自分の体ってどうやって認識しているのだろう
偽物のゴムの手に危害が加えられそうになると、思わず反射反応をしてしまうそうです。こんな簡単なことで完全にだまされてしまうのですね。近くの人とやって見るのも面白いかもしれません。
そして、隠されていたほうの手は温度が低くなるそうです。普段は自分の手であると認識して意識的に温度を高くしているのでしょうか。
体温というのは、基礎的なものなので視床下部で無意識に調節されていて意識的には変えられないと思われていましたが、人間は意識によって体温を調節する機能が備わっているのかもしれません。
気功師は患部に意識を集中しますね。すると患者も自然にそこに集中するわけです。すると、その部位に対する認識度が変化する。強く認識すれば体温が上がる。すわわち、認識度を調節することによって血行を調節して治療効果を発揮しているのかもしれません。
こういった錯覚は味覚についてもいえます。以前NHKの実験でやっていましたが、「緑色のメロン味」の液体と「赤色のイチゴ味」の液体を飲んでもらって、その後に色を入れ替えて「赤色のメロン味」の液体、「緑色のイチゴ味」の液体を飲むと、ほとんどの人が赤色はイチゴ味、緑色はメロン味と答えたそうです。味覚も視覚によって簡単にだまされてしまうのですね。人間って案外いい加減なものです。料理も見た目は大切と言えそうです。
共通しているのはやはり視覚は非常に強い力を持っているということですね。人間は視覚の信憑性に多大な自信を持っているようです。
また、物事を思考するということは、脳だけで考えているのではなくて、体全体で考えているといえるでしょう。今何を見ているか、今何を感じているか、何を触っているかによって思考回路が変化するのです。脳を鍛えようと思ったら体も鍛える、体を鍛えようと持ったら脳も鍛える、というバランスが大切といえそうです。
関連記事
http://wiredvision.jp/news/200809/2008090323.html
もはや政策はスパゲッティコードだ
政治・政策というものはどんどん複雑性を増していくものだ。昨今の政治・政策は大変複雑になっている。だから国民にはわかりずらい。誰に投票すればいいのか、誰が首相に適任なのか。誰でもいいような気がしてしまうのである。
パブリックコメントというものがある。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public
これは各省庁が広く国民の意見を募集し行政に反映させるためのもので、案としては非常にいい。しかし、よほどの暇人でなければ参加できない。
意見の提出方法は電子メールか郵送がある。その前にまず、意見の対象となる法令を読まなければ始まらないが、これが全部PDFに書いてあるのでダウンロードしなければならない(お役所はPDFが大好きだ)。ちなみにPDFの内容は、ほとんどが紙をキャプチャーした画像なのである。PCでは文字として認識できない。
この時点で萎えるが、ファイルの中身といえば専門用語が多く、また外部資料への参照が多くて素人には理解しがたい。「法附則第8条第2項において・・・」なんていわれてもその元がどこにあるのかわからないのである。よくよく調べればわかるかもしれないが、普通の人は仕事をしながらとてもそんな時間はない。法令は正確でなければいけないから、用語が硬くなるものわかるが、でもこれで広く意見を募集するなんてのはちょっと難しいのではないだろうか。
自分に関係のある分野だけであっても、これだけの数のしかも難解な内容をチェックするなんていうのは実質的に不可能である。
IT用語でスパゲッティコードといえば、複雑に絡まり非常に読みにくくなってしまった良くないプログラムのことである。
もはや政策がスパゲッティコードになっている。
これだけの多様性のある民意を盛り込むには仕方の無いことであるが、このまま複雑性を増していけば、もはや専門家しか参加できなくなる。
スパゲッティコードのもうひとつの弊害は、バグの存在に気づきにくくなることである。コードが非常に複雑になっているため、その中に間違いがあっても発見することが難しい。
これと同じことが政策においても言える。難解すぎて読む気がしない法案のなかに我々やある一定の団体に不利益をもたらす文言が盛り込まれていたとしても、誰も気が付けないのである(あるいはこれが作戦なのかもしれないが)。
最も原始的なプログラミング言語はマシン語である。最初はみんなマシン語で組んでいた。しかしプログラムが巨大で複雑になるにつれて人間では理解しづらくなってきた。そこで比較的人間に理解しやすいアセンブリ言語が登場する。しかしさらに複雑性を増していくとアセンブリでもわかりづらくなってくる。そこでさらに自然言語に近い高級プログラミング言語が登場する。といったようにプログラミング言語はどんどん抽象度を増すことでスパゲッティを回避してきた。
政策においても、いつか抽象化の階段を1段上がり、もっと平易でわかりやすい政策表現ができることを望んでいる。手続き型政策言語に代わるオブジェクト指向とでもいうべき政策言語?ができたら面白いかもしれない。
しかしただ単に平易にすればいいというものではない。価値観や生活が多様化しているのは避けようの無い事実であるし、これからも複雑性は増していく。だから実際の現場ではそれに見合ったきめ細かな政策・法律が必要なのは確かである。ただその要点をうまく整理し、例えばその中から一点を抽出し、「ここを押さえればこのように景色が変わりますよ」と、わかりやくす説明できる人が次のリーダーシップを握るのだと思う。
欧米ではロビイストや政策系シンクタンクがこの役割(市民に対する説明・政府に対する提案)を担っているというが、日本ではあまり聞かない。
その中で、竹中平蔵氏のポリシーウォッチなんかはよい試みだと思う。
http://www.policywatch.jp/
たまに無料のセミナーをやっていて、参加すると竹中さんが政策の現状をわかりやすく語ってくれて面白い。(私はひそかに将来の首相はこの人しかいないと思っているけれど)。しかし、今のところあまり知られていないのだろうか、サイトを見る限りアクセスは少ないようである。
首相を国民は直接選べない。しかし世論を正しく分析できていれば、国民が直接選んでも同じ結果となるだろう候補を選出することができる。福田さんの場合は選ばれた首相ではなかった。もちろん総裁選で選出されているのだが、この場合の選ばれたとは、民意の洗礼を浴びて選ばれたという雰囲気をかもし出せているかどうかである。そうでなければ国民の確固たる支持は得られない。ゆえにラジカルな政策は取りにくくなり、改革路線は難しくなる。
今は世論が行方不明になっている。今、政治家たちはこの世論という雲のようなものをつかもうとして誰もつかめないでいる。水面下に渦巻いている世論をいかに見極め、そして集約し、形成し、後光のようにバックエンドに背負えるか。これが政治家の腕の見せ所なのだろう。
イルカのように泳げる、スーパー足ひれ
関連記事
http://wiredvision.jp/news/200808/2008082919.html
「第六感」のなぞ解明?
http://www.asahi.com/science/update/0826/TKY200808260098.html
「グーグル・アース」を眺めていたら面白いことがわかったそうです。牛や鹿がみんな南北を向いていたそうです。研究チームによるとこれは動物が地磁気を感じ取っているからで、大型の哺乳類で見つかったのは初めてとのこと。
確かに牧場なんかで牛が同じ方向を向いていることが多いですね。これは風や太陽の影響ではなくて地磁気の方角だったらしい。
人間も地磁気に対して向いている方角で脳波が異なるそうです。ちょっと向きを変えるとはっとひらめいたりすることがありますが。これが第六感とか風水の正体なのでしょうか。
