鳩山首相の外遊で、はじめて日本の首相が官僚の作文ではなく自分の言葉で意志を示しました。これについては、まあ一応良かったんではないかとは思います。CO2の-25%削減の中期目標にしても、ちゃんと条件をつけて逃げ道はキッチリ用意してある。それを言っている以上、嘘つき呼ばわりされる筋合いは無いので、自民党が行って来た舵取りによって、京都議定書の約束を反故にして批判されるような図式の問題に対しては、新興国まで含めて足並みが揃う事はそう簡単な事ではないので一応保険をしっかりかけている。

単に日本が国際社会に一方的な贈与を行うような、カツアゲされる使いっ走りのような役割を担わないようにチェックして行く事が重要だと思います。一応国際的な枠組みに合意すると言ったのだから、文句を言われる筋合いはないので、それをリソースにして、イニシアティブを握って欲しいものです。あんまり期待はしてませんけど。

それに国民もおおむね好意的に見ているでしょう。まあ批判している人もいますけれど。まあこれはどうでもいいと言っちゃアレですが、そんな事よりも重要なのは、高い支持率でボケてるのか、そもそもやる気が無いのか、もしくは能力が無いのか、その裏側では、もうかなりのところまで役人やメディア、既得権益層に大事なところはプロテクトされてしまって、政権党の忙しさという、怒濤の流れに巻き込まれた民主党の大臣達は、外部からシャットアウトされ、役人の手のひらで踊りはじめています。

表向きは花を持たせておいて能天気な民主党議員達は踊らされ、背後では着々と骨抜きが始まっている。もうかなり厳しい状態にあると言っていい。

メディアの民主党に対するバッシングが一応落ち着きを見せ始めているのも、巻き返しがかなりの段階まで進んでいる事を示している。一度政権交代をしたくらいではどうにもならないとは思っていましたが、早くも希望は限りなく乏しくなって参りました。唯一の処方箋は我々がそれをきちんとウォッチするところにあり、情報を共有するところにあります。絶望すると思いますけれど、目をそらさずにチェックしていく必要があるでしょう。

本来なら対抗する政党があればいいのですが、自民党はあの体たらく、党内の古い体質は温存したまま、谷垣が総裁の座につきました。河野太郎あたりが、猛烈に名指しで党幹部達を批判していましたが、あの人が総裁になればちょっとは変わるかなとも思えたのですが、従来型の総裁の決定に落ち着き、当分の間は期待出来ないでしょう。

河野がなれば良かったと言ったのは、別にあの人の能力的な事や、党幹部を批判していたというところではなくて、明確に保守主義、小さな政府、市場重視、経済成長を打ち出していたところにある。

なんだかんだで、民主党は従来型の再配分とは意味合いが変わっているとはいうものの、再配分政党であり、リベラル政権でもある。したがって市場の自由に任せるというよりも、介入する方向に行くでしょうし、である以上、新自由主義的な意味での小さな政府路線にはならないでしょう。なんだかんだで、大きな政府を引きずってしまう構造も抱えている。リベラル政権の気をつけなければならない点は、全体主義的な臭いが必ずつきまとう所にありますので、非常に危険でもある。したがってかつての自民党的再配分路線が腐っていたのと同様、その恩恵にあやかって来た組合系の腐敗同様に、牽制が無ければ必ず腐敗する。

小林よしのり(小林の言っている事が誤って伝わっちゃっているので彼自身は本当はそんな事言ってないのですが)や新しい教科書を作る会的な力学に影響を受けて、小泉的新自由主義に吹き上がった、いわゆる「右傾化」のたった一つだけの良かった点があるとすれば、従来型の古い左翼的な腐敗を叩きつぶした所にある。この牽制が無ければこの腐敗構造はチェック出来なかった。少なくとも左の連中には出来なかった。腐敗にあぐらをかき利権を貪っていた。

そういう意味で言うと、河野が打ち出した路線というのは、やっとスッキリした対立軸を明確に自民党が提示出来たなと思ったのですが、結果は皆様周知の通り。谷垣氏に関して言えば、多分普段の言動から察するに、麻生とかほどは酷くなさそうなように見えますし、イメージ的に柔らかい感じがしますので、対民主党で考えれば悪い人選ではない自民党の重鎮の中では比較的マシな人だと思うのですが、いかんせん彼を担いでいる面々が薄汚い連中ばかり。

これから益々自民党が隠蔽して来た腐敗が可視化されて行くわけですから、その辺の薄汚れた構造を切らないと再生出来ないのではないかと思うのですが、河野氏ほど明確に自民党のパーティアイデンティティを打ち出せるとは思えませんし、だいたい河野的な方向性は小泉竹中の印象が残っているので、国民的には不人気だろうし、なんかしばらくは牽制としては期待出来そうも無い気がします。

右左の対立図式というのは、どちらが正しいか?という事にはあまり意味は無く、そんなもの中間がいいに決まっているのですが、左の連中がいる以上、右は絶対に必要だし、右の連中がいる以上、左は絶対に必要です。それがバランスを生む。再配分か?経済成長か?もしくは介入か?市場の自由か?というのも、そのときによって再配分した方がいい場合もあるし、経済成長も必要でしょう。どちらか?ではなくどちらも必要で、今この局面ではどちらを重視するのか?という問題でしかない。

介入すべきか市場の自由に任せるのか?という問題も、市場の自由に任せた方がいいに決まってますが、自由は時として自由を掘り崩し、自由で居続ける事が出来なくなってしまう場合がありますので、そういう場合は介入も必要でしょう。自由な競争を国家が介入して阻害するという事はなるべくやらない方がいいに決まっていますが、自由な競争に任せていると、格差が固定化してしまいますので、結果平等によってスタートラインをそろえ、機会の平等を担保する。結果平等の悪弊が競争を邪魔するまで放置しているようでは、これもやっぱりマズくて、スタートラインをそろえたら、競争によって活性化させる必要がある。

要するにこれらの対立軸は全く逆のベクトルを向いていたとしても、二つでバランスを保つ事が出来るわけで、どちらが正しいか?という話ではない。今どちらを優先させるべきかという話でしかない。したがって牽制が無ければどちらの方向を取るにせよ、必ず問題が生じます。重要なのはそれが牽制し合っている状況であって、自民党にそれが期待出来ない以上、しばらくは国民が民主党の方向性にチェックを入れる必要がある。それが市民政治であり、民主主義の本義でもあります。

そして肝腎なのは、これ以上財政を悪化させるわけにも行かないので、どちらの方向に進むにせよ、無駄と非効率は徹底的に見直さないとマズい。その為には情報開示が不可欠なんですが、そこの所が、だいぶ怪しくなって来ています。

現時点で重要なのは民主党はリベラル政権と言いましたけれど、別に保守市場重視型の小さな政府路線から政権を奪ったわけではないので、そういう意味で言うと、右左のバランスという構造には未だかつて一度もそうなった事はない。ただ腐っていて機能不全だった何の理念も無い利権政党の自民党から政権を奪っただけなので、ただ腐った自民党と同じ事をしたいだけであるのなら、別に腐ったものどうし、どっちが腐っていないかという絶望的な選択になってしまうのですが、仮に民主党がリベラル政権としての役割を貫徹すると言うのなら、自民党はそれに対抗するパーティアイデンティティを構築しないと、次の政権交代は単なるバックフラッシュという意味合いでしかなくなる。

日本ではこれまでこういった対立軸が事実上機能してこなかったので、保守政党と言っても、事実上再配分だったり、小泉的インチキ小さな政府だったりと、何を保守するのかが明確ではなく、主に利権を保守するというのが日本の保守だと言える。革新政党と言っても、自民党的再配分にぶら下がって、アメリカの核の傘にぶら下がって、護憲平和を唱えて来ただけなので、事実上アメリカとかヨーロッパのような対立軸もないし、二大政党制とか言っても事実上大きな違いを打ち出す事も出来なかったので、方向性で選ぶという感じではなかった。

ただそれは悪い事だと言いたいわけではない。元々アメリカにしろ、ヨーロッパにしろ、その対立軸がある。フランス革命とその反省から出て来たバーク的な保守、そしてイギリス的な保守から自由を求めてアメリカを建国した、アメリカ的保守であるリバタリアニズム、その自由が自由を掘り崩さないように出て来た、アメリカ的リベラリズムという対立軸。

こういう対立軸は歴史が作り出して来たもので、そういう対立があるからその対立軸が必要となる。しかし日本にはそもそもそういう対立は無いのだから、対立があるより無い方がいいに決まっているわけで、無いから二大政党制も根付いてこなかったし、野党は自民に対抗するパーティアイデンティティを示す事が出来なかった。無いのに無理矢理作り出すという方が、本当は不自然でもある。もちろんそれによってチェックが働かないという問題はあったものの、ある次期まではみんなそれで上手く回っていたので、それでよかった。

それが上手く回らなくなり、保守がそれまでは護憲平和も再配分も反共の防波堤としても、何でもかんでも網羅してきたものが、矛盾が可視化してくる。どうにもならなくなって、自民党は小泉という劇薬に頼った。その事によって自民党の曖昧だった方向性が明確に見えた。だから野党の方向性も定まった。自民党は政権党のままいきなり小泉という覚醒剤を使ったので、一瞬調子が良かったけれど、これまでの構造を簡単に切り替える事などできずにあっという間に副作用でボロボロになっちゃった。

なので野党に下った今こそ、利権の配置を入れ替えて方向性を打ち出すチャンスなんですが、そうはならなかった。牽制として期待したい所ですが、その牽制は従来型の権益へのバックフラッシュを意味していますので、そこに戻るのでは本末転倒な気がします。従来の自民党的利権システムで利権を貪って来た既得権益の復活では意味が無いので、民主党的方向性の腐敗をチェックしつつ、元の木阿弥状態にならないような注意が必要でしょう。

民主党的方向性が腐敗すること自体の問題よりも、それに対してチェックが働かない事の方が問題です。もしくはチェックが従来型の利権の巻き返しの力学である事が。権力は必ず腐敗するこれは一種の法則です。絶対にそうなる。改革政党だ、革命政党だと言ったって、権力を握れば今度は改革される側の対象そのものと一体化してしまうので、改革だ!という雄叫びは権力の強化に繋がる。小泉が自民党の内部で、改革すると喚いた結果、政府の権限は強まり、改革というお題目は虫食いだらけ、一時的とは言え悪夢のような自民党の強化になってしまった。後に続いた連中があまりもマヌケだったから勝手に自爆してくれたけれど、それだって結構長い間やりたい放題を許してしまった。特に今回の政権交代間際には、随分と滑り込みで、傍若無人ぶりを発揮されちゃった。

さて自民党にはしばらく期待出来そうも無いですし、野党の問題をごちゃごちゃ言っていても仕方ないので、政権党へと目を移しますと、政権交代に浮かれて準備不足だったのか、あれだけ長い期間野党として準備期間があったはずなのに、野党時代に何を準備していたんだよ?とガッカリするような体たらく。役人やマスコミの反撃にサンドバック状態です。

民主党の甘さが早くも露呈している。記者クラブを巡るやり取りなんかはまさに情けなさ全開です。付け込む隙がありすぎて不安な船出となっています。というかもうほぼ帰結は見えたという感じでしょう。まずはその辺を少し見て行きましょう。

記者クラブ開放の問題に関しては既存メディアは全くの無視どころか、提灯捏造記事を書いているにもかかわらず、官僚に会見をやらせないという話には食いついて、知る権利の制約だ!!とか喚いていた。お前らが国民の知る権利を侵害しているくせに、何を言ってんだよ。本当うざってぇ。

大変な大騒ぎになり、在外公館の大使なんかが会見を取りやめたりして混乱したとか騒いでいる。記者クラブ開放の問題のように下手に書くと自分達の利権が減る可能性があると全く書かないのに、自分達の利権温存に必要だとみると公共の電波や紙面を使ってあからさまに偏向報道をし、国民の権利を盾に取って話を歪曲する。

これは鳩山内閣の基本方針で、府省の見解を表明する記者会見は大臣等の政が行い、事務次官等の定例記者会見は行わない。ただし、専門性その他の状況に応じ、大臣等が適切と判断した場合、官が行う、という話になっている。

行う事自体を否定しているのではなくて、役人の次官が勝手に会見を行う事によって、大臣や政治家の意向に関係なく、自分達で政策や役所の方針を伝えてしまい、記者クラブの番記者達が広報活動のように書く。これによって政治家の意向を無視した方向性を既成事実化してしまう。記者クラブのバカ記者達はこれに加担して来た。

これを阻止する為の措置で、必要に応じて大臣の許可のもと会見を開く事は出来るし、ブリーフィングとかレクのような背景説明は会見には含まないと、前回叩いた平野官房長官がちゃんと会見ではっきり言っている。にもかかわらず、バカメディアは大臣だけの会見では専門的な説明が不足する、国民の知る権利の侵害だ!!と喚いている。全く、事実を歪曲しやがって、死ね!!

どこの世界に会社の方針を社長が示す前に、勝手に部下がその会社の方針を決めて、それに社長が従うなんて言う図式があるでしょうか?

それと同じで、国民の負託を受けた政治家が方針を打ち出し、それに役人が従うという図式が当たり前です。例えば政府が予算の方針の決定を出していない段階で、国交省とか農水省とかが、来年度の予算編成はこれこれこういう方針で臨むと勝手に打ち出している。それを記者クラブのバカ記者達が報じ既成事実化されていく。こういう事を許さないと言っているのであって、知る権利は全く何の関係もない。政府の方針につかえるのが役人の仕事であって、方針を打ち出すのは彼らの仕事ではない。その線引きをキッチリやろうと言う方針なのに、バカマスコミが役人と結託して、それを妨害しようとする。

これを情報統制だという話も全くのお門違いであり、何の為にマスコミがいるのか?これを調査報道をして、会見の場で徹底的な質問を浴びせれば済む話です。独裁国家じゃないんだから、質問に対して不用意な発言や、情報を隠蔽し、都合のいい情報だけを流そうとしていれば、それに食いつけばいい話で、いくらでも政治家はボロを出すでしょう。今の世の中、それほど情報を隠蔽出来るもんじゃない。自民党の顛末を見れば火を見るよりも明らかです。

だいたい都合のいい情報操作をして隠蔽してコントロールして来た体質そのものが、官主導の定例会見によって行われて来たのだから、そこを国民に選ばれた政治家がハンドルを握って予算編成権を取り戻し、民主主義としてのまともな流れを確立する事のどこが情報統制であるのか?

問題は政治家を通して、国民の意思を国政に反映させられないことにあるわけで、役人の勝手な振る舞いでこの国は機能不全に陥って来た。平野官房長官が官邸の記者会見を開かなかった理由も、単に平野がバカだったからというところが妥当らしくて、これは記者クラブ側からの、記者クラブ開放批判の根拠として言われていた、要するにキャパシティとか、セキュリティの問題を官僚から問いただされて、何かあったら責任問題に発展するとビビった平野が、その口車に乗せられて、まんまと会見をクローズにしてしまった。

会見をフリーにするとセキュリティが!!というのは今現在もセキュリティチェックなんてしていないわけで、大手メディアという看板だけで、いくらでも素通りしているのが今の記者クラブ体制です。大手だから安全なんて理由はどこにも無いし、むしろ最近はそういった大手とか、公務員系の人達の不祥事なんて日常茶飯事なんだから、今セキュリティチェックをしていない現状を棚に上げて、開放したらセキュリティ云々という話は筋が通らない。開放しようがしまいが現状のセキュリティチェックは問題であり、その事と開放は関係がない。

キャパシティの問題というのは、政府が担保すべき事であって、それを理由に情報の受け手をスクリーニングする理由にはならないし、そんなもの用意しろの一言で終わり。だいたい自由にすると、一社でいっぱい記者が来てしまうので、自由にすると大手が余計に強くなる云々の話も、そんなものは一社一人と決めれば済む話だし、テレビカメラなんかも民放で一台、NHKで一台、ネットで一台と各社どうせ同じ映像を流すのだから共有させれば一発で解決する。それをやればキャパシティの問題なんか簡単に解決出来る。現状でも、特定の新聞社や放送局がバカみたいに記者をいっぱい送り込んで質問を独占する構造がある。それを許し続ける事は自由とは関係ない。

読売のナベツネが平野や鳩山を呼びつけて、官僚と戦争をするのならメディアを敵に回さない方がいいのではないかね?(っつうか、何で情報公開がマスコミを敵に回す事になるのか、つくづく腐りきった連中です)と吹き込んだという話もあるし、完全に己の既得権益を守るため、記者クラブ体制を守る為なら国民益など無関係にマスコミは総力を挙げて、官僚をバックアップし、民主党のメディア政策をぶっつぶすぞという事をハッキリ言っている。脱官僚を謳うならマスコミを敵に回さない方がいいよと。全く困った連中です。

会見をクローズにして、官僚の都合のいい方針を打ち出す状況を許してしまっては、自民党時代と何も変わらなくなる。本来ならば記者クラブを全面開放すべき所だけれど、今のマスコミレベルで言うと、開放した所で、たいした質問も出来ないでしょうし、どうせ報じないだろうから、しばらくは無意味に見えるかもしれない。だけど、まず何が重要なのかを忘れては行けない。正しい道を進むかどうかが重要なのではなく、誤ったときに国民の意思によってブレーキが踏めるかどうか?そこにかかっている。

何となく今の民主党の方向性に対して批判している言説は、一部分だけを取って合理的か不合理かを論じているような気がする。全部政府のフィルターを通した情報しか開示されない状況を許しては情報統制の危険が!!という話になっちゃう。だけどこれには、記者クラブ開放という話もセットだし、日本版FCCやクロスオーナーシップの見直しなんかがセットになっている。記者クラブ開放をやらなければ、それは確かに情報統制の危険もあるだろうし、クロスオーナーシップを許したまま、日本版FCCなんて作ったって機能するわけがない。それを徹底的に叩く事が出来る新聞社をクロスオーナーシップという利権を引きはがして、政府から独立させなければ、必ずお手盛りの第三者委員会的な無意味な構造になるに決まっている。どこか一カ所が問題だと騒いで、それを撤回させてしまえば、これらは全部機能しない。

何となくゲリラ戦的に、局所的な問題点を叩き骨抜きにされて行く。その部分だけを見れば批判も的を得ている場合もあるのですが、全体的な国家像の観点から、批判すべき所を批判してもらいたいもんです。民主の牽制も重要ですが誰がそれをほくそ笑んでいるのかも考える必要がある。

批判をするなら、官僚による勝手な省の方針を打ち出す会見を禁止する事ではなくて、記者会見がクローズドな状態である事で、政府から独立した、情報統制を許さないマスコミの仕組みを構築していない事を批判した方が実りがある。国民の意思は相変わらず反映させる事も出来ず、啓蒙もされず、ブレーキすら踏めない状況になり、唯一の牽制手段が官僚の巧みさというだけでは、今までの官僚の暴走の構造から何一つ変わらない。それがこの国を疲弊させて来た最大の原因であるにもかかわらず。この辺を骨抜きにされてしまえば、多分すべての分野でもう何も期待は出来ない。早くも正念場です。

大臣がどんなめんどくさい質問にでもフルオープンの会見で答えます。という事と次官の勝手な省の方針を打ち出すような会見は禁じるという事はセットであるわけで、フルオープンの会見を阻止している事を問題にすべきであって、次官の勝手な会見によって番記者達が広報活動を行う事によって知る権利を担保するという話は意味が全然違う。どっちが情報統制なんだよって話です。

だいたい現状の記者クラブ体制だって、質問はしているわけだから、そこで徹底的に質問して情報統制は絶対に許さないという姿勢を見せれば、知る権利なんていくらでも担保出来るはず。要するに記者クラブ体制ではチェックが全く機能していないという事を事実上認めている。単なる役人からのリークを官報のように垂れ流しているマスメディアには、次官会見を禁止されたら調査能力も無いし、質問する能力も無いという事を事実上認めている。そういう無能さが次官会見を廃止するとバレるから困ると言いたいのでしょう。だったら座席を明け渡せよ。

マスコミはもう完全に調査能力を失っている。調査能力が無いのだから記者クラブを開くか、調査能力を取り戻すか、いずれかの選択を取るのなら、まだ気概も期待出来るけれど、取り戻す努力をする事も無く、無能なまま座席を護持しようと言う根性が浅ましい。

現場レベルの記者はその事を自覚しないまでも、開いたら開いたで対応するしかないので、決定が下れば対応するでしょう。問題はこの制度のまま(自分が生きている間は)逃げ切れると考えているトップの連中です。自分の退職金を少しでも多く持ち逃げするべく、それはそれで、そういう連中に取っては合理性はあるのかもしれないけれど、その事によって全国民が痛いめに会う。その会社自体もリソースを益々失っていく。こういう体制のもと、日航のOBの退職金や年金が多いとか批判している。よく言えるもんです。

政治主導という意味で言えば、政府の方針は大臣が打ち出し、役人は大臣の許可のもと背景説明であるレクやブリーフィングを行うという形は、従来のコントロール不可能なやりたい放題状態から比べれば、国民の意思を反映させるためという意味で言えば、いたって普通の話であるのに、知る権利の制約だとか言う話になってしまう。

官房副長官が決まる前に、内閣府の役人が各省庁の広報担当を集めて、この方針に対する説明を行っている。その中で作為的にこの方向性をねじ曲げている。会見やブリーフィングは政がやる。地震の時や捜査の時は官が行い、それ以外は政が行うのだと。??

これを受けて、在外公館とかも会見を行う事が出来なくなって大騒ぎになった。

わざと誤解させるように事実を曲解して伝え、その結果、各省大臣がそれに反応し、会見までは禁止はしないと言質を取られてしまっている。

これは役人がよくやる姑息な手段で、完全な嘘をついたわけではないけれど、微妙にコンテクストをねじ曲げ、その事によって意図した通りのリアクションが起こり、初期の目標を貫徹する。これは一例ですがあらゆる部分でこういった図式が見受けられる。

もちろんそこに強力にバックアップしているのが記者クラブのバカ記者達で、それにまんまと国民は踊らされ、政治家は不人気を恐れ、妥協が始まる。もうすでに始まっている。
結果役人やメディア、財界の堅固な既得権は護持され、国民は上前をはねられ続けるという図式になる。

ただ単に次官の勝手な方針を打ち出す会見を禁ずるだけではなくて、副大臣や政務官と言った、政治家達の会見の機会は増やすとまで言っている。そういう事をいっさい無視して、単に禁止という言葉だけが意図的に前面に打ち出され、それに釣られて情報統制だと騒ぐ輩が出てくる。簡単な話ですが今の今まで情報統制が行われて来たわけで、その構造を守ろうとしている連中のタクティクスに乗せられてしまってる。

しかしこれはそういう連中だけに責任があるわけではない。民主党の連中にこそ問題がある。こういう抵抗がある事くらいはじめから予想されてた事であり想定の範囲内です。最初が肝腎なのに、最初っからいいように遊ばれちゃっている。そもそもやる気が無く政権を取る事だけが目的だったのか、単にアマちゃんなだけなのか、ちょっと支持率が高いからって浮かれてんじゃねえぞ!!長い野党時代に一体何をやってたんだよ。このデレ助が!!

拳を振り上げて意気軒昂に政権を奪ったら、実際は丸腰状態。断固決然安倍晋三や麻生太郎と大差ない。

元々民主党はNC(ネクストキャビネット)を中心にして政策をずっと練って来た。にもかかわらずいざ政権を取り大臣を任命するとなったら、そのNCをことごとく無視して、鳩山の側近や論功行賞的な年次のようなものに縛られた、自民党的人事に落ち着いちゃった。NCがそのまま大臣になったケースは少ない。本当に詳しい人が外されちゃっているケースが多い。そこで準備をしていたんじゃないのかよ。

前原が国交大臣ってはっきり言えばあの人は素人なので、かなり無理がある。最初は良かったけれど、もう早くもボロを出し始めているし、農水も素人、環境大臣も鳩山の側近人事でこれも素人。大臣になれば基本的に携帯で連絡は取れない。SPがつく。アポイントは官僚の秘書官を通さないと取れない。情報から隔離され、丸裸の状態で孤立させられてしまう。大臣に上がってくる情報も官僚がスクリーニングした都合のいい情報しか上がらず、すり込みが始まる。おまけにNCじゃなかったりするから知識も経験も無い。知識が無いだけならともかく、NCの人達というのは、NPOとか、NGOと言った、市民社会との結びつきが強いので人脈がある。霞ヶ関の力がつかえないので、市民社会からインプットを受けて対案を出していた。

そういう人が大臣になっていれば、いざというとき自分から連絡を取って、情報収集もできるけれど、それが全くない素人が大臣になってしまっているものだから、完全に丸裸で心細い状態に放り込まれている。頼りになるのは役人だけという状態。こんな事ははじめっからわかっていた事なのに、何をやっているのか?官僚の常套手段、丸裸にして情報隔離状態にする事によってコントロールするというタクティクスに、まんまと丸腰で罠にはまりに行っている。何ともがっかり早くも絶望的になって参りました。まあ政権交代した所で民主党ごときが何かをなせるとは思っちゃいませんでしたけれど、さすがに能天気にもほどがあんだろ。

こういった官僚の操り人形と化した姿があからさまに見えるようになれば、支持率は激減しますので、そうなってケツに火がつかないと、この能天気野郎共のマインドは変わらないかもしれない。しかしもうそうなってからでは手遅れであるかもしれず、なかなかこの国の真の問題点の壁は分厚いなと感じる次第です。唯一我々がチェックし続けて、真っ当な批判と、有効なバックアップしか今の所方法は無い。

つづく!!