方向性を打ち出し始めているのはなぜだろうという話に戻ります。もちろん海外で結構ウケた事や、支持率が高い事によって、翼賛色を出しているという見方も出来ますが、いくつかの気になる案件があります。と行きたい所ですが、続きは次回。
温暖化防止はいい事だから、マスコミも協力しましょうなんていう話でない事は想像がつきます。記者クラブ体制を擁護するかのような姿勢を見せた鳩山内閣を支持する事が、マスコミの既得権益を護持出来るという事で、急にバッシングのトーンが弱まったのと同様に、温暖化対策の方向性についても、何らかの妥協、既得権益のとっては骨抜きが起こっているのではないか?と普通の感覚を持った常識人であれば疑ってしまうでしょう。
すでに日経新聞ですら、全肯定ってわけではありませんが、かなりポジティブな記事を見かけるようになりました。科学記者クラブとか、環境記者クラブから上がってくる情報ならともかく、経済記者クラブから上がってくる記事や社説にまでポジティブなところが出て来ているという事を、素直に受け止めてよかったよかったと呑気に構えていると痛いめに合うというのがこれまで繰り返されて来たパターンですので、その辺の構造の変化は何を意味しているのか?少しその辺から書いて行く事にします。その前に少し前提話を整理して行きます。
最初の段階で鳩山首相がCO2-25%削減を打ち出したとき、経産省の次官がそれは無理だという発言をする。経済成長の妨げになると。国民の負担が増えると脅す。政府の方針を勝手に官僚がねじ曲げようとした。この振る舞いは議院内閣制の制度を採用している国であれば基本的にクビです。
この同じ日に環境省の次官も会見をしていて、こっちは世界的な枠組みとしての最低のラインを表明したに過ぎず、当たり前の事だし、これは良い事だと会見した。どっちの言葉が大手メディアに載るのかというと、環境省の会見は無視、経産省の恣意的な試算とネガティブなコメントを、マスコミは大々的に取り上げ、ネガティブキャンペーンに利用する。
それ以前から総選挙の際も、選挙期間でありながら、民主党の掲げる中期目標に対して、経産省の試算をもとにしたネガティブキャンペーンが大々的に新聞紙面を踊っていた。この数字が既成事実となって政治家は身動きが取れなくなり、国民の意思は国会に届かなくなる。
前々回書いた役人の勝手な会見を禁止するという話も、こういう事を勝手にやらせない為に必要な措置でもある。それをマスコミと役人はつぶそうと邪魔をする。自民党が機能不全を起こしていた理由の一つも、この官僚のコントロールが強固だったからです。国民不在の利権の草狩り場として利用されてしまう。
それは国民の意思が国会に届けば正しい事が行われるから重要なわけではなく、ハンドルを握っている連中が責任を取らなくて済む仕組みだから問題なのです。当然責任が無ければ痛みも感じないわけだからブレーキも破綻するまで踏めない。前大戦から延々と是正出来ない構造です。
政府の決定というのは国民の負託を受けている。これはたとえ間違った決定だとしても、基本的に官僚ごときが、それに反対する資格は無い。もちろんクビ覚悟で正しいと思う事を言うくらいの気概のある人間であれば、それは官僚としては不適切でも、専門家としては望ましい事かもしれませんが、仕組みとしてはそういうものであるしかない。勝手な振る舞いは許してはマズい。
勝手に官僚が政府の決定をねじ曲げる事を許してしまえば、それがまさに日本の構造問題を形作って来た。だから国民が間違った選択をしているとしても、自分達の選択は失敗だったと気付かなければいつまでたっても市民政治は根付かない。
今の政治に必要な事は正しさではなく、いかにして合意を調達するのか?という事です。80年代から言われて来た、正統性の困難がいっそう深刻になって来たこの日本で、どのようにして国民の合意を得る事が出来るのか?という問題をクリアーしないと何も話は進まない。
今のグローバル化した、情報が瞬時に共有される時代に、何が正しい事なのか?誰も言えなくなっている。俺はわかっている的な事を言う輩はいますけれど、それがどんなに正しくても、合意調達とは無関係な時代になっている。そもそも官僚の言う正しさなんてものは実際に政策は失敗だらけ、責任も取らず、延々と利権を貪り国民にツケをまわし続け、日本中のほとんどの人が信じていない。
したがって数多ある正しさの中から、必ず恣意的に優先順位をつけざるを得ないので必ず梯子外しが始まる。優先順位をつけた瞬間にそれはあるポジションから見た視点でしか無く、恣意的であるしか無いので、絶えず正統性は揺らぎ、合意調達は困難にならざるを得ない。それに対処するには境界線を常に見直し、ひき直し続けて行くしか無い。そういう民主制の困難さを自覚した上でドライブさせないと、これこそは絶対と言う理念や利権の柱にすがって排除しあう不毛な構造を繰り返すしかなくなる。これこそは絶対というのは、単にその人から見た世界の見え方でしかないという事を自覚しないと、市民政治なんて100年経っても不可能です。
これは誰しも人間である以上わかる限界ですが、誰にも先の事はわからない。何を行えばどんな副作用が生じるのか、正確に理解している人間は多分この世に存在しない。神様がいれば可能かもしれませんが、そんな事はとっくに科学が不可能を証明している。そういう時代に俺の言う事は正しい的な事を競い合っても無意味な状況に陥っている。中央集権型の巧みな人間がコントロールする時代ではない。分散型のアーキテクチャーによって保険をかけておかないと、全体で沈没するリスクを抱える事になる。というかすでにかなりの段階までこの国は沈没している。
小沢環境大臣が炭素税の導入を言っています(自分は炭素税が一番しっくりくるような気がします)。これはあたかも増税であるかのようなミスリードをあえてメディアは流しますが、税収ニュートラルであって、環境という口実を使い租税システムの全体の組み替えの話です。増える分は何かで減らす。なので無駄なものに税が使われている現状を見直して、環境に配慮した税体系に組み替える大きな意味がある。簡単に言えば二酸化炭素の排出量が多い人にとっては増税になるけれど、少ない人にとっては減税になる。全体としての税収は変わらない。なので減らすインセンティブを埋め込むのに重要な措置でもある。一般の家庭にはあまり関係のない話です。
これを増税のごとく煽って国民感情を利用しようとしているのは、企業がそれを負担したくないからです。バカマスコミはそれを煽る。本当に国民にとって不公正な姿が見えたら、容赦なく批判するのはいいと思いますけれど、今の段階でそうであるかのような言い方はミスリードです。
民主党の政策は、バブル崩壊以降の非効率の是正や、グローバル化対応の政策が主な柱になっている。
グローバル化以前であれば、確かに企業というのは国民生活と密接なつながりがあったので、大企業を優遇する事が、すなわち国民生活を裕福にして来た。
しかしグローバル化が進み、企業は海外へと進出した結果、企業を優遇しても、富を海外に移転してしまい、ダイレクトに国民が恩恵を受ける事が出来なくなっている。ちょっと前まで大企業が至上最高益を叩き出したなんて騒いでいたけれど、実際に国内の景気は悪いまま、国民も景気の良さを実感する事など出来なかった。これはもうすでに企業を優遇しても、国民生活に直結していない事を意味している。
なので企業優遇から個人優遇へと再分配の仕組みを変える必要がある。それが民主党の政策の骨格にあります。その為に予算の組み替えによって優先順位をつけ直す必要がある。これを従来型の大きな政府と同じであるかのような批判は現段階では的を射ていない。少なくとも自民党や役人達のやり口を誰も信用しなくなっちゃていたのだから、一度今までの権益の配置を見直す必要がある。そうしないと合意が調達出来ない。
もちろんただ企業を締め上げて、富を吸い出させるだけでは、企業は外に逃げていくので、環境対応の負担を強いる代わりに、法人税率を引き下げるとか、国民に富を還元する事によって、優遇されるようなインセンティブメカニズムを構築する事は重要でしょう。
だけど企業が国際社会の競争で勝ち残る為には、どうしたって日本の従来型の雇用慣行や、賃金を維持する事は難しくなる。だから企業からの再配分を期待するのではなく、企業は企業で国際競争をしてもらって、直接国民に配分する事によって、内需を増やし消費を刺激して行く方向性を取る必要がある(もちろんそれをしたからと言って景気がすぐに回復するとか、そういう事を言いたいのではありません。個人に配分したらそこから先は自己責任になりますので、不合理は沢山生じるでしょう)。
この路線から脱線した場合に徹底的に叩くのは重要でしょうけれど、今の段階での批判というのは、この路線に行かせまいとするこれまで分配を受けて優遇されて来た連中のデマゴギーの声の方が圧倒的に大きい。
-25%削減に対してもそうです。マスコミがきちんと調査報道をして批判するのなら一向に構わないけれど、まるで電事連の既得権益を守る為に言っているかのような経産省の物言いを、同じく電事連というか、電力会社が最大のスポンサーであるバカマスコミが提灯報道をして、国民の負担が増えるかのような錯覚をさせ、それに国民がコントロールされてしまう。
記者クラブを利用し政府の決定を勝手に役人と番記者が結託して変えようとする行為は、国民の意思が政治に反映出来ない構造を継続させる事になる。繰り返しますが、国民の意思が政治に反映させるという事が正しいから言っているのではない。間違う可能性は十分ある。というか間違うに決まっている。
だけどそこまで引き受けてこそ民主主義というものです。我々の決定によって政府の方針を変化させる事が出来るという事が重要なのです。政策を誤るかどうかよりも、我々の意思によって政府をコントロール出来るかどうかの方がどう考えても優先順位で言えば上です。これは前にも言いましたが、民主主義は絶対に間違う。だけどそれを正す事も民主的決定によって可能であるという事が尊いのです。
それにこの中期目標に反対している声というのは、国民生活や国民負担を思っての事ではないわけで、今までは政府が何もやらないことの防波堤となっていたのが、悪名高い自主行動計画。自主行動計画があるから政府は規制を入れるなと、経産省と結託した財界が出していた。麻生の中期目標と同時に、この自主行動計画を延長しようと財界は画策していた。電力会社なんかは2010年に達成する目標を、そのまま2020年まで横ばい。要するに経済界はこのまま何もしなくていい。だから国は何も規制を導入するな。規制をするなら一般家庭や運輸だけにしろ、と言っている。そもそもアンタッチャブルなプロテクションを構築して国民負担を増やせと言っておきながら、よく経済が悪化するとか言えるもんです。
民主党の数値目標に反発して、国民一人一人に負担がのしかかるとか官報メディアはほざいていましたが、ハナっから国民に負担を押し付けるスキームが政界と役人と財界とゴキブリメディアが結託して進んでいたわけで、国民負担を押し付けて企業が逃げ切り、役人が肥え太り、政治家にキックバックが入っていくようなスキームだったわけです。民主党の数値目標があろうがなかろうが、そういう風になっていた。
エネルギー政策というのは一国だけ孤立して行う事は出来ないし、特に日本の場合は現状のエネルギー政策というのは輸入に頼らないと回らないわけで、そういう状況下で孤立してしまえば、いずれ手痛いサンクションを受ける事になる。だから遅いか早いかだけで、国際的な枠組みはどの道受け入れざるを得ない。それをステークホルダーもわかっているから、尚更なんとかして逃げ切ろうとしている連中が牛耳って未来にツケを残そうと必死になっている。これは敗走中の帝国陸軍と全く同じ図式。この図式が最終的に止まったのは原爆を落とされて、決定的な敗戦を迎えるまでブレーキが踏めなかった。電事連とそれをプロテクトする役人やマスコミの図式はそれと全く同じで、本当に回復不能な原発事故でも起こらない限り、自浄作用は絶対に期待出来ない。
財界は本当は一枚岩ではなく、環境適応についてのきちんとした共通認識は無い。電力や鉄鋼と言った大反対している連中の声の大きさに引っ張られて反対の声が上がってくる。
グローバルにビジネスを展開しているような企業は本当は国内でそれで良くたって海外では通用しないし、新興国にポイ捨てしているようでは、日本ではバカマスコミが報じないから通用するかもしれないけれど、国際的には避難の対象になりかねない。だから本音を言えば経団連の中だって、環境適応した方がカネになると思っている人だっているはず。実際にそういう声も出てはいる。
しかし当面経営者として自分がいる間は逃げ切れるという根拠の無い逃げ切り世代にとっての合理性によって、空気を読んで一枚岩になっている。ここにくさびを打ち込まないと、海外から突っ込まれる弱みを抱え続ける事になる。
古い世界観で頭の中身を変えようともしない連中が、古い世界観のままの産業構造を維持しようとしていて、鉄鋼はある程度グローバル化に取り込まれているので見込みもあるけれど、電力会社はどうにもならない。原子力と石炭原理主義でそこにしがみつき、とにかく安定供給という大義名分を掲げ、ガチガチの既得権益で身動きが取れなくなっている。
経産省は元々は原子力中心の技官と、市場原理主義中心の事務官で出来上がっていた。90年代はその中で市場原理主義の事務官の力学が増していて、97年頃から電力の自由化、解体を迫ったりしていたので牽制になっていた。一方電力会社の中もそれに抗うだけでなく、二つに割れて新しい方向性と守る方向性に分かれていた。
それが2001年エンロンの崩壊があって、その煽りを食って日本の電力自由化の力学が急激にしぼんで閉じてしまう。2001年というとちょうど小泉が首相になった年で、あの人確か、改革だの自由化だの規制緩和だのと言ってましたよね。ちょうどその頃、実はこういった既得権益護持の力学が強まって、事実上小泉自民党はそれを許し、表面上のインチキ構造改革やインチキ郵政民営化でポーズだけとり、それを国民が支持していた。皮肉な事にそのもとでは、ここで一端電力の自由化解体は頓挫する。
その後2004年、六ヶ所再処理工場を巡って再び経産省が割れる。六ヶ所再処理工場はあまりにもナンセンスだという事で、経産省だけでなく電力会社も二つに割れて改革派が食い止めようとする。結果はアンシャンレジームの勝ち。マスコミなんかを筆頭にして市場原理主義の弊害が叫ばれていた背後では、何を守っていたのかと言えば、こういう腐った構造が護持されていた。
それ以降、電力会社と経産省は益々一枚岩になり、まさに既得権益でガチガチに固めて身動きが取れない、暗黒の構造にシフトする。事実上解体自由化を唱えていた人達はパージされてしまう。既得権益のバカ大将である当時の甘利大臣なんかに対してイエスマンばかりが主要なポストを占め、不透明性を高め、権益護持、原子力推進、環境政策軽視の方向性へと突っ走る。
日本の電力会社というのは先進国では異例なレベルでの独占企業(韓国や中国よりも強固な独占構造を持っている)であるにもかかわらず、なぜかテレビのCMなんかがばんばん流れて宣伝している。要するに独占構造を守り、利権をプロテクトする為に同じく独占企業であるテレビや新聞を買収し、マスコミを買収している。
一方広告収入の激減によってマスコミはどこも経営が苦しい状況で、産経や毎日なんかはつぶれかかっている。日経まで赤字に転落している(まあ高コスト構造を是正すりゃいいだろと思うのですが)。そんな状況で最大のスポンサーにとってネガティブな情報なんて出てくるわけが無い。
なので民主党の打ち出した中期目標に対する批判の力学は誰が言っているのかを気をつけて見なければ危ない。それは国民の生活を守るとか、未来の借金を減らすとか、そういう意味で言っているのではない場合の方が、現状の仕組みの中ではむしろ多いと見る方が妥当です。
電事連なんかが使うロジックに、顧客へのエネルギーの安定供給というの言い方があります。柏崎刈羽原発の顛末を見れば明らかなように、地震によって一斉に800万キロワットの電力が失われて、首都圏をあわや停電という状況を作り出し、他の原発も耐震設計は古い、しかも偽装しているからいざとなったら止めざるを得ないところもいっぱいある。巨大電源で中央集中的に供給するというのは裏を返すとそれが止まったらお終いというリスクを抱えている。今が安全で、中期目標を導入すると顧客への安定供給が乱れるかのような言い草ははっきり言ってお笑いぐさです。
実際に柏崎刈羽原発のような事態が起こったり、耐震偽装やことごとく活断層の上にわざと作っているのか?と思えるような原発の乱開発。実際には温暖化ガスの排出量が昨年で90年比+9.2%まで増えている。既得権を守れなさそうになってくると、ドタバタでボロクソに骨に抜きにされた、経産省の利権バリバリのインチキな固定価格買い取り制度を導入しようとしたり、安心安全、安定供給、エコ、こういうインチキなお題目を掲げ、そのもとでいかにして利権を漁るのかという事ばかりをやっている連中が作るフィクションを現実がどんどん食い破っている
石炭火力が90年からひたすら増え続けていて、福島県の小名浜に石炭火力をGOサインをかける、横浜の磯子でも60万キロワットの石炭火力、経産省と結託して、まだまだ新規の石炭火力の計画がある。+9.2%でこんな事をやっている。
これは何度も書いている事で、とりあえず繰り返しておきますが、自分は基本的に温暖化説にもCO2犯人説にも、現状の環境問題に対する対応にしても、全部信じちゃいません。というか嘘だと思っている。それに排出権取引なんて制度も絶対よからぬ帰結をもたらすとも思っている。だから人類にとって生きやすい環境を整えるという意味での、公害を減らすとか、空気や水をきれいにするための山林保護であるとか、食の安全を確保する為の環境保護であるとかなら悪い事だとは思いませんし、それに繋がるのならCO2犯人説が仮に嘘であっても、まあそれはそれでしょうがないとは思いますが、排出権取引というのはキャップを儲けるという意味では悪い話ではないのでしょうけれど、確実に権利を売り買いする事によって暴走の危険性をはらみますし、またたかられるのがオチではないかって気もする。なので問題は山積しているのですけれど、だけど、その事と国際交渉上の枠組みへのコミットメントは別の話だと思っています。
まず一つは予防原則という観点の、後からやっぱり温暖化は本当だったというパターンになってからではどうにもならないという本当の意味での危機よりも、予防原則という煽りによって起こる帰結の問題の方が大きいと思います。これは外交問題という部分もあるけれど、内政問題に直結する。食料自給率や安保の問題とも似ているのですが、簡単に言えば環境問題を使って例えば国民負担が増えるとか、国際社会から叩かれているとか、いろいろな脅しとして利用されてしまう側面がある。これはエネルギーの安全保障にも繋がるので、原子力の正統性も調達するでしょう。そういう煽りや恐れを利用して、そこに権益の楔が打ち込まれる。そういう構造をずっとこの国は野放しにして来た。
食料自給率なんかと同じで、例えば自給率が低いという脅しによって、もしくは食の安心安全という脅しによって、様々な権益が生まれ、その分捕り合戦に利用されてしまう。アメリカ軍がいないと北朝鮮の脅威が!!と言われると、国民も恐ろしいので、そういう脅しをたてにして様々な権益を潜り込まされてしまい、気付いたら誰も責任を取らず、環境は改善される事も無く、食料自給率はより下がり、北朝鮮はまんまと核兵器を手にしちゃう。みたいな図式の繰り返しです。そのツケは国民が払う事になる。
だから嘘だとか本当だとかそういう事とは別のレイヤーとして、実際にそのフィクションをネタにして、様々な情報操作や利権の草狩り場になってしまう状況の方がたちが悪い。
現状のエネルギー政策や、今まで取られて来た環境軽視の方向性というのは、それが合理的だからというよりも、要するに利権であるわけで、利権の配置を入れ替えて風通しを良くする意味だけでも、いったんブレーキを踏む事は結構大きいのではないかと思える。
だからと言って、民主党の環境政策が正しいかと言うと、旗を掲げたものの具体的な話はまだまだ進んでおらず、すでに経産省に取り込まれちゃった人も見受けられる。
現行の枠組みを見直すという意味合いで重要だとは思いますけれど、環境税は環境省に丸投げ、排出権取引は経産省に丸投げ、固定価格買い取り制度もしかり、と言ったように、従来の自民党的メンタリティで役人に骨抜きにされて、利権まみれになってしまえば、事実上無意味なので、その事はしっかりとウォッチして行かないとマズいでしょう。
さてこれらの前提話をふまえた上で、今少しずつマスコミの報道なんかが鳩山中期目標に対して、若干ポジティブな方向性を打ち出し始めているのはなぜだろうという話に戻ります。もちろん海外で結構ウケた事や、支持率が高い事によって、翼賛色を出しているという見方も出来ますが、いくつかの気になる案件があります。と行きたい所ですが、続きは次回。