今週の月曜日、フェニックスプラザで稲盛和夫さんの公開フォーラムが開催されました。


盛和塾が主催になるので、私もスタッフの一人としてお手伝いに行ってきました。



稲盛さんが一般市民の前で公演されるのは3~4年ぶりのことで、そのめったにない講演


の会場として福井を選んでいただいたことは本当にありがたいことで、私に限らず、福井


の盛和塾のメンバー全員が何かさせていただなければという思いでした。




たいした宣伝もしていないのですが、2千8百人を超える応募が殺到し、フェニックスプ


ラザの2千人収容の大ホールで足りず、2階の小ホール、地下の大会議室まで使って対応


する異例の事態となりました。


私達塾生と違い、一般参加の方々は往復はがきで応募しないといけません。


無料の講演会とは言え、申し込むだけで結構面倒な申込だったにも関わらずの人気ぶりに


福井の塾生みんなが「稲盛塾長はすごい」の一言でした。




開演の4時間前に会場に入ったのですが、その1時間後には入場者が集まり出し、受付に


並び始めました。


私は受付担当だったのですが、私の担当コーナーの一番前に並んでいた20代後半と思し


き男性はなんと山梨県から来た人でした。


山梨は距離は近くとも時間的には間違いなく遠い県です。


よくまあ~と、関心していると、「前から稲盛さんの講演を聴く機会がないかと探してい


たんです」とのこと。


盛和塾の例会で簡単に塾長の話が聞かせていただける自分の身を改めて感謝しなければと


思いました。


その男性は稲盛さんの著書も数多く読んでおり、受け付け開始前にひとしき二人で盛り上


がりました。




この講演には当社からも15人が参加させていただきました。


それぞれ感想を持ったことと思いますが、会場はシーンと静まり返り、居眠りをする人も


ほとんどおらず、私が見た限り、途中で退席した人も2~3人でした。


塾長らしい「人は何のために生きるのか」という生まじめなテーマの講演でしたが、終了


した時はそれこそ割れんばかりの拍手でした。





講演の内容は概ね以下のような内容でした。


「運命という経糸に、因果の法則という横糸がからんで人生が形成される。運命は人それ


ぞれ定められているが、因果の法則により、良き思いで良きことを行えば(善思善行)人


生はいい方向へ向かい、悪きことを行えば人生は悪い方向へ進む。したがって人生は変え


ることができる」




「たったひとつの素粒子に過ぎなかった宇宙は、ビックバンによって次々と水素原子を生


み出し、拡大の一途をたどっている。宇宙は素粒子のままに留めておかない。常に進化し


て大宇宙を創った。宇宙にはすべてのものを育て、発展させ、良い方向へと流して行く愛


の意思が存在する。宇宙は一瞬たりとも休まない。我々が良い思いを抱けばそれは宇宙の


意思と合致し、すべてことは上手くいく」




「魂、心を少しでも美しいものに磨いていけば宇宙の意思の助けを受けることができる。


そのためには人生で出会ったいいことも悪いことも含めた試練にどう対処したかによって


人生は決まる。どんな災難に逢おうとも、どんな幸運に逢おうとも感謝の気持ちを忘れず


ただひたむきに明るく努力をしていくことが、人格を高め、美しい心を育てる。働くこと


の目的もただ、お金を得ることだけでなく、不平や不満や愚痴を言わず、真面目に働くこ


とが心を高めて行くことに通じて行く」





以上のような内容を中心に、さらに心を磨く手法としてお釈迦様の六波羅蜜の考え方の紹


介や日航の経営再建に際して、こうした基本的な考えで臨んだこと、それが奇跡的な成功


を遂げたのも結局、神様か宇宙の意思が働いたお陰としか私には思えないことなどを強調


されていました。




私達日本人は、自分の性格や人生は変えられないとする考え方が好きなように思えます。


社員の方との個人面談をしていてもそんな感じがしますし、やれ星座だ、血液型の性格


診断だ、神社に行けば○○○だというように日本人は占いが大好きです。





しかし、それはすべて自身の心と行いによって変えることができるのだと稲盛さんは強調


しています。


人生は神様がくれた贈り物という言葉があります。


「優曇華(うどんげ)の華のごとし」


これは天界に3千年に一度しか咲かないという優曇華という華のように人間界に生まれる


というのはそれほど難しいことなのだというお釈迦様の教えです。


せっかくこの世に生を受けた私達です。


どうせ決まった人生だとたいして努力もせずに生きて行くか、少しでも充実した人生にし


たいと明るく頑張って行くか。


いずれの選択も正しいのです。


なぜなら自分の人生は結局、自分の思いがつくっていくからです。

私達にとって他者とのコミュニケーションは非常に重要な意味を持っています。


毎日がそのために存在しているいってもいいくらいかもしれません。


人と楽しく接していれば、脳は幸せの化学物質を身体の各細胞に出し、ネガティブな接し方


の場合は幸福感をブロックする化学物質を体内に放出することが明らかになっています。


人間関係は私達の身体、健康にまで影響を与えるわけです。




この時、男女の違いとういうか特性を理解しておくと異性間のコミュニケーションが円滑に


進むことになります。


ここで肝心なことは「女性はなぜおしゃべりなのか」ということです。




女性は生化学的に男性より他人とのつながりを求める傾向にあります。


ひとつには原始時代、男性が外に出て狩りをしている間、集落や家族を守るために女性同士


が子供も含めて集い、互いの結束を維持した。


この時、互いのコミュニケーションツールとして言葉が大いに役立った。


これが井戸端会議の原点です。





一方、狩りをしている男性はむしろ言葉は邪魔で無言で行動しなければならない。


こうした男女の行動パターンの違いが影響したのかどうかわかりませんが、ストレスがかか


ると、男女ともストレスホルモンを出すのですが、女性はこのマイナス影響を和らげようと


脳から「結びつきのホルモン」オキシトシンを放出します。


そうすると女性は他者との関わりを持とうとおしゃべりを開始したり、ペットをなでたりす


ることで心が落ち着いてくるわけです。




友人の多い女性ほど、つまり話し相手のいる女性ほど、病気が少なく、幸せな老後を送る可


能性が高いと言われています。


女性にとって友人とのおしゃべりがないとすると、その害は、喫煙や肥満より身体に悪いと


言えるそうです。





これに対して男性からはオキシトシンはでないことがわかっています。


だからストレスホルモンによって幸福ホルモンが抑えられて憂うつや不満、不安を感じてし


まいます。


このため幸福ホルモンを分泌しようと問題の解決や克服といった行動に出ようとする。


元々、男性はオキシトシンの量が少ないので人間関係にさほど注意を払わないそうです。




したがって男女が一緒にストレスを受けると、女性は相手の男性に話しかけようとしますし、


男性はこの事態をなんとか克服しようと考えるわけです。


するとどうなるか。




「うるさい!こんな時に話しかけるな」と、男性は怒り、女性はしょぼんとなって一人で落


ち込んでしまうわけです。


この男女の特性を理解していれば男女のコミュニケーションはばっちりです。


私ももっと早くこうしたことを理解していればなぁ~

外見とは「一番外側にある中身」のことである。


この言葉をみなさん覚えていますか。


京セラフィロソフィの勉強会のテキストに使っている稲盛和夫さんの著書「働き方」の第5


章「完璧主義で働く」で登場する言葉です。


大変な苦労を重ねて開発したセラミックの部品を外見が薄汚れているとの理由で、機能を十


二分満たしているにも関わらず稲盛さんが技術者に突っ返すシーンでこの言葉が使われます。




一番外側にある中身を皆さんはどれだけ気を使っているでしょうか。


クルービズで楽な服装をするのは仕方ないにしてもだらしなくはなっていませんか。


後、私は姿勢も大事な外見と考えています。


自分が猫背で姿勢が非常に悪いこともあって姿勢の大切さを身にしみて感じているからです。




何年か前から通っている鍼灸院の先生からも背骨が歪曲している、かつ首のラインがきれい


じゃないと再三言われていました。


首のラインというのは、あごが上がっていることからくる首の変形で、首のカーブがきつく


なり過ぎるということです。


背骨、首のいずれの歪曲も、血流を悪くし、肩こりや頭痛など様々な体の不調の原因となる


そうです。


女性で冷え性の人にもこの種の姿勢の悪さが影響している人が多いそうです。


あごが上がるとよく言いますが、この姿勢は百害あって一利なしです。


これに猫背が加わると胸筋の発達を阻害し、肺や胃腸にもよくないそうです。


姿勢の悪さがマイナス思考のもとにもなるというのはほぼ定説になっています。


確かに堂々と胸を張って歩いているとなんとなく気持ちも前向きになりますよね。


悪い姿勢は、体だけでなく、心にまで影響するということです。


いくらおしゃれをしていても悪い姿勢はそれを台無しにします。




先日、鍼灸院に行った時、背骨の歪曲が良くなっていると初めて言われました。


うれしかったですね。


長年の自分の癖を直すのはかなり大変で私なり本当に苦労していたわけです。


次はあごの上がりの矯正ですが、あごを引きながら背骨を伸ばす。


なかなかこれが私にはできません。




朝礼の立ち姿をいつもそれとなくチェックさせていただいているのですが、皆さんの中にもか


なり姿勢の悪い人がいます。


一方でいい人もいます。


Eさんはあごのひき方がいいですね。


全体的な姿勢ではMさん、Oさんは完璧です。


是非みなさん、この三人を見習ってください。


一番外側にある中身が一層輝くと思います。




私が若かった頃の男性アイドルと言えば、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹でした。


アイドル御三家と言われてそれこそ一世を風靡した3人です。


私は男なので別にそれほどこの3人に関心があったわけではありませんが、私なりに


この3人を評した時、歌のうまさは野口五郎、ダンスなら西城秀樹、郷ひろみはただ


可愛いだけで、歌は下手、ダンスも下手、すぐに消えると思っていました。


というかほぼ同世代の人間としてバカにしていたかもしれません。




先日、その郷ひろみのコンサートがBSで流れており、女房と二人で見ていました。


以前は直ぐに消えると思っていた郷ひろみですが、私の予想に反して今も活躍して


います。




見る影もなく太った西城秀樹は、脳こそくで倒れ、歌どころではありません。


野口五郎も歌手としての出番はなく、チャリテイーゴルフなどでその名前を見るだけ


で、二人とも完全に過去の人です。



これに対して郷ひろみは、15歳でデビューしてから40年以上に渡り第一線の歌手


であり、ヒット曲も10曲やそこらではありません。


30は軽くあるでしょう。


彼のデイナーショーのチケットはプレミアがつき、そう簡単に手に入りません。


同じ御三家でこの格差はなんなんだ!と、私はいつも思っていました。





「デビューして、人気が出始めて、周りが僕が何をしても許してくれる。僕は有頂天に


なったけど、そのうち気がついた。周りのみんなは、どうせ2~3年で消えるアイドル


だ。今のうち好きにさせておけと思っていることを・・」


テレビのインタビューに郷ひろみはそのように答えています。


若かった私が思っていたことを彼は十分に感じていたのです。






「このままの自分ではダメだ。19歳の時、我がままを言って1カ月、ボイストレーニン


グとダンスの修行のためニューヨークへ行った。もちろん1カ月やそこらで変わるもので


はない。でもこうして何度もニューヨークに渡り、時には3年間も滞在し、45歳の時、


僕は決定的なものを手にすることができたんだ。そしてやっとこの世界でやっていける自


信がついたんだ」




彼は何をニューヨークで手にしたのか具体的には言っていませんが、足かけ20年以上に


及ぶ修行の日々が平坦なものでなかったことだけは間違いないでしょう。


「毎日、何回腹筋しているかって? 多すぎて答えられない。7~800回といったとこ


かな」


「何故、そんなに頑張れるのかって? それは僕が郷ひろみだからさ」


彼はまさにプロです。





今でもデビュー当時のスタイルを保ち、歌とダンスは格段に磨きがかかり、最近は渋さも


加わり、ギター一本でのバラード曲もしっとりと聞かせてくれます。


先日、「また逢う日まで」を大ヒットさせた尾崎清彦が人知れずなくなりました。


生まれ持った歌のうまさ、声量の良さでは郷ひろみより彼の方がはるかに上だったでしょう。


にもかかわらず晩年は浮浪者のような生活だったとか。


この差はなんなのでしょう。





「人の人生には2つしかないと僕は思っている。楽な道と苦しい道と。選ぶのは自分。僕は


いつも苦しい道を選んできた。何故なら楽な道を行っても何も得るものはないことを知って


いるから。苦しい道はへたしたら終わりはないかもしれない。でも得られるものははるかに


大きい」




この言葉を聞いて私はドッキとしました。


稲盛和夫さんが、これとまったく同じことを言っているのです。


二人は住む世界は違いますが、その生き方、考え方は同じなんですね。


昔、”君たち女の子、僕たち男の子”と歌っていた郷ひろみを見てバカにしていた自分の不


徳をただただ恥いるだけです。


郷ひろみはすごい人です。


東北の瓦礫の処理を巡って、その受け入れ表明をした自治体の一部で住民の反対運動


がニュースとしてマスコミを賑わしています。


私はあれを見て、同じ日本人としてなんとも情けない気持ちにさせられました。


北九州市では、瓦礫を積んだトラックの下に反対市民が潜り込んで処理場への搬入を


ストップしている光景がテレビで映し出されていました。


私にはあの心境は理解できません。



同じ日本人が未曾有の震災・津波の被害を受け、ゴミの山の中で今なお暮らしている


ことを思えば、その処理を少しでも分担して早めようというのは当然の責任だと思っ


ているのですが、現実は放射能の汚染を心配する住民達が受け入れを表明した行政の


人達を吊るしあげています。


静岡県島田市では、瓦礫の中からコンクリートブロックや石が入っていたというので


処理が中止されました。


あの混乱の中で瓦礫の収集をしていたのですから、そりゃブロックや石ぐらい入るの


は仕方ないんじゃないでしょうか。


それを「受け入れは木材だけだ」と杓子定規に振りかざして受け入れをストップして


しまうのはどうなんでしょうか。



確かに放射能に汚染された瓦礫なら拒否反応は理解できますが、ちゃんと放射能検査


も行われ、安全性を確認された瓦礫なのですから何も問題はないはずです。


瓦礫は被災地の処理能力を大きく上回っており、しかも長年にわたる放置の結果、腐


敗による悪臭、さらには自然発火まで起きており、ドライアイスで冷やすことまで行


われています。


本格的な夏の到来を前に、益々問題は深刻化しているのです。



私は福井県や福井市も受け入れを早く表明すべきだと思います。


明日は我が身です。


情けは人の為ならずです。


いつ逆の立場に置かれるかもわかりません。


困った時はお互い様と助け合うのが日本人の美徳だと思っていましたが、そんな日本


人は過去の存在で、今や自分のことしか考えない国民になってしまったのでしょうか。


なんとも情けないし、悲しくすらなります。



北九州での反対運動に対して感想を求められた東北の方が次のようにテレビで答えて


いました。


「私達は今も(処理を反対される)、その瓦礫の山の中で暮らしている。そのことを


忘れないで欲しい」


まったくその通りです。


同胞の痛みを痛みと感ぜず、自分のことしか考えない人達は必ずいつかしっぺ返しを


食のではないでしょうか。


私はそう思います。